魔法少女を辞められない。   作:魔法少女って良くない?

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6. 特殊戦術歩兵目録(リーダーボード)

 まさに今、わたしは大きな猪と対峙していた。といっても体長は5メートルほどで、魔物としてはそこまで大きいわけじゃない。

 

 それでもなお普通ではありえないほど大きなその猪は、巨体に見合わないミサイルのような速さで突進してくる。今はまだ50メートルは離れているだろうか、しかしその距離は1秒を待たずゼロになる。

 

エラート・イン・ヴァキュオ!

 

 だが、大猪がわたしを吹き飛ばす直前、わたしは魔法を起動した。わたしの魔法で感覚を狂わされた大猪は、自ら魔法を使って急停止し、その場でぐるぐると回り始めた。まるで自分の尻尾を追う子犬のようだ。大猪はもはやわたしを見てはいない。

 

「ルビー、今のうちにとどめを!」

「おーけい!」

 

 ルビーは青白い焔を纏う大剣を振り上げると、そのまま大猪に突進していく。そして、狙いすました刃は寸分違わず大猪の首へと吸い込まれた。

 

 大猪の首は血しぶきを上げて飛び、地面に転がる。首を落とされた大猪は一瞬びくりと身震いすると、そのまま動かなくなった。あたりはむせ返るような血の匂いと、肉の焦げるような香ばしい匂いで満ちる。

 

 ルビーは残心を解くと、わたしを見てニッと笑う。

 

「D級異界生命体、討伐完了!」

「お疲れさま。でも、今日はこれで4体かあ」

 

 あの木の魔物を倒した日から、既にひと月が経とうとしていた。最初の頃は魔物と出会うたびに怯えていたけれど、いつの間にか慣れっこになってしまった。

 

 というか、俺だった頃は魔物がこんなにも頻繁に現れているなんて全く知らなかった。たまに魔物が目撃されることはあったにしろ、こうも毎日出てくるものだとは夢にも思わなかった。

 

 あの日から毎日のように現れる魔物を倒してきたけれど、さすがに数が多い。最低でも1日に1回、今日みたいに多い日だと3回や4回現れることもある。正直に言って、今までよくこの国は文明社会を保ってこれたものだと思わずにはいられない。

 

 実際のところ大部分はD級かC級で、B級は数えるほど、A級やそれ以上の魔物とは出会ったことすらないのだけれど、そうだとしても奇跡じみている。わたしはともかくルビーはまだ中学生なのに、緋彩としての日常を犠牲にして戦っているのだ。どう考えてもおかしい。

 

 かつて俺だった頃の日々は、わたしの中でもはや別人の経験のように現実味を失ってしまった。それは本当に同じ世界に生きているのかと思うほど、わたしが平和とは程遠い生活を強いられているからだ。嘆かわしいことに、今のわたしにとっては、既に日常とは戦いの中にあるものでしかなかった。

 

「そうねー。さすがにもうおかわりは遠慮したいわー」

 

 ルビーが少し疲れたように言う。わたしも全く同感だった。

 

 D級やC級の魔物を弱い、あるいは大したことがないと思うのは、わたしたちが魔法少女だからだ。生身でバスやダンプカーとぶつかり合って勝てる人間がいないように、D級はおろか、最も弱い部類のE級にすら生身の人間では勝てない。

 

 そんなのがうじゃうじゃと湧いてくる世界、どう考えてもバランス調整ミスってるだろう。あまりにもクソゲーすぎて笑えてくる。

 

 ……肉の焼けたような匂いにすこしお腹が空いてきた。この1ヶ月、報償金も随分たまってきたし、なにか美味しいものでも食べたい気分だ。

 

「終わったらご飯行こうよ。わたし焼肉食べたくなってきちゃった」

「アクアも見た目の割に肝が太いわよね。いいわよ、今日はパーッと行きましょ! メルシー、そろそろ結界解いて」

 

 ルビーがそういうと、いつものようにメルシーが転移してくる。メルシーがフィニーレ(終われ)と呪文を唱えると、結界は消え去った。

 

 

 ──ふと人間の体の重さに気づかされる。いつものように、わたしたちはもといた空き教室に戻っていた。時計を見れば、完全下校時刻まであと10分ほど。窓の外では、青々と茂る葉桜が夕日に照らされて赤く染まっている。

 

