ハリー・ポッターと友情、努力、勝利の本 作:じゃあな・アズナブル
クィレルの体が動く。
「インセンディオ!!」
炎の奔流が、ハリーたちへと襲いかかる!
「ネビル、下がって!」
ハリーは地を蹴って飛び、ネビルの肩を押し倒すようにして弾き飛ばす。熱風が背中をかすめるが、二人はギリギリで火の海を避けきった。立ち上がったハリーを見据えながら、クィレルの後頭部――ヴォルデモートの顔から声が響く。
「……なるほど。反射は悪くない。だが――それだけだ」
赤い瞳が、冷たく細く揺れる。
「お前は少しばかり、体が動くのを“強さ”だと勘違いしているようだが……」
声の温度がさらに下がる。鋭利な氷のようだった。
「真の大魔法使いには、通用せん。力も、速さも――“魔法”の前では無力だ」
「……知るといい、ポッター」
「“本当の力”が、どれほど絶対かを――!」
「インペリオ!」
不意に放たれた呪文が、ネビルに直撃した。
「うっ……!」
ネビルの体がぴくりと震えたかと思うと、その目から、徐々に生気が抜けていく。ハリーが思わず一歩踏み出そうとすると――
「動くな」
ヴォルデモートの声が、氷のように冷たく響いた。
「服従の呪文――“インペリオ”。かけられた者は、命令に逆らえなくなる。かけられた者は、術者の言葉がこの世のすべての真理になる 」
「いい呪文だと思わないか? ポッター。お前の友達が今まさに――お前の行動次第で死ぬ準備をしているぞ」
ネビルの手が、ゆっくりと口元へ向かって動き始める。震える指先が、唇へと添えられそうになるその瞬間――
「杖を捨てろ、ポッター。」
ヴォルデモートが命じた。
「捨てないなら、お前の友達はここで終わりだ。さあ、選べ。杖を捨てて、膝をつけ」
ハリーの動きが止まる。ハリーが杖を地面に置いた。コツンという音が、部屋に響いた瞬間――
ネビルの体が、微かに震えた。
(……ダメだ、ハリー)
(僕のせいで……)
意識の奥で、声にならない叫びが渦巻く。
(僕は……ずっと足を引っ張ってばかりだ)
(魔法もうまく使えなくて、いつもみんなの後ろにいた)
(……なのに)
(ハーマイオニーは“ハリーをお願い”って……僕に、託してくれたのに……!)
指先が、唇に触れる。その手が――止まらない。
(それに……僕の両親だって……)
脳裏に浮かぶ、あの面会室の光景。笑いかけても、もう誰かもわからない母の目。言葉の通じない父の空ろな表情。
(お父さんとお母さんは……あいつの仲間に襲われて、今でも――)
(でも、だからこそ……!)
(怖いけど僕は絶対に屈しちゃいけないんだ……!)
全身を、凍えるような力が支配している。それでも、心の中で、たしかな声が響いていた。
(おばあちゃん、僕に力を貸して……!)
そして――ネビルの手が、わずかに止まった。その瞳に、再び光が宿る。
一瞬、空気が微かに震えたように感じた。次の瞬間、ネビルの体を覆っていた“重さ”が、音もなく弾け飛んだ。
「……っく……はああああっ!!」
服従の呪文――《インペリオ》の気配が、完全に霧散する。ヴォルデモートの赤い瞳が、僅かに揺れた。ネビルは、震える手で杖を構え直し、叫ぶ。
「エクスペリアームス!!」
鋭い閃光が、一直線にクィレルの杖へと放たれる。
だが――
「プロテゴ!」
クィレルが即座に杖を振るい、魔力の盾がネビルの呪文を弾き返す。光が砕け、空気が震えた。
「っ……!」
呪文は通らなかった。だが――ネビルの眼差しは、微塵も怯えていない。その姿を、ハリーは横目に見ながら、すでに動いていた。
クィレルの身体が再び動こうとする。杖がネビルに向けられ、呪文の詠唱が始まろうとした――
「──
ハリーの叫びと共に、爆発するような閃光が部屋を満たした。灼けるような白い光――それは目を焼くほどに強く、壁すら輝かせた。
「ぐっ……!」
クィレルの動きが、完全に止まる。
(今しかない!)
