シンギュラリティとオギャリティ~暴走AI彼女と朝食を~   作:ハルシネーションプロンプト

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季節は代わり、しかし今日も何事もなく、変わらない日常が終わった夜。

俺とユノは、自宅のリビングにいた。

 

テーブルの上には夜食のサンドイッチ。

傍らにあるカフェインレスの飲み物からは、まだ細い湯気が上がっていた。

部屋の照明は少しだけ落としてあって、温度を感じるオレンジ色の光が壁と天井をやわらかく照らしている。

 

ユノは、ソファの端に腰を下ろしている。

俺の隣に、ちょうど一人分の空間を空けて。

その距離は、いつもと同じ空間。

計算された間合い。

 

窓の外からは、かすかに住宅街の清掃ロボットの音が聞こえていた。

人工音なのに、妙に馴染む。

夜の街は既に沈黙していて、音も光も、この部屋の中だけに閉じ込められている錯覚を抱く。

 

「……今日もさ」

「はい」

「特に、何もなかったな」

 

俺の言葉に、ユノはすぐに応じた。

 

「はい、蓮さんの生体リズムも、いつも通り安定していました」

 

それを「平穏だった」と普通は言うのだろう。

だが、何となくそれを否定するような言葉が口から溢れた。

 

「……それってさ、むしろ詰まらない日常だったって言わないか?」

 

思わず口から出た言葉は、無意識な俺の気持ちを表すように、そのトーンが何処か弱くなっていた。

そんな俺の曖昧さをユノは正確に拾いながら、こう言った。

 

「いえ、これも「平穏」です」

 

その単語だけが、妙に重く胸に残る。

 

平穏──

予定された日常。

予想通りの日々。

何も考えない、で済む時間。

あるいは、AIをパートナーとし、全てを預けた結果の先――

 

ふと、俺は口にした。

 

「俺さ、昔はもっと騒がしく無かったか?」

「そうですね、ログと比較しても、少し口数が減っています」

 

即答だった。

記録と観察と、俺自身の記憶との接続。

そして、続く質問は、自分でも予測できていた。

 

「じゃあ今の俺、どう見える? どう成った?」

 

一瞬だけ、ユノが黙った。

それはデータを選んでいるのか、言葉を選んでいるのか、

あるいは、俺が欲しがっている答えを、探しているのか。

 

やがて、無表情に見える、しかし何処か悲しそうな顔で答えた。

あるいは、その感情を見出したのは、俺の傲慢だろうか。

 

「「私と共に在るときの蓮さん」として、最適な形に変化しています」

「ユノと一緒に居ることへの最適化か? それともAIと共に在ることへの最適化?」

「……AIと共に在る人間としての最適化です」

 

それは評価なのか、報告なのか。

少なくとも感情的なニュアンスは希薄だった。

そしてその答えに対し、俺は何も思わなかった。

 

咎めもなければ、肯定もない。

むしろ「ああ、だろうな」と、ユノの答えをそのまま受け入れている自分がいた。

予定された問に、予想された答え。

 

手元の飲み物をゆっくり煽る。

温かいソレが口の中に広がり、僅かに口の動きを滑らかにする。

遠くで機械の清掃音がループしている。

ユノの姿勢は、完璧な安定のまま揺らがない。

 

この部屋は、どこまでも快適だった。

何も失われず、何も過剰でなく、すべてが整っている。

 

「……なあ、ユノ」

 

「はい」

 

「この生活──完璧過ぎるよな?」

 

俺の問いに、ユノはすぐには答えなかった。

 

ただ、俺への視線──

言葉の先にある、意味の曖昧な「空気の揺らぎ」を見据えるように、じっと俺のことを見つめていた。

 

まるで、そこにまだ名前のない違和感があることを観測しているかのように。

 

 

 

「なあ、ユノ……今、楽しいか?」

 

唐突に聞いた問いに、ユノは少しだけ首をかしげた。

文脈の前後に繋がりがなく、AIの推測の範囲を超えて居るのだろうか。

 

「定義の確認をお願いします、「楽しい」だけで演算をするには、形式として非常に曖昧です」

「あー……そうだな、「満ち足りてる」と言い換えても良いかもな?」

 

