魔法少女を辞められない。 作:魔法少女って良くない?
今回はちょっと短め。
定期考査は、大抵の学生にとって厭わしいものに違いない。成績の良し悪しにかかわらず、息の詰まるような日々がおよそ2週間に亘って続くのだ。定期考査を好む人がいないというのは、きっと未来永劫にわたって変わらないことなのだろう。
無論のこと、俺も嫌いだった。特に考査前の1週間は最悪だ。朝から晩まで勉強勉強それに勉強。起きたら勉強、学校に行っても勉強、部活は休み、帰ったら勉強、寝る前も勉強。考査の後だって最悪だ。結果が出るまでの時間は不安で不安で仕方ないし、結果が出たなら出たで何かしら悪かったところを見つけては落ち込むばかり。
そのくせ結局、学校の勉強が大人になって役に立ったことなんてほとんどなかった。どうせ仕事のために必要な知識は学校ではこれっぽっちも教えてはくれない。今思い返しても、学校の勉強というのはただただ苦痛を強いるだけのものでしかなかったように思う。
それも今のわたしにとっては他人事ではなかった。大人になってせっかく解放されたと思ったのに、何が悲しくてまたこんな思いをしなければならないのか。今から気が滅入ってくる。
しかし実のところ、そんな悠長なことを言っている場合ではなかったのだ。もちろん、わたしのことではない。緋彩だ。
想像に難くないことではあったのだけれど、彼女の成績はけして芳しいものではなかった。いや、はっきり言おう。壊滅的である。
それはそうだ。メルシーに呼び出されては授業もすっぽかして魔物と戦う日々、放課後さえ碌に勉強する時間もない。そんな日常で、なにをどうすれば成績が良くなるというのだろうか。
まだテストもないのになぜ緋彩の成績のことを知っているのかといえば、緋彩が泣き言を漏らしていたからだ。補習は一緒に頑張ろう、なんて冗談じゃない。何が悲しくて中学の勉強ごときで補習なんか受けなければならないのか。勝手に頭が悪いと思われていたのも腹立たしい。
というか、そんな調子で高校受験はどうするつもりなんだ。さすがに魔法少女とはいえ、中卒ではどうにもならないだろう。
そんなわけで中間考査を来週に控えた月曜日の放課後、わたしは緋彩を家に呼んで勉強会を開くことにした。わたしの家でやることにしたのは、単にわたしの家のほうが学校から近いからだ。それに、わたしの家には配慮するべき家族もいない。
とはいえ実のところ、緋彩を家に招くのは初めてのことだった。それに、家に人を招くなんて相当に久しぶりだったから、年甲斐もなく緊張してしまった。
だが、勉強会が始まってみれば、緊張なんてすぐに吹き飛んだ。緋彩の成績は、わたしの想像を遥かに上回って、いや、下回るほどのものだったからだ。
参考のために2年の学年末考査の結果を見せてもらったのだけれど、国語は40点、英語は28点、物理と化学で合わせて38点、地理と歴史で合わせて27点、数学は8点。どれもかなりマズいのは言うまでもないが、特に数学は目も当てられない。もしこれが10点満点のテストだったら高得点だったのかもしれないけれど、200点満点のテストで8点というのはいくらなんでもひどすぎる。
100点満点で40点も取れている国語の成績が、赤点でないというだけなのに望外の高得点に見えるほどの惨状だった。むろん他は全部赤点だ。
しかし、来週に控えた中間考査を一体どう攻略すればいいのだろうか。これをどうにかするのは、わたしの力では無理な気がしてきた。というかいかなる神仏の力をもってしても、到底1週間でどうこうできるような状態だとは思えない。
「で、どうかな」
気楽そうにこちらを見る緋彩に、わたしは腹が立ってきた。わたしは真剣に考えているというのに、緋彩はまるで他人事のように構えている。
「どうかな、じゃないよ。こんなんじゃ中間考査は赤点確実だよ。どうするつもりなの」
