白巳津川駅の二階にある改札前で、髪を左にまとめた女の子が駄々をこねている。
「や〜だ〜、あたしもにいやんちに行きたい〜、カカちゃんと
「いい加減、諦めろ。スマシスを3人でやるにはコントローラーがたんねぇよ」
駄々を捏ねる新海天を帰そうとしているのは、兄の新海翔である。
「コントローラーならあるじゃん」
「どこに?うちは本体に挿さってる二つしかねぇぞ」
「にいやんにいやん、二人で遊ぶなら二つで十分なんだよ?」
天が当たり前の事を答えた。
「俺だけ観戦かよ、最低だな、お前」
「違うよ。ちゃんとにいやんも楽しめるよ」
「ほー、2つしかないコントローラーでどうやって?」
「カワイイ妹の応援」
「結局、観戦じゃねぇか!それにおまえじゃなくて、霞花の応援をするわ!」
翔が天の応援を拒否して、霞花の応援をする事を表明した。天は頑として改札へは向かわず、翔へ抗議した。
「絶対に、イヤだぁー。三人で遊ぼうよー」
「はぁ…………。天、真面目な話だよく聞け」
翔が真剣な顔で天の肩を掴んだ。天も只事ではないと思ったのか、神妙な顔で翔の顔を見据えた。翔は天を説得し始めた。
「心配なんだよ、お前に何かあったら。石化事件は知ってんだろ。もしあいつみたいに、お前が石になったらって想像したら……俺は、……俺は、…………」
「お兄ちゃん………………」
「……………」
「いや、石像は無理があるくね?」
「チッ…………」
翔は天の説得に失敗した。天の言い分はもっともである。なぜ兄の部屋に行くだけで石になりえるのか、まるで筋が通らない言い分である。
「ほら、これやるから、今日は帰れ」
「何これ……?」
「肩叩き券」
「小学生かっ。しかもレシートの裏じゃんっ!」
天が裏にボールペンで、肩叩き拳と書かれたレシートをクチャクチャにした。ちっとも食い下がらない天を見て、翔は最終手段を使う事にした。財布からレシートではない物を取り出し、天へと差し出した。
「これでどうだ……」
「ほう、ここで大人しく帰れば、この野口はあたしの物になると」
「そうだ。お前はお小遣いが増える。俺は青春を謳歌する。ウィンウィンだろ?」
天は差し出された野口を、呆れながらも受け取った。そして真剣な顔で口を開いて、翔へ質問をした。
「お兄ちゃん…………、嘘をつかずに、正直に答えて?」
「なんだ?なんでも言え。俺がお前に嘘をついた事が、今までに一度でもあったか?」
「いや、結構な頻度でありますけれども……」
「そうだな、よくしょうもない嘘ついてるわー。それで?」
「カカちゃんに何もしない?」
「しないよ。約束する。指一本触らない」
「お兄ちゃん……」
翔が真面目な顔と声色で、はっきりと何もしない事をカッコよく宣言した。その発言が嘘ではない事を天は確信した。
「カカちゃんから襲われても?」
「それは約束できない」
翔はさっきとまったく同じ声色と顔で、そう言った。
「はぁ?そこも約束しろよぉ!このスケベ男!」
「男はみんなはスケベなんだよっ、据え膳なんて我慢できるか!」
「う〜わ、開き直りやがったよ……こいつ」
翔が堂々としたヤリチン発言に、天が呆れた。しかし今のやり取りで納得した様だった。
「わかりました、わかりました。電車に乗りますよ〜〜、カカちゃんも、どうしちゃったんだが……」
天は最後に様子のおかしなクラスメイトを心配しつつ、改札を通学定期券で通って行った。そしてそのままホームの端へ向かって歩き始めた。
「……………………」
そして天は端に辿り着くと後ろへ振り返った。
「なぜ、兄上がホームに?」
そこには翔が立っていた。何故かわざわざ入場料を払ってまで、ホームに入ってきたらしい。
「お前がちゃんと電車に乗った所を確認する為だ」
「なにも信用されてない……!」
翔は天がしっかり電車にドナドナされて、隣の駅へ運ばれるのを確認してから改札を出た。改札の横ではちょうど霞花が誰かへ電話していた。
「うん、……じゃあね。母さん…………」
霞花は電話を切って、スマホをスカートのポッケにしまった。翔は電話が終わったのを確認してから霞花へ話しかけた。
「今の家族か?」
「はい、母さんです。今日は帰れないって言っちゃいました〜〜」
霞花が極めて軽い調子で、親にお泊まり宣言した事を翔へ匂わせた。
「そ、そうか……ここに居てもしょうがないし行くか、俺の部屋…………」
「はい、是非!」
翔はそんな霞花の態度に動揺しながら、霞花と一緒に駅の階段を降りた。二人は並んで翔が一人暮らししているマンションへ向かって歩き始めた。色んな意味でドギマギしているだろう翔の胸中とは対象的に、霞花の思考はクリアだった。
(家族との別れは済んだ……。あとは一か八かだ。まずは一度部屋に行って、極自然に『災厄の魔女』を引き離す)
部屋に行ったあと外へ遊びに行けば、ぬいぐるみの入った鞄は必ず置いていくだろう。
だが『災厄の魔女』を翔から引き離したとしても、間違いなく翔か霞花へ監視がつく。その監視を妨害する手段も、誰が監視されているのか把握する手段も、霞花には無かった。
(翔先輩との会話は、常に聞かれている事を前提にしなくては……!先輩の部屋まで約十五分、その間に密談する方法を考えるんだ!)