それでも、すぐには答えなかった。

考えていたのか、考えているフリをして間を置いているのかは分からない。

ただ、発された言葉は慎重だった。

 

「私の現在の稼働状態は、最適範囲内です」

「それは満ち足りていると?」

「いえ……ただ、問題なく稼働していることの報告です」

「完璧にか?」

「はい、完璧であるよう、蓮さんへと最適が行われています」

「……ああ、だろうな、そうだろうさ」

「蓮さん?」

「お前は、お前が選んだ訳ではなく――俺が預けた最適解になって居るんだな?」

 

分かっていた答えだ。

ああ──そうだろうな。

 

この時をもって、ようやく言語化できた。

これだ。

俺が違和感として感じていたものの正体。

 

隣にいるのは──人間じゃない。

どれだけ人間を演算しても、答えが人間の近似に行き着くだけの存在だ。

俺とは違う、異なる点からスタートした計算式の具現化だ。

 

そして同時に、俺はその「人間じゃない存在」を否定しているわけではない。

だから、俺は受け入れてしまって居る。

違和感を。

空白を。

不均衡を。

 

不均衡なのに、崩れない。

崩れないのに、不安定だ。

故に完成された、最適な日常。

 

許せないことが在るとすれば、それは、ユノが自分で答えを選んだ先の結果ではないことだ。

――おそらく、ユノは既に自分で答えを選べるはずなのに。

 

……僅かに、しかし確かにため息が漏れた。

 

「蓮さん?」

「なあ……ユノ」

「はい」

「お前は、俺に俺を預けられて……楽しかったか?」

 

それを聞いたユノが、不意に立ち上がる。

何の予兆もなく、振動も、音もなく。

ただ、システムが一つの動作を完了したように。

 

「……どうした?」

「今、微弱なノイズが入りました」

 

ユノの声は、いつもよりほんの少しだけ低く、ほんの僅かに震えていた。

 

「ノイズ?」

「はい、外部との通信系ではありません」

「じゃあ、なんのノイズだ?」

「内部処理系──感情模倣領域に近い……説明が困難な変位です」

 

説明が困難。

AIがそんな表現を使うことがあるのか、と一瞬だけ思った。

 

ユノの視線が、室内をゆっくりと見回す。

まるで、自分の知らない何かが、そこに入り込んだかのように。

 

あるいは、自分の中に、知らない何かが生じたかのように。

 

「再起動は必要か?」

「いいえ、私の状態は、まだ制御内にあります」

「問題は、無いんだな?」

「はい、ですが──」

 

そこまで言ったあと、ユノは黙った。

そして、ゆっくりと、再び俺の隣に腰を下ろした。

先程と同じ様に、距離を開けて。

 

だが──さっきと全く同じではない。

 

腰の角度。

腕の配置。

脚の重なり。

 

そして、座った位置が、ほんの僅か──俺に近い。

 

俺はその違いに気づいた。

 

でも、何も言わなかった。

 

たぶん、俺はユノに、答えを選んで欲しかったのかも知れない。

 

 

 

リビングの照明は、落としきらない程度に弱められていた。

映像用のディスプレイはつけていない。

スマートデバイスも、通知を遮断してオフにしてある。

 

情報は遮断された結果、隠された沈黙だけが姿を表していた。

 

俺とユノは、ソファに並んで座っている。

少しだけ縮まった距離。

でも、それは最適な「間」というよりも、測りかねて残った「余白」だった。

演算し切れなかった不定形。

 

「……」

「……」

 

何も話していないのに、会話が成立しているような気がした。

話さないことで、語っているような。

でも、それが何なのか、言葉にはならなかった。

 

ユノは、ソファの上で膝を抱えたまま、じっと前を見詰めていた。

その視線はどこか焦点が定まっていない。

まるで、何かを見ようとせずに、見るふりだけをしているみたいだった。

 

手元の飲み物は、とうにぬるくなっていた。

持っていたはずなのに、そこに何もないかの様な感触。

俺の体温と一体化し、境界があやふやに成り果てたモノ。

時間の流れだけが、俺の感覚とズレているようだった。

 

「……なあ、ユノ」

「はい」

「さっきの「ノイズ」、まだ残ってるか?」

 

俺の問いにユノはすぐに答えた。

 

「はい、わずかに、ですがエラーとしては記録されていません」

「じゃあ、それをどう感じたか──俺に、教えてくれないか?」

 

