『五つ子ちゃんは風太郎を五等分できないっ』 作:Sphilia
二回目の家庭教師の日、俺の前には新たな壁が立ち塞がっていた。五つ子との間に新しい問題が発生したわけじゃない。むしろそれ以前の問題だ。
「センサー、反応しろ!」
背伸びをしてみたり、目の前で手を叩いてみたり、こちらを監視しているカメラにむかって手を振ってみたり……
思いつくあらゆる動作を試してみたが、目の前の自動ドアは俺を無視するように、ぴくりとも動かない。
どうやらこのマンションの住人は機械まで俺のことを嫌いらしい。
「一人で何やってるの?」
怪訝そうな声に振り向けば、買い物袋を提げた三玖が立っていた。
自動ドアが壊れていて、マンションに入れないから管理人を呼ぶべきだと主張する俺に対して、
「……今時オートロックも知らないんだ。ここに私たちの部屋番号入れたら繋がるから」
淡々とした口調で言うと、三玖はカードキーを通した。あんなにも強敵だったドアが音一つ立てず従順に道を開ける。
記念碑にしては変なところに建てられているなと思っていたが……そういう仕組みだったのか。
「何してるの?」
振り返った三玖が、微笑みながら俺を見た。
「家庭教師、するんでしょ?」
どうやら、このマンションにも俺の味方が一人はいるようだ。
ちょっと意外だったが、自分でも驚くほどにうれしかった。
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「おはようございまーす。準備万端ですっ」
教材を取り出しながら挨拶する四葉。今日も元気にりぼんが跳ねている。
「私もまぁ見てよっかな」
雑誌片手にあくびをかみ殺す一花も、授業を聞く気はあるらしい。
「私はここで自習してるだけなので勘違いしないでください」
そっけなく言い放つのは五月。自習、大いに結構。さっさと成績を上げてくれ。
「約束通り日本史教えてね」
さっき助けてくれた三玖はもちろん協力的だ。
今日もまたこいつらを捕獲するところから始まることも覚悟していたが、すんなり授業が始められそうだ。
こいつらだって人の子、優しく接すればちゃんと分かり合えるんだ。自然と気合も入る。
「よーし、やるかー!」
なんて言いながらテキストを開く。
和やかなムードで授業が始まる。──そう思っていた。
「なーに? また懲りずに来たの?」
二階からネズミを見つけた猫みたいな声が降ってくるまでは。
「先週みたいに途中で寝ちゃわなきゃいいけど」
煽るような口調の声の主はもちろん、次女の二乃だ。ラブ&ピース、ラブ&ピースと自分に言い聞かせながら努めて口角を上げ、声をかける。
「どうだい、二乃も一緒に──」
「死んでもお断りよ」
頬の筋肉がピクピクとひきつっているのが感覚でわかる。取り付く島もないどころか大砲で挨拶してきやがった。
今日は撤退しよう、四人、参加率300%アップだ。十分な成果じゃないか。
そう思い反転する我々の背後から追撃の砲弾が降ってきた。
「そうだ四葉。バスケ部の知り合いが大会の臨時メンバーを探してるんだけど。あんた運動できるし今から行ってあげたら?」
携帯片手に話す二乃。狙いはどうやら四葉らしい。
「今から!?」
「バスケ部、五人しかいないんだって。なのに一人骨折しちゃったらしくてさ。頑張って練習してきたのに、このままだと大会に出られないんだって。ああ、かわいそう」
瞼を伏せ、まるで祈るようにそう言った。
口調と表情はまるで天使のようだ。
ご丁寧に大きな胸に手まであててその悲しみを全身で表現してくれている。
……わざとらしいにも程がある。そんな話、真に受けるわけがない。
「上杉さんすいません! 困ってる人を放ってはおけません!!」
勢いよく言い残すと四葉は飛び出して行ってしまった。
……あいつの前世はきっとアンパンマンとかその辺りだ。
「あの子、断れない性格だから」
ぽつりと教えてくれる三玖もあきれ気味だが、驚いていないのを見るに、この姉妹にとってはいつもの景色なんだろう。
さっきまで天使のような表情をしていた二乃は、四葉の姿が消えたのを確認するとその口元に邪悪な笑みを浮かべながらゆっくり階段を降りてきた。
順繰りに姉妹に声をかけていく。
