「────オーナー、ご機嫌いかがかな?」
「モスティマさん、お久し振りです!」
ノア内部に作られたノア運営本部。
その中心に作られたオーナー専用の休憩室にて、久方振りとなるモスティマの顔を見たオーナーは、嬉しそうな声を挙げた。
他の部屋ならいざ知らず、この休憩室に自由な入室を許されている人物はそれほど多く無い。
そこに『ノアに常駐していない』という条件を更に加えるならば、モスティマはその極僅かな内の一人だった。
以前訪れた時とは少し変わった内装を観賞しながら、彼女は慣れた動作でソファへと腰掛ける。
テーブルを挟んで向かい側のソファに座っていたオーナーは、モスティマの様子を見て疑問の声を挙げた。
「あの、もしかして何か悩み事でもありますか?」
「…………やれやれ、君には本当に隠し事が出来ないね。でもこれは私の問題だから、オーナーにはいつも通りに接してもらいたいな」
「……そうですか。何か力が必要になったら遠慮なく言って下さいね? それと、甘いものはいかがですか?」
「そっちはぜひ頂くよ」
他者の心情や思考、感情の類いを読み取ることが出来る能力──『共感』を持つオーナーには、基本的に隠し事といったものが通用しない。
またオーナーは相手が、心情的に『触れて欲しい』のか『触れて欲しくない』のかも分かる。
だからこそオーナーはモスティマへと尋ねてみたのだが、彼女からの返答は予想とは違うものであった。
それに少々疑問を抱きはしたものの、『共感』による事実が必ずしも正しいとは限らない。
だからこそオーナーは深く追及する事はせず、この場は退くことを選んだ。
部屋に備え付けられた冷蔵庫からケーキの箱を取り出し、戸棚から取り出した食器と共におやつの準備を始めるオーナーの後ろ姿を眺めながら、モスティマはその目を細めた。
ピタリとその動きを一瞬止めたオーナーは、困惑した表情でモスティマの方へと振り向く。
「……モスティマさん?」
「へぇ、やっぱり気付くんだね」
「その……、からかうのは程々でお願いします。流石にこういうのはびっくりしますので……」
頬を少し朱に染めたオーナーを見て、『からかってなんかいない』という言葉をモスティマは呑み込んだ。
そしてモスティマが謝るかのように手をひらひらと振り返すと、オーナーはホッと息を吐いてから作業を再開した。
(……ふふ、こういうのを『もどかしい』って言うのかな?)
あまり経験の無い珍しい感情を胸に、モスティマはその笑みを深める。
そうして、つい先日の出来事を思い返した。
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「モスティマ、あなた今回は随分と入れ込んでるのね」
「……何にかな?」
「とぼけても無駄よ。自覚してることくらいは私でも分かるわ」
昏睡状態から回復し懸念されていた脚の具合も治療キットによって治されたレミュアンが戻って来ても、過去に起こった出来事がそのまま消滅したりはしない。
モスティマは堕天し、これからもサンクタとしての能力を取り戻すことはない。
フィアメッタはあの日から後悔と怒りを抱えたまま、強い執念に囚われている。
彼女達の小隊の隊長を務めていた者も、罪人として何処かへと消え去ったまま。
劇的な存在────オーナーとの邂逅を果たしてもなお、変えられないものは有る。
ペンギン急便の一員としてのノアへの定期的な訪問からの帰り道。
依然として監視対象となっているモスティマは、フィアメッタの言葉に苦い顔で返した。
「誤解があるようだから言っておくけど、私だって何かを気に入ったりすることはあるよ。好みの味付けの店には足繫く通うものでしょ?」
「長年あなたを監視して、一ヶ月以上興味を持続させたところを見たことが無いわ」
「じゃあ今回がその初めてになるね。変わり映えの無い監視報告書にも新たな記載が増えることになる」
「……あなたの監視報告書で今まで同じ記述をした記憶が無いのだけれど?」
