『五つ子ちゃんは風太郎を五等分できないっ』   作:Sphilia

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星空に架かる

 机に突っ伏した四葉が、耳を塞いだまま呻いている。

「勉強しすぎて倒れちゃいそうです」

 お決まりのポーズだ。

「もうお前の声なんて聞きたくねーよ」という拒絶のポーズにも見えるが、

 本人曰く「頭から煙が出てこないように抑えてる」とのこと。

 ……21世紀にもなって蒸気式。

 コイルの発明が待ち遠しいな。

 

 試験前の特別措置を勝ち取って、平日にも関わらず姉妹の家に訪れている。

 進捗? ご覧の有様だ。

 オーバーヒート直前で倒れこんでいる四葉。

 一花と三玖の集中力もそろそろ品切れだ。ペンの速度がカメよりも鈍い。

 ウサギだって昼寝から起きてゴールしてしまうだろう。

 敵意と警戒心満載の次女と素直さと器用さが皆無の末っ子は揃ってボイコット。

 俺が来ると聞いた時点で帰宅する気すら失せたらしい。

 

 まあ、もともと机に向かう習慣自体なかった連中だから、こうして勉強しているだけでも大きな進歩であると言えなくもない。

 卒業までの長いマラソンだと思えば十分悪くないペースではある。

 問題は、『中間試験の赤点回避』というハードな足切りポイントが突然現れたことだ。

 

 こいつらをウサギに勝たせるにはウサギを永眠させるしかないが、残念ながら赤点ラインを動かす権力はない。

 テストまでに実力を引き上げるのが正攻法だろって? 

 それができるならとっくにやっている。

 実行時期の問いかけでおなじみの有名塾講師だって「無理でしょ」と匙を投げるだろうさ。

 結局、こいつらを背負って俺が走るしかない。

 

『予想問題の丸暗記』

 これが切り札だ。

 別に職員室に忍び込んだわけじゃない。俺の自作だ。

 学年一位謹製、一教科五百円でも売れる自信がある。

 これがあれば本来赤点ラインの三十点なんて鼻で笑えるレベルのはずなんだ。

 

 そのはずなのに、今はその三十点が果てしなく遠い。

 何でかって? そもそもやらないし、やっても覚えない。

 中学の範囲ですら若干怪しいんだ。

 基礎からやり直すべきなんだが、残り五日じゃ不可能だ。

 まぐれでも奇跡でもいい、まずは中間試験を乗り越えないことには未来がない。

 

 まあ、そう息巻いたところでテストを受けるのはこいつら自身だ。

 俺が代理受験するなんて荒業は使えない。

 焦ったからって良くなるもんでもない。

 ペース配分だけは間違えないようにしないと。

 

「四葉が爆発する前にしばらく休憩にするぞ」

「やっと休憩だー」

「疲れた……」

 喜びの声もどこか精彩を欠いている。

 四葉に至っては突っ伏したっきりピクリともしない。

 酷使しすぎて回路が焼き切れたのかと少し心配になってしまう。

 いや、まあ大丈夫だろ、たぶん。

 

「せっかく四人いるんだし、ちょっとゲームでもどう?」

 どこか重い空気を入れ替えたのは、一花の一言だ。

 どこから持ってきたんだろう、右手にトランプが握られている。

 

「気分転換、大事」

「大富豪にしましょう!」

 勉強のインターバルでは回復しないHPも、遊びとなれば別らしい。

 さっきまで萎れていた四葉のリボンも、すっかりいつもの輝きを取り戻している。

 

 あれよあれよという間に場が整っていく。

 慣れた手つきでシャッフルされたトランプが配られる。

 ジョーカー一枚、革命あり、イレブンバック。中野家のハウスルールをさらっと伝えられる。

 

「俺は──」参加しないと口を開きかけたが、

 

「フータロー、もしかしてやったこと、ない?」

「ないのは勝つ自信じゃないかな~?」

 

 真っすぐ俺を見つめる三玖と「まさか逃げないよね〜」と瞳で語る一花。

 幼稚な挑発だ。

 突っぱねるのは簡単だが……勝負から逃げるようで少し癪だ。

 

「いいだろう。だが、俺が大富豪になったら、その時点で休憩は終わりだ」

 結局、参加してしまった。

 