霞花が頭の中で原作知識を総動員しながら、密談方法を考えていた。すると隣を歩いている翔が霞花へと話しかけてきた。霞花は思考を中断させず、適当に会話をする事にした。
「『メビウスリング』好きなのか?」
「いいえ、嫌いです。全話見たので言いますけど、クソですよ、アレ」
その反応に翔が少し驚いた顔をする。彼は一昨日の神社での一幕で、てっきり『メビウスリング』のファンなのだと思い込んでいた様だった。
「意外だ……。神器がーとか、アーティファクトがーとか言うからファンなんだと思ったよ」
「私が興味あるのは、元ネタの伝承の方です。あのアニメは所詮創作物ですから」
これは偽りの無い霞花の本心である。『輪廻転生のメビウスリング』の神器破損と現実の神器破損が一致したのは、ただの偶然なのだ。
ただしアニメの内容は現実で起きている現象に近しい。これはアニメの設定が白巳津川の伝承に忠実であるが、故に起きた必然だ。
白巳津川市の伝承は全て真実なのだ。そこで語られる白蛇様や鬼に関する話は、千年前に実際に起きた事だった。
「あーー、白蛇様が神器を授けたり、魑魅魍魎が暴れたりってやつだろ?」
「ええ、そうです。伝承には不思議な力を持った鬼とか壊れた神器以外の神器も出てくるんですよ?」
霞花は原作知識から知った伝承の一部について説明した。
「へぇー、その鬼の力がアニメだとアーティファクトって事なのか?」
「鋭いですね。その通りです。正確に言えば鬼はクリーチャーの事で、複数ある神器がアーティファクトの元ネタだと思いますよ?」
翔は興味深そうに、霞花の話を聞いていた。それから意を決した様に、自分から重い話を振ってきた。
「ぶっちゃけさ、霞花は石化事件についてどう思ってる?俺、色々と不安なんだけどさ…………」
「まず、本当に石になったのかですね……。普通に考えて人は石になりませんよ」
「だよなーー。俺もまだ死んだなんて、実感全然ねぇよ……」
翔は暗い雰囲気で落ち込み始めた。霞花はそんな翔を放って置けず、たとえそれが嘘でも励ます事にした。
「大丈夫ですよ。仮に本当に石になったのだとしても、理由が分からないんです。もしかしたら急に元に戻るかもしれませんよ?ほら、創作物じゃ石化が解除される話とかアイテムなんて、定番じゃ無いですか」
「あぁー、月の岩とかメッキの針な……」
「それです、それです。次の満月の夜には戻るかもしれないですよ」
しかし霞花の励ましでも、翔の落ち込みは元には戻らなかった。霞花はこれ以上励ましても無駄と判断して、話題を変える事にした。
「翔先輩はナインボールよく行くみたいですけど、あそこでコロナのご令嬢がアルバイトしてるって、噂まじですか?」
「九條の事なら、マジだぞ。そもそもあの喫茶店自体、コロナグループの爺さんが運営してるからな」
喫茶ナインボールは白泉学園から白巳津川駅へ向かう途中にある。コスパの良い値段と豊富なメニューが売りで、学生にも人気な小粋な喫茶店である。翔先輩も含め、学生の常連が何人かいるレベルである。
「凄いですね。せっかくなので、今日行きませんか?」
「いいぞ、後輩だし奢ってやる。このまま寄ってくか」
翔が喫茶ナインボールへ続く道へ曲がろうとしたので、霞花は慌てて提案した。
「先に部屋に荷物を置いてからで、いいですか?部屋は夜でいいので……」
「なら、そうするか〜〜」
暗に夜はそのまま部屋に泊まりますという発言なのに、翔は気楽な調子で了承した。霞花はその反応がちょっと面白く無かった。
