DR_inflection   作:柚柚

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空は高く、どこまでも赤く
2章 (非)日常編 上


 

禍賀「アンタの目に、うちは映ってたんかな。」

 

 

もう誰も居ない裁判場。

ステンドグラスから差し込む光と、床に残る色鮮やかな影。

そして、未だ目に浮かぶ瓦礫と血溜まり。

 

禍賀にとって血なんて見飽きたようなものなのに、何故。

 

初めて気楽で居れた友達。きっとお互いそう。

そのせいなのか、なんだか胸に穴が開いて。

埋め方がわからない。

 

人が死んで悲しいという感情を、今更理解した。

自分の手は、相当、恨まれていることも同時に。

反省も後悔もしている、けれど、もうどうしようもないと開き直るばかり。

 

今この場で、出来ることなど。

 

 

禍賀「はぁ...柄じゃないってのに」

 

 

踵を返す。

もうみんなは上へ帰った。

あとはうちだけ。

 

エレベーターを待っていると、後ろから

 

 

モノシープ「いやはや、大変でしたねぇ」

 

禍賀「...なんの用?」

 

モノシープ「怖いですね。そんな睨まなくてもいいのに...蛇に睨まれた蛙、いや、鴉に睨まれた羊になっちゃいますよ」

 

禍賀「用無いなら、うち帰るけど...」

 

モノシープ「傷心中ですか、仕方ないですね。用、と言っても大したものじゃないんですよ。本当に」

 

 

なんて、もったいぶって。

ぽてぽてと近寄ってきて、何かを手渡される。

 

 

モノシープ「遺品、という名のプレゼント!ですよ。死んだ人間の持ち物って、ゲームだとアイテム化するのが常識ですので」

 

禍賀「いや、はぁ......?」

 

モノシープ「それに、時間が経ったらお片付けされるパターンとかありますからねぇ...別に今作はそうでもないんですけど、禍賀サンが一番欲しがりそうだったのでね。特別に。学園長に感謝してくださいね?」

 

 

ウィンクをして、また姿を消す。

本当に気に入らないし、気に食わない。

 

 

握らされた手を開く。

 

黄色いリボンがくしゃりと皺を寄せていた。

 

 

禍賀「感謝、ねぇ」

 

 

誰がするか。

 

リボンを握りしめる。

鳴佳がいつも身に着けていたもの、鳴佳を縛ってきたもの、鳴佳の大事なもの。

 

 

ガコン、と大きな音と共に、エレベーターが着いた音がした。

 

 

鳴佳は、このリボンを大事にしてほしいのか。

それとも、もう捨ててほしいのか。

そんなこと、死人に口なしな今じゃわからない。

 

 

禍賀「......とりあえず、なりりんの代わりに持っとくよ。汚したらごめん」

 

 

なんてどこに向けてでもなく呟いて、エレベーターに乗り込んだ。

もう二度と、この神聖で悍ましい裁判所へ来ることがないことを願って。

 

 

 

 

 

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chapter.2

『空は高く、どこまでも赤く』

 

 

 

 

 

 

 

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またいつもの場所。

いつもの、といっても、その場所を自分は知らない。

 

 

「...っばぁ!」

 

 

綺麗な白髪が急に、大声とともに目の前に飛び込んでくる。

 

 

「うわ、なに?」

 

「あんま驚かないんだね。結構ショック」

 

「驚いてはいるよ。ただ、感情の出し方が控えめ...なだけで」

 

「__もそうだよ、控えめなんだ。実はね」

 

「絶対嘘だ」

 

「言い過ぎじゃない?絶対なんてことはないよ」

 

 

なんて、自分の横に座る。

草いじりをしながら楽しそうに会話している白髪の横顔は綺麗で。

 

 

「___はなにしてるの?」

 

「別に......暇だから、日光浴中」

 

「ふーん。日当たりいいもんね、ここ」

 

「____は何してんの」

 

「お散歩、だったけど___を見つけたから中止です」

 

「あっそう」

 

 

2人で駄弁る。何をするでもなく、優しい陽だまりの中で。

そんな中、チリンとベルが鳴った。

 

 

「......あ、ベル鳴った」

 

「お客さんだね、あの子かも」

 

 

遠くから聞こえる。

元気な声。

 

そいつの顔を見た瞬間、息が止まった。

 

 

 

あれ、

 

 

見覚えが。

 

 

 

 

 

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紗鳥「っっは...っ、ぁ...」

 

 

ベッドから飛び起きた。

まだ覚えてる。

いや完全には思い出せないけど、最後に見た顔だけ、頭にこびりついている。

 

 

紗鳥「...会ったことあったか?」

 

 

確認...するべき?

いやでも、あっちも俺の事知ってる風じゃなかったし...

......あの記憶が高校生の頃の記憶なら無くしてても不思議じゃない、けど...

 

なんてうだうだしていれば、コンコンとノックの音がして。

 

 

遊城「起きてるー?」

 

紗鳥「あぁ...遊城か、ちょっと待ってくれ...」

 

 

なんて急いで支度をして、ドアを開ければ、いつも通りの大きな帽子に、少し不機嫌そうな顔をした遊城。

 

 

遊城「おっそい」

 

紗鳥「無茶言うなよ......」

 

遊城「寝癖ぐらい直しなさいよ。みんな、じゃないけど、だいたいもうラウンジに集まってるから」

 

紗鳥「...ラウンジに?」

 

遊城「そう。なんか、落ち着かないってね......部屋にいる方が嫌なんだって」

 

紗鳥「......そりゃ、まぁ」

 

 

あの裁判の後だ。

一人で静かな場所にいる方よりも。

 

そう言って遊城は有無を言わずラウンジへ歩を進める。

振り返って、

 

 

遊城「アンタも来るでしょ」

 

紗鳥「行くよ。一人でいるのも、あれだしな」

 

遊城「でしょ」

 

 

短くそれだけ言って、遊城はさっさと歩き出す。

その背中を追いながら、ふと、さっきの夢を思い出した。

 

最後に見た、あの子は、どう見たって......