「勝てなかったら罰ゲームね」

 さらっと言う一花に聞き返す暇もなくゲームは開始された。

 

 ……こんなはずではなかった。

 戦績? 「無惨」の一言だ。

 大富豪どころか、富豪にすら上がれていない。

 親番ですらまともな手札がまわってこない。

 たまに都落ちする姉妹が出ても、すぐに俺を追い落として成り上がっていく。

 運よくジョーカーを握ったところで開始前に奪われて行くだけ。

 富むものはさらに富み、力なきものは沈んでいく。

 大富豪──なんと皮肉の効いたゲーム名だ。

 

「これはフータロー君が罰ゲームだね。内容はひとつ考えてあるんだけど──」

 さも今思いついたかのような調子で話し出す一花だが、瞳に宿る悪戯っぽい光が隠しきれていない。

 何か計画していたに違いない。

 ハメられた! 

「待て、次だ、次こそは勝てる」

 せめてもの抵抗を試みかけたその時──

 

「あれー? 」

 聞き覚えのある声が聞こえて、俺はギクリと動きを止める。

 まさかそんな、聞き間違いであってくれと願いながらゆっくりと振り返る。

 

「なんだー、家庭教師とかいって、サボって遊んでるじゃない」

 ぱっと春の花が咲いたように笑う二乃と目が合った。

 おっかしいな〜なんて不思議そうに言う。その白々しさは頭脳だけ大人の名探偵そっくりだ。

 愛らしいのは振る舞いだけで、目の奥の獰猛な光を隠そうともしていない。

 

 悪いことはしてないはずなのに自分の全身が黒くなったような錯覚に陥る。

 壁に掛けられた時計が、一休みというには長すぎる時間が経ったことを伝えていた。

 どうやら積み重なる負け戦に我を忘れてしまったようだ。

 

「次あんた変わりなさいよ、ってか手札弱っ」

 

 遠慮なく手札を覗き込んだ二乃の何気ない一言が深く胸を抉る。

 この手札で大富豪になるのは不可能。

 信じたくないが、罰ゲーム確定だ。

 突きつけられた真相に顔を上げる気力も湧かない。

 シトラスの香りがふっと鼻をかすめた。

 

「そうだ、あんたもやる?」

 

 人の頭を肘置きと勘違いしている彼女の視線の先には、ちょうど洗面所から出てくる五月の姿があった。

 自習室が閉まる時間に学校を発つと大体これくらいの時間だ。

 一人で自習してたんだろう。

 俺の手を借りずに合格を目指すって言葉に嘘はないらしい。

 この間はすれ違ってしまったが、俺の事情とか関係なく手を貸してやりたい。

 

「五月、この間は──」

 俺は、不器用ながら一人で努力を続けている彼女に、純粋な気持ちから謝ろうと決めた。

 

「私は、これから自習があるので失礼します」

 謝罪の言葉は、彼女の強い拒絶にかき消されてしまう。

 

 言い切った彼女は、そのまま目も合わせずに自室へ去っていった。

 バンっと強く閉じられたドアの音が大きく響く。

 さっきまで賑やかだった部屋の空気は水を打ったように静まり返った。

 

「何をしてあんなに怒らせたんだ」──三対の瞳が俺に問いかける。

 真横の猛獣は、そんな穏健なもんじゃない。

 ナワバリに踏み込んだ敵を狩る目だ。

 

「今日の家庭教師はもう終わってるのよね」

 感情が押し殺されたその声は、獲物に飛び掛かる直前の静けさそのものだ。

 思わずコクリと頷いてしまう。

 

「ならさっさと帰りなさいよ」

 いつもと違う抑えられた声。

 ……試験日を待たずにゲームオーバー、か。

 

「フータロー君、今日は泊まり込みで勉強教えてくれる約束でしょ」

 助け船は意外なところからやってきた。

 こちらを見つめる一花には慈母のような微笑みが浮かんでいる。

 

 予想外の申し出に、俺も二乃も一瞬返す言葉を失う。

 先に我に返ったのは俺の方。

 

「あ、ああ、確かにそんな約束だったな」

 直感だけを頼みに返事を返す。

 名探偵から逃げるのに怪盗になる必要はない。俺は犍陀多(カンダタ)で十分だ。

 

