東方懐古録   作:暁桃源郷

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三話

 人里の人気がほとんどない裏路地の一角にある八部屋程度の長屋。

 その左端の部屋で法衣姿の男は目を覚ました。

 

「うむ、広くはないが狭くもない。死ぬまでの活動拠点としては最適じゃな!あのワーハクタクも中々よい目を持っておる………。何より乳がよい!」

 

 僧侶の格好をしてはいるものの、その実名無しは欲に忠実である。甘い物はたくさん食べたいし、一日中怠惰に眠ってもいたい。極め付けには発育のいい女性と仲良くしたいとも思っている。

 そんな名無しにとって、上白沢慧音と言う女性は理想とも言えるだろう。

 

「朝からセクハラ紛いな言い様は止めて頂きたい」

 

 そんな名無しに待ったを掛けたのは当の本人である慧音だった。

 

「すまんの。童女に嫌な思い出が出来てからこっち、良い身体をした女に目がなくての」

 

 まったく………、とため息を吐きながら慧音は部屋の様子を伺う。来たばかりだと言うのもあるが、何もない。

 一夜が明けたが硬い床で眠れたのだろうか、と心配になってくる。

 

「とりあえず、朝食にしましょう」

 

 そう言うと慧音は手に持っていた食材を置いて台所に立つ。

 

「この歳にもなって若い娘に飯を作ってもらえるとは………何というか不思議な気分じゃのう」

 

 こう三百年程は、名無しもずっと一人で幻想郷の外を放浪していた。

 誰かと食卓を囲むこともなければ、若い娘と話す機会も無かったのだ。

 

「私も不思議な気分ですよ。初めて会った時の言動はいただけませんでしたが、話してみれば何故か貴方の声は気が休まる」

「………そんなことを言われたのは生まれて初めてじゃな」

 

 うっすらと笑みを浮かべながらふと、気付いたことがあった。

 ここで朝ごはんを作ってもらえるのはありがたいのだが、如何せんこの部屋には食卓がない。

 床に置いて食べるつもりなのだろうか。

 それでも名無しは構わないのだが、長いこと外にいたせいで食事は机で取る物だと習慣付いている。

 

「飯は床に置いて食べるのか?」

「いえ、もうじき届くはずですよ」

 

 届く………?

 小首を傾げる名無しの耳に外からドタバタと騒がしい足音が聞こえてくる。

 

「名無し!」

 

 ピシャリと開かれた扉から地面まで届く白髪を靡かせてカッターシャツにお札が貼られたモンペを着こなす少女が机を背負って顔をのぞかせる。

 名無しの名前を呼ぶ少女の顔に名無しは目を細める。

 

「主は………あぁ、車持の娘っ子」

「藤原妹紅だ。そう言えば名乗ってなかったっけ?」

 

 嬉しそうに話す妹紅に慧音は呆れたように声を掛ける。

 

「妹紅。話すのは構わないがせめて中に入れ。その姿では目立って仕方がない」

 

 気付いたように妹紅は部屋に入り背負った机を名無しの前に置くと名無しの隣へと陣取る。

 

「………車持の。何故儂の隣にピッタリと?これでは飯が食えん」

「妹紅だ。私の名前は」

「離れんか」

「ヤダ」

 

 沈黙が広がる部屋の中。慧音の調理音だけが響き渡る。

 その静寂を覚悟を決めたように妹紅が破る。

 

「───なぁ。そろそろ私の家に来てまた詩を詠んでくれよ。前みたいな立派な家じゃないけど竹林にあるんだ。一回だけで良いからさ」

 

 家の湿度が上がったような気がした。

 慧音は身震いを起こしながらできた物を机の上に並べて行く。

 

「妹紅、今日は用があるんじゃ無かったのか?彼にも今日は用事がある。積もる話はまた晩にしよう」

「………あぁ」

 

 小さく頷く妹紅に名無しと慧音は目を見合わせて名無しは話題を逸らす。

 

「して、妹紅。儂は一つ聞きたいことがあるんじゃが」

「何?」

「儂を殺せるような奴に心当たりはないかの?」

「な!?」

 

 何故その話題を選ぶ!?

