ようこそ一之瀬がハッピーエンドを迎える教室へ 作:スカビオサ
私の人生は小学校も中学校も順調だった、そう言って良いと思う。
男の子にも女の子にも、たくさんの友達がいた。スポーツは苦手だったけど、中学では陸上部に入って、勉強と同じくらい頑張った。
中学3年生になった時には、念願だった生徒会長になることも出来た。
私の家庭は母子家庭で裕福では無かったから、学費が家庭の負担になるからと高校を諦めようと思っていたけど、私立の高校へ特待生として入学することで、学費を免除してもらいながらも高校へと進学できることになっていた。
けれど、そんな順調な生活は、私が犯した一つの過ちによって崩れ去った。
中学3年生の夏、妹の誕生日が近かったある日、ずっと働き詰めだったお母さんが倒れた。中学1年生、普通ならもっと甘えてもいい年頃なのに家庭のことを思って、ずっと我慢してきた妹、そんな妹に初めて欲しいものが出来た。妹の大好きな芸能人が身に着けていたヘアクリップ。ヘアクリップにしては高価だったから、お母さんも無理をしてシフトを入れて働いていたんだと思う。
今でも覚えてる。病室のベットで泣きながら謝るお母さん。そんなお母さんにありったけの罵声を浴びせて泣いていた妹の顔を。
だから私は誕生日当日の放課後、デパートに足を運び、妹が欲しかったヘアクリップを盗んだ。初めての犯罪、それは誰にも見つからなかった。帰宅した私はすぐに塞ぎ込む妹にヘアクリップを渡した。妹の喜ぶ顔に罪悪感が一瞬薄れたけど、後から罪悪感はどんどんと増していった。妹にはヘアクリップのことを秘密にしておくように言ったけど、妹はそのヘアクリップを身に着けて、お母さんの見舞いに行った。仕方ないよね。妹はそのヘアクリップが盗んだものなんてこと知るわけもないんだから。その時、私は初めて本気で怒るお母さんの顔を見た。当たり前だよね、お金も満足に持っていない私が買えるような代物じゃないってお母さんが何より知っていたんだから。私をひっぱたいて、妹からヘアクリップを取り上げ、まだ入院していなきゃいけなかったのに、お母さんは私を連れて店へと出向いた。土下座をして謝罪した、その時に私は罪の重さを初めて理解した。結局、お店の人は私を警察には突き出さなかった。けれど騒動は瞬く間に広がって、私は中学3年の半分を引きこもって過ごした。けど、学校の先生にこの学校の存在を教えてもらったことで、もう一度やり直そうと決めた。この学校は入学金も授業料も免除される。私の過ちで失った、お母さんと妹の笑顔を取り戻すために。
そうして、もう一度やり直すために私はこの高校に進学した。中学生の頃みたいにクラスを引っ張って、胸を張れる自分になるために。
木之原君や神崎君と協力して、クラスメイトにお願いをして、みんなが応えてくれて、BクラスだったのにAクラスに上がれたのは嬉しかった。
でも何もかもがうまく行く訳じゃなかった。私は中学校の時のように、生徒会を志望したけど、入ることができなかった。原因は分からない。最初は単に能力不足なんだと思ってた。堀北会長も南雲副会長もすごい人だから。でも、木之原君たちと話した時、何か他に原因があるのではという言葉を聞いて、もしかしたら中学3年生の時の不登校が原因なのではないかと思った。私は私の罪を再度突きつけられた。忘れていた訳ではない。向き合うと決めたはずだった。けれど、みんなとの楽しい日々に罪の意識が薄まっていたのを自覚した。過去は追ってくる。罪は消えない。
一度考えてしまうと、悪い考えが止まらなかった。私は自分を変えたくて、この学校に入り、リーダーもやった。でもこれは自分を変えたいというエゴに過ぎないのではないかと。誰が犯罪者に率いられたいと思うだろうか、ましてやお金に等しいプライベートポイントを預けるなんて。私は自分がリーダーでいる自信を失った。それでも代わりがいなければ、私はクラスの為にリーダーを続けようとしたかもしれない。私がリーダーを辞めれば、混乱が起きる、理由だって説明しないといけないだろう。向き合うと決めたはずなのに、私は逃げたかったのだ。自分を慕ってくれるみんなに嫌われたくないと。理由を話せば、嫌われるに違いないから。
幸か不幸か、このクラスには私の代わりにリーダーが出来る子がいた。彼ならみんなも納得するだろう。代わりなんて失礼か、私以上にみんなを導くことが出来る人、クラス躍進の真の功労者、木之原君だ。だから、リーダーは木之原君に譲ろうと思った、彼ならみんなをAクラスに連れて行ってくれる。あとはタイミングだけだった。急にリーダーをやってなんて言ったら、警戒させちゃうだろうからね。
でも、その時はすぐやってきた。星之宮先生から連絡があって、私と木之原君が生徒会に入ることになったこと、そして私が合格したのには木之原君の関与があったことを伝えられた。それを聞いた時、やっぱりリーダーは彼が相応しい、素直にそう感じた。だから彼を呼び出して、彼にリーダーをお願いしようとした。結局、それも逃げだったんだろう。彼には全て見抜かれていたのかもしれない。
私は話し始めた。誰にも話さず抱えて生きようと思った過去を。
一之瀬さんは過去を語り出す。
