「あっついー」
「あづいー」
「あの……。こっちも暑くなるので暑い暑い言わないでほしいんですけど」
両手で風を送るように、ぱたぱたと扇ぐノゾミとヒカリ。舌を出している所は、決して他の人には見せちゃいけない部分だと思う。
運転室は、もわっとした暑さに覆われていた。窓を開けて運転はしているものの、外から入ってくるのは生ぬるい風ばかり。季節は春だから、暖房はもちろん入れてない。かといって、冷房を入れる時期でもない。
下着が汗で蒸れて、体にくっついてるのが分かる。できることならノゾミとヒカリがやってるように、上着を脱いでワイシャツ姿になりたい。けれど私の上着の下には下着だけだから、流石にそんなことはできっこない。
「ねー、冷房入れちゃだめー? アオバー」
「……ダメです。組織としては冷房が可能になるのは七月からですから。まだ五月で、整備も何もしてないので……」
「ケチー」
「ケチじゃないんですけど。私だって、頑張って我慢してるんですけど……」
そう。入れられるのなら、入れてあげたい。でも、組織に属している以上は組織に従わなきゃいけない。……バレないようにこっそり入れるにも、一切整備も点検もしてないところで動かしたら、碌なことにならないのは、去年の経験で嫌と言うほどに知っている。
「じゃあアオバは私に脅されたってことにしてさー、入れようよー」
「ダメですって。そんなことしたらお二人の色々に絡んじゃいますから」
ノゾミの声は駄々をこねるようなものになってくる。上目遣いでノゾミに言われても、ヒカリに言われたとしても、だめなものはダメと言うしかない。それが例え、友達からのお願いだとしても。心を鬼にするしかない。
「ちぇー。じゃ、駅着いたらプールでも行くー?」
「水着無いけどー、借りられるかもー?」
「五月に空いてるプールとかありますかね……」
そんなやりとりをしながら、列車は走り続ける。運んでるのは貨物で、トラブルなく運行中。前みたいに誰かに襲われるようなこともなければ、ブレーキが利かなくなったりということもない。時間は定刻通りに経過中。全てが順調に進んでいた。
――運転室が暑い、ということを除けば。
っていうか、二人とも両手で扇いでるんですけど。流石に運転中に機器類から手を離すのは駄目だと思うんですけど……と言いたかったけれど、私は見て見ぬ振りをすることにした。……だって、いつも通りだし。
二人の『暑い暑い』の大合唱を聞きながらも、列車は定刻通りに目的地の駅へと滑り込んだ。そして荷主からの判子を貰い、ノゾミとヒカリの荷物運送の業務はこれにて完了。
貨物車両を切り離し、動力車を整備場へと移動。外観点検や、機器のスイッチ類のチェックを――ノゾミとヒカリの『ねーまだー?』の合唱をBGMにして――終え、これにて私の業務も終了。晴れて私たちは自由になる。
このまま帰りの列車に乗って、寮へと向かうだけ、なのだけれど。
「ねー、アオバー。シャワー浴びたーい」
などとノゾミが言ってきた。
ここはほどほどに大きなターミナル駅で、併設されている建物には駅員の休憩所もあるし、シャワーを浴びる施設もある、と思う。私たちの職場とはかなり離れていて、知り合いはいないけれど、
「シャワーだったらここのを使えば……」
そこまで言いかけて、あ、と気づく。この駅の隣は、シャーレの最寄り駅。そしてシャーレにはシャワー室があって、修理でお邪魔したときに、一回だけ使わせてもらったことがあったのを思い出した。
……いや、でも先生はお忙しいお方だから、呼ばれてもいないのに行くのはよくないですよね。
そう思って、シャーレの名前を出さないでいると。
ふと、目の前でノゾミが顔をじぃっと覗き込むのが見えた。体を傾けて、私を横からじぃっと見つめるノゾミは、「パヒャッ」と小さく鳴いて――いや、笑って。
「よーっし、それじゃ、シャーレ行こっか!」
「――――!?」
だなんて、まるで私の思考を読んだような事を言い出した。私、何も言ってないんですけど!?
