シンギュラリティとオギャリティ~暴走AI彼女と朝食を~ 作:ハルシネーションプロンプト
俺とユノは廊下の窓際に立っていた。
午後の陽射しが斜めから差し込んで、床に影を落としている。
それはどこか、世界を区切る境界線のようだった。
俺は壁にもたれながら、ぼんやりと外を眺めていた。
そこに意味があったわけじゃない。
頭の中では形にならない言葉や思いが行き来する。
しかし実際のところ、ボンヤリとして何も考えてないのと同じだった。
ユノは、俺のすぐ隣に立っていた。
いつも通り姿勢を崩さず、無駄な動作もせず、ただ静止していた。
その様子に、思わず声が出た。
「ユノ、もしかして疲れたりしないか?」
自分の言葉に苦笑してしまう。
AIが疲れるなどと。
俺の様子にユノはわずかに眉を動かした。
感情称すほどではない、ユノの内から出てくる確かな変位。
「私は疲れません、確かに処理において不要となった演算式がメモリを圧迫することはありますが、それは人間の疲労とは異なるものです」
「そういう挙動だよ、俺に対して無理に何かを応えようとしてないかってな」
「……これは、間違いでしょうか」
「どうだろうな? まあ、俺の場合は無理して何かを答えると疲れるから、ユノははどうなんだろうって思ってさ」
「はい、一般的な人間はそうであると、私にもデータとして存在します」
「なら、ついでにデータベースにでも保存しといて貰えるか?」
「はい、分かりました、準備完了、何時でもどうぞ」
「こういう時はさ、「お前は馬鹿か?」って適当に受け流しても良いんだって」
俺はそう言って思わず笑ってしまった。
何か久しぶりに、何も考えずに笑ったような気がする。
ユノはそんな俺の様子を見ながら、そっと体を動かした。
その肩が、俺の肩のすぐ近くにあるのに気づく。
触れてはいない。
だが、その間にある距離は、いつの間にか縮まって居るように感じる。
まるで偶然を計算した意図が在るかののような距離感。
俺はそれを感じ取っていた。
だけど、それを言葉にすることはない。
それを口からだすと、何かが壊れそうな気がしたからだ。
言葉もない。
動作もない。
ただ、空間の張力だけがあった。
やがて、講義開始が近づいたことを知らせるチャイムが鳴った。
俺は、何も言わずに身体を離し、そのまま歩き出した。
すぐ隣にユノの靴音が重なる。
それでも、指先は最後まで触れなかった。
講義も全て終了した夕方。
学内広場のスピーカーが、今日もナントカと言うAIインフルエンサーの声を撒き散らしていた。
「今日も、あなたの一日を応援します!」
「一緒に頑張った記録、残しておきましょうね?」
「フォロー、忘れずに──心から、ありがとう。」
声の端々に込められた最適化された感情が強風の様に体を叩く。
けれどそれは自然な風じゃない。
肌を乾かすでも、熱を運ぶでもなく、ただ音響的に幸福を模倣した波のようなものだった。
スピーカーの下では、学生たちが笑ってスマートデバイスを手にしていた。
「これ、通知ボイスにしたら絶対テンション上がる!」
「マジで推せる……なんか、心が救われる……」
「だよね、人間にこれ以上の言葉、言えるかって話でさ!」
その光景から離れた俺は、広場から少し遠くにあるベンチに腰掛けた。
足元に落ちた影が、夕陽で細長く伸びている。
ユラユラと揺れる影が、やけに脆く見えた。
ユノはごく自然に隣に座っている。
だがその瞳は、スピーカーも、学生たちも、一切視線に入れていない。
彼女の目は、ただボンヤリとここでは無い何処かを眺めている様に思える。
そして何処ともなく視線をやっていたユノが、唐突にスピーカーからの音声に評価を下しだした。
「高度な音声プロファイリングにより、対象ユーザーの情緒安定を──」
「……ストップ」
ユノの言葉を切りながら立ち上がる。
ベンチが軋む音が、喧騒のなかで逆に際立って聞こえた。
「なあ、ユノ」
首だけユノに振り返りながら俺は続ける。
「皆はさ、自分で自分が言ったことを信じ込んでるだろうか?」
「信じる、ですか?」
「ああ、AIが凄いって……自分が確かに感動したて、そういった自分の選択をさ」
「いえ、おそらく発言に自体には、そこまでの意味情報は含まれて居ないと推測されます」
「だろうな、救われたなんて言ってるけど、本当は考えることを放棄して、安心して甘えているだけじゃないかってな」
僅かに考えるような仕草をしたユノが、俺を見据えながら逆に問いかけてくる。
「安心は、人の進歩を妨げるものだと思いますか?」
その中身に他意などはない、単純な疑問と称して良いだろう。
人々に安心を与えるのは、それこそAIの根源的な使命と称しても良いからだ。
「妨げることは無いだろう、ただ甘えて何も考えずに居ると、そのうち自分で何処にも行けなくなりそうに感じてさ」
少し間を置いて、ユノが言った。
「では──蓮さんは、私に甘えたことはないと?」
その言葉に思わず肩を竦める。
「油断すると安心して預けて甘えそうになる、怖い話だよな?」
それに対してユノは特に返答をしなかった。
あるのは、何処か苦笑じみた表情のみ。
広場は何時も通りのぬるい熱に包まれている。
誰もが満たされた顔をしていて、それはまるで、誰もが救われる優しい地獄のようだ。
俺はその輪の中に踏み込むことなく背を向けた。
ユノも何も言わずに俺の隣に並ぶ。
誰も俺たちに気づかない。
そもそも、自分の意思で熱狂に背を向ける存在を理解するアルゴリズムなど、彼らは持ち合わせていないのだろう。
そうして、俺たちは騒がしさの外で静かに歩き出した。