ハリー・ポッターと友情、努力、勝利の本 作:じゃあな・アズナブル
夜のホグワーツは、静寂と冷気に包まれていた。ハリーはひとり、中庭での修行を終え、まだ体に残る興奮をゆっくりとクールダウンさせながら、寮へ戻ろうとしていた。
――そのときだった。
コツ、コツ、コツ。
廊下の向こうから、微かな足音が響く。ハリーは本能的に足を止めた。
(……この時間に、誰かが?)
耳を澄ませ、壁際の陰に素早く身を潜める。足音の主たちが、月明かりに照らされる。
スネイプと、クィレルだった。ふたりは人気のない通路で立ち止まると小声で話し始めた。
「……いまいましい三つ首だ」
スネイプの低い声が、空気を震わせる。ハリーの背筋に、冷たいものが走った。
(やっぱり――あの三頭犬のことだ!)
クィレルはオドオドと肩をすくめている。何かを必死に話しているようだが、小声すぎて内容は聞き取れない。
「……ふん」
スネイプが短く吐き捨てる。そして――ふいに、鋭い目で周囲を見回した。
(……やばい)
ハリーは反射的に呼吸を殺す。スネイプの視線がこちらに向く。そして――ゆっくりと、こちらに歩き出す。
ハリーは、寸前で気配を完全に消し去った。月明かりが差し込む廊下の中、スネイプはゆっくりとあたりを見回す。
全神経を集中させる。気配も、存在も、できる限り“無”に近づける。修行してきた動きが、今まさに生きていた。スネイプの視線が、ほんの一瞬、ハリーの隠れている方向をかすめた。
だが――
「……気のせいか」
そう呟いたスネイプは、クィレルを促し、その場を立ち去っていった。ハリーはしばらく動かなかった。完全に足音が消えてから、ようやく静かに影から抜け出す。
(……ふぅ、危なかった)
額には、いつのまにか汗がにじんでいた。誰にも気づかれないように、ハリーは夜の廊下を抜け、グリフィンドール寮へと戻っていった。
***
朝。ホグワーツの空は快晴だった。澄み切った青空の下、クィディッチ競技場では赤と緑の旗がはためいている。
グリフィンドールとスリザリン――因縁の初戦だ。観客席からは早くも熱気が立ちのぼっていた。ハリーは、手にした箒を軽く叩き、呼吸を整える。身体は静かに緊張しながらも、意識は研ぎ澄まされていた。
ホイッスルが鳴った。選手たちが一斉に空へ飛び上がる。赤と緑のユニフォームが、朝の光の中で錯綜する。ハリーは急がず、焦らず、高く、高く昇っていく。
(まずは、状況把握だ)
味方のアンジェリーナたちは、華麗な連携でスリザリンゴールを攻め立てていた。
――ゴール! 歓声! 得点!
グリフィンドールが先制する。さらなる攻撃の波が続くなか、ハリーは静かに空中を漂っていた。
狙うはただひとつ――黄金のスニッチ。
そのとき、視界の端で黒い影が躍った。――ブラッジャーだ。凶暴な球が、猛スピードでこちらへ迫ってくる。だが、ハリーは一切動じなかった。
(来る……!)
ほうきを小さく傾け、ブラッジャーの軌道をするりといなす。そして、タイミングを見極め――手のひらでパチンと叩く。
バシュッ!!
勢いを殺さず、逆方向へと弾き返す。ブラッジャーは見事に弧を描き、スリザリンの選手目がけて突っ込んでいった。
(上出来だ)
微かに笑みを浮かべ、ハリーは再び空へ視線を戻す。スニッチは――まだ、見えない。だが、試合の流れは確実にグリフィンドールに傾いていた。
ハリーは高空を滑るように漂いながら、鋭い眼差しで周囲を探る。そして――視界の端に、金色の閃光がきらりと走った。
(見つけた――!)
あれは間違いない、スニッチだ。ハリーは即座にニンバスを加速させ、風を切るように急降下へ移る。だが、同じくスリザリンのシーカーも、それに気づいた。
「なまいきなんだよ……!」
低くうなるような声とともに、相手シーカーが横から体当たりを仕掛けてくる。だがハリーは、冷静だった。ほうきをわずかに傾け、突進の力を受け流す。そのまま体勢を崩さず、スピードも落とさずにスニッチを追い続ける。
しかし、その瞬間――
ガクンッ!