 ここのところ、放課後わたしたちはこの教室で時間を潰していた。緋彩はこの集まりを魔法少女部と呼んでいるけれど、もちろんそんな部活はない。そもそも「部員」はわたしと緋彩だけだし、顧問なんているはずもない。なんならこの「部室」も、空き教室を無断で拝借しているだけだ。

 

「はー、つっかれたー!」

 

 緋彩が大きく伸びをする。このひと月で、わたしは緋彩のことをかなり信頼するようになっていた。

 

 はじめのうちこそメルシーと親しい様子の緋彩を警戒していたけれど、彼女はメルシーの本性を知らないようだったし、メルシーとつるんでわたしを陥れることなんて考えられないくらい、人の良さは本物だ。

 

 緋彩がメルシーに騙されているのは少しかわいそうだけど、彼女がそれを知ってもなお今まで通り振る舞うのは無理だろう。だから、わたしは緋彩にメルシーのことを話すつもりはなかった。

 

 どのみち、メルシーがいなければわたしたちの魔法少女としての活動は成り立たない。今はまだ雌伏の時だった。

 

 ぼんやりとそんなことを考えていると、ぱちんと音がしてメルシーが現れる。未だにこの独特な破裂音が聞こえるたび、反射的に体が硬くなる。取り繕うのはうまくなったと思うけれど、やっぱりメルシーへの恐れはそう簡単に消えるものではない。

 

「ルビー、アクア、よくやったミ〜」

 

 メルシーがいつものように明るい声でわたしたちを労う。けれどガラスのように無機質な目からは、何を考えているのか全く読み取ることができなかった。

 

 わたしはメルシーの目が恐ろしい。魔物の目のほうがまだ生気があって、いくぶん感情的に違いないとすら思える。

 

「メルシーもお疲れ。戻って来るの遅かったけど、なんかあったの?」

「さっきの魔物のことでちょっとミ〜。あと、アクアにはいいお知らせがあるミ〜」

 

 メルシーが言う「いいお知らせ」は、わたしにとってのグッドニュースではなさそうだ。だが、緋彩の前でそれを告げるというのはどういうことだろう? 

 

「おおー! もしかしてもしかする!?」

 

 わたしの不安をよそに、緋彩は目を輝かせてメルシーに詰め寄る。

 

「アクアがリーダーボードの掲載基準を満たしたんだミ〜。手続きがあるから、アクアはぼくと次の土曜日に魔法庁の支部に行くミ〜」

 

 リーダーボードとは、魔法庁が編纂している日本全国の魔法少女のリストのことだ。討伐スコアが一定に達した魔法少女はリーダーボードに掲載される。今はだいたい3,000人くらいの魔法少女が掲載されていて、討伐スコアの高い順に順位が付けられている。

 

 リーダーボードに掲載され、世間にその存在が認知されることは、すなわち魔法少女としての初心者期間が終わることを意味していた。

 

「おめでとう、零! 1ヶ月はなかなか早いんじゃない?」

「ここのところ魔物が多かったからミ〜。ルビーのときは半年くらいかかったミ〜」

「わたしなんかそんな。いつも緋彩におんぶだっこだし……」

 

 わたしは魔物を攻撃する手段に欠けている。魔物にとどめを刺すのはいつも緋彩の役目だったし、わたしはただ魔物の足止めをするくらいのことしかできていなかった。緋彩にはわたしがいなくても十分戦えるけれど、わたしはそうではない。

 

「そんなことないわよ。零が来てから楽に戦えるようになったし、それにB級なんてあたし一人じゃ倒せなかったわ」

「ルビーは考えなしに突撃するからだミ〜」

 

 メルシーが緋彩に毒を吐く。いつも緋彩の前では可愛らしいマスコットに徹しているのに、なかなか珍しいことだった。

 

「あたしはそれでいいの。今は零がいるんだしさ」

 

 緩やかな時間のなかで他愛もない話をしていると、完全下校時刻を告げるチャイムが鳴った。緋彩は鞄を持って立ち上がると、腕を突き上げて言う。

 

「よし、今日はお祝いも兼ねて豪勢に行くわよ!」

 

 その後のことは語るまでもないだろう。いくらでも食べられる成長期の体、最高だ。

 

 

✡❂✡❂✡❂✡❂✡❂✡

 

 週末の土曜日。昼下がり、わたしはメルシーに半ば無理やり連れられて、家から2駅ほど離れたところにあるビルの一室に来ていた。この部屋こそが、この地域を管轄する魔法庁の支部なのだという。支部とはいえ魔法庁の窓口が、何でもないビルの一室にあることには驚いた。

