魔法少女を辞められない。 作:魔法少女って良くない?
転入生という身分は、俺にとっても経験がないものだった。だから、こうして教室の外で先生から呼ばれるのを待つ時間が酷く緊張を強いるものだというのは、想像こそすれど実感としてあるものではなかった。
人間万事
「網笠さん、入ってきてー」
我が身に降り掛かった不幸を嘆いていると、ようやく教室の中から声が掛かる。やや遠慮がちに扉を開いて中に入ると、注目が一身に集まるのを感じる。やはり転入生というのは特別な存在なのだろう。教室はどこか浮ついた空気で満ちていた。
先生に促されて、震える手を抑えつつ黒板に大きく名前を書く。振り返って皆の方を見ると、遠慮のない好奇の視線に身が竦んだ。俺だった頃には平気だったはずなのだけれど、どうやらわたしは注目を浴びるのが苦手なようだった。いや、俺だった頃は平気だったというよりも、むしろ鈍感だったというべきだろうか。
自己紹介で話すことは考えていたはずだった。けれど頭が真っ白になって言葉は出てこないのに、あまりの情けなさに涙は出そうになる。ここのところ、俺の大人としてのプライドはズタボロになるばかりだった。俺は仮にも社会人としてそれなりにうまくやってきたはずなのに、わたしはどうしてこんなに何もうまくできないのだろうか。
つと、肩に手がそっと置かれるのを感じた。驚いて先生を見上げると、先生はこちらを見て微笑んでいる。不安と緊張で冷え切っていた指先が温度を取り戻し、ほんの少し心が軽くなる。勇気を振り絞って皆の方に向きなおった。
「あの、えと、網笠、零です。よろしくおねがいします」
どうにか自分の名前だけ言って、頭を下げる。一拍の後、教室中が拍手で包まれた。万雷の、とは言わずとも十二分に暖かなその歓迎の拍手に、内心でそっと胸を撫で下ろす。どうやら、ファーストコンタクトはうまく行ったみたいだった。
わたしが席に着くと、ホームルームが再開する。明日からの授業のことや、年間の行事予定、それに受験のこと。一瞬懐かしさに浸ってしまいそうになって、はっとした。これは、わたしにとっては未来のことなのだ。俺が失ったものの大きさを思って、わたしは小さく嘆息した。
ホームルームは程なくして終わった。さっさと帰ろうと思って配布物を纏めていると、わたしのまわりに人だかりができていることに気がついた。
恐る恐る顔をあげると、まわりから矢継ぎ早に質問が飛んでくる。
「前はどの学校にいたの?」
「あ、」
「かわいい!彼氏いる?」
「えと、」
「好きな芸能人教えてー」
「ちょっ」
「どこ住み?」
「まっ」
「インスタ交換しよ!」
「その、」
「趣味とかある?」
「あうぅ」
次々と飛んでくる質問の数々に、わたしの頭はあっさりと
半泣きで完全に困り果てていると、ぱん、ぱんと2度手を叩く音がして、人だかりに活発そうな少女が割り込んできた。彼女の気の強そうな表情に一瞬身構えてしまう。しかし、彼女はわたしをどうこうしに来たわけではなかった。
「ほらほら散った散った!コラそこ男子、セクハラすんな!見てみなよ、網笠さん泣きそうになっちゃってるじゃん!」
彼女の言葉に、クラスメイトたちが少し申し訳なさそうな空気を漂わせる。なんという恥さらしだろうか!俺の年齢で考えれば、彼ら彼女らは優に10は年下なのだ。その彼らに泣かされそうになる?あまつさえその年下の少女に守られて安堵するとは!今すぐ舌を噛み切って死んでしまいたい。
「大丈夫?ごめんね、怖がらせちゃって。あたし、
猪口さんはわたしを伺うように顔を覗き込みながら、質問いいかな?と訊く。わたしがおずおずと頷いたのを見て、彼女は振り返って言った。
「はい注目!質問は順番にひとり一個までね!あと男子共、網笠さんがかわいいからってセクハラしたらあたしがぶっ殺すのでそのつもりで!」
じゃあ右端熊平から順番に、と猪口さんはてきぱき仕切る。彼女の放つ陽の空気に気圧されそうになるが、努めて気を強く持つ。
「はいはいはい!じゃあズバり、前はどこ中?」
「え、通ってない……」
威勢よく訊かれたその質問に、思わず脊髄反射で答えてしまった。一瞬で教室の空気が凍りついたのを感じる。マズい、何か言わなくては。
「あ、えと、違うの、まって、そうじゃなくて、その、わたし、異界に囚われてたから……」
ある意味でこれは嘘ではなかった。5年前に魔物が現れて以来異界に囚われた人は一定数いて、わたしも記録の上ではそういうことになっていた。だが、学校に通ってなかった言い訳にこれはマズかったかもしれない。わたしに質問を投げかけた男子生徒は、あからさまにやらかしたという顔をして固まっている。
「あはは……。あー、こほん。じゃああたしから質問いい?」
猪口さんが少し気まずげな顔をして尋ねる。わたしは、一縷の望みに賭けて頷いた。彼女ならこの空気をどうにかしてくれるはず……!