 

 

 

 

 

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ラウンジの扉を開けた瞬間、思っていたよりも“普通”の光景が広がっていた。

 

誰かがソファに座っている。

誰かが立ったまま話している。

テーブルには飲みかけのカップが置かれていて、窓はいつもと変わらず塞がれていて、その代わり中庭に面した廊下からは柔らかい偽物の陽光が差し込んでいて。

 

紗鳥は一歩踏み入れて、ほんのわずかに肩の力を抜いた。

 

もっと、静まり返っていると思っていた。

 

重苦しくて、誰も喋らなくて、ただ時間だけが流れているような。

そんな空気を想像していた。

 

けれど実際は、違う。

 

 

繋守「それでさー、その後どうなったと思う?」

 

薬袋「え、えっと、その...転んじゃった、とか......?」

 

繋守「違う違う!そこはね、こう、ばーん!って感じで」

 

薬袋「ば、ばーん......?」

 

 

いつも通り、とは言い切れないけれど。

それでも確かに、会話はある。

 

少しだけ大きめの声で話す繋守と、それに困ったように笑いながら相槌を打つ薬袋。

そのやり取りは、平和な日常というよりは、“無理にでも続けている”日常、という出で立ちだ。

 

 

紗鳥「...おはよう」

 

 

声をかけると、繋守がぱっと振り返る。

 

 

繋守「あ、紗鳥くん、おはよー!アホ毛の生存確認ヨシ!えらい!」

 

薬袋「おはようございます......」

 

紗鳥「......ああ」

 

 

短く返して、室内を見渡す。

 

絡転が優雅にカップを傾けている。

一見落ち着いているように見える。否、実際落ち着いている。

それが彼女のズレで、長所であり短所と言えるかもしれない。

 

仄暗い窓際では静寂が本を開いている。

ページをめくる音、紙が擦れる音が鳴る。

周りの日常の喧騒を見てすらいない。

 

禍賀はソファで寝転がっているが、寝ているわけではなさそうだ。

ただ、今だけだと願いたいが、前よりも快活さは感じられない。

 

幕吏は...と見回せば、信乃陀と四葩と何やら話している姿を見つける。

 

 

信乃陀「ですから、理解は昨日の夜考えていたんですよ」

 

四葩「何を?」

 

信乃陀「これからのこと、です!」

 

幕吏「......これから、かぁ...」

 

 

相変わらず、信乃陀の声色は明るい。

その明るさが、昨日よりも眩しく感じられるほど。

 

反対に、幕吏は...どうせ演じているのだろうが、いつもよりも大人しい声色。

薬袋ほどではないがおどおどしていて、溢れ出ていた自尊心すら見えないほどの役。

 

四葩は全く持っていつも通りだ。

 

 

信乃陀「せっかくこうして生きているんですから、ただ部屋に籠るよりも、友好を深め!学園長の罠などで揺らぐことのない結束を図る!!というのもいいと思いまして」

 

四葩「...結束、いいね。」

 

幕吏「んー、簡単に言うけど...例えば、その、何をするの?」

 

 

信乃陀はうーん、と頤を触りながら少し考え込む。

 

 

信乃陀「腕相撲大会のようなレクリエーションをまた考える、でもいいですけど、もっと簡単にできることもたくさんしていきたいですよね......」

 

幕吏「じゃあ...みんなで、趣味とかの話......とか」

 

四葩「趣味?」

 

幕吏「えっと、好きなものとか、嬉しかったこととか、最近気になってること、......」

 

四葩「幕吏君ってそういうのあるの?」

 

幕吏「えっ」

 

 

おずおずと意見を話す幕吏に、ぴしゃりと四葩は疑問を投げかける。

いきなりの相当な発言に幕吏はぽかんと口を開け、信乃陀も頭の上に?を浮かべる。

まぁ俺も少し気になるところではあるけど。

 

 

幕吏「......う、うーん...、秘密、じゃ駄目、かな」

 

四葩「逃げた」

 

信乃陀「逃げましたね!!」

 

 

どうすれば仲良くなるかという会議は、結局どこかへほっぽりだされていた。

幕吏の趣味を暴こうと信乃陀と四葩はやいやいと話し、幕吏も躱そうと必死で。

3人の間で親交が深まっているといいが......

 

 

 

絡転「ふふ、相変わらずだな」

 

軽やかな声がそれを繋ぐ。

お茶を飲んでいた絡転が、ちらりと近くに座る枢木や遊城、そして遠く、静寂を見る。

 

 

遊城「ほら紗鳥、あんたも座って休んどきなさいよ」

 

紗鳥「あ、あぁ、うん」

 

絡転「この空気にも慣れそうか?鳩の子」

 

紗鳥「この空気......っていうと、まぁ、どうだろう。慣れはしないんじゃないかな...」

 

枢木「...どんな感覚がしますか?寂しい、怖い、とか。辛いことがあった人は、人の声がいつもより大きく聞こえるという人もいますし、うまく力が入らないという人もいる...から。無茶はよくないよ」

 

 

如何にもカウンセラーの顔つきだった。

暖かく優しい目で、こちらを心配するように見てくる。

 

今の感覚、それを言語化しようとすると上手く言葉に出来なくて、頭の中や胸の中で気持ち悪さが渦を巻くようにぐるぐると回る。

ただ、どこか心はふわふわと浮いている。

 

 

紗鳥「感覚、としては...なんか、ずっと夢の中みたいな感じ。地に足がついてないみたいな浮遊感っていうか。これが現実だと受け止め切れてないだけだと思うけど」

 

絡転「夢か。そういう逃げ道もあるな」

 

遊城「逃げ道って......あんたねぇ、」

 

絡転「受け止め切れる現実の量なぞ人によって違う、だろう?飴玉の子よ。それによって精神の強弱が決まる訳でもない。逃げ道は草花や木のように枝分かれする道であり、行く先で茂り、実を付けることができれば好いのだ」

 

 

そう言う絡転は、またお茶を啜った。

その傍で枢木がこほんと咳払いをして、

 

 

枢木「......言いたいことは全部絡転さんに言われましたが、そういうことです。自分に都合良く生きていくのも、大事だよ」

 

紗鳥「自分に都合よく...」

 

 

思わず、その言葉を口の中でもう一度転がした。

 

都合よく生きる。自分にとって苦のない道を行く。

なんとなく、ズルい言葉のようにも思える。口触りも耳障りも、良いとは言えない。

 

けれど、今の俺には妙に引っかかる言葉でもあった。

その引っかかりは、決して気持ちの悪いものではないことは確かだ。

 

 

昨日の裁判で、俺達はずっと答えを探していた。

 

誰が嘘をついているのか。

誰が殺したのか。

どうしてそんなことをしたのか。

 

正しい答えを見つけなければならなくて。

間違えれば、人が死ぬ。

 

だから今も、何かを考える時には、正しい答えを探してしまう。

 

悲しむべきなのか。

怒るべきなのか。

前を向くべきなのか。

結局どれでもないような、空虚感が躰を蝕んでいる。

 

そんなものに、正解なんてあるはずがないのに。

都合よく考えてしまっていいのかという、躊躇いに似た逡巡があった。

 

 

それでも、自分を守る為ならば、それでいいのかもしれない。

 

 

枢木「ええ、全部をいっぺんに正面から受け止めなくてもいい、ということです」

 

 

枢木はそう言って、ほんの少しだけ微笑んだ。

 

 