「は? こんなやつうちに泊めるなんてありえない!」

 ついに二乃が爆発する。

 狩りの時間だ。

 こうなった彼女は誰にも止められない。

 

「まあまあ、落ち着いて」

 

 それから、俺は魔法を目撃する。

 次々に繰り出される二乃の獰猛な一撃。

 一花はその全てをひらりひらりと躱していく。

 逆に、一花が何か言うたび、二乃の勢いは削がれていく。

 五分も経つ頃には二乃はすっかり人の形に戻ってしまっていた。

 

 予想していた虐殺ショーはとうとう起こらなかった。

 

 最終的に、何か耳打ちされた二乃は

「……私の部屋に入ってきたりしたら承知しないからね」

 と俺を睨みつけて、自分の部屋に行ってしまった。

 ……泊まること自体は承諾してくれたらしい。

 

「すごいな、どうやって説得したんだ」

「これが愛の力だよ、フータロー君」

 

 パチッと鮮やかなウィンク。

「……」

 あんまり突っ込むのも野暮な気がして、俺は沈黙を選んだ。

 

「お泊り会ですか! 大賛成です!!」

「着替え、貸してあげる」

「お前ら──あくまで勉強がメインだからな」

 

 降って湧いたイベントに湧き立つ姉妹たち。

 歓迎してもらえるのは嬉しいが、勉強会の雰囲気ではない。

 軌道修正の手間を考えると頭が痛い。

 

「五人分も六人分も大して変わらないよ」

 姉妹の言葉に甘えて夕食までご馳走になってしまった。

 俺がいて部屋の空気大丈夫なのかって懸念もあったが、

 五月も険悪な雰囲気を振りまきたいわけではないようで、殊更に拒絶されることはなかった。

 

 表面上は穏やかな食卓風景だ。

 もちろん、一度も目は合わないわけだが。

 

 並べられた料理は、高校生の自炊といえるレベルを超えていた。

「わざわざ出前頼んだのか?」

「二乃がまとめて作って冷凍してくれてるんです」

「私たちは温めるだけだよ~」

 なんて言って笑ってる。

 

 大皿に盛られた瑞々しいサラダ、湯気を立てるグラタン。

 ミートソースの香りが食欲を掻き立てる。

 並べられているパンは名前がわからないが、なんとなく洒落た感じがする。

 ご丁寧にスープ用のスプーンまで並べてある。

 

 今日は誰かの誕生日だったか? 

 思わず立ち尽くす俺に構わず姉妹は自然な様子で席につく。

 どうやら、これが日常らしい。

 

「上杉さん、どうですかお味は?」

「おう、うまいぞ」

 いつも通り元気いっぱいなのは四葉だけ。

 

 何か言いたげな雰囲気の一花。

 問題を起こしたら絶対に叩き出すぞと突き刺さる二乃の視線。

 料理の話になると三玖はやけに静かだ。

 五月は話しかけるなオーラ全開。

 

 地雷原を手探りで進んでいるような気分だ。

 慣れないナイフとフォークの扱いだけでも手一杯なのに。

 料理の味なんて分かるはずもない。

 五月がさっさと食べ終わって席を立った時、ホッとしなかったというと嘘になってしまう。

 

 食事の後片付け、入浴、明日の準備。

 勉強会までに必要な雑事を片付ける頃には慣れない環境のせいか妙に疲れていた。

 何もかもが広すぎて、高級すぎて、かえって落ち着かない。

 手足を全力で伸ばしてもまだ余裕のある浴槽の中で、気づけば膝を抱えていた。

 

 残り五日で五教科分の対策。

 絶望的にも思えた状況に一筋の光明が差した。

 泊まり込みで時間がとれるのなら、試験までに間に合うかもしれない。

 いや、間に合わせてみせる──

 

「二乃、試験対策だけでも参加しないか」

「あ、私には必要ないから」

「そうか、まあ気が変わったらいつでも歓迎するからな」

 

 ──あっさり拒絶されてもくじけないぞ。

 

 二乃は携帯に視線を落としたっきり返事もしない。

 五月のように部屋に籠ってしまわないのは、俺のせいで行動を変えることをプライドが許さないんだろう。短い付き合いだがそれくらいはわかってきた。

 

 ドンっと背中に軽い衝撃を感じる。

 

「フータロー君、三玖がわからないところがあるって」

「一花……っ」

 一花が三玖をグイグイと押し付けてくる。

 サンドイッチの具となった三玖からの抗議もどこ吹く風で実に楽しげだ。

 もちろんその間、勉強は一ミリだって進んじゃいない。

 

 真面目にやってくれ。

 そんな小言がのどの先まで出かかったが、直前で思いなおす。

 この状況は好都合だ! 