 そんな言葉も出る間に妹紅が名無しを押し倒し、机が宙を待ってひっくり返る。

 

 

「それは………冗談で言ってるんだよな?マジで言ってるなら燃やすぞ」

「冗談じゃないわい。儂は永く生きすぎた。そろそろ頃合いじゃ」

 

 ギリッと歯を噛み潰して妹紅は名無しを殴り付ける。

 それでも名無しは涼しげな顔を見せながら続ける。

 

「主の炎を浴びた事は無かったの。ちと、試してみんか?」

 

 ふざけるな。

 そんな言葉が出そうになって妹紅はグッと飲み込んで立ち上がる。

 妹紅だって不老不死だ。気持ちは痛いほど分かるつもりだ。それでも、妹紅は名無しに死んで欲しくは無いのだ。

 ならば、と考える。不老不死が死にたくなる時。暇な時。大切な人が置いて死んでいくのに残された時。

 

「誰が試してやるものか!いいか!お前は私が幸せにしてやる!暇なんかにさせるものか!絶対にお前を一人に何かしてやるものか!だから───!」

 

 一粒の雫が名無しの頬に落ちる。

 

「妹紅………」

 

 それを見ていた慧音は何と声をかければ良いのか分からなかった。

 ただ、分かるのはそれでも法衣を着た男の心が動く事はないと言う事だ。

 慧音の予想通り男はゆっくりと立ち上がり───。

 

「えい」

 

 妹紅に拳骨を喰らわせた。

 

「………へ?」

 

 その場が困惑に包まれる。

 

「主の気持ちは嬉しいがな、儂は胸とタッパがデカく気の強い女が好みじゃ。後飯を粗末にする奴も好かん」

 

 まったく、と名無しは溢れた朝ご飯を拾い上げて全て口に放り込む。

 

「何じゃ?儂が邪険な顔でもすると思うたか二人とも。好かれるのに悪い気を起こす男はおらんよ」

 

 慧音には名無しの事がよく分からない。

 それは妹紅も同じようで呆気に取られた顔を見せる。

 名無しの心中が解る者など、それこそ心が読める悟り妖怪くらいなものだろう。

 

「さて、ワーハクタクよ。ちとバッチかったが儂は飯を食べた。残りは妹紅にくれてやれ」

「私も、慧音と呼んでくれ。ワーハクタクでは堅苦しいだろ」

「主が言うならばそうしよう」

 

 さてと、と名無しは妹紅に視線を向ける。

 

「では妹紅。主の飯ができるまでまだ時間もあろう。もう少し昔のように語ろうか」

「あ、あぁ………」

 

 困惑半分、嬉しさ半分といった顔で妹紅が頷く。

 それを見ながら慧音はふと、思った。まるで親子のようだ、と。

 再び慧音は朝食の用意に戻る。

 

「して、かのなよ竹とは今どうなっとる?」

「昔から同じさ。ずっとアイツとは殺し合ってるよ」

「それは………変わらずで何よりじゃの」

「アンタこそ、外の世界では何してたんだ?」

「儂か?儂を殺せる者を探して色んな場所を歩き回ったとも。ついには海の向こうにも行ってしまったわい!」

 

 楽しそうに語る名無しの話に妹紅は目を輝かせる。

 やはり暇が大敵な不老不死にとっては面白い話は良い刺激になる。

 

「予期せぬ顔見知りなどにもたまに会う事がある。そう言えば主の顔見知りにも会ったぞ」

「私の?外に居たかな、そんな奴」

「まぁ、主は奴のことを嫌っていたからの。忘れるのも仕方はあるまい」

 

 本格的に妹紅が誰だろうかと頭を悩ませていると、名無しは笑いながら答えを出す。

 

「咲耶姫じゃよ、木花咲耶姫。主に蓬莱の薬の効能を話したな」

「…………あぁ。アイツか」

 

 今更特に関わる気もない妹紅にとっては本当にどうでもいい女神の名前だ。

 

「んで、アイツと何話したんだよ?」

「いや何。何やら富士に篭る生活に飽きとった様じゃったんで記憶と神としての力を封印した上で童女にして別の島国へと送ってやったわ。何と言ったかの?昔は大英帝国と名乗っとったとこじゃ」

「ウッソだろお前」

 

 記憶と神の力を封印しただの、童女にしただのサラリと常識離れな事をやってのける名無しに妹紅は待ったをかける。

 

「アンタ、元々人間だったんだよな?」

「昔の話じゃ。主と会う頃には既に人とは言えんモノになっとったしの」

「力は、人間並なんだよな?」

「また異なことを。長い間生きていれば人間と言えど超常的な力が宿る事は主が一番知っとるじゃろうに」

 

 普通の人間だった妹紅は蓬莱の薬で不老不死になり、長い年月を経て炎の妖術を得た。

 それと同じ様にきっと名無しも何らかの妖術を得たのだ。

 

「難しい話もいいが、そろそろ食べないと遅刻するぞ」

 

 慧音の呼びかけに妹紅はハッとしていつの間にか置かれていた朝食の数々に視線を向ける。

 

「………あぁ、そうだな。頂きます」

 

 手を合わせた妹紅は箸を持ち、焼き魚に手をつけるのだった。

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