魔法少女を辞められない。 作:魔法少女って良くない?
わたしの中学生としての生活が始まってから、3日ほど経った。
猪口さんはなにかとわたしのことを気にかけて、手助けしてくれている。メルシーの手先なんじゃないかと疑う気持ちはまだ残っているけれど、彼女に心を許しはじめているわたしがいるのも否定できはしなかった。
メルシーはといえば、最近はいたりいなかったりで、前ほどべったりとわたしを監視しているわけではなかった。何をしているのか知らないし興味もないけれど、急に現れるのはやめてほしい。転移魔法に特有の小さな破裂音を聞くたびに、わたしは心臓が止まりそうな思いをしているのだ。もっとも、メルシーはわたしがびくびくと怯える様子をみて面白がっているようなので、わたしがやめてくれと頼んだところで意味はなさそうだけれど。
そういえばここ2週間くらい、この街には魔物が出ていないらしい。報償金が少なくなると猪口さんが愚痴っているのを聞いた。魔物が出現する時間は特に決まっていない。早朝に出現することもあれば、深夜に出現することもある。それどころか、学校があるような昼間にだって出現することもあるのだ。一体どうやって魔法少女は学校生活と両立しているのだろうか。
その疑問を解消する機会は、案外すぐに訪れた。
お昼休みが終わって、午後の授業が始まった頃。不意に胸元のデバイス──例の魔法少女の変身アイテム──が熱を帯びた。その刹那、教室が静まり返る。あたりを見れば、さっきまで授業を受けていたはずの教室にはわたしと猪口さんだけが残されていた。
混乱していると、ぱちんと音がしてメルシーが現れる。それを見た猪口さんは魔法少女ルビーブロッサムに変身した。
「コンジェリート・マギア。焔華遍く乱れ咲け」
おろおろしていると、メルシーがわたしの方を振り返って言った。
「今回からはアクアにも魔法庁から出動要請がかかっているミ〜、アクアも急ぐミ〜!」
猪口さんの前だからかメルシーはバカっぽい口調で話している。けれど、メルシーの目は明らかにわたしを脅しつけていた。
慌ててわたしは胸元からデバイスを取り出し、左手で軽く握りしめた。すると、目の前に本が現れてページが開く。無機質な女性の声が脳内に響いた。
『魔法少女アクアオーラ、認証開始。コンジェリート・マギアの実行権限を確認します。続行するには、パスフレーズを入力してください。』
パスフレーズ? と一瞬疑問に思う。だが、唐突に1つのフレーズが脳裏に浮かび、意識する間もなく反射的に口からこぼれ落ちた。
「コンジェリート・マギア。鏡花眩く舞い狂え!」
『認証に成功しました。コンジェリート・マギア、起動。』
果たしてそれは、確かにパスフレーズだったらしい。目の前の本が光を放ち、周囲の時間の流れが緩む。そして着ていた制服が解け、無数の輝く粒子となって消えた。入れ替わるように青の光が全身を包み込み、淡い水色のドレスとして像を結んだ。やがて光が収まると、時の流れが戻る。
気付けば、わたしは魔法少女アクアオーラになっていた。少女趣味のドレスはたっぷりとフリルがついていて、まるでお伽話のプリンセスだ。ドレスの裾はパニエに押し上げられてふわりと広がっていて、軽やかさを演出する。絢爛としたドレスはその見た目に反してわたしの動きを一切邪魔立てすること無く、意識しなければ存在を忘れてしまいそう。シルクのように艷やかな生地も、しかしたっぷりとした布の量感とは裏腹にその重さを全く感じさせなかった。
メルシーはわたしが変身したのを確認すると、何も言わずに転移魔法を起動した。誰もいない教室の景色がぶれ、混ざりあって黒になる。須臾、すべてが黒から分かたれて色彩を取り戻すと、わたしは林の中に立っていた。木々は青々と茂り、陽射しが林冠に遮られて薄暗い。地面は柔らかくふかふかとしていて、分厚く落ち葉で覆われている。少し油断すれば足を滑らせてしまいそうだ。
「ルビー、アクア、今回のはC級だけど、B級手前くらいの反応があるミ〜。気をつけるんだミ〜」
