19 『哲人Q』の後日談
ミドリビルの隣に立つ小さなマンションの三階に、鞠舞家はあった。
「もう、十年前になります」
仏壇の前で、鞠舞真丸少年の母、鞠舞
漂う線香と、蝋燭の燃える匂い。私には見えないけれど、きっとそこには、あるのだろう。私が出会った彼と瓜二つの顔をした——真丸少年の遺影が。
鞠舞真丸。享年十一歳。
十年前の、ちょうど今日。彼は忍び込んだ先の廃ビルで転落し、亡くなったのだという。
「自分で言うのもなんですけど、頭のいい子でした。将棋が好きで、あとは——」
「……なぞなぞが好き?」
「あら、よくわかりますね」
生きていたら、あなたみたいなお友達もいたのかしら。なんて、彼女は涙を堪えるような震える声色で言った。
「隣のビルで、事故が起こったものですから、こんな場所にはもう、住んでいるのも嫌だったんですけどね、ここにいると、時々、あの子のお友達だった人たちが訪ねてきてくれたりして、ね」
「……それってもしかして」
名前を聞けば、それは件の三人だった。
滲屋集。
場後破穿。
百々木轟。
三人とも、子供の頃に大怪我をしたことがあったそうだけれど——今では至って健康に、元気に生きているという。
「そんなだから、まだ、ここに住んでたら、もしかしたら、何かの拍子に、ただいまって、戻ってきてくれるんじゃないかって」
そう思って、留まり続けていたのだ、という。
「でもそれも、もう終わりですね」
彼女は言う。
ミドリビルは、取り壊しになった。元々、死亡事故も起きていたような場所で、老朽化も進んでいた。
数日前に、
「最後に、ご挨拶に来てくださってありがとう」
「いえ、むしろ今更になってしまって、申し訳ありません」
答えたのは、私ではなかった。
通りの良い、爽やかで落ち着いた声。あの『美声』ほどではないけれど、しかしその人物の人間的な重みを感じさせる、穏やかな声。
それを放つのは、私の隣で同じく仏壇を拝む一人の青年だった。
「いいのよ。あの子が亡くなるよりも前に、お引越しされたんですってね。遠くから、わざわざに来てくれて本当にありがとう」
あの子も喜んでると思うわ——なんて、数日前にその『あの子』と……いや、『あの子』の成れの果てを退治した私にとっては、受け取りづらいお礼を言われ、少し微妙な気分になったけれど、隣の彼はそんな気まずさをお首にも出さず、「こちらこそありがとうございます」と卒なく答えを返していた。
「それにしても」
と、彼女は声色を変える。
「
「ははは、子供の頃は本当に、お世話になりました」
平然と嘘を貫き通す彼の名は、
またの名を——
彼が怪異なのか、あるいは人間なのか。
その答えは、私にもわからない。
でも、そう。
少なくとも彼自身は——「
人であり、怪異であり。
人でなしにして、怪異のなり損ない。
それがこそ、怪談百面相の正体だ——と。
「——それでは、そろそろお暇させてもらいます」
ひとしきり話を終えて、怪談百面相は——あるいは阿良々木暦はそう言って、立ち上がった。
「長い間、引き留めちゃってごめんなさいね。今日はありがとう」
深々と頭を下げる気配。次いで——
「妹ちゃんも、ありがとうね」
と、私にも水を向けられる。……鞠舞家を訪れるにあたって、私と怪談百面相は相談し、彼が鞠舞真丸の旧友、そして私がその妹、という形で鞠舞家に上がり込むことになっていた。
「いえ、真丸く……さんについては、兄からもお話を聞いていたので」
私は言って、精一杯微笑んだ。
嘘だらけで申し訳ない限りだけれど、ほんの一時の付き合い、それも——彼そのものではない成れの果てととはいえ、私が彼のことを知ったのは間違いのない事実だ。
目の見えない私のために、彼が手を引いてくれたのも。
その優しさだってきっと、嘘ではない事実だっただろう。
「お参りできて良かったです」
私は言った。嘘偽りのない本心を。
真丸くん。君の出してくれた挑戦状は、なかなか面白かった。命がかかってさえいなければ、きっともっと面白かったはずだ。
あるいは、別の形で出会えていれば——なんて言葉は過ぎているけれど。
「それでは、失礼します」
そう言って、私たちは鞠舞家を後にした。
「……嘘がお上手ですね、怪談百面相さん」
「君こそな。ま、とりあえずこれで、怪談『哲人Q』については、一件落着ってところでいいだろう」
マンションを出て、
「『彼』の方に関しても、ちゃんと成仏できたみたいだったしな」
——怪談百面相。百の怪を束ねる王。
その正体は——
正確には、その
吸血鬼——血を吸う鬼。その特徴は多岐に渡り、たとえば陽にあたると焼けただれるとか十字架に触れると滅されるとか、そんな代表的な弱点から、怪力、不死、再生、霧や蝙蝠への変身、影への溶け込み、物質創造など、多種多様な能力がある訳だけど——その中でも、吸血鬼を吸血鬼たらしめる最大の特徴はやはりというべきか然りというべきか、『吸血能力』である。