 

 メルシーは、さほど広くはない部屋の片隅までわたしを連れて行くと、飾り気のない白い壁を指した。

 

「ここだ。デバイスをかざせ」

 

 メルシーに言われるまま、首に掛けていた細いチェインをたぐり寄せ、胸元からデバイスを取り出す。そしてメルシーの指す先にかざすと、空中に何やら複雑な紋様が円となって浮かびあがる。

 

『登録名、アクアオーラ。パスフレーズを入力してください。』

 

 わたしのデバイスのそれとは違う声が脳に響く。声に促されて、わたしはパスフレーズを口に出した。

 

「鏡花眩く舞い狂え」

 

 すると、さっきまで何もなかったはずの白い壁がゆらぎ、現代的なビルには似つかわしくない、石造りの古びた門が現れる。門の先を見れば、明らかにビルそのものよりも大きな広間へと繋がっていた。

 

『契約者を認証しました。ようこそ、魔法庁へ』

 

 わたしとメルシーが広間へと入ると、門は閉じる。完全に閉じきった門は、やがてそれそのものも消えはじめた。門が消えてしまったあとには、もうその痕跡すら見て取れなくなる。どうやら、あの門は一方通行だったみたいだ。

 

「お待ちしておりましたぽん、アクアオーラ様」

 

 不意に背後から声が掛かる。振り向くと、たぬきをデフォルメしたようなぬいぐるみがふよふよと浮いていた。ぬいぐるみのようにしか見えないけれど、彼も妖精なのだろうか。

 

「あなたは?」

「わたくしは資料編纂室(へんさんしつ)の室長を任されております、プルデンティアと申しますぽん。以後お見知り置きを、ぽん」

 

 プルデンティアと名乗った彼は、恭しくお辞儀をした。渋く低いダンディな声と所作がマッチして、見た目は愛らしいぬいぐるみなのに、むしろ格好よさが勝っている。

 

 てっきり、普通の役所のように人間の職員が何かするのかと思っていたけれど、どうやらここでは妖精たちが働いているらしい。

 

 軽くあたりを見回してみれば、バラエティ豊かな見た目をした──しかしどれも可愛らしい──妖精たちが忙しそうに働いている。ちらほらと人間の──少なくとも人間に見える──職員もいるようだけれど、数の上では妖精のほうが圧倒的に多そうだ。

 

 魔法庁は仮にも日本の政府機関という話ではなかったのか? いつの間にか日本は、妖精の侵略を受けていたみたいだ。それとも、ここの妖精たちは日本人だとでも言うつもりなんだろうか。

 

 プルデンティアの慇懃な態度が不気味に感じるけれど、仮に彼が敵だったとして、今わたしにできることが何かあるとも思えなかった。

 

「どうぞこちらへ、図書室に行きますぽん」

 

 わたしたちはプルデンティアの誘導についていく。広間の隅には、アンティークな雰囲気のエレベーターが置かれていた。

 

 わたしたちがエレベーターに乗ると、プルデンティアはエレベーターを操作する。ひとしきり操作盤をがちゃがちゃと弄ったあと、彼がレバーを引くとエレベーターは下へと降り始めた。

 

 エレベーターはゆっくりと降りていく。

 

 扉に設けられた小さな窓から外を眺めると、エレベーターの外には極彩色の、しかし何色とも言い難い光に満ちた空間が広がっている。

 

 不思議な光景だとは思うのだけれど、わたしとなってからこの方不思議じゃないことの方が珍しかった。残念ながら、もはやわたしにはこの程度のことで驚けるような純粋さは残っていない。

 

 むしろ、どこに連れてこられてしまったのだろうかという不安が勝る。まともな答えなんて返ってくるはずもないのに、弱々しい疑問の言葉が漏れ出していた。

 

「あの、ここは一体……」

「魔法庁ですぽん。しかし、そういうことを訊いているのではないでしょうぽん。あえて申し上げるとすれば、ここは(ポルトゥス)であり、(ポルタ)であり、(ヴィア)なのですぽん」

 

 いまいち要領を得ない説明に、わたしは首を傾げる。何かを言おうとしたプルデンティアを、メルシーが遮った。

 

「オイ。無駄話はやめろ」

「会話を楽しもうとしないのはあなたの欠点ですぽん、メルシー」

「チッ。うるせえ、だまってろ」

 