「ま、いい感じにやるわ。エクスピコール・ホステム」
ルビーブロッサムが呪文を唱えると、彼女から何かが放たれるのを感じた。周囲の木々が一瞬淡い桃色に染まり、次の瞬間にはもとの色に戻る。しばらくして、ほど近い場所に桃色の光の柱が立ち上がった。
「見つけた。アクア、飛べるわよね?」
ルビーブロッサムがわたしを振り返って訊く。しかし飛ぶ? どうやって? 人に翼は生えていないのだ。わたしは首を傾げた。その様子に、彼女は少し呆れたような顔をして言う。
「あー、まあ、そういうこともあるわよね。いいわ、『飛ぼう』と思いながらデバイスを軽く握ってみて」
言われたとおり、わたしはデバイスを軽く握りしめる。すると、例のごとく無機質な女性の声が言った。
『戦闘補助システムへの要求を承認。
すると、わたしの体がふわりと浮き上がった。まるで重力の
一体、このデバイスはなんなのだろうか? その疑問に答えるように、無機質な女性の声が脳に流し込まれる。
『インストゥルメントゥム・ファブリス・ゲミナンディス ver 1.27.5613。本装置の固有番号はFI-38q4-298です。契約者の要求により、詳細仕様書を開示します。第一章第一節。アクセスが拒否されました。有効な許可がありません。第一章第二節。アクセスが拒否されました。有効な許可がありません。第一章第三節。本装置は未知覚知的生命体の契約者と妖精の担当官との契約に基づいて個別に発行される装置であり、無断での譲渡及び貸与並びに解析及びその他本装置に対する許可されないアクセスは禁止されています。第一章第四節。違反した場合聖令に基づいて異端審問の対象となる場合があります。第二章第一節。本装置の外観は勿忘草色の球状結晶体で、直径0.122ペース、重量0.198リブラです。第二章第二節。本装置の動作保証最低温度は摂氏-273.15度、動作保証最高温度は摂氏1500度です。第二章第三節。本装置の最大定格魔力流は8337.92ビレス毎秒です。第二章第三節。本装置は設計上最大で1620.15リブラ・ペース・ペース毎秒毎秒の物理衝撃力に耐えることができます。第二章第四節。本装置は設計上最大で43214197.61ビレス・ビレス・ペースの概念衝撃力に耐えることができます。第二章第五節。本規定以上の衝撃力を受けた場合本装置は破損する可能性があり、また本装置に対するいかなる保証も無効となります。第二章第六節。アクセスが拒否されました。有効な許可がありません。第二章第七節。アクセスが拒否されました。有効な許可がありません。第二章第八節。アクセスが拒否されました。有効な許可がありません。第二章第九節。アクセスが拒否されました。有効な許可がありません。第二章第十節。アクセスが拒否されました。有効な許可がありません。第二章第十一節。アクセスが拒否さ』
意味不明な情報の奔流がわたしを襲う。知らない分野の専門書の朗読を大音量で耳元に流すような横暴さがあった。限界を訴えるわたしの脳みそが、直接認識することを強いる声に耐えかねて思わず叫ぶ。
「え、あ、ちょっ、ストップストップ、待って!」
すると声が止まった。キャパオーバーを訴える脳がズキズキと痛む。そんなわたしに、ルビーブロッサムは不思議なものを見たような顔で言った。
「意味わかんないこと言ってないで、さっさと行きましょ」
それだけ言うと彼女は飛び立った。置いていかれそうになって、慌ててわたしも後を追う。けれど飛ぶ感覚に慣れず、ふらふらと危なっかしく追いすがるわたしを見たルビーブロッサムは、ため息を吐くと戻ってきてわたしの手を掴む。
「まったくしょうがないわね。面倒だから手、放さないでよ」
「ごめんなさい……」
「気にしなくていいわ。どうせ変身するのも今日が初めてなんでしょ?」
「うん……」
ぶっきらぼうな口調なのに、その声は柔らかい。ルビーブロッサムは、まるで手のかかる妹の世話をする姉のようだ。もっともその「妹」はわたしなのだけれど、と考えて微苦笑。これが俺だったら犯罪でしかない絵面だ。
