25 エピローグ
「ごめんなさい狐さん、私もあなたに忠誠を誓いまくった忠実な部下として、あなたの命令に従うためにこの身この命この魂をかけて、死の一歩手前まで全身全霊を振り絞り尽くし、命懸けでそれを防ごうとはしたのですが、努力の甲斐なく怪談百面相には逃げられしまいました」
『『怪談百面相には逃げられてしまいました』、ふん。もとより期待はしてなかった。むしろ、一度でも捕えるか捕えないかと言うところまで言った方が驚きだが——怪談百面相が捕まろうが捕まらなかろうが、そんなことはどちらでも同じことだ』
恐る恐る報告をあげれば、彼は受話器の向こうでくつくつと面白そうに笑った。……自分で命令を出しておいて、その失敗を聞いて面白がるとか、この人、頭大丈夫なんだろうか? いや、大丈夫だったらそもそも、世界の終わりなんて目指さないか……。ああ、かわいそうに、この人の頭、もうダメなんだ……。
『何か失礼なことを考えていないか』
「滅相もない」
どうせ伝わらないだろうけれど、頭をブンブンと横に振りながら言う。私はあなたの忠実な下僕ですとも。ええ。
『『私はあなたの忠実な下僕ですとも』、ね……ふん。それだって、そんなことはどちらでも同じことだがな。しかし……そうか、怪談百面相は逃げおおせたか。一度顔を見ておきたかった気もないではないが、捕まらなかったと言うのならそれはそれで面白い。俺と奴との縁には、もっとふさわしい出会いがあると言うことだ』
なぜだか嬉しそうに言って、彼は笑う。多分、特殊な性癖なんだろう。眼鏡フェチかつ、マゾ。なかなか難儀な人生だ。聞き流して、私は続きを報告する。
「そう言うわけなので、怪談百面相への捜索は断念したいと思います。私の正体もバレちゃいましたし、二度同じ相手に捕まるほど、相手も間抜けじゃあないでしょう」
私が言えば、彼は『そうだな』と頷く。
『これ以上の追跡に意味はないだろう。お前への命令は打ち切ることとする。……重要なのは、お前が怪談百面相と縁が『合った』ことだ。それは今後、重要な伏線になることだろう』
どこまでわかっているのか、彼はそんなことを言って『それじゃあ、またな』と電話を切った。
ツーツーと終話音を吐き出す携帯をポケットに突っ込んで、私はふうとため息を吐く。
理由は不明。理屈は不可解。理解は不可能。
実行に移したというわけでもないのに、
私だけがそうだったならともかくとして、怪談百面相の方まで似たような感覚を抱いていたというのだから、単なる『嫌な予感』程度に捉えるのは躊躇われた。
なんらかの、私たちが認識できない領域での『何か』が起こった可能性がある——我ながら、なんて曖昧模糊とした発言だろうとは思うのだけれど、しかし私たちはそう考えて、作戦を取りやめた。
「——それじゃ、一度お別れだな」
駅のホームで、彼は言う。まるで再会の予定がすぐにでもあるかのような口ぶりだけれど、もちろんそんなわけもない。彼は今後も、単独で十三階段に挑む手がかりを探し続けるつもりのようで——的を外した探索をしていたこれまでよりも、ある意味ではよほど危険が増すことになる。
ともすれば、これが今生の別れにさえなるかもしれない——なんて、不死身の彼にそんなことを言うのは、いっそ悪い冗談でさえあるのかもしれないけれど。
それでも——
「必ず、また会いましょう、百面相さん……いえ、阿良々木さん」
私は言って、手を差し出す。
彼は今度こそ——その手を握り返してくれた。
「ああ、必ず」
言って、手が離された瞬間——凄まじい突風が吹き抜ける。
煽られた髪がバサバサと揺れて——気が付けば。
私の目の前から、彼は消えていた。
彼は再び、孤独な戦いに身を投じた。そして、それは私もまた、同じく。
『間もなく——間もなく、××行き——××行き、電車が——電車が——参ります』
輪唱するようなアナウンス。電車の到来を知らせる音楽が、しばらくの間鳴り響き——、パ——と。
警笛と共に、電車が到着した。
私はそれに乗り込む。勘で優先座席の方に向かい、人がいないことを確認してそこに腰掛ける。
鈍行。一駅分、ゆらゆらと揺られて、次の駅。
ぷしゅーと開いた扉から乗ってきた誰かが——私の隣に腰掛ける。
「……ここ、優先座席ですよ」
「どうせ、他に座る人もいませんよ」
彼は言った。なんの含みもなく、ただ淡々と事実を語るように。
聞き慣れない声だ。
人の良さそうな、通りのいい、大人の声。
けれどどこか——ほんの少し、空虚な。
ある意味では素朴で。
ともすれば僅かに——不気味。
なんて、初対面の人間に抱いていい感想ではないけれど。
私は不思議と、そう思った。
「いくら頼まれてとはいえ、犯人役なんて、やるもんじゃないですね」
なんの前振りもなく、彼は喋り出した。なんの話だ、犯人役って。
「さて、なんの話なんでしょう。ぼく自身、よくわかってはいないんですけどね」
わけのわからないことを言いながら、彼はくすりと笑って見せる。
「時に」
あなたは——と。
そこで初めて、彼は明確に、私に話しかけた。
「世界って、なんだと思います?」
なんて言葉を。
なんて——意味の捉えられない言葉を。
捉えどころのない言葉を、彼は私に向けて、差し出した。
「世界、ですか?」
「そう、世界。時々、思うんですよ。世界ってのは、一体なんなんだろう、って」
……哲学的な話だろうか? つまり、世界の在り方を問うような?