枢木「辛いものを辛いまま抱えて、そのうえで平気な顔をする必要はないし」

 

絡転「今朝は紅茶より珈琲が飲みたいなら珈琲を飲む。誰かと話したいなら話しかける。遊びたいなら遊ぶ、寂しいなら誘う。ひとりになりたいなら、ひとりになる。それだけでいいのだろう」

 

紗鳥「それって、ただ好き勝手してるだけじゃないか?」

 

枢木「人に迷惑をかけない好き勝手はいいと思いますよ」

 

絡転「ふむ、例えばそこの有形だな」

 

 

と絡転の目の先を追いかければ、静寂の姿。

注がれる4人の視線に気づいたのか、静寂は本からこちらへ視線を移す。

 

 

静寂「何の用だ」

 

紗鳥「あぁー......」

 

遊城「まるで模範解答ね」

 

静寂「何の用だと聞いたんだが」

 

 

確かに静寂はやりたいようにしている。自分が動きたい方へ動いている。

それは人に迷惑をかけない形で、ただ一人で好きなように。

羨ましいとも思えるし、寂しそうだとも思える姿。

 

 

紗鳥「いや、別に...ただ辛いときに好き勝手動くのもいいよって話で、静寂が良い例すぎて......」

 

静寂「別に俺は辛くてこうしてるわけじゃない」

 

遊城「知ってるわよそんなこと、あんたが辛そうにしてるとこ想像つかないし」

 

 

それはそれで失礼な気もするが、と苦笑を思わず零す。

静寂はそんな会話に、面倒だという顔で本に視線を戻していった。

 

 

静寂「それよりいいのか。悪い例が今この場には居ないが」

 

紗鳥「悪い例?」

 

静寂「燐海と比良坂」

 

 

その2人の名前を聞き、辺りを見渡せば確かに居ない。

好き勝手に動く、その悪い例、ではある。

 

比良坂は出会ったばかりの頃、委員長気質な遊城とよく喧嘩をしていた。

ただ、時間が経つにつれ、実は良い奴なんじゃないかと、そう思える機会も同時に増えている。

 

問題なのは燐海の方。

何をしでかすか分からない人間性が段々と露出してきている。

オシオキの後でさえ、いつも通り。少し不機嫌そうではあったが、去る頃には鼻歌でも歌うような顔をしていた。

 

遊城は明らかに嫌そうに眉を顰め、しかめっ面になっていた。

 

 

枢木「まぁ、いいんじゃない?」

 

紗鳥「そんなてきとーな」

 

 

問題児の行方を気にしていれば、絡転が不意に思い出したように顔をあげる。

 

 

絡転「あぁ、雲の子なら先程ここへ来ていたが帰っていったぞ」

 

遊城「雲の子って誰」

 

枢木「比良坂さんのことだよ」

 

紗鳥「よく覚えてるな」

 

遊城「まぁ...比良坂が大人しいのはいいとして、燐海はどうすんの。あいつ人に迷惑かけそうな好き勝手しそうだけど」

 

絡転「本人の居ない所で悪口とは頂けないが......」

 

遊城「悪口ってか事実だし、」

 

枢木「確かに彼は掴みどころがないかもしれませんが、何かしら彼の判断基準があって行動してるんでしょう」

 

紗鳥「その判断基準がイカれてる可能性がある時点でダメじゃ?」

 

遊城「そーよ。どうせ昨日言ってた談話室の本読んでなんか企むんでしょ......」

 

 

そこまで言って気付いた。

恐らく俺の顔はみるみるうちに青ざめでもしているかもしれない。

談話室の本を読みに行っている可能性を思い出した。

 

あの時、裁判が終わった頃に言っていた。

 

 

***

 

鳴佳「談話室の本棚の中に、現状と同じような物語の本があったんです。そこにトイレへ証拠を投げ込むシーンがありまして、真似しようと思ったんですの」

 

燐海「へェ、確かに談話室の本棚は詳しく調べてなかッたね。ボクも後で読もッかなァ」

 

静寂「読んでどうするつもりだ」

 

燐海「どうするもなにも、参考にするンだよ」

 

***

 

 

紗鳥「だ、談話室、行ってみるか...?」

 

遊城「あー、うーん......」

 

枢木「行くだけ行きましょうか、居なければ良いけど」

 

 

3人の間に、ほんの少しだけ沈黙が落ち、席を立とうとした瞬間、胸がぴりりと痛む。

 

行くと言ってしまえば簡単だ。

廊下を進んで、談話室の扉を開ける。

それだけのこと。

 

なのに、どうしてだろう。

たったそれだけのことが、妙に重たく感じられた。

 

昨日までなら、こんなことはなかった。

誰かがどこかへ行ったなら、探しに行けばいい。

見つけたなら、何をしているのか聞けばいい。

ただ、それだけだった。

 

けれど、俺たちはこの学園での「誰かを探す」ということの意味をひとつ知ってしまった。

見つけた先に、必ずしも生きている人がいるとは限らない。求めている人がいるとは限らない。

 

 

紗鳥「......」

 

 

自分の手を見る。

何も持っていない。

当然だ。

ここはラウンジで、俺はただの学生で、今から友達...を探しに行くだけ。

それなのに、指先が少し冷えている気がした。

 

 

遊城「......紗鳥?」

 

紗鳥「え?」

 

遊城「行くんでしょ?」

 

紗鳥「あ、ああ」

 

 

慌てて立ち上がる。

椅子の脚が床を擦り、きぃ、と小さな音を立てた。

 

その音に反応するように、静寂が一瞬だけこちらを見た。

けれど何も言わない。

ただ、すぐに本へ視線を戻す。

 

絡転は立ち上がらずにこちらを見ていた。

相変わらず穏やかな顔で、空になりかけたカップを傾けている。

 

 

絡転「ここで待っているから、気をつけて行っておいで」

 

紗鳥「ああ、わかった」

 

 

ほんの少し、絡転の声色がいつもより優しかったのは気のせいだろうか。

 

それだけ言って、俺達はラウンジを出る。

扉が閉まる直前にラウンジの中を覗いたが、繋守と薬袋、信乃陀と四葩と幕吏は未だ駄弁っている。

ただ、禍賀は変わらずソファで目を閉じたまま寝転んでいた。

 

 

ぱたん、と小さな音。

さっきまで聞こえていた話し声が、扉一枚を挟んだだけで少し遠くなり、くぐもった。

 

廊下は、ラウンジよりも当たり前に静かだった。

中庭の天窓の向こうには、相変わらず作り物の空が広がっている。

アトリウムの天窓だけが今ある本物の天然の光だろう。

 

昨日までなら、この光を見るたびに閉じ込められていることを思い知らされていた。

空があるのに、外へ出られない。

太陽があるように見えるのに、本物の空気には触れられない。

だから、この光が苦手だった。

 

