隣人が殺されるより隣人が殺人鬼の方が怖い
少女は朝食を食べ終えると母親からお弁当を貰って、いつもの様に家を出た。しかし心無しか元気がなかった。
「行ってきます……」
四月十八日月曜日午前八時頃、
彼女の気分を最悪にさせているのは、年頃の娘らしい貧血や低血圧ではない。昨日ナインによって植え付けられた原作知識でもない。
確かに今夜、第一の殺人事件が起こる事や重要アイテムであるぬいぐるみが見つからなかった事は、彼女にとって頭痛の種である。
しかし彼女の内心で正直割とどうでも良いなぁ〜と気楽に考えていた。
それはどうなっても良いという意味ではなく、どうにかできるという意味だ。
霞花の契約したアーティファクト『オーバーロード』には変則的ではあるが運命を操り、タイムリープする力がある。
だからもし今日、殺人事件を解決できなくてもいつか解決する方法を探し出し、解決すれば良いという安心感が彼女にはある。
もっとも『オーバーロード』の力には『災厄の魔女』に見つかるリスクが常に付き纏う。だから易々とは使えない力だった。
しかしあるとないとでは全く話が違う。実のところ現時点で既にぬいぐるみはともかく、第一の殺人事件を止める事は霞花にはもう不可能だった。
(普通なら、一か八か殺人現場に乗り込んで
『オーバーロード』は極めて強力なアーティファクトだが、単体では戦闘の役には立たない。
つまり今の霞花は易々と使えないタイムリープ能力以外、一般人と何も変わらないのだ。
一方でこれから起こる殺人事件の犯人である通称『魔眼のユーザー』の戦闘能力は、とても高い。タイマンだと勝ち目はゼロである。複数人で囲って、ようやくスタートラインという相手だ。
(味方もいない。戦闘に使えるアーティファクトもない……。こんな状況で勝負を挑んだところで、犠牲者が一人増えるだけ……)
霞花は理性的に今夜起こる殺人事件へ、介入しない合理的な理由を積み立てた。そうする事で見殺しにする罪悪感と登校の不安を紛らわせていたのである。
霞花の家は
制服はおおよそ2種類だ。一つは霞花や新海翔が通う
そして二つ目は黒を貴重とした
他にもそれ以外の制服をちらほら見かけるが、概ねこの2つが大半を占めている。ここは白巳津川駅から遠く、この2つの学園からも距離がある。普通に考えれば、都合よく学園の側にこれだけの学生が住んでいる事はあり得ない。
しかしこの環境こそ、白巳津川市が学園都市と呼ばれている理由である。この街の中にはコロナグループと呼ばれる
その為、周囲に関連企業や従業員の住宅や社宅などが多い。
そしてそういう家の子供が通う学園が、何校も密集しているのだ。もちろん周囲に住んでいる人だけでなく、普通に電車通学している学生もいる、というかそちらの方が大半である。
それでも狭い範囲に色んな学校が密集する為、朝の登校時刻になると周囲はこの様に子供だらけになってしまう。
この街には商業施設や観光スポットと言える物がほとんどない。よって平日は会社勤めのサラリーマンや学校に通う生徒でひしめき合うが、休日になるとそれが一気に消えるという学園都市らしい性質を有していた。
(だからAFユーザーの多くは学生……)
アーティファクトは自ら
アーティファクトが契約者に与える異能力は何のリソースも無しに使えたりはしない。『魂の力』というこの世界の人間には、理解しきれない物を消費して発動する。これは若者ほど強いのだ。
『魂の強さは、心の強さ。心を強く持てば、魂も揺るがない』
『心を強く。何者にも屈することのない、折れない心を』
原作知識の中にある『魂の力』に関するセリフを霞花は思い出した。
(そうだ心を、何者にも折られない心を、それこそが最大の武器になる……)
霞花は心の中で気合いを入れて、白泉学園への道を歩いてゆく。
住宅街から道沿いに進むと途中で、白蛇九十九神社へ繋がる参道が左手に現れる。昨日、翔と霞花が別れた場所だ。
霞花は昨夜の色んな意味で、おかしなテンションだった自分を思い出して、恥ずかしくなりながら道の先にある白巳津商店街へ進んだ。10分程で商店街が終わり、白巳津川駅から伸びる通りに出た。
霞花は人混みで埋め尽くされた歩道をまるでベントコンベヤの様に流されていく。あとは10分程歩いて、
(放課後に神社に行くのは確定として、昼間は何をするべきか……)
霞花が昨日、翔にぬいぐるみが見つからないと、死ぬと言ったのは冗談でも嘘でもない。ただし直接的な生命の危機という意味ではなく、過労死するという意味だ。
(見つからない場合に備える必要がある。その為には仲間がいる)
代替案として可及的速やかに、AFユーザーの仲間を増やす必要があった。しかしそれにはクリアすべき問題が多過ぎた。
