『五つ子ちゃんは風太郎を五等分できないっ』 作:Sphilia
まんじりともせず朝を迎えてしまった。
あの写真が手元にない。もしかしたら見られているかもしれない。
悪い想像がどんどんと連鎖して止まらない。
不安、羞恥、焦り。ストレスが俺の心を蝕む。
一刻も早く取り戻さなくては!
朝方の空気は涼やかで澄んでいたが、淀んだ俺の心を晴らすには及ばなかった。
焦燥感に背を押され姉妹の部屋までたどり着く。二乃はまだ夢の中らしい。
「ちょうどいいからフータローが起こしてきてよ」
「そうさせてもらおう」
鍵を開けてくれた三玖に軽く礼を言うと、俺はまっすぐ二乃の部屋に向かった。
……思えば寝不足で頭がどうかしてたに違いない。
彼女はぬいぐるみに囲まれてていた。タオルケットをぎゅっと握りしめて健やかな寝息を立てている。
長い髪は、毛先までしっかり乾かしてから寝てるんだろう、綺麗にまとまっており寝ぐせの心配はなさそうだ。
枕元には目覚まし時計があるが、アラームはそもそも設定されていない。
……いつも姉妹に起こされているんだろうか。
机や棚の上にはぬいぐるみや化粧品ばかりで俺の手帳はどこにも見当たらない。
考えられるのは引き出しやカバンの中だが……。
「さすがにやりすぎだ」
やっぱり起こすしかない。
よだれを垂らしながら幸せそうに眠る部屋の主に目を向けると、ちょうど目を覚ますところだった。
「生徒手帳を返せ」
寝起きで要領を得ない彼女に二度三度と伝えると、ようやく彼女もこれが夢じゃないと気づいたんだろう。
「きゃああああああああああああああああああ」
派手な悲鳴とともに部屋から追い出されてしまった。
「信じられない! 朝から乙女の部屋に無断で入るなんて」
「私が許可した」
「なんの権利があって!」
俺はリビングで正座させられている。
「俺が悪かった。一刻も早く生徒手帳を返して欲しかったんだ」
ひたすら頭を下げる。頼む。さっさと返してくれ。
「生徒手帳のためだけにわざわざこんな時間に来たの? 何か見られたくない理由でもあるのかしら」
二乃が手に持った生徒手帳をしげしげと眺める。
まずい、藪蛇だったか。
「上杉さん、朝ごはん食べていきますか?」
「フータロー君、朝から元気だねー」
「なんで居るんですか、この男は」
姉妹がぞろぞろと起き出してきた。
正座している俺を見て、またやってるよとばかりに生暖かい目を向けてくる。
「二乃、はい。これ昨日言ってたやつ
一人でできるかな?」
「できるわよ、馬鹿にしないで!」
一花と二乃が朝から元気にじゃれあっている。
──チャンスだ!
こっそりと二乃の持つ生徒手帳に手を伸ばす。
軽く握っているだけだ。
うまくやればすり取れる。
もう少しで指先がふれる──そう思った瞬間
スッと手帳が遠ざかる。
不自然な姿勢で固まる俺。
反射で取り上げてしまったって表情の二乃。
目が合う。
「……なんで?」
「……。あんた、ちょっと来なさい」
人質を盾に連れてこられたのは、二乃の部屋。
「本当はアンタを部屋に入れるなんてぜっっったいに嫌なんだけど!」
「交換条件よ」と突き出されたのは……ピアッサー?
さっき一花に渡されていたのはどうやらこれらしい。
「ピアス。あけてくれたら返してもいいわ」
「は?」
突拍子もない提案に思わず固まってしまう。
「何が隠してあるのかなー、深夜のテンションで書いたポエムあたりかしら」
「待て。やってやる。さっさとよこせ」
「ふん、はじめからそう言えばいいのよ」
「動くなよ」
ピアッサーを受け取って二乃の背後に立つ。
無心で耳を掴む。
二乃の肩に力が入る。
生徒手帳は膝の上。
もちろん、本当にあける気なんてない。
「ちょっと待って」
「3秒前」
「ちょちょちょちょっと!」
「2、1」
ゴンッ
「心の準備ってものがあるでしょ!」
二乃の肘鉄が脇腹に突き刺さる。
思わず膝をつく。
「それなら自分でやれ」
「嫌よ、怖いわ」
「じゃあなんであけるんだよ」
「みんなしてるからしたいだけよ」
なんだか面倒になってきた。
生徒手帳返してもらうだけの話だったのに。
なんでこんなことやってるんだ。
「忠告しておくがしばらく痛いぞ」
「やったことないのに適当なこと言わないで」
……お袋が死んだ夜に自分であけた。
あの時は化膿して大変なことになった。
「ってか、あんたも人の身体に穴あけるんだから少しは躊躇しなさいよ」
「躊躇? お前が頼んできたことだ、俺が躊躇う理由はないだろ」
二乃の勝手な物言いに少し腹が立ってきた。
「さっさと終わらせるぞ」
ぶっきらぼうに言い放つと
肘うちされないように真横に立つ。
ピアッサーを耳に当てる。
二乃がぎゅっと腕を抱く。
生徒手帳は変わらず膝の上。
「5……4……」
二乃が目を瞑る。
心の準備は済んだらしい。
俺はこっそりと手を伸ばす。
「3……2……1……」
二乃の手が強く握られる。
首に力が入るのが見えた。
あと少し……
よし、手帳を気づかれずに回収できた!
