ランクルクが目覚める10分前。騎士団駐屯地、二階、休憩室。
ムジカ・オルドスは、ソファーの上で寝転がっていた。
「あー、ねんむい」
床には騎士鎧が散らばっており、彼女は普段着に着替えている。
休憩室の中にはムジカ以外に人はおらず、彼女は休憩室の中で女王が如く君臨していた。
ソファーの前にはテーブルが置かれ、茶菓子が置かれている。
ムジカは寝転がりながら菓子を貪り、自堕落の限りを尽くしていた。
そうしてだらけていると、扉の向こうから誰かがこちらに向かって歩いてくる音が聞こえてきた。
一応は勤務中である今、このだらけ切った姿を他者に見られるのは、ムジカ的にはまずかった。
急いで落ちている騎士鎧を拾い上げ、てきぱきと着替えていく。
音が聞こえてから五秒後、休憩室の扉が開く。
入ってきたのは、黄色髪の女であった。
「こんにちは、ムジカさん」
「よ、よっす……」
やや息切れした様子でムジカは挨拶を返す。
その姿には騎士鎧を身に纏っていた。
「どうしたの? なんだか疲れているみたいだけど」
「い、いや別にぃ? ちょっとさっきの戦いの傷が痛んだだけで何もないけどぉ?」
上ずった声でお茶を濁す。
黄色髪の女は少し不審そうな顔をするが、特に追及もせず、別の話に切り替えた。
「ともあれ、お疲れ様でした。茶を淹れたのですが」
彼女の手には盆があり、その上でポッドが一つ、ティーカップが二つ乗っていた。
「もらうもらう」
黄色髪の女はティーカップをテーブルに置くと、茶を入れ始めた。
「聞きましたよ。頭を負傷したとか、そちらは大丈夫なのですか?」
「あはは、全然無事。硬い、しぶとい、くたばらないのが、私の強みだからね。こんぐらいで死んでたら帝国騎士第三位の称号が軽くなっちゃう。つっても第三位だからそこまで重い称号でもないけど、ナハハ」
自虐交えて一人笑うムジカを横目に見ながら、黄色髪の女はカップに茶を入れると、ムジカに渡した。
「ありがとさん」
グイっと、優雅さのない飲み方で茶を飲んでいく。
それを見て、一瞬戸惑ったような顔になるが、すぐに、薄い微笑みに変えた。
「正直、私なぞよりも、クレスさんの心配をしてほしいもんだけどね」
ここまでの軽薄な言葉とは違い、妙に憂鬱さを帯びた表情でムジカは呟く。
今まで見せなかったムジカの表情に、黄色髪の女はそこが妙に気にかかり、聞いてみることにした。
「驚きました。正直、ムジカさんは他人の生き死にをあまり気にしない人だと思っていました」
「私だって人から生まれたんだよ、人の心くらいあるって。まあ、それ抜きにしても他人事じゃないんだけど」
「どうしてですか?」
「いやさ、私ってば一年前からバゴイス卿に頼まれてここで働いているわけじゃん。クレスさんのことをお願いって頼まれてるんだよねー。……騎士が人を守れないなんて名折れでしかない」
真剣な表情でそう答えるムジカからは、確かな信念のような物が垣間見えた。
それがムジカ・オルドスという人物の一面なのか、あるいはそういうフリなのか。
どちらにせよ、黄色髪の女には関係のないことだが。
「心配せずとも、クレス卿にはすぐに会えますよ」
「断言するねえ」
ムジカは元のおちゃらけた様子に戻っていた。
黄色髪の女は部屋に立てつけてある時計を眺める。
「きっと彼も待っている筈ですよ。冥府で」
突如、ムジカの体に激痛が走る。
体の内側にマグマを注入されたかのような溶ける感覚が全身を駆け巡り、思わずムジカは座っていた椅子から崩れ落ちる。
「がふっ」
倒れ込んだ衝撃で、口からおびただしい量の血が飛び出し、床を血に染める。
床に伏せているその間も体を溶かすような痛みは続き、痛みのあまり意識が飛びそうにどうにか引き留めながら、自身の身に起きた状況を推測する。
――毒か!