ほうきが、何の前触れもなく、大きく揺れた。
「……っ!?」
ほうきが操縦不能なほどに左右にブレる。まるで、見えない何かに引っ張られているようだった。
(……なんだ、これ――!?)
目前のスニッチを前に、ハリーは必死で柄を押さえつけようとする。だが、暴れは収まらず、スニッチは虚しく視界から逃れていった。
(クソッ!)
ハリーは何とか体勢を立て直し、再び空を駆ける。やがて、遠くに再びスニッチの輝きを捉えた。
猛然と加速する。風を切り裂きながら一直線に追いかける。伸ばした手が、届きそうになる――その瞬間。
ガクンッ!
再びほうきが激しく暴れ出した。
(またか――!!)
思わず歯を食いしばる。だが、ハリーはすぐに判断を下す。
(このままじゃ、絶対に捕まえられない)
意を決した。そして――ハリーは、暴れるほうきを手放した。――宙に、浮いた。
(……飛べるっ――!?)
ほうきなしで、身体が空中に留まっている。体中を巡る魔力。重力を無視するような浮遊感。まるで夢にまで見た、《舞空術》。
「……っ!」
ハリーは全身を泳がせるように動かし、スニッチに向かって手を伸ばした。
パシィッ!!
指先が、金色の球体をしっかりと捕らえる。
(――取った!!)
歓喜が全身を駆け抜ける。だが――奇跡のような浮遊は長くは続かなかった。魔力の流れが途切れた瞬間、ハリーの身体は地面へと引き戻される。猛烈なスピードで急降下。地面が目前に迫る。
(落ち着け……!受け身だ!)
修行で叩き込まれた感覚が、思考よりも先に体を動かす。ハリーは体をひねり、空気抵抗で減速しながら着地姿勢をとる。
最後の瞬間に地面を転がって衝撃を逃がし――ピタリと止まり、立ち上がる。右手には――しっかりと、金色のスニッチが握られていた。
競技場全体が、爆発した。
「うおおおおおおおおっ!!」
「ポッター!ポッター!ポッター!ポッター!」
グリフィンドール席から怒涛の大歓声が巻き起こる。観客たちは総立ちで叫び、旗を振り、床を踏み鳴らしていた。
「すげぇ!なんだ今の!ほうきなしで飛んでなかったか!?」
「あれ見たか!?ほんとに宙に浮いてたぞ!!」
あちこちで興奮した声が飛び交う中――ウッド率いるグリフィンドールチームが、歓喜の声を上げながらハリーのもとへ駆け寄ってきた。ウッドは興奮で顔を真っ赤にしながら、ハリーを力強く抱きしめた。
「やったぞポッター!!お前は最高だ!!」
「信じられない!ほうきを捨てたの!?あんなの見たことない!!」
「これで今年は間違いなく優勝だ!!」
仲間たちに次々と背中を叩かれ、抱きしめられ、押し倒されそうになるハリー。そのとき――
「ハリー!!」
ロンとハーマイオニーが、満面の笑顔で駆け寄ってきた。ロンは信じられないものを見るように叫ぶ。
「きみ、すげえよ!!なんだ今の!?飛んでたよな!?なあ絶対飛んでたよな!!」
ハーマイオニーも息を切らしながら、目を輝かせて言った。
「信じられないわ、ほんとに……ほうきなしで空にいたのよ!?」
二人とも、興奮と驚きと、ほんの少しの呆れをにじませた顔でハリーを見つめていた。
「いや、まあ……たまたまだよ」
ハリーは照れ隠しに笑って答える。だが――
(たまたまじゃない。これは、“できる”)
確かに今、自分は空をつかみかけた。それは夢や憧れじゃない。現実に届く感触だった。観客席から、さらなる大歓声が競技場を揺らした。
――ハリー・ポッター。
その名は、もはや「生き残った男の子」だけではなかった。ホグワーツ中に刻まれる、新たな称号。「グリフィンドールの新人エースシーカー」として。
***
クディッチの大勝利から少し経った午後――
ハリー、ロン、ハーマイオニーの三人は、冷たい風が吹き始めた森の外れにあるハグリッドの小屋を訪れていた。室内では薪ストーブの炎が暖かく揺れ、ハグリッドが淹れた紅茶の香りがほのかに漂っていた。
「いやぁ、お前さんの空中での身のこなし、見事だったなぁ! こっちは心臓が止まるかと思ったぞ」
ハグリッドが大きなカップを両手に持ち、目を輝かせながら言うと、ハリーは少し照れたように笑った。その隣で、ロンが身を乗り出して興奮気味に話し始める。
「でもさ、今日の試合……あれ、やっぱおかしかったんだよ!」