一之瀬さんは母子家庭で金銭的に余裕が無かったが、それでも不幸だとは思わず過ごしていた。私立の高校へも特待生での入学が決まっており、限られた選択肢の中、順調だったように思える。中学3年生の夏、妹の誕生日プレゼントのため、働き詰めだった母親はとうとう体調を崩し、妹はプレゼントを貰えなかった。泣いている妹のため、一之瀬さんは盗みに手を出した。妹は大層喜んだが、そんな高価なものを買えるわけがないと知っていた母親に盗みがばれ、店に出向き、謝罪をした。そこで許されたため、警察沙汰にはならなかったが、騒動は広まり、一之瀬さんは今までの信用を失った。そうして中学3年生の夏以降、引きこもるようになったと。それでもやり直すためにこの学校に入学したらしい。
全てを告白した一之瀬さんは声を押し殺して泣いていた。
同情する要素はある。私欲のためで無く、彼女は妹のために犯罪に手を染めた。今の彼女を見て、僕はその行為を否定できない。でも罪は罪、彼女の中ではそうなのだろう。法的に償う罪が存在しないことは何の関係もない。
どれだけの時間が経っただろう、落ち着いたようで一之瀬さんが話し出す。
「これで分かったでしょ?私はリーダーなんてやるべきじゃない、だからお願いできないかな。君になら託せるんだ、みんなのこと。」
「一之瀬さん、君は諦めるのか?何のために高育に入ったんだ?」
敢えて高圧的に煽るように言ってやる。
「勿論、やり直すためだよ。でもそれが間違ってたのかもしれない。結局、私のエゴだったのかも。こんな私がみんなから信頼される資格なんて無いんだよ。」
「エゴで何が悪いんだ。犯罪者は自分のしたいことすら否定されるのか?そんな訳がないだろう。君は半年間も悩み続けた筈だ。自分を許せないと言うなら今はそれでいい。けど逃げるのはやめろ。ただ罪の意識に苦しんで、それから楽になろうとしているだけじゃないか!」
「だったら...だったら...どうすればいいの、罪は消えない、過去は消せないんだよ!?」
日頃、見ることの無い表情でこちらに叫ぶ。苦しそうな顔だ。
「立ち向かうんだ、クラスからの信頼が苦しいとしても、そのまま進め。やり抜くんだ。いつか、その足跡を振り返った時に、きっと自分を許せるようになる。過去は消えない、変えられない。だから未来を変えるしかないんだよ。」
毅然と主張する。逃げ道は作らない。逃げさせない。
沈黙が続く。寮の周りには人一人おらず、この空間には僕たち二人だけだ。
「木之原君はひどいね。私はこんなにもつらいのに。逃げさせてくれないんだ。」
彼女は観念したように言う。
「ここまで言ったんだ。責任は取る。一之瀬さんが辛い時は支える。耐えられなかったら、頼ってくれていい。」
「でも逃げるのだけは許さないんだ。」
「一之瀬さんが自分の罪にすぐ終止符を打てるなら、こんなことは言わない。でもそうじゃないんだろう?」
「そうだね、今までずっと抱えてきた。他の人から見たら大したことじゃないのかもしれない。でも私は覚えてるんだ、本当に悲しそうなお母さんの顔を。意味も分からず泣きじゃくる妹の顔を。」
「せっかく、ここに来たのに。また逃げようとしていたみたい。ありがとう、止めてくれて。」
どうやら何とかなったらしい。こっそりと息を吐く。
「ねえ、クラスのみんなに、このことを話そうと思うんだ、協力してくれる?」
「あれだけ言っておいてなんだけど、まだ早いんじゃないかな?いつか話すべき時が来る。それは間違いない。けれど…」
僕としては罪悪感に向き合いながら、クラスを導いてくれるだけで十分だと考えていた。少しずつ積み上げる。強固な絆はどんなことがあっても壊れないだろう。例え事実が明かされようとも。その絆こそ一之瀬帆波が逃げなかった証、罪に立ち向かった印なのだと。そう思えるんじゃないかなと。
「ごめんね、ここまで言ってくれたんだ。もう逃げたくない。例え、クラスのみんなからの信頼を失っても、私はまたそれを取り戻すよ。それこそあの時の私が出来なかったことだから。」
どうやら意思は固いらしい。
「分かったよ。明日の朝のホームルームの時間を貰おう。」
拒絶されることはないだろう、同情に値する背景もある。早速、一之瀬さんが築き上げてきたものが、どれだけの物か実感することになりそうだ。一之瀬さんはベンチから立ち上がりながら、振り向いて言う。
「ねえ、それでもし私がひとりぼっちになっちゃっても、木之原君は一緒にいてくれる?私の味方で居てくれる?」
ひとりぼっちだなんて、十中八九そうはならないだろうが…
「またみんなと仲良くなれるまで、ずっと付き添うよ。味方で居る。」
「そっか、それなら少し安心かも。本当はね、怖い。怖いけど君がいてくれるのなら頑張れるかも。」
控えめに笑う。不覚にもドキッとしてしまった。どこか蠱惑的なそんな表情。
場に似つかわしくない思考を霧散させ、僕も立ち上がる。
「ねえ、葵君って呼んでもいいかな?」
これは信頼してくれたと思っていいのだろうな。
「勿論。お好きなように。」
「そっか、じゃあ私のことも帆波って、そう呼んで?」
夜が悪さしている。何気ない発言もどこか妖艶に感じる。
「それは…そもそも女性を下の名前で呼ぶことないから…」
努めて心にセーブをかける。
「あはは、困らせちゃったね、徐々にで良いから!じゃあねー!」
いつもの一之瀬さんのような雰囲気が戻ってきた。大きく手を振りながら離れていく。実家のような安心感だ。
僕も手を振り返す。とはいっても寮は同じなんだけどな…エレベーターで鉢合わせすると気まずいし、少し遅らせてから行くか。
夜だと言うのに、春だからか、寒さは感じなかった。