「シャーレにはシャワーもあるし、遊び相手もいるし、完璧でしょ! ってことで、乗り換えするよー!」
「シャーレに向かってごーごー!」
「え。…………え?」
「アーオーバー! 置いてくよー?」
既に走り出していたノゾミとヒカリが、私の方に振り返って手を振ってくる。ここで分かれて私だけ帰るという選択肢は、確かに、ある。……でも、私も、列車の中で相当汗をかいてしまっていて、割と、こう……匂いもありそうな、気がして。
「――――――分かりました、分かりましたから!」
背に腹は代えられない。まして、ノゾミとヒカリが行くんだったら、先生のお仕事の邪魔をするに決まってるから。
そんなことがないように、あとついでに、シャワーもお借りできたら嬉しいな、という気持ちを胸に。
いつぞやとは逆のルートで、シャーレへと向かうことになった。
――私は悪くない、ですよね。
そう、胸の中で自己弁護しながら。
◇◇◇
「シャワー室にとつげーき!」
「とつげーき! パヒャヒャッ!」
シャーレのドアを開けるなり、二人はシャワー室の方へとばたばたと駆けていった。
電車の中で先生にモモトークを送っていたこともあって、シャーレがあるビルに入ることも、エレベーターでシャーレがあるフロアに向かうことも、スムーズにできた。
――本来なら、かなり厳重なチェックが入るはず、なんですけど……。
【いいよ。開けておくから、入ってきて】
の一言で、先生はお忙しい中、対応してくれた。
「先生、その……。なんか、すみません」
「いいのいいの。いらっしゃい。シャワーは誰にでも貸してるから、気にしないの。シャワーが終わったら、お菓子用意しておくからね」
恐縮しきりな私に、いつも通り対応してくれた優しい先生は。タオル一式もすぐに準備してくれて、更にはシャワーを終えた後にも世話してくれるらしい。
「何から何まで、ありがとうございます」
「
先生にお礼を言って、タオルを持って、シャワー室へ。
脱衣所に散らかっている服をまとめてから、扉の向こうで騒がしくしている二人へと声をかける。
「タオルはドア開けたすぐ先に置いておきますから」
「はーい。ってかアオバもおいでよー」
「おいでおいでー」
曇りガラスの向こうで、二人が手を挙げるのが見えた。その後で、私に手招きをしているようにも見えた。
「はい? いや、流石に狭いと思うんですけど」
「大丈夫ー、思った以上に広いから!」
「大丈夫ですって、その後入りますから」
「二人も三人も、一緒ー。故に、大丈夫ー」
「いや、その理屈は……」
などとやりとりしていると、いつの間にか開いていたドアから、手をがっしりと掴まれていた。首を縦に振らないと放さない、と言わんばかりの不敵なノゾミの――もちろん裸――姿に、私はため息を吐くしかなかった。
◇◇◇
「パヒャッ! アオバも細いねー」
「ほそーい。あれだけ食べたのはどこー?」
「大きなお世話なんですけど! 私だって育ってほしい場所はあるんですけど!」
「胸とかー?」
「…………直球過ぎるんで、もう少しオブラートってものをですね……」
「胸には行ってないけど、お腹にも行ってなさそう。よかったね!」
「抓まないでほしいんですけど!」
『思った以上に広い』と二人は言ったものの、やっぱりシャワー室はシャワー室で。ぎゅうぎゅう詰め、ではないけれど、体を動かせば当たっちゃう位の狭さだった。三人も入ればそれはそうなのだけれど――。でも、人混みが嫌いな私でも、決して、三人で入るシャワー室は、不快ではなかったのは、きっと。
「ほっぺもぷにぷになら。お腹もぷにぷに」
「パヒャッ! いい弾力してる」
「つつかないでほしいんですけど! 逃げ場無いの知っててやってますよね!?」
この二人と一緒だからだろう、と思う。
ただの汗を流す目的のシャワーは、気がつけば騒がしい場所へと変わっていた。
シャワー室に先に入るのがノゾミとヒカリなら、シャワー室から先に出るのもノゾミとヒカリだった。
なら私はと言えば、シャワー室内を水で軽く洗い流し、脱衣所に所々に点々と付いた水滴を拭いて、またもや散らかされたタオル類をまとめて持って、二人から遅れてシャーレの部屋に戻った。
シャーレの中は、さぞ二人の騒がしい声が聞こえるかな、と思いきや、意外と声は聞こえなかった。その代わりに聞こえるのは、ブロワの音。
音がする方――ソファの方へと目を向けると、ヒカリが目を瞑って、中途半端に口を開いて、気持ちよさそうな顔をしていた。その後ろでは、先生がドライヤーでヒカリの髪を乾かしていた。
……全然羨ましいとかじゃないんですけど。
「――――先生。お忙しいんじゃなかったんですか」