なのに今日は、その光がやけに眩しい。

 

外へ出られないことは何も変わっていない。

ここが牢獄であることも、何も変わっていない。

 

それでも。

 

誰かが笑っている。

誰かが話をしている。

昨日まで傍にいた人間が、今日もそこにいる。

 

それだけで、同じ光が少しだけ違って見えた。

 

きっと、穂堂も、「自分に都合よく考える」ことについては許してくれるだろう。

 

 

遊城「......談話室は、えーっと、こっちだったわよね」

 

紗鳥「ああ。そこを曲がって、目に痛い壁の廊下をちょっと歩いたところ」

 

枢木「目に優しい場所と悪い場所の差が激しいですからね、ここ」

 

 

三人並んで歩く。

誰も急がない。

けれど、誰も立ち止まらない。

靴底が床を叩く音だけが、一定の間隔で響いていた。

 

その途中で、遊城がふと口を開く。

 

 

遊城「あいつ、本当にいるのかしら」

 

紗鳥「燐海?」

 

遊城「そう」

 

 

少し嫌そうに顔を歪める。

 

 

遊城「本なんて読むタイプに見えないのよね」

 

紗鳥「本人が読みに行くって言ってたんだから、読むんじゃないか?」

 

遊城「そこが怖いのよ」

 

紗鳥「怖いって......」

 

遊城「だって鳴佳が言うには、証拠隠滅の仕方が載ってた本でしょ?何考えてるかわかんないあいつが読むのは怖いもん」

 

 

それは、俺も同じだった。

何かを知っているような顔をしてこちらの反応を楽しむ燐海が、何かを隠す術を手に入れる。

これからもどんどん、どこまでが冗談でどこからが本気なのか分からなくなっていく。

 

この前だってそうだった。

俺が拾っていなかった、鳴佳の残したメモ。

メモを拾った人物を、部屋から出させない可能性をあげる為にばら蒔いていたもの。

そして、狙われている人物も、必ずメモを拾うことになる。

 

だからこそ、"拾わない方が幸運(ラッキー)なンだ"、なんて事件が起きる前から言えたのだ。

もし出歩いていても、犯人が1人以上殺すことがないと察していたから。

 

燐海はいつもへらへらと笑っている。

それが怖い。

いや。怖いというより、理解できない。

理解できないものというものは、それだけで不安になる。

 

 

枢木「でも、少しだけ気になることがあります」

 

紗鳥「何?」

 

枢木「燐海さんは紗鳥さんに対して、問題を投げかけることが少なくないな、と。気に入られてるんじゃないですか?」

 

遊城「はっ、あいつに好かれて大変ね」

 

紗鳥「全然嫌だけど......」

 

 

2人の笑顔を見る。

くだんないことを喋る。

少し笑えて、今までの浮遊感は軽くなって、つま先立ちぐらいは出来た心地がした。

 

 

そして談話室の扉が見えた。

閉まっている。

 

 

紗鳥「......」

 

 

俺は扉の前で立ち止まった。

中から、何か音がする。

ページをめくる音。

何か、鼻歌のようなものも聞こえる。

 

 

遊城「......いるじゃない」

 

紗鳥「みたいだな」

 

 

枢木が小さく息を吐く。

そして俺がノックをするより先に、遊城が扉を開けた。

 

 

遊城「燐海?」

 

 

談話室の中には、相変わらず塞がれた窓と、壁一面の本棚。

その前に置かれたソファと、中央には何冊か本が置かれているテーブル。

 

俺が目覚めたあの日から、ほとんど変わっていない。

けれど、あの時とは違うのは燐海がそこに居ることと、読まれている本の存在。

 

燐海はソファに腰掛け、片足を組み、その膝の上には一冊の本。

ページを開いたまま、指先で紙の端を弄っている。

 

鼻歌は止まった。

ゆっくりとこちらを見る。

 

 

燐海「おやおや」

 

 

口元が、いつものように持ち上がる。

 

 

燐海「幸運クンと、玩具職人サンとカウンセラークンまで。珍しい三人が揃ッて、ボクに何の用?」

 

遊城「何の用っていうか......」

 

 

遊城は部屋の中へ入りながら、眉を寄せた。

 

 

遊城「昨日、ここに来て本を読むって言ってたでしょ」

 

燐海「言ったねェ」

 

 

燐海は悪びれる様子もなく、本を持ち上げ、ひらひらと振る。

 

 

燐海「だから読ンでる」

 

紗鳥「......本当に読んでたのか」

 

燐海「ボクが嘘ついてると思ッてたンだ」

 

紗鳥「本は読んでると思ってたけど、お前が嘘つくとは思ってるよ」

 

燐海「酷いなァ」

 

 

くすくす笑う。

その笑い方が、あまりにもいつも通りだった。

それが少しだけ可笑しくて。

同時に、少しだけ安心する。

少なくとも、今は何かを企んでいるようには見えない。

......いや。

見えないだけかもしれないが。

燐海は本を閉じ、表紙を撫でる。

 

 

燐海「でもさァ」

 

紗鳥「ん?」

 

燐海「こういう本ッて面白いよね」

 

紗鳥「何その本」

 

燐海「昔のものからちョッと前の事件まで、色々まとめられた本。迷宮入りのやつとかあッて面白いよ?」

 

遊城「絶対面白くないわよ」

 

 

遊城が否定しても、燐海は楽しそうに笑っている。

 

燐海は本棚へ視線を向けた。

 

 

燐海「誰かが考えそうなことが、実際に起きてるンだよ?人の行動力には惚れ惚れするよねェ」

 

紗鳥「......例えばどんな事件があったんだ?参考になりそうなものはあったか?」

 

 

少しでも燐海が持つ情報を聞いておこうと口を出す。

しかし、燐海は心底楽しそうにこちらを見やった。

 

 

燐海「気になる?幸運クンも見ちャう?さッき眺めてたのはねェ......どっかの学園で起きた事件なンだけど〜」

 

 

燐海は本を持ち直し、パラパラと捲っていく。

そうしてあるページを開いたところで、ずいと見せてきた。

 

その内容は、迷宮入りのマークがついた事件。

とある学園で、女生徒が連続で撲殺されたもの。

窃盗もあったことから犯人は変質者だとして捜索は続けられたが、結局分からずじまいだと。

 

 

紗鳥「何が面白いんだ......」

 

燐海「えェ?ちャンと見てよ。ほらここ、ここ。この本の作者の推理も書かれてるンだよ」

 

 

促されるまま、するりするりと字を滑って下の方へ。

人の死体の写真は見たくなくて目を細めていれば、注釈のような、作者の言葉が書き連なっているのを見つける。

 

『この事件の犯人は、その学園の中に居るのではないか』

 