手を引かれて飛んでいるうち、空を飛ぶことにも多少は慣れ、ルビーブロッサムに手を引かれずとも着いていくことくらいはできるようになる。そうこうするうち、数分もかからずに光の柱のもとへとたどり着いた。
近付くと、光の柱は何度か瞬いて消えた。空から下を見下ろすと、大きく円形に木々が薙ぎ倒されていた。その円の中心には何やら黒々とした靄がかかっている。よくよく目を凝らしてみれば、靄は一本の大きな木を覆っているようだった。どうやらあの木が今回の標的のようだ。
わたしは自分がどう戦えるのかなんて知らないし、ルビーブロッサムは明らかに近接戦タイプだ。というかそもそも、わたしに至っては何一つまともな武器を持っていない。遠くから見ていても埒が明かないので、わたしたちは警戒しつつ地上から近づくことにした。ルビーブロッサムが大剣を構えつつ、わたしは彼女に着いていく。
倒れた木々に形作られた円の外周部を踏み越えた瞬間、わたしは自分がじろりと睨めつけられているような気がした。刹那、強烈な悪寒がして反射的に身を屈めると、空気を切り裂くような甲高い音が通り過ぎる。それはそのまま後ろの木の幹にめり込んだ。弾け飛んだ木片がわたしの身体を打つ。
あまりの威力に総毛立った。あんなの、人間に向けていい威力ではない。地面に蹲って震えていると、またもや強烈な悪寒。転がるようにして近くの倒木の後ろに隠れると、さっきまでいた場所の地面が爆ぜた。大した怪我もなく2度も避けられたことが奇跡のように思える。
ルビーブロッサムは大丈夫なのだろうかと思ってあたりを探れば、彼女はわたしから10メートルほど離れた場所で大剣を構えて立っていた。どうやら剣で攻撃を弾いたらしい。
息を吐く間もなく第三射。今度はわたしの隠れていた倒木が砕け散った。わたしの胴よりも明らかに太い幹が派手な音を立ててばらばらになる。急いで別の倒木の後ろに逃げようとするが、落ち葉に足を取られて転んでしまった。ルビーブロッサムは、わたしを一瞥すると舌打ちする。
「チッ、一旦退くわよ!」
「わ、かった」
「ねえ、大丈夫?」
「うん、なんとか。猪口さ、ううん、ルビーブロッサムさんは?」
「あたしは平気。ていうかルビーって呼べばいいじゃん、あたしもアクアって呼んでるわけだし」
それは、わたしには少しハードルが高い要求だった。
「あー、ルビーさん?」
「さん付けなんて他人行儀な。ルビーで良いわよ」
「ごめんなさい、それはちょっとハードルが高いと言いますか……」
「しょうがない、呼び方はおいおいの課題ってことね。それより今はあの魔物のことよ」
「ルビーさんの剣であの魔物って斬れると思う?」
ルビーは少し考えて答える。
「たぶん、斬れる。最悪斬れなくても、あいつは
わたしにできることはないのだろうか。そう考えたとき、わたしは知らないはずの魔法の使い方を思い出した。あまりに奇妙な感覚に一瞬ぞっとして鳥肌が立つ。だが、今はあの魔物を倒すことだけが重要だった。頭を振って余計な考えを振り払うと、意を決して口を開いた。
「あの、わたしの魔法が使えないか試してもいい?」
「なんか考えがあるの?」
「うん、考えってほどのものじゃないんだけど……」
「ま、いいわ。勝算があるならやってみなさい」
「ありがと。
わたしが呪文を唱えると、目の前に本が現れてページが開く。
『
わたしの魔法は正しくあの木の魔物を対象として為された。一拍置いて、木の魔物はわたしたちのいない方向を執拗に攻撃し始める。あの木の魔物に考える脳みそがあるかはわからない。だが、わたしたちを認識して攻撃してきているのだから
自信を持ったわたしは、次いで魔法を使った。
『
わたしを──わたしたちを何かが覆う感覚がした。効果のほどを確かめるため、わたしは木の魔物が定めた境界線を無遠慮に踏み越えた。ルビーがわたしを案じて声を張り上げる。
「あっ、ちょっと! 待ちなさい、危ないじゃないの!」