 

「ああ、質問は大歓迎だ。わからないことがあったらなんでもきいてくれ」

 一歩進んでから向き直り、両手を広げて、ウェルカムポーズをとる。

 

「上杉さん、”討論”って英語でなんて言うんですか!?」

「良い質問だ。debate 曽我先生なら絶対にテストに出すぞ。『で・ば・て』と覚えるんだ!」

 

 一人机に向かっていた四葉からの質問に、できるだけ朗らかに大きな声で答える。

 勉強会に参加していなくても、声の届く距離にいる。

 それなら勝手に教えてやればいいだけだ。

 今の一問だけでも二点アップ。

 完璧な作戦だ! 

 

「質問って、”なんでも”いいの……?」

「ああ、もちろんだ何でも聞いてくれ」

 

 三玖の遠慮がちな質問にも笑顔で返す。

 それでもなお、踏ん切りがつかない様子の三玖。

 伏し目がちに手を握ったり開いたりしている。

 ……基本的な質問でも馬鹿にしたりしないんだがなぁ。

 

 いい加減笑顔が引きつりかけてきたころ、ようやく決心がついたらしい。

 勢いよく投げかけてきた。

 ──とんでもない爆弾を。

 

「好きな女子のタイプは?」

 

「「「えっ」」」

 

 予想外の質問だ。

 全員の視線が三玖に集まるが、動揺する様子はない。

 ただ、静かな瞳で答えを待っている。

 

 わざわざ”なんでも”って確認された以上、無視するわけにもいかない。

 俺の完璧な作戦はさっそく破綻したらしい。

 ……せめて勉強に関することを聞いてくれよ。

 姉妹のままならなさに振り回されてばかりだ。

 

「私も俄然興味ありますっ!」

 

 四葉まで悪ノリを始めてしまう。

 

「まさか言えないほどマニアックな趣味なのかな~」

 一花のからかいに「違うっ」と強めに否定しながら頭を抱える。

 この雰囲気は非常に良くない。

 

 慎重にいかないといけない。

 対応次第で勉強会は完全に失敗。

 ただのお泊り会になってしまうのが容易に想像できる。

 かといって無理やり勉強に戻すのも悪手。

 誰一人として集中しないことは火を見るよりも明らかだ。

 

「いいだろう、俺の好きな女子の要素トップスリー!

 対策プリントどれか一教科終わらせるごとに発表してやる!」

 

 必死に絞り出した苦肉の策がこちら。

 回答をエサにとにかく勉強させる作戦だ。

 多少の個人情報はこの際もう仕方がない。

 賞品の価値? 

 向こうから聞いてきたんだ。

 ゼロじゃないだろ。

 

 想像してたよりもずっと劇的な効果があった。

 黙って素早く机に向かう三玖。

「頑張ります!」と気合を入れて真剣な顔をする四葉。

 二人の様子を見た一花も、軽く肩をすくめると、大人しく問題を解き始めた。

 ……作戦通りってことにしておこう。

 

「直角三角形じゃない時は三平方の定理は使えない、余弦定理を覚えてくれ!」

「looking forward to の後は動名詞だ。~ing までセットで覚えるといいぞ!」

「南半球に亜寒帯はないって覚えとくだけでも選択肢二個は削れるぞ」

 

 姉妹の進捗を確認しながら、適宜声に出してアドバイスしていく。

 三玖の爆弾発言以降、二乃の意識がこっちに向いているのはバレバレだ。

 姉妹は意外な集中力を見せて、どんどんプリントを進めていく。

 まったく、扱いやすくて助かるぜ。

 