つらつらと言葉が書かれている中でそんな言葉に目が止まる。

今の状況にも言えてしまうことだ。

 

 

紗鳥「面白いのか...?」

 

燐海「まだまだこういうのあるンだよ?読ンでない本もあるし、当分の楽しみはここに入り浸ることかなァ......」

 

 

そう言って、また本を開く。

どうやら本当に、ただ読んでいるらしい。

少なくとも今のところは。

 

 

紗鳥「......なら、邪魔したな」

 

燐海「もう帰るの?寂しいね」

 

紗鳥「帰るというか、まぁ」

 

遊城「ラウンジに戻るのよ」

 

燐海「ふーン」

 

 

興味があるのかないのか。

燐海はそれ以上何も言わなかった。

 

ただ、本へ視線を落とす。

その横顔は、普段のからかうような笑みとは少し違っていた。

 

本当に、読書を楽しんでいる人間の顔。

 

 

紗鳥(......なんだ)

 

 

拍子抜けした。

また気味の悪い何かに見つめられる感覚がするのかと思っていた。

警戒していた自分が馬鹿みたいに、燐海は読書をしている。

いや、読んでいる本の内容は、決してほのぼのするものではないが。

 

俺たちはそのまま談話室を出ようとする。

 

その時、

廊下の向こうから、ぱたぱたと急ぐ足音が聞こえた。

誰かが走ってくる。

 

少し息を切らした声が、遠くから響く。

 

 

薬袋「...っ、あっ、いた......!」

 

紗鳥「薬袋?」

 

 

薬袋がこちらへ駆け寄ってくる。

髪がまた少し乱れている。

普段なら走ることなんて滅多にしなさそうな彼女が、わざわざここまで来た。

それだけで、何かあったのかと思ってしまって、内心穏やかではなかった。

 

 

薬袋「はぁ.....は、っ......はぁ、」

 

遊城「どうしたのよ、そんなに急いで」

 

薬袋「え、えっと......」

 

枢木「深呼吸してください」

 

 

薬袋は一度だけ深呼吸する。

それから、胸元で両手を握った。

 

 

薬袋「ら、ラウンジに......戻ってきてほしいって......」

 

紗鳥「......何かあったのか?」

 

薬袋「それが、その」

 

 

薬袋の視線が、一瞬だけ俺たちの後ろへ向く。

 

談話室。

燐海。

そして、手元の本。

 

けれどすぐにこちらへ戻る。

 

 

薬袋「その、...モノシープが来て......」

 

 

その名前を聞いた瞬間。

さっきまで緩んでいた空気が、ほんの少しだけ変わった。

 

遊城の表情から、笑みが消える。

枢木も、静かに目を細めた。

燐海も、楽しんでいた読書から興味をこちらへ移した様子で。

 

 

紗鳥「......モノシープが?」

 

薬袋「はい...」

 

 

嫌な予感がした。

それは、昨日からずっと消えてくれない。

何かが始まる前の、胸の奥のざわめき。

 

 

薬袋「みんなを呼んでるみたいです......」

 

 

俺達は顔を見合わせた。

さっきまで、ただ燐海が本を読んでいるか確認するために来ただけだった。

 

それなのに。

 

たった一人の名前を聞いただけで、帰り道が急に遠くなったような気がした。

 

 

遊城「......行きましょ」

 

枢木「そうだね...」

 

紗鳥「ああ」

 

 

三人で頷く。

薬袋も小さく頷き返した。

燐海は本をぱたんと閉じ、ソファから腰を上げ、また楽しそうな顔をして俺の肩を叩く。

 

 

燐海「ヨシ、じャあ出発進行ー」

 

紗鳥「なんでそんな楽しそうなんだ」

 

 

5人で来た道を戻る。

その背後で。

談話室の扉が、静かに閉じた。

先程の何もかもが扉の向こうへ隠れる。

 

けれど。

 

さっき聞いた言葉だけは、頭の中に残っていた。

 

__モノシープが来た。

 

それだけだった。

それだけなのに。

 

どうして、こんなにも嫌な感じがするのだろう。

 

 

 

 

 

____________________

 

 

 

 

 

ラウンジへ戻る道は、来た時よりも長いような。短いような。

 

同じ廊下。

同じ壁。

同じ天窓から差し込む、現実とは少し違う明るさ。

 

ついさっき、ここを通った時は、燐海がどうしてるのかとか、どうでもいいような話をしていた。

本当にどうでもいい話たち。

そのどうでもいいに救われるような、昨日のことを忘れていられた。

少なくとも、俺はそうだった。

 

それが今は、足音が大きく聞こえる。

昨日の記憶が勝手に引きずり出されるような。

 

俯いて、足元を見て、現実を少しずつ踏みしめる。

 

そんな中、燐海は、どこにも繋がっていないヘッドホンのコードをいじりながら、また鼻歌を歌っていた。

 

 

遊城「......あんたねぇ」

 

燐海「ン?」

 

遊城「よくそんな呑気でいられるわよね」

 

燐海「呑気?」

 

 

燐海は首を傾げる。

それから、少しだけ考えるように目を細めた。

 

 

燐海「だッて、まだ何も起きてないじャン」

 

遊城「......」

 

燐海「何か起きてから考えればいいンじャない?」

 

 

あまりにも簡単に言うものだから。

逆に、何も言えなくなった。

 

それは正しいのかもしれない。

まだ、何も起きていない。

 

まだ。

 

その言葉だけを、反芻した。

 

やがて、ラウンジの扉が見えてくる。

薬袋が先に歩み寄り、取っ手へ手を伸ばした。

 

けれど、その前に。

中から声が聞こえた。

 

 

比良坂「だから、何で俺まで呼ばれるんだよ......」

 

遊城「......比良坂?」

 

薬袋「戻ってきてくれたみたいです……!」

 

 

扉を開ける。

 

最初に見えたのは、ラウンジの中央に立っている比良坂だった。

腕を組み、いかにも不機嫌そうな顔をしている。

ただ、その表情とは裏腹で、内心少し寂しかったのかもしれない。

 

そんなことを考えている間にも、比良坂は俺達を見つける。

 

 

比良坂「遅ぇ」

 

紗鳥「悪かったな」

 

比良坂「別に待ってたわけじゃねぇけど......どっか行ってたのか」

 

紗鳥「燐海を探しに談話室に」

 

比良坂「...あいつなら勝手に死んだりしないだろ」

 

遊城「言い方!」

 

比良坂「うーるっせぇ」

 

 

いつもの小競り合いに、ほんの少しだけ空気が緩む。

比良坂は舌打ちをして顔を逸らした。

その横顔を見ていると、なんだか少しだけ安心した。

 

 

ラウンジの中へ入る。

さっきまで散らばっていた人たちは、ほとんどが中央へ集まっていた。

 