近くに行ってそう聞くと、
「いやまぁ忙しいけどね。でもこういう時間も大事だよ」
だとか、しれっと言ってくる。
「ヒカリが終わったらアオバもやってあげるね」
「え、いえ。先生のお手を煩わせる訳には」
「いいからいいから。皆平等に、ね?」
聞くに、おそらくノゾミもされた後なんだろうと思えた。気持ちよさそうなヒカリを見て――シャワー室から出て冷えたはずの顔が、また熱くなる気がした。
結局、ヒカリが終わった後、私も先生に髪の毛を乾かしていただいて。
『アオバちゃんは髪の毛がふわふわで気持ちいいね』だとか『こんな髪の毛羨ましい』だとか『ずっと触ってたい』だとか言われて、胸が高鳴りすぎて気が気じゃなかったし。先生がそんなことを言うもんだから、歩く好奇心ことノゾミとヒカリが私の髪の毛を弄り倒してきた。
そう、ノゾミ。
シャーレに戻ったときには姿が見えなかったその人は、ヒカリと私が場所を入れ替わったあたりに姿を現した。そして机の上に置いて見せた。視線だけを移して見ると、コンビニで良く見る――しかもお高い方のアイス。その名も、
「……ノゾミ」
「なぁに?」
「…………それは?」
「あそこの冷凍庫にあったから持ってきた! 先生、いいよね?」
「もちろん。そういうときのために保管してるものだからね」
「やたっ!」
勝手にシャーレの冷蔵庫を開けたばかりか、しかも完全に事後承諾だった。……ノゾミは、まったく…………。相手がお優しい先生だからいいものの……。後で言い聞かせないといけないな、と思う。
先生のドライヤーはまだ続いていて、その視界の先で、ノゾミがアイスの蓋を開ける。続いてチョコスプレーの袋を開けたかと思うと、ざっとその上にチョコスプレーをこんもりと載せ始めた。
「――!?」
手で掴んでぱらぱらと振りかけるのではなくて、袋から、直接。アイスのカップの上で、チョコスプレーが文字通り山になっているのが見える。続いて、ヒカリも。同じようにカップを開けて、チョコスプレーを流し込む。
――いくら先生の物だからと言って遠慮がなさ過ぎるんですけど!?
「……先生」
「んー?」
「あれ、ですけど」
「あぁ、あれね。私もやってみたかったんだよー。ノゾミちゃん、ヒカリちゃん、あとで感想教えてね」
「おいひい!」
「おいひー」
「そ、よかった」
先生の扱いも雑なら、二人の感想も雑にも程があった。
……いいんだ、それで。
「え、それでいいんですか」
「いいのいいの。アオバちゃんもこれ終わったらやっていいからね。……なんかお預けさせちゃってるみたいでごめんねー」
「いえ。……その、いただけるものとは思ってなかった、ので」
「ふふ。
そんな事言われたら、期待しちゃうから。そう簡単に言わないでほしい。
「…………流石に、それは」
「じゃあ私毎日アイス食べに来るー!」
「私もー」
――二人はもっと遠慮って物を覚えるべきだと思うんですけど。
小さくため息を吐く私に、真後ろからはくすりと笑う声が聞こえた気がした。
ドライヤーが終わる頃には、ノゾミもヒカリも、アイスを食べ終わっていた。――その代わりに、机の上にはこぼれ落ちたと思われるカラースプレーが散乱していた。
「~~~~! ノゾミ、ヒカリ、ここは二人の休憩室じゃないんですけど!」
指摘するも二人はソファに寝っ転がったまま動く気配がない。給湯室にふきんがあったのを思いだして、給湯室へ。水で絞って、そして元の場所に戻って。
ソファに向かう間、やけにノゾミとヒカリの視線を感じるな、と思っていたら。
「………………――――――」
私の分として残されていたカップアイスの蓋が、開いていた。そしてその上には、文字通りに山盛りに、カラースプレーが載せられていた。
「アオバのアイスにも、トッピングサービスー」
「限界に挑戦ーってね! パヒャッ!」
「~~~~~~、人のアイスで遊ばないで欲しいんですけど!」
――ああもう、この自由人たちは――――――!
けらけらと笑うノゾミとヒカリの、その一方で、先生も同じように、子どものような笑顔を浮かべていた。
雑にシャーレに遊びに行くノゾヒカアオバが見たかった。
ので、書きました。
先生はノゾヒカアオバを、近所の子どもだとか親戚の子だとか思ってるんじゃなかろうかという節がありそう。皆のためにアイスやらお菓子を準備する先生。いいですね。
日常的に遊びに行くノゾヒカと、その保護者のアオバ。いいですね。シャーレはいつも賑やか。
作中で5月になってるのはこのお話を5月のめちゃめちゃ暑い日に書いたからです。今もめちゃくちゃ暑いですが。
皆様も熱中症などにはお気を付けください。