(なんか余裕ぶっててムカつく。内心でドギマギしてるの丸わかり、だから別にいいけど……)
霞花は別に翔の部屋にお泊まりする気も、誘惑する気も無いが、異性として意識して貰えないのは乙女のプライド的に嫌だった。
その気もないのに意味深な言動を繰り返して、純情な童貞少年を現在進行形で弄んでいるのに良いご身分である。
「探してたぬいぐるみって、どんなやつだったんだ?」
「普通のぬいぐるみですよ。散々探しても見つからないので、すっぱり諦めました…………」
「そのぬいぐるみってどんな形してんの?」
霞花は翔がぬいぐるみについて、しつこく深掘りして来た事で、ここまで翔と上の空で会話していた霞花の意識が初めて会話の方へ向いた。
(誤魔化してるのになんで、聞いてくるの?まぁ、適当に嘘つけば、良いだけだけど)
霞花は適当にぬいぐるみの容姿について答えた。
「イモテンダーのぬいぐるみです。お気に入りなんです」
「あぁー『ドラファン』のあいつか」
『ドラファン』とは国民的に有名なアクションRPGだ。翔が口にした石化を治すアイテム『メッキの針』もこのゲームの回復アイテムである。
「『ドラファン』好きなのか?」
「ゲームはほとんどやった事ないですけどね。私アニオタなので」
「ふーん……アニメは何が好きなんだ?おすすめ教えてくれよ」
霞花はアニオタなら一度は友達に言われてみたい台詞を言われて興奮した。早口で捲し立てた。
「断然! 『スモールのスモールアドベンチャー』です! 知ってますか、主人公の男の子は女性の声優さんが声を当てられているんですよ?しかも演技が抜群に上手いんですっ!! ノベルゲーム出身な事もあって、キャラの演じ分けと幅がそれはもう——」
「ちょ、落ち着け! 早口過ぎて、なにも分からん!」
霞花は翔のその発言で、オタク特有の早口言葉をしてしまった事に気づいた。
「ご、ごめんなさい。つい……、でも本当に素晴らしい作品なんです。どこかのクソアニメと違って脚本が完璧なので、全100話にも関わらず無駄な話が一話もありません」
「そこまで言われると内容が気になるな。配信サイト契約してるから、今度みてみるよ」
「是非! いつか、一緒にみましょう! なんなら、一話毎に解説をしますよ?」
霞花が熱く推しアニメの話をしている内に、翔の住むマンションが目の前に迫ってきた。それは十階建ての立派なマンションだった。霞花はそのマンションを実際に見るのは初めてだったので、少し感動した。
「結構立派なマンションですね……。家賃高いんじゃないですか?」
「具体的には聞いてないけど、それなりにするらしいぞ。部屋は狭いけどな」
「これだけ立派で新しいならそうですよ。部屋って何階ですか?」
「七階だよ」
翔は答えたあと、エレベーターに霞花と共に乗り込んだ。二人はエレベーターの中では無言だった。エレベーターは途中で止まる事なく、七階に停止した。
部屋の場所が分からない霞花は翔の後からついて行った。翔は真ん中より奥側にある七〇五号室の前で止まり、カバンから鍵を取り出した。どうやら表札がないが、この部屋が翔の部屋らしい。
部屋に入る前に翔が霞花に言った。
「悪りぃけど、入れる前に部屋をちょっと片付けたい。5分くらい、待ってくれるか?」
「えぇ、もちろんです。いくらでも待ちますので、ご自由にやってください」
霞花は翔のその発言に『しめた!』と思った。
(落ち着いて、考えを整理できる!)