「え?」
「ハリーの箒が勝手に動いたろ? あれ、絶対に誰かに呪われてたんだよ! ウッドも言ってたんだ。あの揺れ方は普通じゃないって!」
ハーマイオニーが真剣な表情でうなずいた。
「それで私、観客席から双眼鏡で見てたの。スネイプ先生がずっとハリーを見ながら呪文を唱えてたのよ!」
「間違いない! スネイプがハリーを落とそうとしてたんだ!」
ロンの言葉に、ハグリッドはカップをテーブルにガチャンと置いた。
「おいおい、スネイプ先生はホグワーツの教師だぞ? そんなことをするはずが――」
「でも、実際に見たんだよ!」
ロンは譲らない口調で反論した。ハリーは黙って話を聞いていたが、ふと何かを思い出したように口を開く。
「……そういえば僕、前に見たんだ。スネイプとクィレルが……夜に、二人きりで何か話してるのを」
「えっ!?」
ロンとハーマイオニーが同時に声を上げた。
「三頭犬のことを話してた。スネイプが“いまいましい三つ首”って言っててさ」
「三つ首……!?」
ハーマイオニーが顔をこわばらせる。
「ってことは……やっぱりスネイプは、あの犬が守ってる“何か”を狙ってるってことじゃない?」
「……だとしたら、クィレル先生もグルってことか?」
ロンの声に、ハリーは少し首をかしげた。
「……いや、クィレルは、どっちかっていうと“脅されてる”って感じだった。あの時の話し方……なんか、必死だった」
「……じゃあ、スネイプが黒幕で、クィレルがそれに従わされてる……?」
ハーマイオニーが考え込む。そのとき、ハグリッドがふいに肩をピクリと動かし、鋭い目でハリーを見た。
「おい……お前ら、なんで“フラッフィー”のことを知ってるんだ?」
ロンがすかさず言った。
「フラッフィーって言うのあの三頭犬!?スネイプがそのフラッフィーが守る何かを狙ってるんだよ!」
「馬鹿な。スネイプ先生がそんなことするわけが――」
「でもほんとなんだって! ハリーも見たんだよ?」
ハグリッドは眉をひそめ、しばらく唸るように黙り込んだ。そして、低い声で言った。
「……とにかく、その話は忘れるんだ。フラッフィーのことも、それが守ってる“もの”のことも、な」
三人は息を飲んで見つめた。
「――あれは、ダンブルドア先生と、ニコラス・フラメルが――……」
「ニコラス・フラメル?」
ハーマイオニーが小さく反応した、その瞬間。
「――あっ! いかん、今のは忘れてくれ!」
「“守ってるもの”って、何なの?」
ハーマイオニーが目を輝かせながら一歩前に出る。
「それに、さっき言ってた“ニコラス・フラメル”って誰? ダンブルドア先生と関係がある人なの?」
ハグリッドはピクリと肩をすくめ、明らかに動揺していた。
「……お、俺はもう何も言わんぞ! これ以上しゃべったら本格的にまずい……!」
慌てて立ち上がると、背を向けて棚の紅茶缶をガチャガチャいじり始めた。
「とにかく、今日はもう帰ってくれ。いいな? ……ほんとに、帰るんだぞ?」
あまりにわかりやすい追い出し方に、三人は顔を見合わせて、苦笑した。
「……ありがとう、ハグリッド。今日は話せてよかったよ」
ハリーが言うと、ハグリッドは渋々うなずいた。
「……ああ。また来いよ。ただし――余計なことには首を突っ込むんじゃないぞ。絶対にな」
三人は軽く手を振って、小屋を後にした。冷たい風が森の縁を吹き抜ける。だが、その空気とは裏腹に、三人の胸の内には熱が宿っていた。森のふちを歩きながら、ロンがぽつりと呟く。
「なあ、“守ってるもの”って、なんなんだろうな。あの三頭犬が見張ってるってことは、よっぽどの……」
「“ニコラス・フラメル”って人が鍵かもしれないわね」
ハーマイオニーが真顔で返す。言葉にはもう“調査モード”の熱がこもっていた。
「図書館で探してみよう」
ハリーも頷きながら言った。
(スネイプ、クィレル、三頭犬、ニコラス・フラメル……)
全ての名前が、見えない糸でどこかに繋がっている――そんな予感があった。三人はホグワーツの城へと戻っていった。新たな謎を手にしながら――。
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