だが、わたしに攻撃が飛んでくることはなかった。あの木は
「平気だよ、あの木には認識できないから」
「あんたね……」
「はやく行こう。あれ、さっさと倒して帰ろうよ」
怯えることしかできなかったわたしが急に強気になったのをみてか、ルビーは大きく溜め息を吐く。
「ええい、ままよ! 女は度胸!」
そう叫ぶと、ルビーは恐る恐る境界線の内側へと入ってきた。そんなに警戒しなくてもいいのに。さっきまでとは真逆に、気楽に歩くわたしと、剣を構えて警戒しながら行くルビー。どこかすこしおかしみがあった。
遠目に見ても大木だとは思っていたが、近くでみればその威容は明らかだった。いまのわたしの身長だと、たぶん切り株の上に寝転がってもまだ余裕がありそうなほど太い幹。梢をみれば、天を高く衝いていた。
幹を手で軽く叩くと、思ったより硬質な手触りが返ってくる。少し不安になって、わたしはルビーを振り返り訊いた。
「これ、ほんとに斬れる?」
「まあ、やってみればわかるよね!」
ルビーは答えると同時に大剣に青白い焔を纏わせる。そして、大きく振りかぶって斬りつけた。大剣は木の幹を半ばまで切り裂いて止まる。だが、ルビーはにやりと笑って叫んだ。
「吹き飛べ、デカブツ! インカント・マギア! 焔華遍く乱れ咲け!」
大剣は爆炎を上げ、余波でわたしも吹き飛ばされる。抗議しようとしてルビーの方をみれば、魔物は根元を大きく吹き飛ばされて倒れていた。地面には浅くクレーターができている。あんな威力の爆発の余波を受けたというのに、よく生きているものだ。すこし自分が不思議になる。
「C級異界生命体、討伐完了! アクア、よくやったわ!」
「もう、爆発するなら先に言ってよ! わたしまで吹き飛ばされたじゃん!」
「ごめんごめん、今度から気をつけるわ」
わたしの抗議を笑って流すルビーに言い募ろうとするが、ふと倒れ伏した大木が視界に入った。それを見ていると心の底から何か不思議な充足感がわいてきて、細かいことはどうでもよくなってくる。やった、やってやった、ははっ、やってやったぞ!
「ぃやったああぁ!」
飛び跳ねて喜ぶわたしを、ルビーが微笑ましいものでも見たような顔で眺める。感情表現が幼くなってないか? とかわたしの歳ならギリ許されるけど俺ならアウトな喜び方だな、とか冷静な俺がツッコミを入れるけれど、今はそんなのどうでもよかった。
ひとしきり喜んだあと、そういえば授業を抜け出して来ていることを思い出す。わたしたちは何も言わずに、というか何かを言う暇もなく出てきてしまったわけなのだけれど、大丈夫なのだろうか? ふと不安になってルビーに尋ねる。
「まあ、心配しなくてもいいわよ。メルシー、結界を解いて」
ルビーがそういうと、ぱちんと音がしてメルシーが現れる。
「了解したミ〜! フィニーレ」
メルシーが呪文を唱えると、空間がゆらぐ。すべてが無数の砂粒へとほどけて崩れ去り、ただ黒い混沌へと還ってゆく。やがて足元まで崩れると、わたしは重力に引かれてそのまま落ちる。そして間もなく、わたしの意識は闇に飲まれた。
はたと思考に脈絡が戻る。わたしは教室で授業を受けていた。時計をみれば、もう5限目の授業が終わる時間だ。自分の格好を確認してみたけれど、何事もなかったかのように制服を着ている。あれはわたしの夢だったのだろうか? だが、妙な疲労感が体に残っていて、あの戦いが夢ではなかったのだと主張する。
チャイムが鳴る。教壇に立つ先生が、授業の終わりを告げた。
「────今日の授業はここまで。級長さん、号令を」
「起立!」
級長の号令でクラス全員が立ち上がる。わたしは伸びをして、猪口さんの方を見る。猪口さんは、わたしの視線に気付くと微笑んで小さく手を振った。わたしは、やはりあの戦いが現実に起きたことなのだと確信できた。
「礼!」
「ありがとうございました!」
途端に教室の空気は弛緩し、休み時間の喧騒に包まれる。これも平穏な日常の一幕だ。
彼らはわたしたちの戦いを知らない。そう思うと、少し誇らしいような気がした。