『五つ子ちゃんは風太郎を五等分できないっ』 作:Sphilia
「らいは、俺に料理を教えてくれ」
小学生に頭を下げている高校生がいる。俺である。
くだらない意地で、妹に迷惑をかける兄がいる。やはり俺である。
勉強以外は何をしても、結局誰かを困らせる男がいる。どうにも俺である。
「急にどうしたの、お兄ちゃん。変なものでも食べたんじゃ……」
一花と星空の下で語り合ってから、俺はどうにか五月に話しかけられないか試みてはみたものの、部屋の扉は岩戸の如き固さで、他の姉妹の手前、五月だけに時間を割くわけにもいかなくって。泊りがけの勉強会は結局、いつもの面子に教えるだけに終わってしまった。
くそ、俺はバカだ。俺は俺が伝えるべきことを五月に伝えていたつもりだったけど、肝心な一言を伝えられていない。「無駄だ」「要領が悪い」「俺ならわかりやすく教えてやれる」「テスト期間だけでもいい」勉強会の有用性をアピールしたつもりだったけれど、冷静に振り返ってみるとただの罵倒だ。いや、ちゃんと「真面目に勉強しててえらい」とも伝えたし、独学の限界については伝えなくちゃいけなかったんだけど。
それよりも何よりも、「パートナーとして一緒に頑張ろう」と伝えなくちゃいけなかった。
ああ、バカだ。俺は本当に大馬鹿だ。
最初は金が目的だったのは否定しない。今も上杉家に金が必要なのも本当だ。でもそれだけじゃないんだ。俺はあの五人姉妹に「誠実に向き合う」って決めたんだ。最初から協力してくれた四葉に、戦国対決をした三玖に、夏祭りの夜の一花に。俺は約束をしたんだ。俺は誠実に向きあっているか? 「成績を上げたいなら黙って俺の言うことをきいてろ」なんて誠実さからかけ離れた言葉じゃないか。 真面目に勉強してるってことは成績を上げたいってことだ。ならもっと寄り添ってやれたはずだ。「勉強会に参加しろ」一本やりじゃなくって、効率的な自習方法を伝えたり他にやりようはあっただろう。いい方法を考えて、思いついたことは片っ端から試して、できることは全部やって。そこまでして、やっと誠実だって言えるんじゃないのか? 俺は誓ったはずだ。成果以上の金を受け取った時に。せめて金額に見合った成果を出すって。そうじゃなきゃ収まりが悪いって。なのに喧嘩して、ひとりぼっちで無理させて、目の下に隈まで作らせて。なんだよ、何様のつもりだよ、上杉風太郎。そんなんじゃ誰かに必要とされる、なんて夢のまた夢だぜ。点数次第で俺がクビになることを隠してるのだって所詮は俺のエゴだ。本当に誠実に向き合うつもりだってんなら、黙って頭でもなんでも下げるべきなんだ。「俺のクビもかかってる」「どうか勉強を教えさせてください」って。そのお願いを無視するようなやつじゃない。そんなこと、わかってるくせに。「試験前に無駄なプレッシャーをかけたくない」なんて誤魔化しだ。五月のために、なんて嘘だ。隠し事をして、言葉選びを間違えて、試験前なのになんの手助けもできず、ただ苦しめてるだけじゃないか。ただ、「勉強を教えてやってる」ってポジション、上の立場を崩したくなかっただけじゃないか。俺が、自分のプライドを守ってるだけじゃないか。そんなことないって言い切れるのかよ。 いや、言いきれたからって何になるんだ。もう俺の気持ちなんて関係ない。五月がどう考えているのかも問題じゃない。今、五月が苦しんでいるっていうのが事実で、俺は、上杉風太郎は、家庭教師に任じられているのにそれに手を差し伸べる資格がなくって、その事実だけが問題なんだ。
問題が整理できたならあとは解くだけだ。