「一花、二時からバイトって言ってなかった?」
「あー忘れてた」
二人目が脱落。
「五月もこんなうるさいとこで勉強するより図書館とか行った方がいいよ」
「それもそうですね」
三人目、脱落。
つい数分前まで、今日は順調にいけそうだと思っていたのに気づけば残るは三玖一人。
勝ち誇ったような目でこちらを見る二乃の姿に、わざと邪魔をしているんだと確信する。
こいつは一体俺の何がそんなに気に食わないんだ。
「あれー? 三玖、まだいたの? あんたが間違えて飲んだアタシのジュース買ってきなさいよ」
勝利を確信しているんだろう、余裕の笑みで三玖にも声をかける二乃。
今日も全滅かと天を仰ぐ。
「それならもう買ってきた。フータロー、そんなことより授業はじめよう」
先ほど持っていた買い物袋を二乃に押し付けると席について催促する。
どうやら、今日の三玖は最後まで俺の味方でいてくれるようだ。
生徒が一人でも授業はできる、切り替えて集中しよう。
「あんたらいつのまにそんなに仲良くなったわけ?」
二乃が焦ったように割り込んでくる。
「え? え? こういう冴えない顔の男が好みだったの?」
すぐさま攻撃方法を変えたらしい。それにしたって口が悪すぎる。
「……二乃はメンクイだから」
背中から刺された気分。ミクータス、お前もか。
「イケメンに越したことはないでしょ? あ、外見を気にしないからそんなダサイ服着てるんだ」
二乃の声に三玖が冷たく返す。
「その尖った爪がオシャレなの? 中身の方が大事だよ」
「あんたにはわかんないか」
「わかりたくもない」
そこまで悪い顔でもないと思うんだがなぁと俺が現実逃避している間に姉妹の言い争いがヒートアップしている。
……そろそろ止めないとまずそうだ。
「お前ら、姉妹なんだから仲良くしろよ。外見とか中身とか、そんなの今はいいだろ。三玖、授業始めようぜ」
「そうだね、もう邪魔しないで」
三玖はどうやら矛を収めてくれるようだ。今日は三玖に助けられてばかりだ。
「キミ、お昼は食べてきた?」
今度のターゲットは俺らしい。適当にあしらって授業に戻ろうとするも、体の方が「お昼」という単語に反応してしまった。
ぐううぅぅぅ──
静かなリビングに俺の腹の音が響き渡ってしまった。頬が熱くなる。
「ふーん、食べてきてないみたいね」
ようやく勝機を得たとばかり、ニヤリと笑みを浮かべた二乃。
キッチンへ向かったかと思うと三玖を指さして宣言する。
「じゃあ三玖の言う通り中身で勝負しようじゃない。どっちが家庭的か、料理勝負よ。アタシが勝ったら今日は勉強なし!」
唐突だし、強引すぎる。「じゃあ」が何にかかってるのかもよくわからない。
こんな勝負受けるやついるわけ……
こんなことさっきもあったな。
──嫌な予感は的中する。
「フータロー、すぐ終わらせるから座って待ってて」
三玖は勇み足でキッチンへと向かって行ってしまった。
どうしてこの姉妹は、俺の予想しない方にばかり思い切りがいいんだろう。
三玖、俺はお前に座って待ってて欲しかったぜ。
こうなったらもう止められない。俺は諦めて料理ができるまで自習することにした。
「じゃーん、旬の野菜と生ハムのダッチベイビー」
二乃が得意げに差し出したのは、小さなフライパンに乗った派手めの料理。勝負を仕掛けるだけあって料理には自信があるらしい。
一等地のカフェの写真に乗っててもおかしくない見た目だ。
あいにく俺は見たことも聞いたこともない料理だが、匂いはとてもおいしそうだ。
ダッチ……オランダ料理だろうか。
「……オムライス」
三玖の皿は対照的だった。
崩れた卵、べたついたケチャップライス、慎ましすぎる盛りつけ。
オムライスというよりケチャップライスのスクランブルエッグのせと呼ぶ方が見た目にあっている。
移す時に失敗したのか皿の端が汚れてしまっていて、普段料理しないのがまるわかりだ。
「やっぱいい……自分で食べる」
判定前にすでに自信を喪失してしまっている三玖。
「せっかく作ったんだから食べてもらいなよー」
二乃はもう勝った気でいるんだろう。緩んだ口元を隠そうともしていない。
「いただきます」
キチンと手をあわせて感謝を伝えてから料理を口に運ぶ。
両方とも、火はキチンと通ってるし味もついてる。作りたてであたたかい。