繋守と薬袋。

 

幕吏と信乃陀、四葩。

 

絡転はいつものようにカップを手元へ置いている。

 

静寂は少し離れたところにいる。

 

そして禍賀はソファに座っている。

起き上がって、目は開いている。

 

 

そして、モノシープはラウンジの中央のテーブルの上に立っている。

いつの間に置かれたのか、テーブルの上には一枚の紙があった。

白い。

何の変哲もない。

だからこそ、嫌な気配がする。

こういう「何の変哲もないもの」が事件の始まりになる、なんて警戒をしなくちゃいけないことに、いつか疲弊する日は来るのだろうか。

 

 

モノシープ「お帰りなさい。いやぁ、早く集合できるようになってきましたねぇ」

 

 

その言葉に、何人かが反応する。

燐海は笑いながら言った。

 

 

燐海「デバッガーは?」

 

 

ソファから、低い声が飛んだ。

 

 

禍賀「今は放っといてやって」

 

モノシープ「おや?」

 

禍賀「昨日の今日でしょ。来たくないんなら来なくていいじゃん」

 

 

短い言葉だった。

 

けれど、それ以上誰も何も言わなかった。

 

モノシープも、しばらく禍賀を見つめる。

 

そして。

 

 

モノシープ「はぁ......まぁ、いいでしょう。どうせ本日の最初の発表は今の月無サンにはお節介でしょうしね」

 

 

あっさりと引き下がった。

それが逆に不気味だった。

 

 

モノシープ「ではでは、本日の予定を発表しましょう!」

 

 

ぽん、と両手を叩く。

 

 

モノシープ「なんと!」

 

 

大げさに両腕を広げる。

 

 

モノシープ「学園の新エリアを解放いたしまーす」

 

 

一瞬。

誰も反応しなかった。

ぱちぱちー、とモノシープは拍手を求めるように呟いていたが、誰も手を叩くまでいかなかった。

昨日までなら、歓声が上がっていたかもしれない。

その嬉しいお知らせが、どこか遠く感じる。

 

そんな中。

 

 

繋守「......新エリア?」

 

 

繋守は、ぱっと明るくなって。

 

 

モノシープ「そうですとも!」

 

繋守「どこどこ?」

 

モノシープ「それはお楽しみ!」

 

繋守「えー、教えてよー」

 

モノシープ「焦らずとも大丈夫ですよ」

 

 

繋守は少し不満そうに頬を膨らませた。

その横で薬袋が小さく笑う。

 

 

モノシープ「ちなみに、二階が開放されます。そして一階の隅にある開かずの扉のひとつ__」

 

 

意味ありげに間を置く。

 

 

モノシープ「室内プールもあります!」

 

繋守「プール!?」

 

 

今度こそ、声が弾んだ。

繋守は立ち上がりそうな勢いで身を乗り出す。

 

 

繋守「えっ、プールあるんだ!やったー!みんなで入れる!?」

 

薬袋「ぷ、プール......」

 

幕吏「......水着、あるのかな」

 

四葩「学園だし、どこかにあるんじゃない?」

 

遊城「いきなりプールって...」

 

 

言いながらも、遊城の口元には僅かな笑みが浮かんでいた。

比良坂がそんな遊城を冷やかすように笑って、また遊城が比良坂に肘で小突いている。

 

 

信乃陀「いいじゃないですか、親睦を深める会にぴったりです!理解はあまり泳げないんですけど!」

 

幕吏「うん。そういうの、いいかもね...」

 

紗鳥「静寂は入る?」

 

静寂「入らん」

 

絡転「三毛猫の。お主は泳げないのか」

 

静寂「煩い」

 

 

信乃陀の言葉に、少しずつ重なるように声が増えていく。

 

水着はどうする。

誰が泳げる。

そもそもプールがどれくらい広いのか。

 

そんな、どうでもいい話。

どうでもいい話だった。

 

だからこそ。

俺はこんな状況でも笑えた。

俺達は、そんな話ができる。

 

それだけで、十分。

 

十分なのに。

 

 

モノシープ「__さて!」

 

 

その声で、騒々しい会話が途切れる。

 

モノシープはテーブルの上へ手を伸ばした。

白い紙を一枚、軽く叩く。

 

 

モノシープ「そんな楽しい学園生活を始める前に!」

 

 

その言い方に。

嫌な予感がした。

 

さっきまで楽しそうにしていた信乃陀や繋守の顔から、少しずつ困惑の色が見え始める。

遊城も、眉を寄せる。

枢木は何も言わず。

禍賀は相変わらずモノシープを睨みつけていた。

 

 

モノシープ「皆さんに、ひとつだけプレゼントがあります!」

 

比良坂「プレゼントだぁ?」

 

モノシープ「はい!」

 

 

紙をひらひらと揺らす。

けれど、その一枚を配らない。

机の中央へ置くだけ。

 

表面を伏せるようにして置かれている。

裏側しか見えない。

 

それだけなのに。

まるで、そこに爆弾でも置かれているようだった。

 

 

紗鳥「......何が書かれてるんだ、それ」

 

モノシープ「んー、見てからのお楽しみでは?」

 

 

つくづく楽しんでいるような、馬鹿にするような声色でモノシープは言う。

わざといじけたように、角を撫でながら。

 

 

モノシープ「実は、この時点で発表するのは想定されていないんですよねぇ......」

 

枢木「じゃあ、なんで今なんですか?」

 

モノシープ「いやはや、どこかの誰かが ”ボクが全部わかったうえで、てきとーを言っている” なんて言うものですから、そりゃもう、お上から指示されて...!」

 

 

と、モノシープは急にめそめそとウソ泣きをしては、ぱっと顔をあげる。

 

 

モノシープ「ですから!オマエラにとって大事な大事な情報を、学級裁判の正解報酬にしてみてはどうだ、と急遽決まりましてね」

 

燐海「大変だねェ」

 

モノシープ「えぇもう本当に」

 

 

そう言って、何故かバチバチしている1人と1匹に苦笑する。

 

俺達にとって大事な情報。

それが罠の可能性も否定できない。

 

しかし燐海は、くるりとこちらを向いて。

 

 

燐海「じャあ幸運クンが捲ッてよ」

 

紗鳥「え、......え、俺!?」

 

燐海「もちろン、アタリ引けるかもよ?」

 

紗鳥「そういうのないだろ...」

 

燐海「ほらほら」

 

 

燐海が紙を指差す。

その顔はまるで面白い玩具を見つけた子供のようで。

 

断る理由はいくらでもあった。

 

嫌な予感がする。

何が書いてあるか分からない。

モノシープがわざわざ用意したものだ。

ろくでもないことが書いてあるに決まっている。

 