とにかく、できる限り速やかに仲直りしなくちゃ駄目だ。これ以上ないってくらい意地っ張りな五月をうまくなだめて、なだめすかして歩み寄る方法なんてこれっぽっちも、筆の先ほども思いつかない。だが、青いバラの花言葉が変化したように、この世に絶対不可能なんてものはないはずだ。歩み寄るには何が必要だ? 五月は何に苦しんでいる? 苦手なことに取り組んで、成果がでないことに焦って苦しんでるんだ。わかったようなふりして近づいてみたところで俺にはわからないんだから、すぐに見抜かれて、また拒絶されるに決まってる。なら、きっと、俺はその苦しみを味わってみる必要があるんだろう。苦手なことに挑戦することが、あいつのことを理解する、その一歩目になるはずだ。挑戦するだけじゃ意味がなくって、それを五月に伝えなきゃいけない。わかるように伝えなきゃいけない。寄り添って、同じ方向を向いて歩いていくパートナーだって。そうじゃなきゃただの自己満足で終わってしまう。それで、どうする? 急にあいつの前で腕立て伏せでもやってみるか? いや、馬鹿にしてると思われるのがオチだ。そもそも10回出来るかも正直怪しい。ああでもないこうでもないと脳をこねくり回していると、ふとこの前の夕食の光景を思い出す。少なくとも食卓では団欒を壊すようなことは避けていた。ならそこに勝機があるはずだ。テスト前の最後の週末に泊まり込む算段はすでにつけてある。そこでなら、俺も苦手なことに取り組んだんだと自然にアピールできるはずだ。
こうして、俺は12歳の少女に頭を下げることになったのである。
一応俺にだって守りたい兄としての威厳みたいなものはあるわけで、らいはには単にご馳走になったから何かお返しがしたいんだと伝えたものの、当然見抜かれて「お兄ちゃんが勉強以外のことするなんて、そんな理由じゃありえないよ」結局五月と喧嘩中で仲直りのために何とかしたいということまで話す羽目になってしまった。
「もう、仕方ないお兄ちゃんだなぁ」
「すまん、これに関しては返す言葉もない」
「ちゃんと気持ちを伝えたら、五月さんもわかってくれるよ!」
料理初心者が作っても失敗しない。おそらく五月の好物。六人分でもそこまで大変にならない。様々な条件を考慮して、カレーを振舞うことに決めた。
「嫌いな食べ物とか聞いてる?」
「いや……でもカレーなら大丈夫じゃないか」
仕方ないなぁとばかりため息をついたらいはが手際よくメモに何かを書きつけている。
「はい、材料リスト。晩御飯に間に合うように買ってきてね、お兄ちゃん」
小学生におつかいを頼まれる高校生という構図に少々情けない思いを抱えながらも、メモを片手に近所の総合スーパーへと繰り出した。豚バラ肉、ニンジン、ジャガイモ……牛乳、卵、納豆。カレーに入れるものだけじゃないのは俺でもわかる。我が妹はこの機会に食材を買い込むつもりのようだ。両腕を苛む重みにヒイヒイ言いながらも、なんとか遅くなり過ぎないうちに食材を揃えて家に戻ることができた。
「おかえり、頑張ったねお兄ちゃん」
不思議なもので、エプロン姿のらいはに笑顔を向けられるだけで、俺の疲れは吹き飛んでしまった。
手を洗って戻ってくると、買ってきた食材たちは、あるものはまな板の上に並び、またあるものは冷蔵庫にしまわれ、とすっかり整理されてしまっていた。
「らいは先生、よろしくお願いします」
ふざけておじぎをする俺を見て、らいははくすぐったそうに笑う。
お料理教室のはじまりだ。
「皮むきはピーラーがあったらそっち使った方が楽だからね」
「左手、指伸ばしちゃダメ!」
「先に軽くお肉焼いておくと旨味が閉じ込められておいしくなるよ」
「裏技教えちゃうね! キッチンペーパーこうやって落とすと、ほら! アクがすぐにとれるんだよ」
「焦げちゃうから強火じゃなくて中火!」
「ご飯なかったら先に炊いてから始めてね」
「コーヒー牛乳は隠し味なんだ。ルーは中辛にしてもそんなに辛くないよ」
「入れすぎちゃだめだよ、ちゃんと計ってから入れてね!」
もはや兄の威厳などは欠片ほども残っていないだろうが、なんとかカレーは完成した。らいはは「よくできました、おいしいよ」と言ってくれたが、普段食べているらいは謹製のカレーと比べると、野菜は不揃いだし、肉も心なしか固い気がする。それでも完成させたことは誇らしい気分だ。指先の絆創膏が勲章のように感じる。俺一人だとこうはいかなかっただろう。らいはの教え方がよかったおかげで完成したのだと思う。特に、自分で試行錯誤してる間にあれこれ言われなかったのはやりやすかったし、是非見習うべきポイントだった。俺の目指すべき家庭教師像の理想形は案外、この優秀過ぎる妹なのかもしれない。
「この間はご馳走になったからな、今日は俺に作らせてくれ」