一拍遅れて、自分の身に起きた異変を理解する。
長年、鍛錬を積みある程度の痛みには耐えることの出来るムジカでも、毒が齎す根源的痛みを抑えることは出来ない。
「確かに、本当に貴女は人から生まれたようね。こうして毒が効くのですもの」
嘲笑が混じった声色で黄色髪の女が嗤う。
指一本として動かせず、床に倒れたままのムジカの頭を黄色髪の女は力強く踏みしめる。
頭が床と擦り合わされ、頭蓋が圧迫される痛みが脳に伝達されるが、それ以上に押し寄せる毒の強い痛みが全身を埋め尽くし、結果的に無反応にさせる。
「魔界に現生する何百種もの劇毒で調合した、邪龍さえも殺す毒よ。貴女の為に態々用意したのだからしっかりと味わってから死になさい」
ぐりぐりと足で頭を押され続け、視界がぼやけ始める。
どうにかこの状況を打開しようと体を動かそうにもぴくりとも動かない。
――ああ、ちくしょう。こりゃあ……駄目だ
手足の先端の感覚がない。
思考もまとまらず、意識が保てない。
だんだんと世界が白んでいき、
ムジカ・オルドスは動かなくなった。
◇
ランクルクが地下牢で目覚めてから15分後。騎士団駐屯地正門前。
アランの先制攻撃から五分が経過し、戦場は凄惨な光景となっていた。
地は裂け、巨大な剣、大氷塊が辺りに突き刺さり、四方八方に火が上がり、火種となった者を燃やし続けている。
阿鼻叫喚の地獄じみた状況であるが、不思議なことにこの地獄に応対するスライム騎士たちの反応は酷く冷ややかで、悲鳴一つとして挙げたりはしなかった。
ただ淡々と、正門前に立つ男を見据えている。
「こんなに物静かだと、逆に怖いね」
この状況を作り出した張本人は、状況の奇妙さに恐怖を吐露する。
今の所、アランの肉体には傷1つとしてついていない。
彼の創造する魔剣によって一方的に蹂躙され、その数は五分前と比べて明確に目減りしている。
にも関わらず、逃げる者、怯える者はおらず、こちらに向かい続けている。
――人間相手じゃないなら気楽かなとか思ってたんだけど、そんなわけないよね
アランは実の所、戦いが得意な人間ではない。
能力としての話ではなく、気質としての問題だ。
弱い者いじめをするのは気が引けるし、人を殺すことには覚悟がいる。
元が日本生まれの現代人の為、根本が平和主義なのだ。
この世界で生まれ育ち17年が経ち、倫理観や死生観はこの世界に適応出来てきてはいるが、それでも最後の一線を越える事にも躊躇いがある。
人を殺すことでいちいち気に病んだりはしないが、出来る事なら殺したくないというのが彼の本心である。
だが、相手がスライムだと分かっている今回は何の迷いもなく力を行使できる。
そんな彼の内心など気にするはずもなく、スライム騎士たちは次々と襲い掛かる。
ばっ、と五体ものスライム騎士が同時にアランへと跳びかかり、各々手を伸ばす。
彼等は剣を利用しない、上位スライムにとって最も切れ味が高く、広範囲に届き、使い勝手が良いのは自分の肉体に他ならないのだから。
上位スライムの触手は鋭く、鉄を容易く貫ける。
生身の人間程度ならばバターも同然だ。
青白い触手達が迫る。
それに対し、アランが取った行動は、それに向けて剣を振るうだけだった。
逆手に握る剣の剣身は白く、普通の剣のそれよりも一際強い純白で、雪を連想させる。
アランが生み出した純白の魔剣、その名は、
「氷界剣」
剣から冷気が発生し、スライム騎士たちを包み込む。
冷気を当てられたスライム騎士たちの体はすぐさま凍りつき、固まり始める。
接触から一秒も経たず、五人のスライム騎士たちは行動不能となった。
「ヴンッ!」
剣を逆手から正常に持ち直し、冷凍スライムたちを薙ぎ払う。
パリィィィィィィン
スライムたちは氷のように割れた音を立てて崩壊する。
氷界剣、読んで字のごとく氷を司る剣。
吹雪を起こすことも、相手を氷像に変えることも出来る属性剣の一振り。
そんな氷界剣はすでにボロに刃こぼれしており、もう使えない。
アラン・セノアックの特典『武具創造』は無から武器を造り出すという、この世の理に反する力だが、何も制限が無い訳ではない。
彼は一秒という短い時間で武具を造ることが可能だが、能力で造られた魔剣の耐久性は、製造までにかけた時間に左右される。
一秒で造られた武器など、一度振るえば壊れてしまう程度だ。
武器としては大きな欠陥だが、あくまで左右されるのは耐久性のみであり、魔剣の効果などには何の問題もない。