「はい、できた!」

 一番最初に手を上げたのは予想通り、三玖。

 姉妹の中では勉強が得意な方だ。得意科目の社会科を選んだってのも大きいな。

 間違えてる部分の解説を先にしたかったが、そんなことを言いだせる雰囲気ではない。

 諦めて発表する。

 

「第三位”いつも元気”」

 

「はいっ、元気には自信がありますっ!」

 二番目に手を上げたのは四葉だ。ここ一番の集中力には目を見張るものがある。

 複数の種目でインターハイに出場したっていう身体スペックは伊達じゃない。

 

「第二位は”料理上手”だ」

 

 料理上手の次女は澄ました顔をしている。

 あくまで聞いてないっていうポーズを崩すつもりはないらしい。

 

「終わったよ」

 軽い感じでプリントを渡してくるのは一花。

 要点を見極める力が高いのか、力の抜き方が上手いのか、労力の割には高い成果を出すタイプだ。

 得意科目は意外なことに数学。

 

「おう、これで全員できたな。じゃあ栄えある第一位の発表だ」

 

 少し溜める。

「第一位は」

 ごくっと唾をのむ音がした。

 CMでも挟みたいところだが、後が怖いのでやめておく。

 

「”お兄ちゃん想い”だ!」

 

「それ全部らいはちゃんのことじゃない!」

 ツッコミは背後から飛んできた。

 ……二乃、聞いてないふりはどうしたんだ。

 

「二乃、盗み聞きするなんて──」

「してない」

「いやでも聞いて──」

「勝手に耳に入ってくるのよ!」

「それを盗み聞きと──」

「しかもなんなのよ! インチキじゃない!」

 両手を握りしめて猛抗議。

 どんどん言葉を被せて言い切らせてくれない。

 

「聞いたからにはお前も対策プリントを── 」

「やらない!」

「今なら幻の第零位を──」

「もういいわよ!」

 

 少しふざけすぎたか。

 

 二乃は足音を荒げて二階に去ってしまう。

 

「らいはちゃんだったなんて、頑張ったのにずるいです!」

 追いかけようにも、四葉からも猛抗議が来てしばらく動けそうにない。

 三玖はペンを握ったまま固まっている。

 

「フータロー君、反則はよくないな~」

 頼みの綱の長女も、助けてくれるつもりはなさそうだ。

 

 勉強会が本来の目的に戻るには、もうしばらく時間がかかりそうだ。

 しゃべりっぱなしで喉が渇いた俺は、隙を見つけて台所へ避難することに成功した。

 

「うるさいですね……」

 冷蔵庫の前で大量のお菓子を抱えた五月と遭遇する。

 

「勉強会とはもう少し静かなものだと思っていましたが」

 

 勉強用の夜食だろうか。グミやキャンディ、チョコレートなど甘いものばかりだ。

 大量のお菓子に混じって翼を生やすタイプのドリンクを見つけてしまう。

 良く見ると、五月の目元にはうっすらとクマが浮かんでいた。

 

 急な遭遇に言葉が詰まって出てこない。

 ここで、笑顔で勉強会に引っ張っていけるような性格であればそもそもこんな苦労はしていない。

 せめて作戦を立てる時間をくれ。

 

「五月、試験対策だけでも聞いていかないか」

 それでもなんとか言葉をひねり出す。

 姉妹の中で一番真面目で、一番要領が悪いのが五月だ。

 一人で自分を追い込んでも失敗に終わるだろう。

 なんとか手を差し伸べてやれないだろうか。

 

「話しかけないでください。一人で集中したいので」

 祈りは届かなかったようだ。

 五月は振り向きもせずに去っていく。

 目も合わせてくれないのは結構堪える。

 

「……信頼していいんだな」

 思わず声が漏れた。

 

「足手まといにはなりたくありません」

 ちらりと見えた五月の横顔は酷く辛そうだ。

 今にも切れてしまいそうなくらいに張り詰めていた。

 

「まてよ、それならなおさら──」

 

 返事の代わりに届いたのは、バタンと扉を閉じる音。

 冷蔵庫のモーター音がやけに耳障りに響く。

 

 なんにせよ、俺は手を差し伸べた。

 それを払ったのはあいつの方だ。

 やり場のない感情が俺の中で暴れまわる。

 

 グラスに注いだ水を乱暴に飲み干した。

 キンキンに冷えた水が胃に落ちていく。

 その冷たさが、いつまでも残っている気がした。

 