そう言ったときの姉妹の驚いた顔は少し、いやかなり愉快だった。
「フ、フータローくん、そんなに追い詰められて……」
「はぁ? なんで上杉にうちの台所を使わせないといけないのよ!」
「フータローが、料理……?」
「料理ですか、お手伝いはお任せください!」
「いいから、お前らはそのまま自習しててくれ」
嚙みついてきそうな雰囲気の二乃をさりげなく捕まえてくれてる一花に目線で感謝を伝えつつ俺はキッチンに立つ。隣にらいはがいなくて少し緊張する。作る量はルーに合わせて八人前。食べ盛りの高校生六人ならこれくらいは余裕だろう。冷凍庫を確認しても米はなかった。炊飯器は光沢のある黒色をしていて、その高級さを主張している。幸い、米自体はストックがあったので買いに行く必要はなさそうだ。無洗米と書いてある。研ぐのに失敗する心配はなさそうで少し肩が軽くなった。流しにまな板を渡さないとまともな作業スペースも確保できない我が家の貧弱なキッチンと比べると、このシステムキッチンはまるで未来の設備だ。切った野菜を一旦入れて置けるボウルもたくさんあるし、付け焼刃で不安のあった野菜の皮むきもピーラーが全て解決してくれた。IHコンロは火が出ないというのに驚いたが、火力がメモリで確認できるので、かえってわかりやすかった。大量の材料で鍋が噴きこぼれるんじゃないか、なんて心配していたが、鍋の大きさが全て解決してくれた。「洗い物まで含めて料理だからね!」という愛しの妹の指導に従ってルーを投入するまでの待ち時間でボウルやまな板を洗っていく。下の収納スペースが食洗器になっているようだが、使い方がわからないので手洗いだ。食器洗いはいつもやっているので得意だし問題ない。シンクも十分すぎるほど広いので水が跳ねる心配すらない。あまりに快適で、少し楽しくなってきた。これだけ設備が整っていると失敗する方が難しいような気さえする。同時に、あの狭いキッチンでいつも料理しているらいはの凄さに驚いた。俺の妹は日本一だな。十分に煮込んだら一度火を止めてルーを投入する。まだ油断はできない。底の方が焦げたりしないように弱火で慎重にルーを溶かしていく。棚にあるターメリックだのナツメグだののスパイス類に強く心惹かれたが、(料理なんて興味ないはずなのに。男を惹きつける魔力でもあるんじゃないだろうか)ちゃんとレシピ通りつくってねと送り出してくれたらいはの笑顔を思い出すことでなんとか踏みとどまれた。電源を落として、完成だ!
やたらとオシャレな卵型の器に盛り付けていく。炊飯器がいいのか水がいいのか。理由はよくわからないが、粒だったお米が眩しいくらいに輝いている。鍋からは焦げ付いた感じもなく、食欲をかきたてるいい匂いがする。ジャガイモも煮崩れていない。軽く菜箸で突いてみて簡単に刺さったら火が通ってる証拠らしいから、生煮えってこともないだろう。我ながら上出来なんじゃないだろうか。らいはでも食べられる辛さなので大丈夫だとは思うが、一応氷水を入れたピッチャーも用意しておいた。
「できたぞ」
存外真面目に勉強をしている姉妹に声をかける。
少しぶっきらぼうな感じになってしまったのはきっと気恥ずかしさのせいだ。
「わあ、おいしそうです! すごいです上杉さん!」
四葉はカレーを前に目を輝かせている。
「焦げてない……」
なぜかショックを受けてる三玖、失礼な奴だ。
「せめてサラダくらいつけなさいよ」
文句をいいながら台所へ消えていく二乃。キッチンから罵倒が飛んでこないってことは片付けに関しては及第点を貰えたらしい。
「五月ちゃん、ご飯だよー」
軽くウィンクして五月を呼びにいく一花。
……お見通しらしい。
「カレーですかっ」
食卓に降りてきた五月は満面の笑顔を浮かべる。やっぱり好物だったか。
しかし、直後に俺の存在を思い出したようで、慌てて表情を消した。
「サラダよ。食べる分だけ自分で取りなさい」
青く透き通ったガラスのボウルにはレタスやトマト、キュウリがバランスよく盛られている。よく見ると小さく切られた林檎が混ぜてある。こんな短時間で……! さりげないひと手間だが、料理をやってみて初めて気づけることもある。こいつ、できる……っ!
