魔法少女を辞められない。 作:魔法少女って良くない?
苦しい。息ってどうやって吸うんだ?
真っ暗。目ってどうやって開くんだ?
苦しい、暗い、怖い、死にたくない、まだ生きていたい。生きていたい? 生きるって何だっけ──。
俺は、オレは、オレって何だ?
何もわからない。何も思い出せない。何も感じない。
──。───、──────。────。
何か、聞こえる。聞こえる?
ああ、これは。オレを、ワタシを、呼ぶ声だ。ワタシは、そう、私は行かなければならない。
行かなければならない、行かなければならない? どこへ?
浮遊感。俄に上と下が分かたれる。何か大きな力が、強烈に私を引き上げる。
唐突に、すべてを理解した。私は、俺は、目覚めなければならない。
────五感が戻る。半覚醒の意識が、何か息苦しさを伝える。なにかが顔を覆っているらしい。手を上げて探ると、なにかふわふわしたものに触れた。ぬいぐるみ?
「おい、オマエ。起きろ。寝コケてんじゃねーよ」
なにやらコミカルな高い声が聞こえたが、気にせず顔の上に乗った何かを引っ掴んでどけた。
「このクソ野郎、もっと丁寧に扱いやがれ! これだから野郎は嫌いなんだ!」
はっきりとしてきた視界に、白いふわふわとしたぬいぐるみが映る。こんなファンシーなもの、俺は持っていないはずだ。
「いつまで寝ボケてんだオマエ。放せよコラ、放せつってんだろオイ!」
掴んでいるファンシーなぬいぐるみが喋ったことを理解するのに、数秒かかった。はあっ!? 喋った!?
「うわ喋った!?」
驚きのあまり、思わずそのまま放り投げてしまった。いや、ちょっと待て、今の声は何だ? 俺の声じゃない。高い声、女の子のような声だ。
「オマエ投げやがったな!? 天下無双の愛らしさを誇るこのメルシー様を投げやがったな!?!?」
ファンシーな見た目とどこかコミカルな高い声。しかしその口調はひどく荒々しい。いや、待て。メルシー? そうだ、このふわふわしたのはもしや昨日の妖精だろうか。赤い魔法少女といたときの頭の軽そうな口調は完全に鳴りを潜め、ヤンキーじみた喋り口は酷く不釣り合いに聞こえる。
「完全にキレた、もうキレた。このメルシー様の恐ろしさをオマエに叩き込んでやる、リスクリベレ・イルス・エンティタテム!」
ファンシーなぬいぐるみ改めメルシーは、何かを唱えた。しかし、何も起こらない。
「何も起こらないな」
「ハッ、何も起こらない? これだから蒙昧な人間種は困る」
「どういうことだ?」
思わず俺が疑問を口にすると、メルシーは短い腕を組んで不敵な笑みを浮かべた。
「愚昧なオマエにもわかるように端的に言ってやろう。網笠怜悧は死んだ。網笠怜悧という人間は存在しないことになった」
そんなはずはない。現に今ここで生きているではないか。そこまで考えて、ふと最悪の可能性が脳裏を過る。今の俺は本当に
「ハッタリはよせ」
強がって虚勢を張ってみせたが、声が震えているのは自分でもわかった。力強さの欠片もない、弱々しい少女の声だ。自分の手に視線をやれば、小さく柔らかな手が、固く握られて震えていた。
唐突に強烈な違和感が全身を駆け巡る。おかしい。この体に
「ハッタリではないことくらい、いくら迂愚なオマエでも気がついているはずだ」
目の前の白い塊──メルシーが不気味に笑う。今はただこいつが恐ろしかった。思えば、昨日の化け物はまだ人知の及ぶ存在だった。大きいから強い、速いから強い。子どもでもわかる簡単な道理だ。
だが、これはなんだ? まるで意味がわからない。全くなにもわからないまま、俺はこの白い塊に生殺与奪を握られている。愛らしい見た目すら、いまでは只管に不気味だ。
「なっ、な。一体全体、何が目的なんだ!? 俺が何をしたっていうんだ?」
「はン。オマエが何をしたかなんて興味ねェよ。ただちょうどいいところにお誂え向きの
あまりにも他人事のような言いぶりに、目の前が真っ赤になった。
「ふっざけんなよォォォッ!俺は、お前の玩具じゃねえ!今すぐ元に戻せよッッッ!」
