箱庭ゲーム『生息演算』こぼれ話   作:キノント

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オーナー混濁追想録④

 

 

「お忙しい中来て頂いてすみません、ケルシー先生」

 

 

 ノア内部に建てられた運営本部。

 その内の一室──プライベート用の応接室にて、対面に座ったケルシー先生へ、俺はそう言葉を掛けた。

 

 

「今回は私の用事も有った。気にする必要は無い。それよりも、身体の調子はどうだ? 記憶の方も以前より取り戻しているという報告は聞いているが……」

 

 

 眼の下にほんのりと隈を浮かべたケルシー先生は、言葉を返しつつ俺が淹れたコーヒーを一口飲み、僅かに眼を見開いた。

 

 何時の間にか隈も消失している。

 食用粉末タイプの医療キットの効果は上々のようだ。

 

 ケルシー先生からは『貴重なものをただの疲労回復のために使用するのは頂けない』という注意染みた視線を向けられたが、曖昧な笑みで返すと先生は小さくため息を吐いて、仕方が無いと言わんばかりにその目を伏せてくれた。

 その口から漏れた「オーナー、必要なのは私よりも君の方だと思うが?」という言葉については、聞こえなかったことにする。

 

 記憶を取り戻すための一環としていろんな人と関わり、様々な経験や行為などをやり直しているのだが、何というか……その、体力や気力を使うことが非常に多いので、厚意に感謝は有れど疲労はどうしても溜まってしまうのである。

 そして自分の事情で医療キットを浪費するのは、勿体無いと思っている次第だ。回復すると皆が遠慮をしてくれなくなるという理由などでは断じて無い。

 

 ……いや、流石の俺でも気持ちは分かる。

 でもほとんどの人が切羽詰まったような表情で、その心に『どうか思い出して欲しい』と強く強く強く願っているものだから、それを受け取る度に俺にも負荷が掛かるのだ。

 休息を入れるための理由作りくらいは、少し許して欲しい。

 

 

「皆さんのおかげで順調だと思います。ただ、こちらのリストに有る方達については思い出せていないですね」

 

「ふむ……やはり直接的な接触が必要ということか。……非常に由々しき事態だ」

 

 

 取り出してテーブルに広げたのは、『重要人物』と題されたファイルの資料。

 記憶を失っていると判明した際に、顔写真などを用いて憶えている人とそうでない人の整理を行ったのだが、このファイルに保管されている資料は『そうでない人』、その中でも気軽に会うことが出来ない人達についてのものである。

 

 それは単に遠方であるという理由も有れば、相手の立場や地位の関係でというものもある。

 とりあえず顔と名前とプロフィールくらいは憶え直してみてはいるが、いざ会った時に粗相をしてしまわないか不安で仕方無い。……名前を呼び間違えたりすると、やはり怒られたりするのだろうか? 

 

 

「オーナー、君には既に伝わっていると思うが、一週間後に我々は『カズデル』との交流を控えている。…………改めて確認するが、『テレジア』について何か思い出したことは無いか?」

 

「……すみません」

 

「………………そうか」

 

 

 ケルシー先生は深く眼を閉じ、事態を呑み込むためなのか大きく息を吐いた。

 その眉間には皺が寄せられており、共感を用いずとも苦悩していることが窺える。

 

 俺にとって最重要人物と言っても過言では無いと多くの人達から言われたので、これでも一応考えられる手は尽くしてみたのだが、それらは上手くいかなかった。

 

 

 『優しく謙虚で聡明で……いや、言葉で表すのは適切では無いな。彼女の事を知りたければ、実際に会って言葉を交わした方が良い。それに無理に取り繕うよりも正直に接した方が良いはずだ』

 

 ドクターはそう言っていた。

 

 『私が尊敬する人の一人で、目標の一つでもあります。……写真と映像記録を持って来ますね。いえ、大丈夫です。これくらいのお手伝いはさせて下さい』

 

 アーミヤさんはそう言っていた。

 

 『……あんたと似てる。────ていうか、何であたしのことは憶えてたのに殿下の事を忘れてるのよ。優先順位も考えられないの? 殿下の事を悲しませたら…………怒るわよ』

 

 Wさんはそう言っていた。

 

 『御託はいいから早く思い出せ。…………バカ』

 

 アスベストスさんはそう言っていた。

 

 

 他の人達にも聞いてみたが、皆が口々に『テレジア』という人を良い人物だと評していた。

 そして時に真剣に、あるいは切望を含んで、『オーナーは早く思い出した方が良い』とも言っていた。

 

 

「テレジアはまずロドスに立ち寄る予定だ。カズデルの運営に支障が出ないよう今まで伏せていたが、その際に私の口から先に明かしておこう。その後に彼女がどういった行動に出るのかは……未知数だが、君に接触を図ると見て間違い無いだろう。少なくとも心の準備はしておいてくれ」

 

「分かりました。よろしくお願いします」

 

 

 ケルシー先生は俺なんかよりもずっと賢い。

 だがそんなケルシー先生でも、対処出来ない事態というのは当然の如く存在する。

 

 

 

 

 

「────久しぶりね、オーナー。待ちきれなくてちょっと早く来てしまったわ」

 

 

 

 

 

 ケルシー先生と打ち合わせをした四日後。

 こちらに向かっているというカズデルの移動都市よりも先に、『テレジア』はやって来た。

 

 その日は丁度『ノア』の周囲を視察していたのだが、通りの人混みの中でも、彼女とハッキリ目が合った。

 嬉しそうに駆け足で近付いてくる彼女を見ながら、俺は必死に資料に記載されていた内容を思い出す。

 

 

「お久し振りです、テレジアさん」

 

 

 『公の場ではお互い丁寧に接していた』という項目。『さん付けで呼んでいた』という項目。

 淀みなく彼女へ返答出来た俺はその事実に安堵し────次いで固まらざるを得なくなった。

 

 優しく、ふわりと。

 大切なモノを包み込むように、彼女は俺を抱き締める。

 

 

「……後でゆっくり、お話しましょう?」

 

 

 耳元で囁かれた彼女のその言葉には、疑問と混乱、そして深い悲しみが宿っている。

 

 早々にバレてしまったことを、俺は悟った。

 

 

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