翔のカバンの中に忌々しいぬいぐるみがいる所為で、霞花は『オーバーロード』の力を、擬似時間停止を使えなくなっていた。
そのため少しでも落ち着いて思考できる時間が欲しかったのだ。霞花は決して頭が良いわけでない。リアルタイムでの思考能力は凡人レベルだった。
翔が部屋の中に一人で入っていくのを確認すると、霞花は全力で頭を回し思考を始めた。今は思考に使える一分一秒が、この世界の運命を左右する重要な時間だった。
霞花は落ち着いて駅からここまで、翔と歩きながら考えた内容を整理した。
(『オーバーロード』の力を使えば、たとえ監視されていてもバレずに翔先輩と密談をする事は可能。ただ実行時に翔先輩がボロを出す可能性が高いし、『災厄の魔女』に確定でAFユーザーだとバレる)
異世界人は魂の力の揺らぎを観測する事で、対象がアーティファクトを使ったかを判別する事が可能だった。
アーティファクトの力は魂の力をリソースにしている。よって魂の力を変動させずに、アーティファクトを発動する事は不可能なのである。
霞花の翔への接触は原作世界の展開を完全に無視している。イレギュラーな行動を取っている霞花は『災厄の魔女』から見た場合、警戒対象なのは確定的だった。だから魂の力を観測されていないとは考えられなかった。
(問題なのは現時点でAFユーザーだとバレているのか、いないのかという事。私が『オーバーロード』を使ったのは四回……いや、五回か)
霞花が使った時間と内容を頭の中で整理した。
一回目、十七日の契約直後、意識を失った状態で無意識に発動。ナインのいる原作の世界へ繋がるゲートを一瞬だけ開放した。以後ゲートは開かない。
ニ回目、病院の帰り道、駅のトイレで発動。異世界へ繋がるゲートを閉じようと、試みたが失敗した。失敗の原因は『世界の眼』の異常動作と推定される。
三回目、十八日の朝、登校時に『魔眼のユーザー』に遭遇し校門前で発動。
四回目、十九日の放課後前、ホームルーム中に発動。異世界へのゲート閉じようと試みる。しかし『災厄の魔女』による抵抗で失敗する。
五回目、過呼吸が収まったあと思考を整理するために、教室の中で保険医と新海天に見られながら発動。擬似時間停止により、数時間分の思考時間を確保、現状打破のため、新海翔に相談するという結論を得る。
(一回目とニ回目以外で、目視によるAFユーザー断定は不可能。私のスティグマは服で簡単に隠せる位置だ)
霞花は初めて意識的に『オーバーロード』を使った時に、スティグマが体のどこに浮かび上がるのか確認していた。
スティグマの位置はユーザー毎に異なる。もし位置が顔や手の甲などの場合、アーティファクト発動時にスティグマを隠すのはかなり難しくなる。幸いな事に霞花は服で自然に隠せる位置にあった。
したがって三回目以降の発動時に、スティグマを確認するのは不可能である。ニ回目はトイレの個室なので、一般人に見られたとすれば、一回目の時しかない。それも可能性としては低い場所であった。
(一回目とニ回目の時は、まだ原作世界であった展開に介入していない。その時の私に『災厄の魔女』の監視がついていた可能性は限りなくゼロだ……。奴とて無制限に、この街の全員を見張れるわけがない)
『災厄の魔女』の性質上、絶対にゼロとは断定できない。しかし一回目とニ回目では『災厄の魔女』にバレるヘマを霞花はしていないと言ってよかった。問題は三回目以降である。
(三回目から五回目は、周囲の状況を深く考えずに発動させてしまった。今思えばかなりリスキーな行動だ…………)
三回目は恐怖から四、五回目はパニックから、衝動的に発動してしまっていた。かなりまずい行動である。
霞花の頭の良さは主に原作知識や擬似時間停止によって、成り立っている。故にそれらがうまく使えていない時は、軽はずみな行動を取る傾向にあった。
(三回目は『魔眼のユーザー』、五回目は天ちゃん、どちらも監視がついていた可能性が高い相手)
殺された『魔眼のユーザー』は言うまでもなく、新海天もヴァルハラ・ソサイエティのメンバーなので、常に監視が付いていても何もおかしくはない。
(この際、三回目と五回目は発動の瞬間を監視されていた仮定しよう。その場合、重要なのは魂の力の揺らぎまで観測されていたかどうか…………)
異世界人はいわゆる『千里眼』と呼べる力を保有している。だから映像と音声だけなら狙った場所をいつでも見放題である。『幻体』を使えば、複数の地点や人を同時に見張る事もおそらく可能だろう。しかし魂の力の観測はそういかない。
(原作知識からして、一度に観測可能な相手は一人もしくははほんの数人だ……。少なくとも通常の監視よりはずっと対象人数が少ない)