「その、さ。趣味とかってある?なにか好きなこととか」
「趣味……?えっと、特にないけど、あ、でも、昔はゲームとかしてたかも。Vertexとか」
あ。これは俺の趣味だった。わたしには少し似合わないかもしれない。慌てて軌道修正すべく、付け足して言う。
「えと、お兄ちゃんとよく遊んでたの」
わたしの言葉に、教室の空気が和んだ。お兄ちゃんっ子だと思われたのかもしれない。まだ大丈夫、いける。わたしは少し自信を取り戻した。猪口さんは少しニヤリと笑ってわたしに訊いた。
「へー。お兄ちゃんと仲いいんだ?」
大ぽかだ。わたしとして正直に答えれば、きっとまた教室の空気がお通夜になってしまう。わたしは、少し考えてから顔を反らして言った。
「そんなことないよ。普通」
ブラコンが照れ隠しをしていると思ってくれればいい。間違っても、その「兄」が死んでいるなんて知られるよりはマシだ。どうやらわたしの試みはうまくいったらしく、猪口さんは完全に悪ノリしているようだった。彼女はニヤニヤとしながらわたしをからかう。クラスメイトたちもそれに乗っかって、わたしをからかうような視線を向けてきた。ブラコンだってイメージがついてしまったかもしれないけれど、可哀想な子だという扱いを受けることは避けられそうだった。
そのあと、流石に
「網笠さん、ちょっといい?」
なんだろう?なにかすこし嫌な予感がした。わたしは、身構えながら恐る恐る頷く。
「メル、出てきて」
猪口さんがそういうと、彼女が肩から掛けていた鞄がごそごそと動いて、中から何やら白いふわふわとした物体が飛び出してきた。わたしは、嫌な予感が見事的中したことに絶望した。
「ぷはー。ルビーはそろそろぼくのことぬいぐるみ扱いするのやめてほしいミ〜」
メルシーは猪口さんのことをルビーと呼んだ。ルビーと呼ばれた少女とメルシーの組み合わせに、わたしはつい2週間ほど前のことを思い出した。ルビーブロッサム。目の前の少女、つまり猪口さんこそが俺を助けた魔法少女の正体なのだろう。
「ごめんごめん。で、メル。結界お願い」
「まったく、ルビーはもう少しぼくを敬ってもいいと思うミ〜」
その様子に、わたしは小さな引っ掛かりを覚えた。猪口さんは随分とメルシーと親しげに見える。彼女は、メルシーのことを友人に近しい存在として扱っているように思われた。わたしの心に、小さな疑心が生まれる。
「スキンダトゥル・ロークム」
メルシーが呪文を唱えた瞬間、教室が静寂に包まれた。校舎の外にまだ残っていた生徒の声、風の音、草木のざわめき、鳥の鳴き声。すべての音が消えて、世界から生気が失われる。今ここには、わたしと猪口さん、それにメルシーだけが存在していた。猪口さんがぽつりと呟く。
「コンジェリート・マギア。焔華遍く乱れ咲け」
刹那、教室は眩いばかりの光に包まれた。猪口さんから放たれる赤い閃光は、実体を伴って嵐のように吹き荒れる。きれいに並べられた机は揺れ、窓ガラスはびりびりと身を震わせる。目を強く閉じて耐えていると、不意に嵐が去って、教室は再び静寂に包まれた。
目を開けると、あのときの魔法少女が立っている。濃い桜色の髪を腰まで伸ばし、赤いドレスを身に纏う。桜色の双眸に強い意志を宿した彼女は、姿こそ違えど確かに猪口さんだった。
花だ。はしなく、そう思った。春の麗らかな陽射しのもとで、彼女は咲き誇っていた。
ルビーブロッサムは柔らかく微笑んでわたしに手を差し出す。
「あたしは魔法少女ルビーブロッサム。あなたのことはメルから聞いてるわ。仲良くしましょ、アクアオーラ」
次回、初戦闘。5月22日予定。