血を啜る力——というよりも、正確にはそれはエナジードレイン能力であり、その本質は『対象の存在を喰らい、それを己の糧とすること』。
この力によって、彼は怪談『哲人Q』から、
搾りかす——すなわち、怪談『哲人Q』の、怪談たり得ざる部分。それはつまり——
哲人Qなる怪談に取り込まれていない、
私にはもうすでに、その存在は見えも聞こえもしていなかったけれど、怪談百面相という怪異と人間の間に立つものにとっては、それは親しき隣人に他ならず。
ゆえにこそ彼は、その御霊をあるべき場所に還しに来た。
私は、それに誘われた『おまけ』ということだ。
己が関わった——障られた怪異の結末を、見届ける権利はあるだろう、なんて、もとより見届けることなんて私にはできないんだけれど、ともかくとして。
私はその結末に、見えも聞こえもせずともして、居合わせることとなった。
怪談百面相に曰く、彼の御霊はあるべき場所に還ったという。
ならばまさしく、これにて一件落着、だろう。
何より——
「私の方も、
私は言った。
そう、私がこうして迂遠にも、怪談を探し、オカルト屋なんて胡乱な職業にも身を窶し、己の身を危険に晒してまで怪異を探し続けていたのは——
「阿良々木さん……いえ、『怪談百面相』。折入って、あなたに相談があります」
「ん、なんだ? 結婚してくれって話なら、悪いけど僕には心に決めた女子小学生がいて——」
「いえ、そう言う話ではなく」
いちいち突っ込んでいたらキリがないので、彼の衝撃発言についてはスルーする。
「——あなたは、『貌のない狐』を探している、と、そう聞きました。それは、間違いないですか?」
「……ああ、間違いのないことだ。僕は、貌のない狐を探している。そのために——怪談を喰らう怪談として、活動を続けている」
その答えに、私はさらに一歩、踏み込む。
「それは、何故ですか?」
あなたは。
あなたはなぜ、『貌のない狐』を探しているのか。
貌のない狐なんてものを——探しているのか。
私はそれを、問いかけた。
「………………」
彼は。
ほんの一瞬の、永劫にも似た重たい沈黙ののち、静かに。
けれど確かに、語り出した。
「——僕は、とある女の子を探しているんだ」
何かを思い出すように、滔々と。
「かつて、僕は……僕は致命的な失敗をして、彼女を深く……深く深く——傷付けた」
彼は語る。
思い返せば、それは青春と呼ぶにはあまりにも醜悪で——残酷な程に劣悪な、最悪にすぎる物語。
かつて。
彼は一人の少女を、傷付けた。
どうしようもないくらいに。
どうにもできないくらいに。
取り返しのつかないくらいに、傷付けて。
最低なくらいに。
最悪なくらいに。
最終に至るくらいに、傷物にして。
その絆を。
その感情を。
その関係を——完膚なきまでに、終わらせた。
終わらせて、しまった。
そして、その結果、彼女は——
『——さようなら、阿良々木くん』
「貌のない狐に憑かれ、連れ去られてしまった」
伸ばした手は、届かず。
彼女は行ってしまった——と、彼は語る。
「だから僕は、もう一度彼女に出会うために——そしてあの貌のない狐を倒すために、それを探している」
慙愧。深い深い後悔と共に、絞り出すような声で、彼は言った。
まるで己の全てを恥いるように、己の存在そのものを悔いるように、己の生存そのものに憤るように、彼は深く、深く深く、己を責めながらにその言葉を搾り出して——けれど。
私が気になったことは、ただ一つ。
「その、女の子の、名前は——?」
私が問えば、彼は。
ゆっくりと、その口を、開く。
「彼女の名は——
その名を、聞いて。
私は——魂が凍りつくような衝撃を受けた。
羽川翼。
その名は。
その名は——
「……怪談百面相」
私は改めて、その名を呼んだ。
「私は——とある人物から、『あなたを捕まえろ』と指示を受けていました」
それは、罪の告白にも似て。
私は真実を暴露した。
「
私は。
私の正体は——
「十三階段が十段目、『美眼鏡のマユミ』こと、瞳島眉美」
そしてまたの名を、チンピラ別嬪隊の隊員ナンバー6、『貴賓のマユミ』であり——
けれど、真実は。
「美少年探偵団の団員、『美観のマユミ』と言います」
怪談百面相——
「あなたが、『貌のない狐』の——
どうか——お願いします。
私は深々と頭を下げて——その言葉を口にした。
「私と共に、
世界を救うために、どうか。
私のことを、助けてください。
そんな風に、子供のように。
私は彼に、縋り付いた。
またしばらく執筆のため更新を中断します。
再開の際にはまたよろしくお願いします。
感想、評価、お気に入り登録、ここすきなどなど、して頂けると励みになります。
よろしくお願いします。