 少し頭を冷やしてからリビングに戻ったころには三人とも大人しく席についていた。

 三玖が四葉に日本史を教えている声が聞こえてくる。

 

「武田信玄と上杉謙信はライバルで、有名なのは川中島の戦い」

「わざわざ大阪で戦ったの」

 ……それは西中島南方だ。

 声を掛けようとしたとき、控えめに袖を引かれた。

 

「フータローくん、ちょっと休憩しようか、見て、星が綺麗だよ」

 

 十分休憩しただろという言葉は、彼女の切実な表情を前に露と消えた。

 自習している二人を邪魔しないようにそっとついていく。

 

 テラスに出ると、圧倒的な光景に思わずため息が漏れた。

 鈴鹿山脈から伊勢湾までがハッキリ見渡せる。

 地上三十階という高さのせいか、結構な風が吹いている。

 夜風の冷たさが心地よかった。

 

 引っ張り出した本人からすれば見慣れた光景なんだろう。

 何の感慨も見せずにさっさと手すりの方まで進んでしまっている。

 

「最上階も捨てたもんじゃないでしょ」

 明るい声で話しかけてくる一花。

 背後からではその表情は窺えない。

 

「確かに空が広く感じるな」

 地上の光が遠いせいか、星の光がはっきり見える。

 いつも控えめな木星を、一瞬金星と見間違えそうになった。

 

「そういばオーディション受かったよ」

「おめでとう。まあ、当然受かってる雰囲気だったよな」

「撮影は試験後だから安心して」

「それなら安心だ」

 

 他愛ないやりとりをしながら、ゆっくり一花の横に並んだ。

 目が合う。

 何か言いたいことがあるのはわかってる。

 無言で本題を促した。

 

「五月ちゃんと喧嘩でもしちゃった?」

 仕方ないなぁとでもいいたげな笑顔。

 

「 ……いつものことだ」

 予想通りの内容だ。

 ただ、どこまで知っているのかが読めない。

 急に泊まるように提案してきたりと、こいつの行動はいつも俺の想像を超えてくる。

 

「だね、フータロー君と五月ちゃんは顔を合わせるたびに喧嘩してる」

 

 ガラスてすりに背中を預けて空を見上げる一花。

 強度が十分なのは知っていても思わずドキッとしてしまう。

 

「二人は似たもの同士だから」

「お前がそれを言うのかよ」

 

 顔も声もまるっきりそっくりな五つ子がそんなことを言うのがなんだかおかしかった。

 おかしなおかしさに、全部見抜かれてるような気がして思わず顔をしかめた。

 

「でもね、今日はいつもと違う気がした」

 

 一言一言、区切るように話す一花。

 

「二人には、仲良く喧嘩して欲しいな」

 

 キラリと流れ星が光った。

 一花が星空へ落ちて行く。

 一瞬、そんな風に見えてしまった。

 

「……矛盾している」

 

 冷静さを保つためだけに自分でも違うとわかってる言葉を返す。

 

「そう? あの子も意地になってるだけだと思う。フータロー君は違う?」

 

 返す言葉が出てこない。

 

「昔から不器用な子だったから、素直になれないだけなんじゃないかな」

 

 黙り込む俺の方を見て、一花が軽く笑う。

 

「ここでフータロー君にお姉さんから大きなヒントをあげよう」

 

 反動をつけて手すりから離れると、大げさにおどけた調子で指を立てる。

 

「五月ちゃんにはうんと優しく、二乃には負けないくらい強く、だよ」

 

 態度と口調は軽い。

 それでも、一花の瞳には、夜空のどの星よりも強い光が宿っていた。

 俺はその瞳に見つめられて、一歩も動くことができなかった。

 

「期待してるよ、()()()()()()()

 

 トンっと俺の胸を軽く突くと、そのまま部屋の中に戻っていった。

 

 軽く突かれたはずなのに、二本の指の感触が全然消えてくれない。

 パートナー、か。

 無理やりひねり出した言葉だったはずなのに、いつの間にかすごく重い言葉になってしまった。

 

 一花をまねてガラス手すりに体重を預けてみる。

 木星の控えめな輝きが、今はとても優しく見えた。

 

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