俺の舌じゃ、それ以上のことはわからない。
ひいき目なしで、正直な感想を伝える。
「……うん、どっちも普通にうまいな」
あれ、上手く意味が伝わらなかったんだろうか。二人ともポカーンとした表情をしている。
こうして並んでると、本当に同じ顔で見分けがつかない。
次の瞬間、二人が見せた反応は見事に対照的だった。
三玖の肩はすっと下がり、目元が、ほんの少しだけ潤んでいるようにも見えた。思わず緩んでしまう口元を隠すかのように顔の前で手を組む。
一方で判定への不服を隠そうともしない二乃は勢いよく立ち上がりながら抗議の声を上げようとしたが、
──その動きが不自然なところで止まった。
鋭い目でこっちを睨む……いや、見ているのは俺じゃない、隣にいる三玖だ。
嬉しそうに微笑む三玖、 その横顔を、二乃がじっと見ていた。
何かに耐えるように、唇をきゅっと結んだあと、
「……何それ、つまんない」
短く言い捨てて彼女は立ち上がる。
そのまま視線をよこすこともなく、部屋を出ていった。
扉を閉める音がやけに大きく響いた。
まったくあいつは……どうしたもんかなぁ。
遅めの昼食を済ませた後、食器を洗って片付ける。
夕焼けの赤が、夜の黒に呑まれていく。
気づけば、もう出直すしかない時間だ。
結局、料理勝負が成立した時点で、二乃の戦略的勝利が確定していたってわけだ。
「……ごめん」
三玖は、料理勝負に乗ってしまった負い目からか、少ししょげたように俯いている。
──今日の出来事で、ひとつだけはっきりしたことがある。
理由はわからないが、二乃は俺に特別な悪意を持っている。
「……あいつと分かり合える日がくるとは思えん」
今日は上手くいくかな、なんて浮かれてた俺がバカだった。
「ちゃんと誠実に向き合えば、わかってくれるよ」
思いのほか明るい声で三玖がそんなことを言う。どうやら慰めで言っているわけじゃないらしい。
「誠実にって……どうすりゃいいんだよ」
悪意の正体がわからないんじゃ、誠実も何もないだろ。
言い訳がましいのはわかってるが口からこぼれてしまった。
「それを考えるのが、フータローの仕事でしょ? 大丈夫、フータローならできるよ」
くよくよ悩んでいる俺に対しても三玖の態度は変わらない。
その瞳から純粋な信頼感が伝わってくる。
困ったことに、俺はこういう眼差しに弱いんだ。
「……誠実に向き合う、か」
方法なんて見当もつかないが、自分で考えるしかないんだろう、それだけはわかる。
目標は五人揃って卒業させること。俺はそれを再確認した。
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駅までついたところで財布を忘れてきたことに気づいた俺は姉妹の住むマンションに戻ってきた。
オートロックと本日二度目の対決だ。
以前の俺とは違う。迷わず姉妹の部屋番号を入れて応答を待つ。
ややこしいから二乃は出てくれるなよ
──そんな祈りが通じたのか、三玖が出て、あっさり鍵を開けてくれた。
今からシャワーを浴びるから勝手に取っていけだなんて、防犯意識の低さが少し心配だ。
「お邪魔しまーす」
一応声をかけながら家に入ったが、誰の声も返ってこない。
かわりに──
ブオオオオオオオオオオと大きなドライヤーの音が聞こえる。
リビングで三玖がバスタオル一枚で髪を乾かしている。
「三玖!? もう風呂出たのかよ」
驚きの声は届いているのかいないのか。
目があっても向こうは全く動じる様子がない。
そういえば、こいつは平気な顔でタイツ脱ぐ奴だったなと妙に納得するが、俺の心臓も労わってほしい。
ドライヤーの音が止まり、ようやく声が聞こえるようになった。
「誰? 三玖? お風呂入るんじゃなかったの? 空いたけど」
今三玖の名前を呼んだ? 混乱する俺をよそに三玖は髪にリボンを結んでいく。
蝶のようなリボンには見覚えがある。
……二乃のリボンだ。
今から入るって言ってた割に出るのが早すぎるとは思っていたんだ。
ショックでそれどころじゃなかっただけで。
「いつもの棚にコンタクト入ってるか取ってくんない?」
騒ぎ出さない理由は簡単で、目が悪くて俺のことを三玖だと思っているらしい。
間一髪セーフか……?