メルシーは俺の怒声を鼻で笑うと、心底楽しそうに笑った。
「アハハハハッ、ハハハハッ、ハハッ、アッハッハッハッハ、これは傑作だなァ。オマエのような下等生物、このメルシー様が玩具にして何が悪い? だいたいさっきからオマエ、下等生物の分際でこのメルシー様にデカい口を叩きすぎだ。反省しろよ」
そう言うと、メルシーは愛らしい声でなにか呟いた。意味はわからないが、なにか強烈に嫌な予感がする。
「エクセンテラーレ」
その瞬間、全身に激痛が走る。まるで生きたまま八つ裂きにされているような、内臓を刳り貫かれているような強烈な痛み。あまりの苦痛に、口から悲鳴が漏れた。体が意志を離れてのたうち回り、生理的に溢れた涙で視界が滲む。俺のその姿をみたメルシーの哄笑する声が聞こえる。
「アハハハッ、アハハッ、アハッ!どうしたニンゲン、なんか言ってみろよオイ!アハッ、キャハハハッ、ギャハッ、ギャハハハッ!」
何かを言っているが、何も理解できない。苦痛で意識が朦朧とし、思考の脈絡が失われる。俺はただ、この苦痛が終わることを祈るしかなかった。
「────かひゅー、かひゅー」
どれだけ時間が経っただろうか。いつの間にかベッドからも落ちて、俺は床に身を横たえていた。精根も尽き果て、体はもう動かない。喉は枯れ、ただ息の通る音だけが口から漏れる。そうなってもしかし、苦痛は終わらなかった。
もういっそ殺してほしい。そう願うようになった頃、メルシーの舌打ちとともに責め苦は終わった。
「チッ。反応がないとツマンネェな。もういいや、フィニーレ。オイ、寝るんじゃねェ。起きろ、エクスキターレ」
朦朧としていた意識が現実に引き戻される。思考が急速に脈絡を取り戻し、自分が人間であることを思い出した。
「オイ、死んでないよな?」
メルシーが俺の顔を覗き込んでいる。さっきまで指一本さえ動かすことが億劫だったのに、少しの疲労感すらない。絶叫に枯れていた喉も今はすっかり元通りになっていた。けれど、俺はメルシーを睨みつけることすらできなかった。メルシーが与えた苦痛は、俺から抵抗の意志どころか反骨心さえも圧し折ることに成功していた。
「……なんだよ、もう、放っておいてくれ。お願いだから元に戻してくれよ……」
床に蹲りながら、俺は弱々しく呟く。その声を聞いたのか、メルシーは少し考える素振りをした。そして、虚空から何かを取り出すと、俺の目の前にそれを投げつけた。
「ほらよ」
小さな、淡い水色の宝石だ。身を起こしてそれを拾い上げ、まじまじと見つめる。よく見ると、宝石の内部にはなにか複雑で立体的な模様が刻み込まれていた。幾何学的なそれは、なにか回路のようにも見える。
「……これは?」
「魔法少女の変身アイテム、ってヤツだ。握り込んでみろ」
言われた通り、右の手のひらでそれを握り込む。すると、なにかを吸われるような感覚がして、宝石がじんわりと暖かくなった。唐突にピコンという音がして、目の前に一冊の本が現れる。本はひとりでに開き、ページが勝手に捲られていく。そして、あるページを開いたところで本は動きを止めた。
『魔法少女〈名称未設定〉。名称が設定されていません。』
合成音声のような──あるいは合成音声そのものの女性の声で本が告げる。俺が何かを言おうとする前に、メルシーが口を挟んだ。
「心配するな。オマエの名前はもう決まっている。オマエは魔法少女アクアオーラだ。いい名前だろ?」
『名称が更新されました。魔法少女アクアオーラ。パスフレーズを更新します。〈鏡花眩く舞い狂え〉』
アクアオーラ。水晶に色を付けた人工の宝石の名前だ。メルシーによって創られた俺には、確かにぴったりな名前。ははっ。思わず自嘲と諦念が混じった笑いが漏れる。
「網笠怜悧は死んだ。そしてハッピーバースディ、
オマエの頑張りによっては元に戻れるかもなァ。メルシーが嘲るように告げる。こうして、
可愛い顔してえげつないことするマスコットって良くない?
きゅうべぇとかファヴとかすき。