「世界の在り方を問う、というよりは、世界の存在そのものを問いたい、というか、なんというか」
彼は曖昧に言って、話を続ける。
「子供の頃、ぼくは、世界に囲われていると思っていました。ぼくは不気味で素朴な囲われた世界に生きている。そんな風に、本気で思っていた」
ありふれていて、くだらなくて、当たり前で、普通。
変わったことなんて一つも起きない、永劫回帰のルーチンワーク。
それが世界で。
世界だと思って。
だから、何かが変われば。
ほんの少しの——ズレが。
その囲いを、打ち破ってくれるんじゃないか、なんて。
「瓦礫を噛んだ歯車が、いずれ全ての歯車を止めて——行き場のない力が全てを壊すんじゃないか。そんな風に夢想して、けれど所詮、夢は夢でした」
瓦礫を噛んだ歯車は、一時的には動きを止めても、いずれ再び動き出す。
それは噛んだ瓦礫が外れて、なんて話ではなくて、単純に。
壊れた歯車は、新しいものに置き換えられて、再び回るようになるというだけなのだ。
「
彼は無感情に言う。面白そうにでもなく、つまらなさそうにでもなく。ただひたすら淡々と、事実を再確認するためだけに、言葉を連ねる。
「……それじゃあ、世界は、変わらず囲われてるってことですか?」
私が問えば、けれど彼は「いいえ」と否定する。
「言ったでしょう? 子供の頃は、って。今はもう、そんな風には思っていませんよ」
「……なら今は、どんな風に思ってるんですか?」
がたりがたりと、列車が揺れる。どうやら、鉄橋に差し掛かったらしい。
しばしの沈黙。
後——
「——最近、子供が三歳になりましてね」
突然の言葉に、私はうまく反応できなかった。「よく喋るようになって、赤ん坊から子供になったなという感じがするんですが」なんて言われても、なんと言えばいいのやら。突然自分が社会的成功者であることを自慢されても、今の話と、なんの関係があるのだろう。まさか子供がいるから世界が輝いて見えるとかそんな話なのか?
「いいえ、まさか。むしろ、逆ですよ」
彼は言った。
「ぼくの子供——
彼——楽しそうなんですよ。
なんて、彼は意外そうに言う。
「……いいことでは?」
「ええ、いいことです。本当に、いいことだ。母親が良かったんでしょうね、きっと」
でも——
「彼がそんなに、楽しそうに見つめる世界というものを、ぼくは全然、そうは思えない。先の問いに答えるとするのなら——つまり、世界は世界でしかない。不気味でもなく素朴でもなく囲われてもおらず、きみのものでもぼくのものでも壊れてもいない。世界は、世界である。ぼくがぼくであるのと同じように。世界は世界以上でも世界以下でもない」
そんなことに気付くのに、ぼくは二十七年もかかって——けれど、ふと思う。
それは、正しいのだろうか?