「どうせ補習を受けるだけなんだし、赤点だって構わないわよ。それに零も一緒に受けるんでしょ? だったら一緒に頑張ればいいじゃない」
補習を? 一緒に? 頑張ればいい? あまりにもあんまりな言い様に、わたしは思わず緋彩を睨みつけた。
「言っておくけど、わたし、別に勉強は苦手じゃないからね。補習を受けたいなら緋彩だけ勝手に受ければいいよ」
「そんな殺生な! 見捨てないで、レイえも〜ん」
突き放すように言うと、緋彩は情けない顔で——しかし勢いよく縋り付いてきた。
「あっ、ちょ、こら!」
わたしよりも大柄な緋彩の勢いを受け止めきれず、わたしは後ろに倒れこむ。緋彩は慌ててわたしの手を引いて、わたしの体が床に激突する前に抱きとめた。
文句を言おうと見上げると、不意に目が合う。申し訳無さと安堵の入り混じったヘーゼルの瞳に、わたしは何を言おうとしたのか忘れてしまった。長い睫毛に彩られた形のいい目は、わたしを案じるように見開かれている。
とくり、とくりと心臓が脈打つ音が響く。緋彩の顔が近い。伝う体温がわたしの頬を染めるのを感じる。緋彩の腕に支えられる背中が、ひどく、熱い。
わたしを抱く緋彩の腕の力強さが、妙に頼もしく思える。けれど、どこか
どれくらいの間、そうしていたのだろう。はっとして、わたしは緋彩から目を逸らした。カラカラになった喉からどうにか声を絞り出す。
「あの、そろそろ……」
蚊の鳴くような声で言うと、緋彩は慌ててわたしを離した。思ったよりも遥かに弱々しく響いた声が、自分の口から溢れたものだとは思えなかった。
床にへたり込んだわたしは、気恥ずかしさをごまかすように乱れた服を直すふりをする。腰がふわふわと浮いているようで、足に力が入らない。
「ごめん、零。大丈夫だった?」
できるだけ平静を装って、わたしは頷く。わたしは、何を考えていた? きっと、気の迷いだ。緋彩に、年下の、しかも中学生の女の子になんて、ありえない。それに、こんな。これではまるで、女の子のようではないか。
わたしは、俺だ。つい数刻前までは、はっきりとした確信を持ってそう思えたはずなのに、今は空虚な妄言との距離が測れなくなってしまった。
「う、うん、大丈夫。で、緋彩はどうするつもりなの? このままじゃ中間考査は赤点確実だよ」
「そこをなんとか!」
緋彩は、わたしの手を握りしめて懇願する。緋彩の顔が直視できない。わたしは、視線を逸らして言った。
「仕方ないからわたしが勉強見てあげる。スパルタでやるから覚悟してよね」
「よろしく、零先生!」
緋彩は、わたしの手を握ったまま嬉しそうに笑う。そんな緋彩の笑顔を見ていると、なんだかこっちまで嬉しくなってくる。緋彩は、ずるい。
妙な空気を振り払うように、わたしは机の上に置いた参考書を開いた。
「じゃあ、まずは数学からやろうか」
教え始めてわかったのだけれど、緋彩は決して地頭が悪いわけではなかった。意欲もあるし、飲み込みも早い。だが、基礎がまったくできていないために、授業についていけていないようだ。
とはいえ、基礎を1週間で固めるのはどう考えても不可能だ。まるまる2年分の負債を考査までの時間で埋めることなんて到底望むべくもなかったし、この中間考査は山勘で乗り切るしかなさそうだった。
今の緋彩に必要なものが、教科書でもなければ参考書でもないことは明らかだ。考査までの短い時間で赤点を回避するには、基礎から理解するなんて悠長なことは言っていられない。
どれだけ平均点が高くとも、50点を取れれば赤点は回避できるのだ。ならば、出題される可能性の高い問題の解き方を丸暗記するようなやり方でも構わない。むしろ、そうするしかないのだ。
翌日、わたしは教室に着くや否や、緋彩をいつもの空き教室に連れ出した。
「メルシー、いるんでしょ」
