夜に咲くタネ   作:いろはにかすみ

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第1話

ある昼下がり、森の奥深く。

フシギダネは憂鬱な面持ちで、木陰に座り、ひとりため息をついていた。

 

森の空気を満たしていたのは、フシギバナが咲かせる大きな花から放たれる、甘く濃い香りだった。

その香りには、嗅いだ者の心を穏やかにし、うっとりとさせる効果がある。

香りは風に乗って、草木の隙間や苔むした根元までも染め上げるように広がっていた。

この森では、誰もがその香りに身を任せ、まどろみながら過ごしていた。

——そう、普通なら。

 

フシギダネにとってそれは、かえって胸を苦しくさせる匂いだった。

 

理由は、自分の背中にある小さなタネ。

他の兄弟たちはすでに進化を迎え、立派な蕾に、フシギソウへと変わっている。

だが自分だけはまるで時が止まったかのように、変わらないままだった。

 

「僕はもう、このままずっと、大きくなれないのかな……」

 

日向で光合成をする兄弟たちを横目に、日陰にいるのは自分ひとり。

森をわたる風の優しさも、今は物悲しくただ肌寒く感じた。

 

「はぁ……」

 

こぼれたため息が、すぐ足元の草葉を揺らす。

今日はもう、ねぐらに帰ろう。そう思い足に力を入れた——そのとき。

 

「ヒヒッ。こんな陽気な日和に、そんな顔してどうしたんだい?」

 

背後から、ぬるりと低く、どこか笑っているような声がした。

振り返ると、木陰の端。
紫がかった影の奥に、赤く光る瞳がこちらを見ていた。

 

「君は……ゲンガー?」

 

「へへっ、その通り。影の谷の住人さ。見知ってくれてるなんて、うれしいねぇ」

 

フシギダネは体を声のした方向へ向け、問いかけた。

 

「どうしてこんなところに? 君は滅多に谷から出てこないって聞いてるけど……」

 

そのとき、影がグッと空間を這い上がり、そこからゲンガーの体がぬるりと現れた。

まるで自分の影から生まれたような不気味な動きだった。

目は細く吊り上がり、赤い瞳にはどこか揶揄うような光が宿っている。

 

「んー? 別に俺様は隠れてなんかいないぜ。

 見つけられない、森のやつらがのんきすぎんのさ。ヒヒッ!」

 

その言葉には、森の住人——フシギダネ自身も含まれていた。

だが不思議と、フシギダネは怒る気になれなかった。

(何も言えなかった。からかわれてるのに、それがどこか正しく感じた)

 

「……それで、谷の住人が僕に何の用?」

 

「ただの気まぐれさ。面白そうなやつがひとりでしょんぼりしてるのが見えたもんでね。

 つつけば面白そうって、思っただけさ」

 

「……僕のこと?」

 

「他に誰がいるよ?
フシギバナの香りでみんなうっとりしてんのに、

 お前ときたら、こんな木陰で咲き損ねた花みたいな顔して」

 

図星を突かれたフシギダネは、言い返せなかった。

ゲンガーは、にぃっと口の端を上げて続ける。

 

「なあ、だったらさ。
昼間がダメなら、夜に試してみたらどうよ?」

 

「……夜に? 一体どういう」

 

「月の光でも浴びてみたらってこと。

 背中のタネも、案外そっちなら咲くかもな?」

 

「でも、僕らは太陽の光じゃないと……」

 

「じゃないと、何?成長できない?咲けない?


 散々陽に当たって咲かねえなら、他のもん試しゃいいじゃん。

 それとも、お行儀よく腐っていくだけか?」

 

その言い方は、挑発にも聞こえた。
けれど、不思議と心のどこかに引っかかった。

 

——もし、月なら。少しぐらい、違う何かがあるんだろうか。

 

「……ほんとに、咲けるかな」

 

「咲いたら、あれだな。

 森中、『日陰育ちのくせに花なんか咲かせた』って、噂になるぜ?」

 

ゲンガーはケラケラと笑いながら、足元の木陰へと身を滑らせる。

 

「行っちゃうの?」

 

「あぁ? 気が向いたら見に来てやるよ。

 せいぜい、枯れねぇようにな」

 

そして彼の姿は、影とともに完全に森から消えた。

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