少しだけ自傷の描写があります。ご注意ください。
暑い日が続き、外から帰ると真っ先に風呂場へ行くことが増えた。シャワーで汗を流し、全身を洗って剃刀を手に取る。
お風呂場はいい。いくら濡れても、汚れても掃除が楽だから。証拠の隠滅に適している。
左手首に剃刀の刃が触れ、少し添わせるように動かせば皮膚が切られてポタリ。ポタリと血が流れて落ちる。
痛い。ヒリヒリと手首が痛む。感情はほとんど失ってしまったけど、痛みがないわけではない。
この痛みが私を引き戻す。
いつも全てを俯瞰して見ている私が、この痛みを感じる時間だけは私の内に戻ってくれる。少しだけ、本当に少しだけだけど、感情がわかる。共感できるようになるから。
人間に模倣し続けるためには必要なことだ。
もう3年はこうして過ごしている。そのせいで痛みに慣れてしまって、いつのまにか痛みを感じるために数回は切るようになってしまった。
あまり日に当たらない左腕の肌は無数の赤い線、盛り上がった傷痕。人の目にあまり触れないこの腕は、姉さんにだけは見られたはないものだ。……でも、最近は暁山瑞希と神代類にもあまり見られたくはない。
換気扇を回しているとはいえ、部屋の中がだんだんと鉄臭くなってきた。
フラッシュバックが起きる前に傷口を丁寧に洗い、流れ出た血もシャワーで綺麗に洗い流してから風呂場から出る。
脱衣所で体を拭いて、切った場所には用意しておいた包帯を巻く。袖が捲れてしまっても見えないように、怪我をしているからでもよし。そういうキャラクターを描いているからでもよし。意外と怪しまれないものだ。
「…………汚い、なぁ」
流れ出な血は少し黒くて。でも、絵で表現される血は赤くて、鹿野ちゃんの血も赤くて……。私だけ、体も人間じゃなくなったみたいじゃないか。
時間は……、まだ大丈夫そうだ。今から用意をして行けば予定の時間までには余裕で間に合うだろう。
姉さんは父さんのお見舞いで病院に行ってるし、朝比奈まふゆはまだ学校の時間だ。まだまだ帰ってこない。半袖のシャツを来て台所に向かう。
冷蔵庫からきゅうりとハムと卵を取り出す。飾りがそこまでなかったとしても、暑い時期にはこれだろう。
今日の夕飯は冷やし中華だ。
少し電車に揺られ、自然が少し見え始める場所。
大きめの倉庫が建てられており、私は扉を開け、電気をつけた。
月に一度整理をしに来るとはいえ、大量の絵とマネキン。衣装棚が並べられている。
床にはカーペットが敷かれており、その上を透明のビニールシートが張られている。
ここが私の、空亡としてのアトリエ。大きめの作品を作るときに作業をする場所であり、広い倉庫の一画に建てられた部屋は、防音室になっており、その中にはドラムセットやエレキギター、エレキベース、カホン、キーボード等の楽器類が収められている。
パソコンに、音響機器なども別室にはあり、ここで音源を撮ったり、楽器を演奏したりしている。
今日ここに来たのは他でもない。私の新刊、詩集が新たに出版されるので、出版社の方から「自分で告知してください!」、「偽物を疑われて困ってるんです!」との苦情をいただいたので、私自ら告知をしなければいけなくなった。
別に売れなくても困ることはないが、売れて困ることもない。なので、今回は配信をしながら告知をしてみようということになった。
普段、配信をする時は大体自室に鍵をかけて行う。しかし、今は朝比奈まふゆが家にいるし、姉さんも声を出すことが増えたので配信に声が乗っても困る。
ということで、配信用に回線を通した
配信の告知はしていないし、したところでいつも使っているサイトから離れるつもりもない。大手動画サイトは色々設定し直さないといけなくて面倒だし、慣れた場所の方がやりやすい。
カメラをセッティングして、パソコンと接続させ。マイクの音響確認をして……。準備にも手間がかかる。まあ、今回は告知配信なのにゲリラを本気でやるという馬鹿げた内容なので人は集まるんだろうか。
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配信をつけていつものように作業椅子に腰掛ける。顔は顔布で隠し、スマホを操作してSNSで配信を始めたことを投稿して待つこと3分。
同接数が増えていきコメントが流れ始める。挨拶だったり、空亡への質問のコメントが流れ続ける。
さあ、告知のための枠を始めようか。
2時間ぐらい軽く歌って、雑談して最後に告知をすればいい。
「……やあ、観覧者諸君。体調は如何かな。私は、見ての通り元気だよ。今日はゲリラではあるが、告知のための配信だ。雑談もする予定だから、楽しんでいってくれると嬉しいな」