それでも、ここで誰かがやらなければならないのだろう。

 

俺は机へ近づいた。

 

一歩。

 

また一歩。

 

椅子の間を抜け、中央のテーブルへ。

白い紙が目の前にある。

 

指先を伸ばす。

 

紙の端へ触れる。

 

その感触は、あまりにも軽かった。

 

こんな薄い紙一枚で、人間の関係は壊れるのだろうか。

 

昨日まで、俺は知らなかった。

けれど。

昨日で思い知った。

 

 

紗鳥「......捲るぞ」

 

 

誰に言ったのか、自分でも分からなかった。

 

俺は紙を捲った。

 

そこにはたった一行。

大きく、はっきりと。

 

 

『信乃陀 理解は、黒幕側の協力者である。』

 

 

__そう書かれていた。

 

 

 

紗鳥「.........え?」

 

 

声が、漏れた。

何が書かれているのか。

理解するまでに、少し時間がかかった。

 

隣にいた遊城が紙を覗き込む。

 

 

遊城「はぁ?」

 

枢木「......」

 

 

枢木の表情が変わる。

 

幕吏も。薬袋も。繋守も。

一人、また一人と紙へ視線を向けていく。

 

信乃陀だけはその場に立ったまま、困ったように引き攣った笑みを浮かべて。

 

 

信乃陀「皆様......?」

 

燐海「へェ~」

 

 

楽しそうな声。

その声だけが、やけに鮮明だった。

 

禍賀がソファから身体を起こす。

静寂が本を閉じる。

比良坂は、眉間に皺を寄せた。

 

誰も。

何も言わない。

 

たった一枚の紙を中心に。

 

さっきまであった日常が、音もなく形を変えていた。

 

 

モノシープ「いやぁ」

 

 

その沈黙を破ったのはやはりあいつだった。

 

 

モノシープ「驚きましたねぇ?」

 

 

にやにやと、愉快そうに。

モノシープは笑っている。

 

 

さっきまでの空間が、別の場所になったように感じる。

 

繋守が紙から顔を上げる。

さっきまで輝いていた目が、今は揺れている。

 

 

繋守「......ねぇ、これ」

 

薬袋「......」

 

 

薬袋は何も言わず、代わりに、信乃陀を見る。

 

信乃陀は、そこに立っている。

 

いつもと同じ姿。

いつもと同じ服。

いつもと同じ顔。

 

けれど。

 

今までなら何とも思わなかったその明るい表情が、急に分からなくなった。

 

 

信乃陀「......」

 

 

信乃陀自身も、紙を見ていた。

 

目を丸くして。

口元を僅かに開けて。

 

その顔だけを見れば、本当に何も知らないように見える。

 

けれど__

 

それが演技だったら?

そんな考えが、頭の中に浮かんだ。

 

 

紗鳥「......信乃陀」

 

 

呼びかけると、信乃陀の肩がぴくりと揺れた。

 

 

信乃陀「っ......はい」

 

紗鳥「これ、どういうことだ?」

 

信乃陀「どういうこと、と言われましても......」

 

 

信乃陀は困ったように笑った。

 

 

信乃陀「理解には、わかりません。理解できなくて......」

 

 

その言葉は、いつもなら何の違和感もなかった。

 

けれど今は。

その「分かりません」という言葉さえ、何かを隠しているように聞こえてしまう。

 

 

遊城「......じゃあ、モノシープの嘘ってこと?」

 

モノシープ「さぁ?」

 

遊城「さぁって何よ」

 

モノシープ「ボクはただ、情報をお渡ししただけですのでね。真偽のほどはオマエラ自身でお考えください」

 

比良坂「ふざけんな」

 

 

低い声が落ちた。

比良坂は紙を睨みつけていた。

 

 

比良坂「だったら最初から出すな。何の根拠もねぇ情報だけ渡されて、どう判断しろってんだよ」

 

モノシープ「おやおや、オマエラは昨日の裁判では随分と立派に推理していたじゃないですか。人に聞いた話や証拠を使って、ねぇ?」

 

比良坂「事件とこれは話が違ぇだろ」

 

モノシープ「そうですか?」

 

比良坂「......チッ」

 

 

舌打ち。

けれど、その言葉に反論する者はいなかった。

根拠がない。確かに、その通りだ。

この紙には、信乃陀が協力者であるということしか書かれていない。

 

いつ。

どこで。

何をしたのか。

 

何一つ書かれていない。

 

なのに、疑ってしまう。

そのことが、一番怖かった。

 

昨日の裁判で、俺たちは知った。

人は、知らない顔を持つものだ。

普段一緒にいた人間が、何かを隠していることだってある。

逆に、何一つ隠していない人だって。

 

それを知ってしまった後では。

 

「そんなわけない」

 

という言葉が、以前ほど簡単には出てこない。

 

 

薬袋「......で、でも」

 

ぽつりと、薬袋が呟いた。

 

遊城「信乃陀さんが、私たちをここに閉じ込めてる側だった......ってことなんでしょうか...?」

 

信乃陀「違います!」

 

 

即答だった。

今までの柔らかな声からは考えられないほど、強い声。

薬袋は驚いたように肩をビクリと震わせて。

信乃陀自身も、言ってから気付いたのか、目を伏せた。

 

 

信乃陀「......すみません」

 

薬袋「い、いえ......」

 

信乃陀「ですが、それだけは違います。理解は、皆様を騙してなどいません」

 

幕吏「......でも、紙にはこう書いてある、けど」

 

信乃陀「幕吏さん」

 

幕吏「だって......」

 

 

幕吏はおずおずと紙を見る。

それから信乃陀を見る。

 

その視線は、敵意ではない。

むしろ。

信じたいのに、信じていいのか分からない。

 

そんな顔だった。

 

 

繋守「理解くん、昨日もずっと一緒にいたじゃん」

 

信乃陀「はい」

 

繋守「裁判も、みんなでやったし」

 

信乃陀「はい」

 

繋守「......じゃあ、どうしてこんなの書かれてるの?」

 

信乃陀「それは、本当に知らなくて......」

 

 

答えられない。答えることができない。

信乃陀の口が閉じる。

 

ほんの数秒。ただそれだけの間。

けれど、その沈黙が妙に長く感じられた。

 

 

禍賀「......アンタさ、何も知らないなら知らないでいいのに。なーにバカみたいに悩んでんの」

 

 

ソファに座ったまま、片肘を背もたれに乗せている。

昨日までの彼女なら、もっと笑って言い切っていたかもしれない。

けれど今は、声に力がない。

 

 

禍賀「モノシープが言ってるだけでしょ」

 

静寂「......なら、何故あいつはこんな情報を出した」

 

禍賀「知らな~い」

 

静寂「ならば、何のために出したかを考えるべきだろう」

 