「世界でしかない世界を、彼は楽しそうに見つめている。全てが煌めく宝石箱みたいに、喜びも悲しみも、昂りも嬉しさも、苦しみも痛みも、全てを愛おしそうに」
果たしてぼくの子供の頃は、こうだっただろうかと疑問に思うほどに。
彼はどうしようもなく、幸せそうだった。
「同じ世界に生きているはずなのに、どうしてこんなに違うのだろう、と思うんですよね」
ぼくには。
ぼくには彼が、同じ結論に至るとは、思えない。
そんな風に、彼は言って——
「それは、当たり前だと思いますよ」
私は言った。
「だって、世界は私たちを囲っているんじゃなくて——私たちが、自分の中に世界を作るんじゃないですか」
かつて。
私は輝ける五人の美少年と出会った。
彼らは皆それぞれに違った美点を兼ね備え、そして同じように
瞳が光を映さなくなった今もなお。
彼らという輝きは——私の内側で星となって、私の世界を照らし続けてくれている。
「だから、きっとその黒士くんが世界を輝く瞳で見つけていられるのなら——それは彼の心の中に、輝く誰かがいるからだと思います」
私が言えば——彼は。
「ああ、なるほど——」
と。
腑に落ちたように、言葉を漏らす。
「世界は、自分の中に作るもの、か。そうか、その発想は、ぼくにはなかったな」
彼は言って——そこで初めて、小さく。
「ははは」
と。
僅かに。けれど心の底から——笑いを漏らした。
「なら、そうか。囲われていたのは、まさしく——ぼくの世界でしかなかったわけだ」
言いながら、彼は立ち上がった。電車は、駅のたどり着いて。
扉が、開く。
「いい話が聞けました。ありがとうございます」
「あ、待ってください」
列車を去ろうとする彼の背中に、私は声をかける。
「何か?」
「あなた、名前はなんていうんですか?」
私が問えば、彼は電車を降りた向こうで、呟くように言った。
「ぼくの名前は、串中弔士です」
その言葉を、最後に。
ドアは閉じ——再び電車が、動き出す。
「……不思議な人だったな」
私は思う。
なんだか、そう。
彼はなんだか——狐さんに似ている。
まるで違う二人なのに——その質量が等しい、とでも言えばいいのだろうか。
かつて見た五人の美少年が、夜空を照らす輝く星であるのなら——彼らは夜空を塗り潰す、深い暗黒星だ。
光すらをも捕らえ——無限の暗黒に落としてしまう。
そんな、現実に開いた孔のような存在で。
私はふと、誰かの横顔を思い出したような気がした。
けれどそれは気がしただけで、結局私は、そのイメージを捉えられずまた忘却してしまう。
なんだったんだろう、なんて首を捻って——気が付けば、次の駅。
ドアが開いて——また一人、人が乗ってくる。
焼き直しのように、その人物が私の隣に腰掛け——
「優先席ですよ、るれろさん」
「ふん、あんたがこんなところに座っているのが、悪いのさ」
言えば、そんな憎まれ口が帰ってくる。なんだよう、私には、ここに座る権利はあるだろう。
「権利でいうなら、誰にでもあるさ。必要としてる人が来たら譲るべきだというだけでね。勘違いしてはいけないさ」
彼女にしては珍しく(失礼)真っ当なことを言うものだから、私は言葉が出てこなかった。
その隙に、彼女は話を続ける。
「私がいない間、大立ち回りだったそうだね」
「ええ、まあ。最終的には逃げられちゃいましたけどね」
「私がいれば、逃さなかったさ」
なんて言われれば、私としては彼女が居なくて良かったという結論になってしまいそうなのだけれど、まさかそれを正直に言うわけにもいくまい。
「次はもう少し、気合を入れて見張っておくさ」
「……えっと、私、命令解かれたんですけど」
「……命令がなくても、あんたは放っておくと何をするかわからないからね」
監視役は、必要さ——なんて彼女は言う。
そして電車は——目的の駅に停まった。
「ほら、降りるよ」
言って、彼女は立ち上がった私の手を取る。
少し歩幅の大きな彼女についていくために小走りになりつつも、私は思う。
いつか、私と彼女は敵になる。
どうしようもなく私は裏切り者に成り果てて、彼女と立場を異にして、憎しみ合う敵同士になる。そうなればもう、きっと取り返しはつかなくて、私たちの関係は、永遠に修復不可能の断絶に見舞われることだろう。
その未来がわかって、けれど。
今だけは、こうして手を繋ぐのも、悪くないと。
私はただ、そう思った。
(始)
これにて完結となります。
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