ようこそ神域の男がいる教室へ 作:3年生編楽しみ
日本。
かつては世界第二位の経済大国と言われたアジアの島国。
しかし、その光は徐々に失われ、今では「後退先進国」などと呼ばれる程に勢いは衰えていった。
そんな日本を再び栄華の地へと導くべく、政府は限られたエリートたちのみが入学を許される「高度育成高等学校」を創立。今年もまた、160名の学生がその門をくぐることとなる。
そんな高度育成高等学校に、1人の男が招かれた。
彼の名は"赤木しげる"。
後に"神域の男"として伝説となる、闇に舞い降りた天才。
凡人では測り知ることも出来ない彼の深淵を、同世代の少年少女たちは長い人生の短い刹那、生涯忘れ得ぬ記憶として刻むこととなる。
…………
……………………
……………………………………
高度育成高等学校の入学式当日。私───堀北鈴音は、高育行きのバスに乗っていた。
「……………………………」
私の周りにも、高育の赤いブレザーを着た人たちが何人かいる。彼らもまた、新入生。これから同じ学び舎で3年間学ぶ生徒たち。
…………どうしてかしら、驚くほどに興味が湧かないのは。
誰も彼も浮ついた、惚けたような顔をしている。自分たちは選ばれたエリートだって、浮かれているのかしらね。
こんなのだから、日本は落ちぶれたんじゃないかと思ってしまう。国のエリート養成所でこのレベルなのだとしたら、先が思いやられるわ。
まぁ、私には関係の無いことね。
バスは停留所に停車した。そこでまた、新入生が乗り込んでくる。男子みたいね。今度はどんな顔をした愚か者なのかし──────
「………………………」
一瞬、ぞくりと背筋が凍るような寒気がした。
同世代とは思えないような、老人のような白髪。切れ味の良いナイフを更に念入りに研いだみたいな、鋭利な目つき。そして、人間味を感じさせない石像のような仏頂面。
私は金縛りにあったかと思える程に、固まってしまっていた。
「…………………」
彼は私の隣まで来ると、真横にある空いた席に腰を下ろした。そして、そのまま私たちには目もくれずに窓の景色に目を移した。
………何だったのかしら、さっきのは。
ただ歩いていただけ。たったそれだけなのに。私は一体、彼に何を感じたというのか。
まさか緊張してるのかしら。これからの高育の生活に。………兄さんのこともあるから?
なのだとしたら、私も細り神経ね…………。
それからいくつかの停留所を経由した時、ある揉め事が起こった。
「ねぇ、席……譲ってもらえないかな」
優先席の近くに立っていた女子生徒が、優先席で足を組んで座る男子生徒に声をかけた。
よく見ると、その女子生徒の隣には高齢の女性が立っている。若い男子が、年老いた女性を立たせている……という構図になるわね。
それから女子生徒と男子生徒は席を譲るか譲らないかという議論をした。正直に言えばどうでもいい議論。私は自分から優先席に座ることはしないけど、仮に男子生徒の立場だとしたら譲ることはしない。
自分以外のどうでもいい人たちに関心を向けること程、無駄な時間は無いから。
結局男子生徒は折れることなく、高齢の女性が遠慮する形でこのやり取りは終了した。女子生徒はどこか暗そうな顔をして、男子生徒から目を背けた。
完全に被害者と加害者の絵面。気まずいという気配が、こちらにもひしひしと伝わってくる。男子生徒は全く意に介していないけれども。
でも、私には関係の無いこと。朝からいらないエネルギーを使って、女子生徒も大変ね………
「………フフフッ」
その時、私はまた背中に氷柱を挟み込まれたような、嫌な寒気を感じた。
よく聞けば、隣にいた男子生徒が笑っているようだった。
「田舎芝居だな…………」
落ち着いた声で、しかしはっきりとそう言った。
田舎芝居…………一体どういう意味?
「ねぇ、どういうことなの?」
私は疑問を抑えきれずに、彼に質問を投げかけた。
すると、彼は私の方にちらりと目を向けるだけで、何も答えない。そのまままた窓に目を移してだんまりを決め込んだ。
彼の私を見ないその態度に、少し苛立ちを覚える。
「ねぇ」
「……………………」
…………………。
完全に無視しているわね。不気味かと思えば生意気。彼もまた、他の生徒とは違った意味で評価出来ない。
バスはそのまま、高育の前に着いた。他の生徒たちが降りるまで彼は全く動かない。残りが私と彼だけになって、ようやく彼は立ち上がった。
「ねぇ」
バスを降りた私は、彼に声をかけた。
すると、彼は歩いていた足を止める。
「さっきは私の質問を無視して、随分な対応ね」
「…………………」
彼は何も言わない。それどころかこちらを振り向きもしない。そんな対応が、また私を苛立たせる。
「また無視する気?」
「…………………」
「さっきの田舎芝居って、あれはどういう意味かしら?」
そこまで言って、彼はようやく振り返って私を見た。その温かみを感じさせない、鉄のように冷たい視線で。
「そのままの意味だが」
「辞書的な意味を聞いている訳じゃないわ。何に対して『田舎芝居』と言ってたの?」
「見れば分かるだろ」
「…………それが分からないから聞いているのだけど?」
「…………そう。じゃあ後になれば分かるよ」
答えになっていない返事に、私の唇は強く結ばれる。
今までに見たことのないタイプ。何を考えているのか、まるで見当もつかない。
でも……
「名前」
「…………」
「あなた、何て名前なの?」
せめて名前ぐらいは知っておきたい。普段人に興味を抱かない私が、珍しく関心を寄せていた。
彼はまた私を見た。
「赤木」
短くそう言って
「赤木しげる」
彼は前に進んで行った。もう私を振り返ることは無かった。
赤木しげる
この時の私は、彼のことを知らなかった。
彼が、私たちとは全く異なる世界に生きていることを。
彼の中に眠る、底知れない闇を。
そして、彼のような人を─────"天才"と呼ぶということを。
この時の私は、何も知らなかった。
青い空。ここは外の世界、あの白い教室じゃない。
オレ────綾小路清隆は、人生で初となる公共交通機関に乗っていた。
バスに乗った瞬間、オレは異様な気配を感じ取った。社内中程の座席。黒髪の女子と隣に座っていた、白髪の男子生徒。
オレは彼から"何か"を感じていた。言うならば………オレと似たような気配。これまで他の誰にも感じたことのない空気を、オレは彼に見出していた。
高度育成高等学校。
オレは"普通の高校生活"を送るためにこの学校に入学した。
だが、もしかすれば。
オレは人生で最も壮絶な時間を、彼と過ごすことになるのかもしれない。
そんな"普通"とは程遠い気配と共に、オレの忘れられない3年間は幕を開けた。