連続創造のデメリットも無い為、アランはこれを使い切りの武器として扱っている。
剣士とはあまりにかけ離れた戦法だが、彼は剣士であったことなど一度も無い。
そもそも、彼は剣を振るのが得意ではないのだ。
「招雷剣」
武具の名をつぶやきながら、新たな武器を創造する。
剣身は黄色く、バチバチと稲光を纏っている。
剣を天高く掲げれば、たちまち空には暗雲がたちこめる。
上空からバチバチと音が鳴れば、すかさず雷がスライムたちへと向かって落ちてきた。
招雷剣。
雷雲を発生させ、雷を操ることが出来る。
――さて、見えてる敵も結構減って来たけど。いつ来る?ムジカ・オルドス……
圧倒的優位に立つアランであるが、その内心は大分緊張していた。
転生者であるアランは、おおよそ万能ともいえる能力を持ち、当然のことながら負けたことが無かった。
本人の気質もあり、大それたことをするつもりはなかったが、可能不可能でいえば国家転覆も出来ると思っていた。
だが現実はそう甘くは無かった。
ムジカ・オルドスという実力者と相対し、全能感が剥がれ落ちた今、代わりに彼にあるのは自戒の念と次は負けないという覚悟であった。
今も、いつ奇襲を受けても問題ないよう警戒し続けている。
――当初の予定では僕が暴れることで、雑兵や
ここまで荒らしまわっても、いまだ、ムジカが出てくる気配はない。
よもや、こちらの思惑を察してムジカを守備に回した、という可能性がよぎる。
――そっちに関しては問題ないと、クレス・パラトスが言っていたけど……
突入前の作戦会議で可能性を検討した時、クレスは力説していたことを思い出し、何かしらの手があるということは把握していたが、万が一という事もある。
どちらにせよ、ムジカが来ないというのならやることが変わってくる。
あぶり出しが無理なら、ここに居座る理由も無い。
「予定変更、一気に攻め落とす!」
イメージを空想し、新たに魔剣を創造する。
突入後を見越して、敢えて製造に時間を掛ける。
このタイミングでスライム騎士たちが攻撃してくる可能性もあるが、自分と彼らの距離は離れており一瞬で詰められる事は無いと判断した。
実際、彼らが飛び込んでくる様子は無い。
――ん待てよ、何か様子が変だぞ。
確かにこちら側に攻め入る動きは見せないが、立ち止まり、こちらを見ている訳ではない。
彼らは何故か、ひとところに集まり、身を寄せ合い始めている。
騎士鎧を身に纏う彼らがもみくちゃに集まるせいで、集まり内側は潰れてしまっている。
「な、何をしているんだ?」
妙に奇怪な行動であったが、不思議な事に、既視感があった。
それは昔、どこかで見た何かに似ていた。
何が何で何なのかを頭から掘り起こしている最中も、スライム達は集合を続けていた。
集まり続け、蠢動するその姿はもはや一つの生き物のようにも見え――
――あ、分かったぞ!あれだ!
その光景を見て、彼の中でシナプスが繋がり、思いだす。
前世、友人の家で遊んだテレビゲーム、そのワンシーンに似たような物があった。
それらは集まると、一つの強力な個体として変生した。
冠を抱いたその様はまさしくスライムの、
「グォォォォォォォォォォ!!」
「スライムじゃない!?」
スライムではなかった。
それは手と繋がった巨大な翼を持ち、二本の足で立ち、前に長い顔をした巨大な怪物の姿をしていた。
端的に表現してドラゴンだった。
よく見れば体色が青っぽく、ところどころ粘ついているが、それは確かにドラゴンと形容するにふさわしい形態だった。
面食らうアランだったが、落ち着いて考えると好都合な事に気づいた。
「いいね!こっちの方が手っ取り早い!」
啖呵を切って笑うアランの手には、創造が終わった剣が握られている。
剣を構え、アランは竜へと駆けだした。
・『アークスライム』
・魔界に生息するスライムの上位種。
・その下級種との違いは、自身の肉体を自由に動かせることにある。
・己の肉体に魔力を通すことで、不定形の肉体を強化し、武器と変ずることを可能にした。
・大半のスライムに自我はなく、より上位のスライムからの命令か、生存本能以外で自発的行動は行わない。
・自我が無い為、自他の境界が無く、寄り集まって一つの強化個体になることが出来る。
・これはアークスライム以降の、成長し自我を獲得したスライムには出来ないことである。