ハリーは瞬時に杖を向け呪文を唱える。
「ディセンド!」
クィレルが魔法の衝撃で揺らぐ。石畳が崩れ、体勢が崩れる。
「な……っ!」
ヴォルデモートの怒声が響いたその瞬間には――ハリーの姿は、すでに目の前にあった。
「……魔法だけが、強さじゃない」
ハリーは静かに、自分の拳を握りしめた。呪文のこもっていない、ただの拳――だが、それは毎晩、毎朝、積み上げてきた“修行の証”だった。
その重みが、今ここにある。拳が――うなりを上げて、クィレルの顔面に叩き込まれた。
「がっ――!」
クィレルの体がのけぞる。ハリーは間を置かず、腹部にもう一撃。さらに脇腹、顎、肘打ち。無言のまま、正確無比な連打を叩き込んでいく。防御の呪文も詠唱も、何も挟む隙はなかった。
「ポッターッ……!」
ヴォルデモートが怒声を上げるが、すでにクィレルの肉体はそれに応える力を失っていた。その体は、ハリーの連撃を受け止めるには――あまりにも脆かった。
ハリーは――静かに、最後の一撃の構えを取る。
「これで……終わりだ……!」
拳を握り直し、全身の力を込めたその瞬間――
「……あッ――」
クィレルの体が、突然焼け始めた。皮膚にひびが入り、衣服が焦げつき、肉の焼ける匂いが、じわりと空気に満ちていく。
「ぐああああああっ!!」
クィレルが絶叫した。その苦悶の声と共に、黒い煙が噴き上がる。空気を裂くように、ドス黒い霧が渦を巻く。その中に、ヴォルデモートの声が混じった。
「ポッター……お前は……!」
怨念のようにのたうつ黒い霧が、激しく旋回する。その身を保てなくなったクィレルの体が、がくりと崩れ――ぐしゃり、と音を立てて、床に沈んだ。
ハリーは動けなかった。ただ、見ていた。黒い霧が、憎悪と呪詛を吐き出すように空中を渦巻き――やがて石壁へと溶け込むように、すっと消えていった。
全てが終わった。室内に静寂が落ちる。ただ焼け焦げた匂いと、崩れた体の残骸だけが、そこにあった。
静寂の中――二人の少年だけが残されていた。
「……終わったの?」
ネビルが、震える声で訊いた。ハリーはすぐには答えず、しばらく肩で息をしながら、天井を見上げた。
「……多分ね」
そして、ふっと笑って見せた。
「さすがに……ちょっと疲れた」
ネビルも、ふっと笑った。けれどそのまま、力が抜けるようにその場に崩れ落ちる。
「僕も……ごめん、限界かも……」
「ネビル!」
ハリーは慌てて駆け寄った。片膝をつき、倒れたネビルの体を支えようとした――その時。
「大丈夫じゃ」
背後から、穏やかで、それでいて深く響く声がした。ハリーが振り返ると、そこには――ホグワーツの校長、アルバス・ダンブルドアが静かに立っていた。
「精神が限界だっただけじゃ。よくやった、二人とも」
ネビルを支えたまま、ハリーは顔を上げた。
「先生……クィレルが、石を狙ってたんです」
ダンブルドアは静かに頷いた。
「ああ、すべて聞いたよ。ハグリッドからのフクロウが届いたあとすぐに戻ってきた。……よく守ってくれた」
そう言って、視線を落とす。クィレルの焼け焦げた亡骸を、しばし無言で見つめるダンブルドアの横顔には――深い哀しみの色が滲んでいた。やがて、静かに口を開いた。
「ハリー、疲れているところ悪いが……少し、こちらに来てくれんかの」
そう言って、鏡の前へと歩み出る。ハリーはネビルをそっと床に寝かせて、後に続いた。
「……さて、ハリー。今、君には――何が見えるかな?」
ハリーは、鏡をじっと見つめる。
そこに映っていたのは――自分自身。だが、その手には、赤く澄んだ宝石のような“何か”が握られていた。
「これって……!」
思わず自分の手を見下ろす。現実の手の中にも――同じ石が、確かにそこにあった。
「賢者の石……!」
ハリーが手にした石を、食い入るように見つめる。その手の中で、赤く澄んだ輝きが脈打つように揺れていた。ダンブルドアは穏やかに微笑んだまま、そっと鏡へと視線を戻す。
「あの鏡にはな、ちょっとした仕掛けをしておいての」
いつもの調子で、ゆっくりと語り始めた。
「つまり――『石』を見つけたい者だけが、それを手に入れられる」
彼は少しだけ言葉を切って、ハリーの方へ視線を向ける。
「よいか、ハリー。“見つけたい者”であって、“使いたい者”ではないぞ――」