「0!」
二乃が息を止める。
痛みに耐えるように奥歯を嚙みしめた。
「で、あけるからな」
「さっさとやりなさいよ!」
ガンッッ!
「いってえ!」
肘ばかり警戒していたらまさかの蹴りが飛んできた。
ちょっとした意趣返しのつもりが、完全に裏目だ。
割に合わねえ……。
脛を押さえたまま、しばらく動けなかった。
「てか、私だけ痛い目見るの腹たってきた! あんたもあけなさい!」
「はあ!?」
こいつ緊張でおかしくなったのか?
いいことを思いついた、とばかりに満面の笑みでにじり寄ってくる。
「大丈夫、優しくしてあげるから」
「言ってることが滅茶苦茶すぎる!」
ピアッサーを奪おうと覆いかぶさってくる二乃、抵抗する俺。
立ち上がって腕を高く上げて届かないようにする。
腕に飛び掛かってくる二乃。
もみ合った拍子に
バサリ
俺の生徒手帳が床に落ちた。
落ちた拍子に挟んでいた写真が飛び出す。
「しまっ……」
「なにこれ」
写真はよりにもよって二乃の目の前に落ちた。
映っているのは金髪の少年と長い髪の少女のツーショット。
思い出の少女と……ヤンチャだったころの俺だ。
「昔の写真だ、あんまり見られたくない。返してくれ」
からかわれるのか、笑われるのか。
自分の不運を嘆きながら声をかけるが、
……返事が返ってこない。
「は? この写真……。しかも横に映ってるのあんた?」
二乃は目を白黒させて写真と俺を見比べている。
「おい」
「うるさいわね、ちょっとここで待ってなさい」
据わった目でそう言ったきり部屋から出て行ってしまった。
────────────────────────────────―
「…………」
「…………」
二乃はチラチラとこちらの様子を窺ってくるくせに目が合いそうになると慌てて顔を逸らす。
何か言いたげに口を開きかけては、思い直したようにまた閉じ、生徒手帳をこちらに差し出すような仕草を見せては慌てて引っ込める。
まるで、自分でも何がしたいのか整理がついていないようだ。
……誰か、今何が起こってるのか教えてくれ。
戻ってきた二乃はなぜか金髪のカツラを持っていて、
有無を言わせずそれを俺にかぶせたかと思えばそれからずっとこの状態だ。
「ねえ」
「なんだよ」
髪をいじっていた二乃は小さく咳払いすると意を決したように話しかけてきた。
「写真と同じように笑ってみて……くれますか」
くれますか!?
何だ、何を企んでいるんだこいつ。
「これでいいか」
悲しいかな、写真を人質に取られている俺に断るという選択肢はない。
目を細くして、口の端を上げる。笑顔に見えないこともないだろう。
二乃はそんな俺を見ると顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。
……笑いでもこらえてるのか。
「満足したらそろそろ写真を返してくれ」
「わかりました、返してあげます。
ねえ、その代わりまたそれつけてよ」
「どういう風の吹き回しだよ」
「つけてくれるなら授業うけてあげても……いいわ」
伏し目がちな彼女の顔は耳まで真っ赤に染まっている。
ほっそりとした白い指が寄る辺もなく揺れる。
普段は鋭い目つきが今はゆっくりと切なげだ。
目の前にいるのは本当に二乃か? 少し自信がなくなってくる。
「お断りだ」
妙な空気を断ち切るように言い切った。
こんな空気の中で授業をするなんて間違いなく非効率だ。
カツラを外す時、「あっ」ととても残念そうな声がした。
二乃は、お気に入りのぬいぐるみを取り上げられたみたいな顔をしてる。
これ以上は付き合いきれない。
さっさと手帳だけ回収して、この妙な空気から逃げ出すことにした。
部屋を出ようとドアを引くと──
「あ、まずいです!」
「二乃とふたりで何してるの」
「あー、バレちゃったか」
「なんで私まで……」
……仲良くドアに耳を押し当てていたらしい姉妹が倒れこんできた。
「あんたたち、何してるのよ……!」
後ろから怒りのオーラを感じる。
お淑やかモードの二乃は行方不明になったらしい。
「ほうほう、フータロー君と二人きり、床には金髪のカツラ。
どう思いますか、探偵の三玖くん」
「二乃は不良が好きだから。フータローにかぶせて遊んでた」
「むむっ、これは事件の匂いがします!」
「……朝から何をやっているんですか」
明らかに面白がっている姉妹達。
「さっさと出ていきなさい!」
真っ赤な顔で叫ぶ二乃にまとめて追い出されてしまった。
「お前らも遅刻するなよ」
部屋で何があったか問い詰められるのは妙に恥ずかしい気がした。
後ろから呼び止める声が聞こえてくるが、逃げるが勝ちだ。
パジャマのままじゃ、流石に追いかけてこなかった。
学校へと向かう道すがら、内ポケットの生徒手帳を指先でそっとなぞる。
妙に淑やかだった二乃を思い出すと、トクンと心臓が軽く跳ねた。
……寝不足による不整脈に違いない。
深呼吸すると、朝の爽やかな空気が体に染み渡る。
雲一つない青空に、俺の足取りも自然と軽くなった。
ファーストピアスとか最高じゃんねってなるからピアス開けさせたかったけど!
フー君はさっさと医師国家試験に受かって……!