『小麦の種ですか? …………分かりました、お渡しします。ええ、シュウさんの事は既に聞いていますので』
初めてオーナーと会った時。
炎国の大荒城から農業に関する使者としてノアを訪れた私は、幼さが残る外見をした目の前の存在に、不思議な感覚を覚えたの。
じんわりと胸が温かくなるような、身を蝕む寂しさを薄れさせてくれるような、そんな……不思議な感覚。
そのせいか初めての会話は事前に考えていたものとは大分異なってしまって、しようと思っていた『源石に汚染された土壌でも育つ小麦の種』に関する話を、私は終盤まですっかり忘れてしまっていたわ。
やや強引に話題を変えてその話を切り出したところ、返って来たのがまさかの快諾だったことに、当時はとても驚いたものね。
そして『既に聞いている』という部分が、炎国の農業天師や天師府の指導天師としての実績の事では無く、他の兄弟姉妹から聞いていた、という意味であったことを私は後に知ったわ。
それはこの初めての出会いから大分先の話になるけれど、私は兄弟姉妹への感謝よりも先に、嫉妬をしてしまったの。
一番最初が、私だったら良かったのに。
『大荒城、初めて来ましたけど良いところですね。……とても落ち着きます』
オーナーが初めて大荒城を訪れた時。
収穫の時期よりも少し早く、未だ青々としたものが多いその光景を見たオーナーは、懐かしそうにその目を細めていたわね。
さり気なく聞いてみれば昔住んでいた場所に多く見られていた光景とのことで、興味も有って深く聞いてみたいと思ったのだけれど、その憂いを帯びた表情を見て私は口を噤んだわ。
代わりに、別の場所で栽培していた既に時期を迎えている作物の収穫に誘い、住民の皆と作業をしたのは良い思い出よ。
……迷い込んでいたオリジムシに押し倒されているオーナーを見た時は、冷や汗が止まらなかったけれど。
でもそれも、『他国の重要人物に怪我をさせてはいけない』という気持ちよりも、別の気持ちの方が強かったわ。
今まで出会って来た誰とも違う、きっとこの先でも他に現れることは無いだろう、という確信にも似た予感。
この人をずっと、守ってあげたい。
出来ることならば、限りなく近い場所で。
初めて入ったオーナーの部屋。
ノアの農業区画への指導が有って、長期滞在が決まっていて、ノアを訪れたその日に私はちょっとした我儘を言ったわ。
オーナーは少し困っていたようだったけれど、重ねてお願いをしたらようやく折れてくれて、『オーナーの部屋に行ってみたい』という私の些細な願いを叶えてくれたの。
この立場に居る人物の部屋とは思えないほど簡素な内装。
宝飾品や高級品の類いが見当たらないことに、『オーナーらしい』と微笑ましい気持ちになったわ。
でも、棚に飾られたいくつかの物品は、明らかに大切に扱われていたわね。
『それは皆さんから頂いたものです』
農業に関する事以外は詳しくない私でも、その品々に込められた強い想いは感じ取れたわ。
その時、ふと思ったの。『私はオーナーに何をあげられる?』って。
私にもしもの事が有っても、オーナー……あなたに憶えていて欲しい。
何かを贈ることで、それを見る度に私を思い出して、そして強く想って欲しい。
あなたの心に種をまいて、あなたと共に育ち、いつか強固な根を張って欲しい。
────そのために必要な事は、私に出来る事は。
経験は無くとも、長年生きてきたおかげで、知識としてはちゃんと知っている。
……大丈夫。作物や種子の研究と一緒で、これから時間を掛けて試していけば良いだけだもの。
『────えっ? あ、あの、シュウさん……?』
あげるつもりが、私も貰ってしまったけれど……些細な事よね?
私でさえこうなってしまったのだから、他の兄弟姉妹もきっと似たような道を辿るに違いない。
負担を掛けるつもりは無いけれど、私達にとってあなたは特別な存在なの。だから、多少の事は許してくれると嬉しいわ。
……ねぇ、オーナー。これからも私達をよろしくね?