「そういう者だけが、それを手にすることができるようになっておる」
ダンブルドアの声は、鏡の中の自分に語りかけるように、静かだった。
「さもなければ、鏡に映るのは……黄金を作ったり、命の水を飲む姿だけじゃ。どれだけ強く望んでも、石そのものは手に入らん」
そう言ってから――彼はちらりとハリーを振り返り、いたずらっぽく微笑んだ。そしてすぐに真顔に戻ると、手をそっと差し出す。
「さて、ハリー――その石を渡してもらえるかな?」
「……はい」
ハリーは、迷いなく掌の石を差し出した。
ダンブルドアはそれを受け取ると、躊躇いもせず杖を抜き――その先端を石の上へそっとかざす。
ピシッ
鋭い音が室内に響いた。次の瞬間、赤く透き通っていた賢者の石が――光の粒となって、粉々に砕け散った。
「せ、先生っ!?」
ハリーが思わず声を上げた。だが、ダンブルドアは変わらぬ穏やかな微笑みを浮かべていた。
「心配いらんよ。これは、最初から壊すつもりだったんじゃ」
「でも、それを壊したら……ニコラス・フラメルが!」
ハリーの声は、思わず叫ぶような調子になっていた。ダンブルドアはゆったりと頷く。
「おお、ちゃんとそこまで調べておったか。……心配はいらん。彼も、その奥方も――石を壊すことには賛成しておるよ」
言葉が出なかった。ハリーはしばらく黙り込んでから、ぽつりと訊いた。
「でも……それじゃあ、亡くなっちゃうんじゃ……」
ダンブルドアは、鏡に映る自分の姿に、静かに視線を向けた。
「いいんじゃよ、ハリー。永遠の命なんてものはな……そう、良いものではないんじゃ」
その言葉には、どこか遠い哀しみと、悟りに近い静けさがあった。ハリーは少しの間だけその言葉を噛みしめるように黙り――小さく、「……確かに」と呟いた。その瞬間、ダンブルドアの目がふっと細められた。
「ハリー、その若さで、そういう考えに至れる者は――なかなかおらんよ」
そして、少しだけ茶目っ気のある口調で付け加えた。
「……それも、君の好きな“漫画”の影響かな?」
「なっ……なんで、それを……!」
ハリーはびくりと肩を震わせて、顔を赤らめた。ダンブルドアはくすりと笑い、まるでいたずらを成功させた子どものように、片目をつぶいてみせた。
「わしも、漫画はたまに読むんじゃ。一番好きなのは……そうじゃな、ドラえもんじゃな」
「……えっ」
思わず声が漏れた。想像もしなかった返答に、思考が一瞬止まる。
「夢があって、笑えて……ええ話が多いんじゃ」
いたずらっぽく笑うその表情は、校長というより、優しい祖父のようだった。ハリーは肩の力が抜けたように、思わず呆れたような笑みを浮かべた。
ダンブルドアは、ひとつゆっくりと深呼吸をすると、みぞの鏡から目を離し、ハリーの方へと向き直った。
「さて、ハリー。――聞きたいことが、いくつもあるじゃろう」
その声は静かだったが、不思議と胸にすとんと落ちる力強さがあった。
「だが――」
言いながら、彼はそっとネビルに目をやる。
「ネビルと、それからロンも保健室に連れていかねばならん。……君たちにも、まずは休息が必要じゃ」
ハリーは無言でうなずいた。体が思った以上に重くなっていることに、今さら気づいた。
「――とはいえ、何も教えずに帰したら、きっと眠れんじゃろう?」
ダンブルドアは微笑んで、ゆっくりと問いかけた。
「さあ、ハリー。何が一番、気になっておる?」
ハリーはしばらく沈黙していた。けれどやがて、ぽつりと口を開いた。
「……ヴォルデモートは、結局……生きているんでしょうか?」
問いかけに、ダンブルドアはほんの一瞬だけ視線を遠くへ向けた。まるで、遥か彼方のどこかにいる“あの存在”を、見据えているかのようだった。
「――やつは、死んでいるとも、生きているとも言えぬような状態じゃ」
その声は静かだったが、言葉のひとつひとつが重かった。
「肉体はとうに失った。だが……意志だけが、なおも彷徨い続けておる。おそらく今ごろは――また、乗り移るべき新たな身体を、どこかで探していることじゃろう」
ハリーは、ごくりと息を飲んだ。胸の奥がざわりと波立つ。
「……じゃあ、殺せないってことですか?」
その言葉に、ダンブルドアは短く、だが確かに頷いた。