(第一の問題は、私はまだアーティファクトについて
原作世界に、霞花の存在はどこにも見当たらない。おそらく
それはこの世界において、彼女のアーティファクトに関わろうとする行動すべてが、実質的な過去改変に該当するという事だった。つまり霞花の行動は『災厄の魔女』に目をつけられる可能性が非常に高いという事をである。
(最悪の場合、もう既に監視されている! だから私は可能な限り、常に偶然を装わなければならないっ)
あくまで偶然に事件へ巻き込まれ、
(自然にアーティファクト関連の事件に巻き込まれる、あるいはアーティファクトが実在すると偶発的に知る、このどちらかが必要だ……)
前者の『自然にアーティファクト関連の事件に巻き込まれる』。これは未来を知る霞花には、かなり簡単だったりする。
(明後日、四月二十日には学校でAFユーザーによる大規模な事件が起きる。コレに巻き込まれれば良い)
だがそれは今日も含めて、三日間の間は何もできないという事を意味した。
だから今日明日中に仲間を増やす為には、後者の『アーティファクトが実在すると偶発的に知る』という案を採用しかなかった。
しかしコレが非常に難しい。なぜなら霞花は
唯一の例外はクラスメイトの新海
(現時点で自分がAFユーザーだと自覚していて、
しかもこの三名は接触自体が難しかった。
(結城先輩はそもそも学校が違う。九條先輩と香坂先輩は二年生と三年生で自然に会うのが難しい…………。仮に運良く出会ったとしても、そこからが一番の難題だ)
どうやってこの三人に、自身が
霞花はAFユーザーだと、自然に暴露させる方法を考え始める。あまりに難しい問題に、意識が集中し過ぎてしまったのだろう。周囲が見えなくなっていた霞花にとって、その事故は不可避だった。
「イテッ」
どうやら考え込む内に霞花は白巳津川を超えて、白泉学園についていたらしい。校門前で男子生徒の背中に追突してしまった。
完全に彼女の不注意である。
「ごめんなさい。不注意でした」
霞花は素直に頭を下げて、男子生徒に謝った。男子生徒は彼女を認識すると軽い調子で言ってきた。
「なんだ。女の子か、男だったら殺してたけど、可愛いから許してあげるよ。キミ名前なんだっけ?確か一年生だよね?」
霞花は恐る恐る顔を上げて、男子生徒の顔を確認した。
>>【登校からやり直す】
「…………ッ!」
激しい頭痛のあと霞花は気付くと、校門前ではなく家の前に立っていた。瞬間移動したわけではない。『オーバーロード』の力で、時間が擬似的に家を出た数十分前まで巻き戻ったのだ。
重要アイテムが見つからなくても、黒歴史が増えても、使う事を渋っていた力を彼女は恐怖から、反射的に使ってしまった。
霞花の気分が朝から最低最悪な理由。それは
『魔眼のユーザー』は霞花や新海翔も通う白泉学園の生徒である。原作世界の彼について言えることは完全に
他人の命を何とも思っていない一方で、病的に自分の命や快楽は大事にしている部分は、正に完全にサイコパスのそれである。
彼が
霞花にとっては、どれもこれも思い出したくない記憶だった。
一応『災厄の魔女』と比較すればマシな存在とは言える。気軽に
だが正常な感覚からすれば両者はどんぐりの背比べだ。
だから霞花は『お前もくたばれ!』と『魔眼のユーザー』に言いたかった。原作世界で最後まで裁かれず、逃げ仰せた奴に対する霞花なりの正当な評価である。
彼にも『オーバーロード』を絶対に渡してはいけないと霞花は考えていた。『厄災の魔女』にくらべればマシだが、惨劇しか生まないのは目に見えているのだ。
(『災厄の魔女』は不老……、だから『オーバーロード』を手にして暴れ始めると誰にも止められなくなる……。でも『魔眼のユーザー』は
そんな相手に不意に遭遇して名前を聞かれた時、反射的に『オーバーロード』を使ってしまった霞花を誰が責められようか。
実際その判断は正しかった。彼に目をつけられる
彼と同じAFユーザーだとバレなければ平気だとか、そういうのは一切通用しない。相手がAFユーザーだと知ればアーティファクトを奪う為に殺す。AFユーザーではなくても気分で殺す。そういう手合いである。
最初の被害者、今日の夜に殺される女生徒が彼の知り合いである時点でヤバさが際立っているのだ。
しかも理由がアーティファクトの力で
誰が聞いても
霞花は『オーバーロード』で彼との出会いをなかった事にしたあと、細心の注意を払って登校した。そして一年D組の教室へ辿り着き、自席へ突っ伏した。
(朝から命懸けのスニーキングミッションとかやめてほしい……。しかもこれが毎日続くとか本当に最悪だ…………)
早くも、彼女の心は折れかけていた。