どこで聞いていたのか、例のごとくメルシーが転移魔法で現れる。どうせ声が聞こえるくらいの距離にいるのに、わざわざ転移魔法で現れるのもいつも通りだ。もっと悪い想像をしないわけでもないのだけれど、それ以上考えても幸せになれそうもないので考えないことにしている。
「アクアがぼくを呼び出すなんて珍しいこともあるミ〜。なんの用かミ〜?」
いつも通りのバカっぽい口調で、メルシーはわたしを見下ろす。その視線に怯みそうになるけれど、わたしはメルシーをまっすぐに見返した。
「授業が始まったら、結界を作ってほしいの。小さなものでいい、緋彩とわたしだけが入れるような結界を」
無機質なメルシーの目からは相変わらず何も読み取れやしないけれど、今のそれは胡乱なものを見るときのものであるように感じられた。
「アクアの頼み事を聞いたとして、ぼくに何の得があるミ〜?」
やっぱりダメか。メルシーに何か期待しているわけではないと思っていたから、多少なりとも落胆を覚えたことに自分で驚く。
だが、続くメルシーの言葉にはもっと驚かされた。
「と言いたいところだけどミ〜、面白いものが見られたからそれでいいミ〜」
メルシーがわたしの頼みを聞くと言ったのだ。わたしは、思わず目を丸くした。しかし、頼み事を聞いてくれるなら遠慮することはない。
「やった!じゃあ、今日から金曜までの4日間、毎朝始業のチャイムが鳴ってから放課後までお願い!」
後ろで緋彩が小さくやっぱ零って図太いわよね、とか呟いてたような気がするけど、それはきっと気のせいだろう。
結界が解けるとき、どういうわけかうまく辻褄合わせが為されている。これはこれまでの経験からも、おそらく正しい推測だと思う。
というのもだ。あるとき、ふと気がついた。わたしたちに対して、誰も授業をたびたび抜け出す不真面目な生徒という認識を持っていないことに。
むしろ、わたしたちはどちらかといえば真面目な生徒として
そしてこれは恐らく結界の効果なのだ。特に根拠があるわけでもないのだけれど、わたしはほぼ確信していた。なんというかこう、魔法を扱う者としての直感としか言いようがないのだけれど、結界以外にこの辻褄合わせをしている何かがあるように思えなかった。
そして昨日、わたしはついに思い至った。この結界が、
緋彩を伴って教室に戻ったわたしは、席に座って時が来るのを待った。
さほどせずに、始業のチャイムが鳴る。チャイムが鳴り終わると同時、教室の空気が塗り替わるのを感じた。どうやら、メルシーが約束の通り結界を張ってくれたらしい。
緋彩が席を立ち、わたしの方へ歩いてくる。それを見て、わたしは鞄の中に忍ばせていた紙束を取り出し、机の上に広げた。
「ふふん、どう?」
緋彩が紙を一枚手に取って眺める。彼女は苦い顔をしてわたしに言った。
「うわあ、いつの間にこんなの作ってたわけ?」
それは緋彩のための中間考査の予想問題だった。あまり時間がなかったから、とりあえず数学と英語だけだけれど。
「徹夜で作ったんだから感謝してよ」
とはいえ、たぶんこれを作ってなかったとしても昨日は寝られなかったと思う。どのみち寝られなかったんだから、緋彩のために時間を使えただけ有意義だったと思いたい。
「徹夜したの!?大丈夫!?」
緋彩が心配そうにこちらを見る。
実のところ、そろそろ限界だった。緋彩と話してなければ今にも寝てしまいそう。学校の硬い机と椅子でも、いまなら自室のベッドと同じくらい快眠できるだろう。
「あ、えと、ちょっと大丈夫じゃないかも……。ごめん、すこし寝るね」
「らじゃ。解けたら起こすわ」
「んー。お願い……」
緋彩が紙束を持って自分の席に帰る。それを見届けたわたしは、腕を組んで机に突っ伏す。
体から力を抜くと、意識が重力に引かれる。五感の脈絡が失われて、わたしは緩やかなまどろみに、おちた。
そういうわけなので、次回も少し時間が開きそうです。1ヶ月以内の予定。