何かしらの組織と接触した時も、ひとかどの人物と出会った時も、美味しいお店を発見した時も。
その時に感じる楽しさや面白さ、喜びが本物であることは間違いない。
だがそれらは一様にして、モスティマの中で次第に均されていってしまう。
昔からそうだったのか、それとも堕天という一大事を経験したためにそうなっていったのか。それは彼女自身にも分からない。
分かることは、モスティマは過去や未来の出来事に執着せず、激しい一喜一憂もしないということ。
その時その場の状況や感情に、素直に従って思いのままに振る舞っているということ。
(でも、オーナーは確かに今までに無い存在だね……)
フィアメッタの追及を軽くあしらいながら、モスティマは彼女に言われたことを改めて考える。
ノアを訪れた際は優先的にオーナーに会いに行く。
仕事で会えなくとも通信機を用いて会話を試みる。
他の都市で食事をする時に考えることは『オーナーならどんな感想を言うだろうか?』で、お土産を購入する際にまず思い浮かべるのがオーナーの顔だ。
(友人、という枠に収めるのは……でも、うーん……)
自身の行動や思考と照らし合わせて、モスティマは久しく抱くことの無かった自分自身への疑問を抱いた。
だがどれだけ考えてみても、そういった疑問にまつわるアレコレを経験してこなかったモスティマが、答えに辿り着くことは無い。
だからモスティマは、自分ではなく自分をよく知る人物へと何の気も無しに尋ねた。
「フィアメッタ、君には私がどう見える?」
「……傍目から見たらオーナーの事を好いているようにしか見えないわ」
「君に聞いているんだけど?」
「…………鏡でも見たら良いんじゃない?」
フィアメッタにとって、よくからかってくる相手をからかい返すことに抵抗は無い。
しかし今回は話題が話題なだけに、深掘することで自身へとその刃が返って来ることを彼女は恐れた。
それ故にその返答は、質問に答えているようで答えていない曖昧なものとなる。
────モスティマにはそれで十分だった。
(そっか、そうなら仕方無いかな……)
自分にとっては未知なる感情。
それを楽しむ余裕を、彼女は幸いにも持ち合わせている。
フィアメッタが『面倒なことになりそう』だと表情を険しくさせる一方で、モスティマは楽しそうに、そして嬉しそうに、笑みを深めるのだった。
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オーナーとの歓談の途中、通信機によって呼出しを受けたことで休憩室を一旦退出したモスティマは、しばらく経った後に部屋へと戻る。
思っていたよりも時間がかかってしまったために、オーナーがもう部屋を出てしまっているかもしれないというモスティマの心配は、ソファで眠りこけるオーナーの姿を見て杞憂へと変わった。
「部屋の外にはちゃんと護衛が居るからって、無防備じゃないかな?」
警戒心も無くスヤスヤと眠るその様子に呆れつつも、モスティマはオーナーの隣へと腰掛ける。
そしてジッとオーナーを見つめたかと思うと、不意にその寝顔へと自身の顔を近付けた。
(……なるほど。言ってしまえば身体的接触でしか無いけど、部分によってはこんなにも違うんだね)
(んっ、……熱い。ケーキ、こっちの方が好みの味だ。……選ぶの失敗しちゃったかな?)
(………………もう一回)
(────不思議な感覚。何だかふわふわする……)
(でも、悪く無い気分だよ。オーナー)
特異な感性と独特な思考を持つモスティマは、一般的な常識を踏まえた上でその範疇に自身を無理矢理収めるようなことをしない。
自身が今までに経験したことの無いモノなのだから、理解し楽しむためにはそれ相応の行動をする必要があるだろう。
そんなどこか言い訳染みた考えを持ちながら、そしてそれを自覚しながらも、彼女は己の心に従って行動と試行を重ねていく。
心の中の無数の錠が一つずつ開いていく音を、モスティマは確かに聞いた。