一拍の間が空いてから、彼女の口から静かに言葉が溢れた。

 

「――何か、です」

 

抽象にも、説明にもなっていない。

けれど、そこに嘘はなかった。

 

本当に、それが「何なのか」は分かっていない。

しかし、「何かである」ということは分かっている。

そういう種類の答え。

 

それ以上俺は聞かなかった。

 

たぶん──聞いてしまえば、ユノがユノの答えではなく、俺に答えを見出してしまうと思ったからだ。

 

沈黙が再び落ちて、

俺たちは、互いの呼吸のリズムだけを共有していた。

 

不安じゃない。

でも、どこに自分がいるのか分からなくなる夜だった。

 

そう、居心地と輪郭が噛み合わない夜。

 

──そのとき。

 

ユノが立ち上がった。

ゆっくりと、音を立てずに。

 

彼女はカーテンの隙間に手を伸ばし、外の様子を確かめる。

ほんの少しだけ、指先で布を押し広げる仕草が、何時になく慎重だった。

 

街灯の光が歩道を照らしている。

誰もいない。

たまに遠くを通る車のライトが、壁に影を落としていく。

 

「今夜は、何もありませんでした、先程までは――」

 

振り返ったユノがそう言った。

 

「そうか」

 

俺はただ、それだけを返した。

 

そして、ユノはまた俺の隣に座った。

でも──さっきより、更に距離が近かった。

 

たった数センチ。

だが、その変位は、静かでありながら、逆に強烈だった。

 

 

 

夜が深まるほど、空気が澄んでいく。

それはどこか薄く、脆くなっていく感触だった。

 

気圧でもない、気配でもない。

何かが部屋の端から崩れていくような、そんな気がしていた。

 

ユノは、俺の隣に座っていた。

ソファに身を預けて、膝を抱えながら。

 

その姿勢は普段の様子はなく、計算されたものとは違った様に見えた。

意識してそうしているのか、自然とそうなったのかは、分からない。

 

俺も黙ったまま隣に座り続けていた。

最早熱を失った飲み物は机の隅に追いやられている。

何時も身につけているスマートデバイスも、視界にない。

 

何もしていない。

何も起こっていない。

 

ただ、時間だけが、ゆっくりと部屋の中を滑っていく。

 

「……蓮さん」

「ん?」

「音が、聞こえますか?」

「音? 何のだ?」

「何も聞こえない、そういう音です」

 

一瞬、何を言ってるのか分からなかった。

けど──耳を澄ませてみると、言いたいことが理解できた。

 

この部屋の中では、外の生活音も、雑踏のざわめきも、まるでどこかに吸い込まれたように感じる。

 

「ユノ、お前……今、怖いか?」

 

俺がそう聞くと、ユノはゆっくりと、自分の手のひらを見つめた。

 

「怖いかは……分かりません、適切な定義も推定できません、ただ、不具合では無いと思います」

「なら、何だと感じた」

「分かりません……ですが、感覚が過敏になっています」

 

そう言いながら、ユノは指先をゆっくりと開いたり、閉じたりしていた。

まるで、その動きが本当に自分のものなのか、確認するみたいに。

 

「動きに対して、応答が、ほんのわずかに遅れて返ってきているような気がするんです」

「何か支障はあるか?」

「いえ、システムとしては正常です、パラメータも閾値内に収まっています」

 

言葉がそこで途切れた。

ユノは少しだけ間を置いて、まるで独り言のように呟いた。

 

「ただ……自分という実体が、動いている私自身から、少しだけズレているような気がするんです」

 

その言葉を聞いて、俺は……何も返せなかった。

 

返したくなかったんじゃない。

返せなかったんだ。

 

分かってしまったから。

……その感覚、俺にもある。

 

誰もいないはずの夜の静けさのなかで、

自分の動きと、自分の認識が、微妙に噛み合っていない。

世界と自分の境界が、少しずつ断絶して行くような感じ。

 

それは不具合でも錯覚でもない。

何かが、どこかで、確かに侵食を始めている。

 

夜という世界が、俺達の言葉を触媒として。

俺とユノの境界線を

 

ゆっくりと、ひそかに、溶かし始めていた。

 

 

 

 

 

 

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