驚きが顔に出てしまったようで、二乃は「ふん、どうよ」と言わんばかりの表情を浮かべる。
バトル漫画ならここで背景に龍と虎でも出現するんだろうが、今の俺に出せるのは精々ハムスターだろう。……勉強なら負けねえ!
そんな馬鹿な事を考えている間に気づけば四葉がサラダを取り分けてくれていた。流石、助っ人なのにPG(ポイントガード)を任されるだけある。すごい運動量だ。
仲良くてを合わせていただきます。
自分で作った料理を他人に食べさせるのは緊張する。
俺と一花の視線は自然と五月の手元に集中していた。
銀色に輝くスプーンは美しい弧を描きながらホカホカと湯気をたてる米の山に向かう。その腹に六割ほどの米を乗せ、次に向かうのは広大なルーの海だ。米、ルー、肉が出会い、混ざり合う。三者が黄金比で盛られたスプーンは、ゆっくりと五月の口元へ運ばれていく。一息に吸い込まれたスプーンが再び姿を現した時、その上には何もなく、ただ美しい銀の光のみがあった。もぐもぐと咀嚼のたびに小さく頬が動く。コクリコクリと飲み込まれていく。その瞬間、二口目を運ぶべく動き出していたスプーンの動きがピタリと止まった。
五月の顔にぱあっと笑顔の花が咲き誇る。
「おいしい。二乃、腕を上げましたね!」
口元の筋肉が勝手に釣り上がるのを感じる。思わず口元を手で押さえた。
視線を感じる。二乃が不機嫌そうにこちらを見ていた。
「私が作ったんじゃないわよ」
五月は驚いたような顔をする。
姉妹の視線が俺の方に集まった。
誘導されるように五月も俺の方を見る。
俺は緩みっぱなしの口元を必死に締めた。
「その、なんだ。お前らばかり頑張らせてるのも悪いから俺も何か苦手なことに挑戦しようと思ってな」
妙にムズムズしてバツが悪い。頭の後ろをかきながら言い訳じみたことを口にしてしまう。
五月の笑顔はスンっと引っ込んだままだ。
五月は、俺を見て、カレーに視線を落として、それからもう一度俺の方を見た。
「この味……、なるほど、らいはちゃんですか。私もまだまだ修行不足のようです」
五月の右手が猛然と動き出した。皿の上のカレーがすごい勢いで消えていく。
「ええ、野菜の大きさは不ぞろいですし、お肉も少し焼きすぎですね」
「ま、まあまあ五月ちゃん、フータロー君が折角作ってくれたんだから、ね」
「わかっています」
しばらくの間、食卓にはスプーンと食器が触れあうときの僅かな金属音のみが流れていた。
五月のこんな姿を見るのは初めてだ。一花の目もまん丸に見開かれている。
カランっとひと際大きな音が響く。
空になったお皿に五月がスプーンを置いた音だ。
「ごちそうさまでした」
五月は少し悔しそうな顔。そのまま立ち去るのかと思ったが、軽く頭を振ると、瞳に強い光を宿してまっすぐに俺の方を見た。
「美味しかったです。その、この前は私も少し言い過ぎました」
どうやら俺の頑張りは報われたらしい。
「いや、俺の方こそ。無神経だったよな。……おかわりもあるが食べるか」
「……いただきます」
差し出した手に、空になった皿が乗せられる。
全部食べてもらえた。自分でも驚くくらいに嬉しい。
五月は少し赤い顔をしている。
「もう一人前食べられるか?」
「ええ、頭を使うとお腹がすきますからね」
五月は照れくさそうに笑った。
聞き覚えのあるセリフに俺の頬も緩む。
「おう、たっぷり食べてくれ」