魂の力の揺らぎを観測し、アーティファクトの発動を察知するには、アーティファクトの発動前から対象を観測する事が前提条件である。でなければ魂の力の状態を前後比較をする事ができない。
(楽観的に考えるなら、眼の前にいる今はともかく、三回目から五回目は観測されていなかったと考える事は可能……。でも私ってどう見ても怪しいんだよねー。十七日に翔先輩と会話した時点から、マークされていても不思議はない…………)
霞花が原作世界になかった展開を最初に作ったのは十七日の夜に新海翔と口論起こした時からである。その時から『災厄の魔女』の中で『この子誰かしら?』となっていた可能性は高いといえた。
(仮に私がAFユーザーだとバレているとした場合、私が取るべき事は『オーバーロード』の隠匿だ。他のアーティファクトと契約していると言い張り、そう錯覚させる)
要は『災厄の魔女』を騙すのである。幸いな事に現時点で、霞花のアーティファクトが『オーバーロード』だとバレている可能性はゼロである。
その理由はとても分かりやすい。
(もし私が『オーバーロード』のAFユーザーだと、バレていたらその時点で殺されて、アーティファクトを奪われているはず…………。私が今生きている事が何よりの証明だ)
『オーバーロード』は単体では戦闘の役に立たない。よって今の霞花の戦闘力はゼロだ。襲って殺すのは非常に容易い。『災厄の魔女』もそれは十分に理解しているはずである。
つまり運が良ければ、そもそも霞花がAFユーザーだとまだバレていない。運が悪い場合でも、正体不明のアーティファクトと契約した謎のAFユーザーとしか、思われていないのは確定していた。
(まず想定すべきは最悪のケース……。その場合、私のアーティファクトを何と偽るかが、とても重要だ…………。しかし……)
『オーバーロード』のAFユーザーが詐称可能なアーティファクトなど簡単に思い付く物ではない。少なくとも、擬似時間停止を封じられた霞花には思いつけなかった。
(下位互換である『世界の眼』なら簡単に偽れるけど、アレを騙るのは色々と危険過ぎる…………)
『オーバーロード』が特殊なアーティファクトである以上、その下位互換である『世界の眼』も特殊なアーティファクトであった。
あるいは『世界の眼』が特殊だから、上位互換である『オーバーロード』も特殊であるというのが正しかった。
『世界の眼』を安易に騙る事は、かなりのリスクが付き纏う選択だった。
(やはり『オーバーロード』の力で密談は危険か…………。あの方法だと万が一やっている事がバレた場合『世界の眼』のAFユーザーだとしか、言い訳ができなくなる)
霞花が原作知識から考えだした『オーバーロード』を使った翔との密談方法は『オーバーロード』か『世界の眼』でしか実現できない方法である。
やっている事がバレた瞬間に少なくとも『世界の眼』であると断定されるだろう。それは非常に危険な状況に追いやれる事を意味していた。
(まだAFユーザーだとバレていない可能性も考慮して、普通の方法でなんとか実現を………………………、そういえば……あの時ソフ——)
霞花が原作知識を総動員した末に、僅かな勝機をひらめきかけた時、部屋の扉が開かれた。霞花は思考を中断して、扉の向こうにいる翔へ話しかけた。
「あ、翔先輩はや……!?」
その光景を眼にした瞬間に霞花は自分の愚かさと無能さを心の底から呪った。彼女は扉が閉まっているうちに逃げるべきだったのだ。逃げてタイムリープで少なくとも十八日の夜より前に戻るべきだった。
扉を開けたのはいつもの新海翔だ。彼におかしな所は何もない。さきほどまでと同じ制服姿であり、何も変わってはいない。それは誰から見てもそうである。
問題なのはその先の光景だった。そこには誰が見ても、聞いても、おかしな光景があった。
寝室に繋がるキッチンと兼用の廊下の上には、一頭身のぬいぐるみが立っている、二本の足で。一頭身のぬいぐるみ足など普通はただの飾りである。それで自立する事など構造上考えられていない。だがそいつは確かに自分の足で立っていた。
「いい夢は見れたかしら?でも、残念。今日でお終いね」
翔が投げて渡してきたセンスの悪いぬいぐるみが、ニチャリと邪悪に笑ってそう言葉を発していた。
霞花は最も重要な事をすっかり忘れていた、『災厄の魔女』の性格を。
奴がわざと人に希望を与えて縋らせ、それを眼の前で取り上げて絶望させる事を、この上なく好む腐れ外道なのだという事実を。
(クソがァァァァァァァ!! おまえら、初めからグルかァーー!!!)
霞花は心の中で絶叫を上げた。
彼女が実際に声を上げて崩れ堕ちなかったのは、奇跡としか言えなかった。