『珍しいですね、教祖が雑談するなんて』
『雑談ってことは、色々質問に答えてもらえたりするんですかね?』
『一年ぶりの配信だー。元気そうでなにより』
『初見です』
『初見』
『何歌うのー』
『告知……。まさか、とうとう個展が』
「……質問に答えるか。ねえ……まあ、答えられる範囲であれば答えるよ。告知の内容についてはお楽しみ」
『アーカイブ残る?』
『アーカイブはどうするの?』
『アーカイブは残らんじゃろ』
「……そうだね。アーカイブは残さないよ。この時間も花火のような作品だからね」
花火は打ち上げて、
つまり、アーカイブを残すつもりはない。今までだって残したことはないし、これからも残すつもりはない。
「……さて、何を歌おうか。リクエストはあるかい?」
『始めはテンションの上がる歌行こうか』
『バグ』
『千本桜行こう』
『ロキを一人で歌ってほしい』
『マトリョシカで』
王道だねえ。ボカロばっかりだ。まあ、知ってる曲なら歌えるから良いけど。
『アイドル』
……知らないタイトルもある。少なくともボカロではない。
「……じゃあ、最初の曲はこれにしようか──」
まあいいか。とりあえず、別のを歌っていこう。
1時間ぐらい歌って水を飲んでいた。久しぶりの配信は意外と体力を使う。話す内容も慎重になるし、変なコメントを拾わないよう、コメントの選別も流し見をしながらしなければならない。
うん、疲れる。主に頭が。
「……深夜だけど、同接が2000ぐらいか。みんな暇なのかい? 明日も平日のはずだけど」
『明日は休みなんだ』
『たまたま有給なので』
『いつまでも休み』
『仕事しながら聞いてる』
『教祖の声に癒されております』
「……こんな時間までお疲れ様です。過労にはお気をつけて。体を壊したら元も子もないからね」
父さんのようにストレスと疲労で体も精神も病ませては行けない。残された者は辛いんだから。
『教祖が優しくしてくれるぞ』
『ニーゴから来ますた』
『空亡様はいつもお優しい』
『教祖が優しい声をかけてくれると聞いて』
『ああ、教祖様の生声が聞こえる』
『ニーゴから来ました』
……信者が集まり出したな。私を崇めたところで何のご利益もないのにね。
まあ、『教祖』は、私を表す隠語のような者らしいし、別にいいけど。『様』をつける人たちは、若干過激なところがある。別のところで積極的に悪さをする人達ではないけど、ニセモノと判断したモノを徹底的に叩き潰す。
そのせいで残明を出版する時に出版社が炎上した。そして、炎上を止めるために開設したアカウントも燃やされた。
急遽配信をしてことの経緯を説明。次このようなことがあれば、活動を引退すると宣言した。その結果だいぶ大人しくはなったけど、いまだに作品が投稿されるたびに過剰なほどの賞賛を受ける。怖いからやめてほしい。
ん? 『ニーゴから来ました』って。
「……ニーゴから来ましたって人がチラホラと。ニーゴも配信してたりするのかな」
『鳩さんか』
『鳩はお帰り』
『ニーゴも配信してるから』
『Amiaが「空亡が配信してる!」って言ってたから来ました』
「……よく来たね、いらっしゃい。ゆっくりしていくといいよ」
「……だからか」
Amia『やっほー、ちょっとだけ失礼するよー』
『空亡。Kの楽曲歌ってたから、向こうに認知されてるんかな』
『Amia本人きてるじゃん』
『作業配信中なのに……』
「……いらっしゃいAmia。配信の方は良いのかい?」
Amia『休憩中に覗いてるだけだよ。休憩が終われば戻るよ』
「……そう。じゃあ、Kに伝言頼めるかい?」
Amia『Kもコメントしてないだけで見てるから、直接言えば?』
ああ、何だ。姉さんも見てるのか。
「……K。うさぎさんには、今家にあるモノをあげてほしい。ちゃんと保管してあるから」
K『わかった』
『なんだ? 空亡は今家にいないのか?』
『仲良いじゃんか。コラボとかしないの?』
『空亡とニーゴのコラボを希望』
「……コラボはしないよ。まあ、家じゃなくて、今はアトリエで配信してるから。預かってるうさぎさんのことを頼んだよ」
『空亡が預かってるのに世話を知り合いに任されるうさぎさん』
『うさぎさん呼びなの可愛い』
『教祖様はウサギをうさぎさんと呼ぶ。Wikiが更新される予感』
『やっと更新されるんか』
空亡のWikipedia。情報がなさすぎて名前とどんな作風の人物かしか書かれていない。これから誤った情報が加えられるらしい。
結局、3時間配信をした。
配信の後は、片付けと絵を描いて夜を明かした。