 プルデンティアは溜め息を吐いて黙り込んだ。エレベーターの中は気まずい沈黙に包まれる。だが、程なくしてエレベーターは止まり、扉が開いた。

 

 扉が開くや否や、メルシーはここに用事があるとかなんとか言ってさっさと消えてしまった。プルデンティアは何か言いたげな様子でその後ろ姿を見送っていたけれど、結局何も言わずまた溜め息を一つ吐いてわたしを振り返った。

 

「あらゆる知識の城、図書室へようこそぽん」

 

 図書室として案内された部屋は、わたしが想像していたものとはまるで違った。市営の図書館とか、わたしの中学の図書室とかとは到底比べるべくもない。

 

 部屋は見通せないほど広く、ぎっしりと本が詰まった無数の本棚が並べられている。見上げれば遥か高くまで本棚が積み重ねられ、天井は見えない。本棚の森のなかで唯一開けたエレベーターホールのすぐ近くには、石のような質感の大きな円卓が置かれていた。

 

 無数の本の質量に圧倒され、わたしは思わず息を呑む。無限とも思えるような広大な部屋の中に、この世のすべてとも思えるほどの本が隙間なく詰め込まれていた。

 

 ある本は古び色褪せ、ある本は真新しく艷やかで、ある本はわたしの背丈ほども大きく、ある本はわたしの手のひらに収まるほど小さい。本といっても冊子(コデックス)だけではなくて、巻物(スクロール)も無数にある。しかしどれも、わたしにとって見たこともないような本ばかりだった。

 

「どうぞおかけくださいぽん」

 

 プルデンティアは円卓を指して、わたしに座るよう促した。彼はわたしが席についたのを見ると、すっくと手を伸ばして呪文を唱える。

 

アックィラム・リブルム・ヴィラギヌム

 

 するとどこからともなく1冊の本が飛んできた。彼は本を受け止め円卓に置くと、表紙を軽く手の先で叩く。

 

「この本が目録、いわゆるリーダーボードの原典(げんてん)ですぽん」

「原典?」

「この原典にはあらゆる世界、あらゆる時代、あらゆる場所の魔法少女の記録が記されているぽん」

 

 本のページを慎重にめくってみる。しかし白紙のページが続いているばかりで、なにか意味のあることが書かれているようには見えなかった。

 

「全てがあるのと、全く何も無いのは同じことですぽん。この本は、『どの世界の』『どこにいる』『いつ』『誰のこと』を正確に特定しなければ何もわからないのですぽん」

 

 なんでも、プルデンティアの言うところによれば、この本は無限にも等しい数の、文字通り全ての魔法少女についての目録なのだそうだ。ある魔法少女がいつ契約し、どう戦い、いつ魔法少女ではなくなったのか、その全てが過去から未来に至るまで記されているという。

 

 だが、この本の中身を知るためには、魔法少女の名前と、その魔法少女がいる世界と場所、記録を知りたい日時を正確に思い浮かべなければならないらしい。

 

「そういうわけで、この原典はあまり便利なものではないのですぽん」

「じゃあ、どうしてこれを?」

「原典が便利に使えないのなら、便利に使える写本を作ればいいのですぽん。さあ、デバイスをお貸し頂けますかぽん?」

 

 首から下げていたデバイスを外し、プルデンティアに渡す。彼はデバイスを本の上に置くと、手をかざした。

 

 すると、ふわりとデバイスが宙に浮き、淡く青い光を放ち始める。やがて光は収束して線となり、無数の記号を象って飛び交った。数え切れないほどの光の文字は、やがてひとつの大きな円を描くようにしてくるくると回りはじめる。

 

マニフェスターレ

 

 プルデンティアが呪文を唱えると、無数の輝く文字は軌道を変え、宙に四角く輪郭をなぞる。

 

 やがて一際強く輝くと、輪郭は質量を持ち、一冊の本として形をとった。厚さは3センチメートルほどで、かなり大判だ。緑がかった薄青の革で装丁された表紙には、金色で知らない文字が書かれている。おそらくこれがタイトルなのだろう。

 

「これは?」

「原典からアクアオーラについて写したものですぽん。もっとも、完全な複製というわけではないのですがぽん」

「それはどういう……?」

「この本には、ある時点において〝現在〟までのアクアオーラの記録が自動的に書き込まれるのですぽん。正しく原典を読めば未来のことさえもわかるのですがぽん、写本はあくまで過去の記録しかわからないのですぽん」