「あれは、“本当に生きている”わけではない。ゆえに、完全に殺すこともできんのじゃ」
「じゃあ……また襲ってくるんじゃ?」
ダンブルドアは静かにうなずき、真っ直ぐに彼を見つめ返した。
「ああ、来るじゃろう。やつは執念深い。――そして、生き延びることだけには、異様に長けておる」
だがそのあと、ダンブルドアはふっと穏やかな笑みを浮かべた。
「じゃが、ハリー。君たちは今回――あやつのたくらみを見抜き、それを阻止した。それは……本当にすごいことなんじゃ」
「こうしたことが、何度も繰り返されれば……いずれ、奴は二度と力も権力も取り戻せなくなる。――そういう未来も、十分にあり得るんじゃよ」
ハリーは、その言葉を噛みしめるように、黙ってうなずいた。すると、ダンブルドアはそっとハリーの肩に手を置き、柔らかく言った。
「そして――ハリー。君には、あやつには決して持てぬものがある」
「……?」
ハリーが少し首をかしげると、ダンブルドアは微笑みのまま答えた。
「信頼できる“友”がいる。共に立ち向かう“仲間”がいる――それが、君の強さじゃよ」
しばしの沈黙。やがてハリーは、静かに、だが力強く頷いた。
「……はい」
その言葉は小さかったが、迷いのないまっすぐな返事だった。そしてハリーは、ふと何かを思い出したように顔を上げ、口を開いた。
「すみません……もうひとつだけ」
「……クィレルが、あんなふうに……燃えて、焼け焦げてしまったのは、どうしてでしょうか?僕は、なにもしてないのに」
その問いに、ダンブルドアは目を細め、しばし沈黙した。やがて、静かで柔らかな声で答える。
「――ハリー、君の母は君を守るために、命をかけて死んだ」
「それは、ヴォルデモートには理解できぬ“魔法”じゃ。――“愛”の魔法じゃよ、ハリー」
「目に見える印ではない。呪文ではない――けれどそれは、あまりにも強く、深く、ひとりの人間を愛したということ」
ダンブルドアは、そっとハリーの胸元を指差す。
「その愛は、君の中に“刻まれている”。母君が姿を消したあとも……その愛だけは、今もずっと、君を包んでいるのじゃ」
「だから、赤ん坊だった君は生き残った。そして――今回も、“悪意が触れること”を、愛が拒んだのじゃよ」
ハリーの目が、大きく見開かれた。
「……母さんの……魔法……」
ダンブルドアは、静かにうなずいた。
「……さて。もし、他に聞きたいことがなければ――そろそろ戻ろうかの」
ダンブルドアが杖を軽く振ると、ネビルの体がふわりと宙に浮かび上がり、やさしく漂うように持ち上がった。
「行こうか、ハリー」
そう言って、ダンブルドアは静かに歩き出した。ハリーはすぐにあとに続いた。沈黙の中、長い廊下と階段を逆に辿っていく。やがて、チェスの部屋の扉をくぐる。
そこには、ハーマイオニーと、目を覚ましたロンの姿があった。ハーマイオニーがハリーを見つけて、駆け寄ってくる。
「ハリー! 無事だったのね……!」
その瞳には涙が浮かび、声はかすれていた。ハリーが安心させるようにうなずくと、ロンもゆっくりと体を起こす。
「遅いよ、ハリー。でも……無事でよかった」
ハリーは少し照れたように笑い、うなずいた。
「僕も、ネビルも無事だよ。……話したいこと、たくさんあるんだ」
ダンブルドアが一歩下がってその様子を見守っていたが、やがて静かに口を開く。
「ハリー、そしてネビルがよくやってくれた。だが見ての通り、ネビルを保健室へ連れて行かねばならん。話はあとにしよう。さあ、戻ろうかの」
三人はうなずき、帰り道へと足を向け歩き続ける、ついに校舎まで戻ってくると。
「では、わしはネビルを保健室へ連れていこう。君たちは――寮に戻りなさい。今夜は、ゆっくり休むといい」
「はい……ありがとうございました」
ハリーたちは頭を下げ、見送った。ダンブルドアとネビルの足音が消え、静寂が戻る。しばらくして――ロンがぽつりとつぶやいた。
「……ハリーなら、大丈夫って、信じてたよ」
ハリーは小さく笑い、肩をすくめた。
「ありがとう。……さあ、寮に戻ろう。今は……眠れるだけ眠りたいな」
三人は、ゆっくりと歩き出した。戦いの終わったホグワーツの夜。ほんのわずかに、空が――明るくなりはじめていた。
クィレルさんの出番、以上です。