禍賀「......めんどーなこと言うね」

 

 

静寂は紙を見る。

それから、信乃陀へ視線を向けた。

 

 

静寂「少なくとも、俺は何も信用していない」

 

信乃陀「......」

 

 

その言葉に、信乃陀の眉が僅かに下がった。

 

 

幕吏「静寂くん......」

 

静寂「事実だ」

 

幕吏「......そう、だけど」

 

 

幕吏は言葉を探している。

いつもの自信に満ちた姿ではない。

 

両手を胸元で組み、指先を何度も絡ませている。

 

 

幕吏「信乃陀くんが、そんなことするようには......僕は、思えないけど」

 

四葩「私も」

 

 

短い言葉だった。

四葩は信乃陀の隣に立ったまま、紙を見る。

そして。

 

 

四葩「......でも、私がそう思うことと、本当にそうじゃないことは別だよね」

 

信乃陀「四葩さん......」

 

四葩「だから、今は分からない」

 

 

その言葉は冷たいようでいて、実際にはそうでもなかった。

疑うことを拒絶しているわけでもない。

信じることを諦めているわけでもない。

ただ、分からないものを分からないままにしている。

 

それだけだった。

そして、それが今は一番正しいように思えた。

 

 

絡転「......なるほど」

 

 

静かな声。

絡転は紙を見ながら、顎に指を添えていた。

 

 

絡転「実に巧妙な紙切れだ」

 

繋守「巧妙?」

 

絡転「うむ」

 

 

絡転は紙を持ち上げることもなく、そこに書かれた一文を眺めている。

 

 

絡転「証拠は何一つない。だが、疑う理由だけは十分にある」

 

枢木「......」

 

絡転「そして疑われた者は、潔白を証明する手段を持たぬ」

 

信乃陀「......はい」

 

絡転「面白いことに、紙切れ一枚でこうなる」

 

 

絡転の声は落ち着いていた。

それが逆に、妙に恐ろしく感じられた。

 

 

絡転「人は己の知っている情報でしか、他者を判断できぬからな」

 

 

俺は何も言えなかった。

自分だって、そうだ。

 

信乃陀について知っていることは。

 

超高校級の信者、そして教祖をやっていること。

人より明るいこと。

人を疑うより先に信じようとすること。

変なところで熱くなること。

間違いがあればすぐ謝れること。

ちょっと変わってること。

みんなで結束しようと提案したこと。

 

それだけ。

それだけしか知らない。

 

だったら。

それよりもっと深いところに、何かを隠していたとしても俺には分からない。

その可能性を否定できない。

 

そう考えた瞬間。

胸の奥が、嫌な感じに冷えた。

 

 

信乃陀「......理解は」

 

 

信乃陀が、小さく息を吸う。

 

 

信乃陀「理解は協力者なんかじゃないです」

 

 

今度の声は、さっきよりずっと真っ直ぐで静かだった。

 

 

信乃陀「それだけは、信じてほしいと思います」

 

 

その言葉に。

誰もすぐには答えなかった。

 

それが、一番残酷だった。

 

昨日なら、誰かが「信じる」と言っていたかもしれない。

昨日までならもっと簡単に、言えたかもしれない。

 

けれど今は。

皆の中に、一度生まれてしまった疑念がある。

それをなかったことにはできない。

 

その沈黙を見て、信乃陀はほんの少しだけ俯いた。

 

 

信乃陀「......そう、ですよね」

 

 

笑おうとしているけれど、うまく笑えていない。

 

それを見ていると、何か言わなければならない気がして俺は口を開きかけた。

その時だった。

 

 

枢木「__待ってください」

 

 

大きな声ではなかったが、不思議と全員の耳に届いた。

枢木はいつものように穏やかな顔をしていた。

ただ、その目だけは笑っておらず、真剣なようで。

 

 

枢木「皆さん、一度落ち着きましょう」

 

遊城「でも、枢木......」

 

枢木「分かっています」

 

 

遮るような言い方ではない。

遊城の言葉を受け止めたうえで、静かに返す。

 

 

枢木「不安になるのも当然です。こんな紙を突然見せられたんですから」

 

 

そう言って、枢木は紙を見る。

 

一行だけの文字。

『信乃陀 理解は、黒幕側の協力者である。』

 

 

枢木「ですが」

 

 

そしてゆっくりと全員を見渡した。

 

 

枢木「ここには、信乃陀さんが協力者であるという“一人の証言”しかありません」

 

静寂「それが何だ」

 

枢木「それだけです」

 

静寂「......」

 

枢木「モノシープが書いたものです。ただそれだけ。ここにいる誰もが確証を得られない。」

 

 

確認するように枢木は言葉を並べていく。

 

 

枢木「それなのに、今ここで信乃陀さんを責めたところで、何が分かるんでしょうか」

 

遊城「......」

 

枢木「何も分からないまま、ただ一人を追い詰めるだけです」

 

 

誰も口を挟まない。挟んじゃいけない気がした。

枢木は続ける。

 

 

枢木「昨日、僕たちは一人を犯人だと決めつけるまでに、何度も証拠を確認しましたよね」

 

 

その言葉に昨日の裁判が、頭の中へ蘇った。

あの裁判場に入ってから、最後に待っていた結末まで。

 

 

枢木「それでも間違えることがあった」

 

 

枢木の視線が、一瞬だけ伏せられる。

月無のことを考えているのだろう。

彼女は、犯人に狙われ、俺達に疑われ、そして心を塞いでしまった。

独りになろうと、俺達を避けている。

 

 

枢木「だからこそ、根拠のない断罪は、暴力と同じだと思います」

 

 

静かだった。

けれど、その言葉だけは、はっきりとラウンジに残った。

 

 

枢木「信じろ、と言っているわけじゃありません」

 

 

信乃陀を見る。

 

 

枢木「疑うな、とも言いません」

 

 

そして、紙を見る。

 

 

枢木「ただ......今は、何も分からない」

 

 

それだけです、と。

 

枢木は最後まで穏やかな声で言った。

 

信乃陀は、しばらく何も言わなかった。

やがて。

 

 

信乃陀「......ありがとうございます」

 

枢木「いえ」

 

信乃陀「信じてもらえなくても......そう言ってもらえたことは、嬉しいです!」

 

 

その笑顔はいつもの信乃陀のものだった。

少なくとも、俺にはそう見えた。

 

ただ、それを見ている俺自身が、さっきまでとは違う。

 

「いつもの笑顔だ」と、そう思うことすら今は少し怖かった。

 

本当にいつもの笑顔なのか。

それとも。

俺がそう思いたいだけなのか。

 

その答えは、まだ誰にも分からない。

 

 

モノシープだけが。

そんな俺達を見ながら、楽しそうに笑っていた。

 

 

 

 

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