 

 プルデンティアが手で何かを宙に描く。写本はふわりと浮かび上がると、そのままどこかへと飛んでいった。

 

「デバイスをお返ししますぽん」

 

 プルデンティアは原典の上に置かれたデバイスを手に取ってわたしに返す。デバイスを受け取ったわたしは、元通り首に掛けた。

 

「今日の用件はこれで終わりですぽん。リフィケレ・インディケス

 

 するとピコンという音がして、デバイスが熱を帯びる。いつものように目の前に本が現れて、ひとりでにページが開かれた。

 

『目録への登録が行われました。魔法少女アクアオーラの現在の順位は3,267位、認定された討伐スコアは100ポイントです。』

 

 それだけ言うと、本は再び消えてしまった。デバイスも熱を失い、再び単なる宝石のような姿に戻る。どうやら、これで本当に手続きは終わりらしい。思ったよりもあっさりとしたもので、巷で言われるような、魔法少女として一人前になったという実感は湧かなかった。

 

 しかし手続きが終わったということは、わたしをこの世界に確たるものとする楔がまたひとつ打ち込まれたということを意味していた。俺ではないわたしとして自分の存在が認知されるというのは、何か耐えがたい喪失のようにさえ思われる。

 

 かつて俺だったわたしが丁寧に否定されていくようで、わたしの深いところが軋みをあげる。わたしという個人の舵取りがわたしの手の内にないというのは、なんと理不尽なことだろうか。

 

 プルデンティアがわたしに声を掛ける。どうやら、帰りはあの広間に戻らなくてもいいらしい。

 

「支部の窓口までお送りしますぽん。ドミネ・アペリアス・ヴィアム・イッルク(主よ、彼の地への道を開き給え)

 

 プルデンティアが呪文を唱えると、魔法庁に来たときと同じような門が現れた。彼はわたしをその門の前まで連れて行く。

 

「この門の向こうは支部に繋がっていますぽん。アクアオーラ様の今後のご活躍をお祈りしますぽん」

 

 門をくぐると、そこは確かにビルの一室だった。体感では1時間くらいは経ったように思えたのに、時計を見ればどうやら5分ほどしか経っていないようだ。わたしとなってからというもの、現実世界がかつて考えていたよりもずっとファンタジーにできていたのだということを、否応なしに分からされてばかりだった。

 

「帰ろ」

 

 ひとりそう呟いて、わたしはビルを後にする。唇を強く噛むと、血の味がした。じくじくと痛みが広がるけれど、いまはその痛みがありがたかった。余計なことを考えていると、きっと泣いてしまうから。

 

 駅へ向かう道中、あるビルのサイネージを見上げると、大きくソーシャルゲームの広告が流れていた。俺もやっていた、魔法少女を題材にしたものである。魔法庁の広報の一環なのか、キャラのボイスは本人がやっているという触れ込みで、リーダーボードの上位にいる魔法少女たちが出演していた。

 

『いま始めると、好きな魔法少女がもらえる!』

 

 画面の真ん中に立つ魔法少女、セラフィナイトが笑顔で煽り文句を言い放つ。リーダーボード1位の彼女は、5年前から活動している最古参の魔法少女のひとりだった。人々から支持され、願われ、祈られる——そんな存在。わたしなんかとは比べるべくもない、本物の英雄だ。

 

 デフォルメされたイラストのセラフィナイトを眺めていると、胸がざわつく。彼女は自ら望んで英雄(セラフィナイト)になったのだろうか。こうやって見世物にされているのは、望むところだったのだろうか。自分を模した絵が振りまく笑顔を、彼女はどういう気持ちで見ているのだろう? 

 

「はぁ」

 

 違う。これはわたしのことだ。セラフィナイトのことはよく知らないけれど、わたしのことならよくわかっている。望まずして今ここにいるのも、誰かに都合のよい人形でしかないのも、完全にわたし自身のことでしかない。

 

 セラフィナイトほど強ければこんなに苦しまなくて済んだかもしれない。けれど、蛆虫のように弱々しいわたしには、いっそ全てをぶち壊してしまおうかと思っても、けしてそれを実行することなんてできそうもない。

 

 俯きながら唇を噛んで足早に歩くわたしは、惨めたらしくて仕方がなかった。

 

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