いや、全然問題の解決になっていない。
さっさとコンタクトを渡して、つけている隙に財布を回収して逃げよう。
こんなのバレたら誠実に向き合うなんて話じゃない。
不誠実の極みだ。乙女だ。
「お昼にいじわるしたことまだ根にもってんの?」
一向にコンタクトを見つけられない俺に、意地悪されていると勘違いされたのか二乃が近づいてくる。
急げ、俺……っ!
「あれは勢いで……悪いとは思ってるわよ」
ここにもないっ!
慌てて適当な棚をどんどん開けるが見つからない。
「何してんの? そこじゃないって」
……万事休すか。
シャンプーのいい匂いがする、そんな距離まで二乃が近づいてきた。
「場所変えてないわよ」
この距離でもまだ気づかないらしい。
二乃は俺の背中越しに手を伸ばして棚を開ける。
まずい、何かが背中に……!
出直そう、今は向き合える状態じゃない。
俺は極力二乃を視界に入れないようにしながら玄関へ向かう。
背後から俺を三玖と勘違いしたままの二乃の寂しそうな声が聞こえた。
「……やっぱ怒ってんじゃん」
足が止まる。
「全部あいつのせいだ」
自分に言い聞かせるような二乃の一言に、思わず振り返ってしまった。
「好き勝手うちに入ってきて! 私たち五人の家にあいつの入る余地なんてないんだから」
駄々っ子のように叫ぶ二乃。
こいつ……もしかして……
ずっと違和感があったんだ。
会って一週間程度の人間に向ける悪意にしては、ちょっと強すぎるって。
「決めた! フータローは今後出入り禁止!」
二乃の右手が、決意表明とばかりに高く掲げられた。
……出るのは許してくれ。
バンッ!
良く見えてないのに暴れるからだ。
手をぶつけた拍子に、戸棚が開いて、調理用具が落ちてくるのが、妙にゆっくり見えた。
二乃はぶつけた手を気にして、頭上の危機に気づくそぶりも見せない。
「危ないっ」
考えるより前に体が勝手に動いていた。
ガシャンガシャン
金属同士がぶつかる派手な音が響く。
幸い、重いものは肩で受けることができた。
頭に当たったものはない。
覚悟していた痛みもそれほど感じない。
ほっと小さく息を吐いて、固く閉じた目を開く。
最初に目に入ったのは髪だった。
手触りのいい髪が絨毯のように広がっている。
柑橘系の甘い香りがする。
右手に冷たい床の感触。
対照的に左手からは暖かくて柔らかい感触が伝わってくる。
ゆっくりと視線を下げる。
焦点の合っていない、ガラス玉みたいな瞳があった。
その奥に小さく俺の姿が映っている。
動けない。
情報に脳の処理が追いつかない。
自分の唾を飲み込む音がやけに大きく頭の中に響いた。
「えっ」
二乃も流石におかしいと思ったらしい。
相当な近眼なんだろう、目が細められていく。
……目が合ったのがわかった。お互いに現在の状況を認識する。
永遠にも思える沈黙。
じわりと二乃の目じりに涙が浮かぶ。
「不法侵入ー!!」
再起動した二乃が、派手に騒ぎ出した。
大声を出す二乃に俺も焦ってしまう。
こんなところ、三玖に見られたらさらにややこしいことになる。
「ち、違う。俺は『とりにきた』だけだ」
そんなことを口走りながら、とにかく静かにさせようと二乃の口を塞ごうと手を伸ばした
──その瞬間
カシャッ。
二乃の騒ぐ声も、俺の心臓の音も全てが遠くに感じる。背筋に嫌な汗が流れるのがわかる。
シャッター音だ。……撮られた?
おそるおそる振り返ると、五月が、凍て付くような目でこちらを見ていた。
バスタオル一枚で抵抗している女。
押し倒して口を塞ぐ男。
……犯人はこいつだ。誰だってそう思う。俺も同意見だ。
五月はしばらく、何も言わずにこちらを見ていた。
時計の針が進むのがやけにゆっくりと見える。
そして、吐き捨てるように一言だけ──
「最低」
──らいは、すまん。お兄ちゃん家に帰れないかもしれない。
ツンに傾けば不人気だ。デレに掉させば無個性に。服を脱いだら色気枠。
とかくにツンデレは勝ちにくい