この世界に来てから、早百年。八欲王が転移してから二百年。八欲王の名も廃れ、彼らが殺しまわった亜人や異形も多くが元の生活を戻しつつある。
「それでも……百年。また、俺と同じプレイヤーがここにやってくる……か」
俺は自分の手を見る。とうの昔に老いぼれ、しわがれてしまった手を。この手で守れるものは多くを守ってきたが、あと生きても数年で俺は寿命死してしまう。
そうなった時、この世界の住人はどうなるのだろうか。竜王はまだ残っているが、それでも八欲王規模のギルドが転移してきたら、どうあがいても抵抗は出来ないだろう。
残り数年。ならば最後は、この世界の出身の者達で守り切れるように。人間種・亜人種・異形種。どれか一つに偏らない様に、公平な法を。
俺は自らのインベントリから、一つの指輪を取り出す。これを使えば不老不死になり、永劫の時を生きられる。しかし、そんなものに意味などない。俺は生きたのだ。あのぼやけて薄暗い、企業が支配するふざけた世界ではなく。自然が多く残るこの世界で、確かに生きたのだ。ならば、やり残したことなどなにもない。確かな今を生きたのだから。
「蛇よ。俺は願う。この世界に生きとし生けるもの。今を生きる生命も、これから生まれる生命も。アンデッドのような存在も含む全てに、ユグドラシルのプレイヤーと同じ仕様を与えてくれ。竜王に支配されることなく、プレイヤーに殺し尽くされることも無い……混沌の自由を。与えてやってくれ」
俺が取り出した指輪───『永劫の蛇の指輪』。それは願いを叶えてくれる。世界の法則すら書き換える。願いが叶ったのか、叶わなかったのか。それは分からないが、指輪が砕けて粉になった。
「いつの日か……この地上には、80レベルや90レベルの連中が溢れるかもな」
そうなった時、生存競争はどうなるのか不明だが……それでも、自ら明日を掴める力が彼らに備わるのであれば、俺はそれを良しとしよう。
DMMOユグドラシル。12年続いたゲームのサービス終了日に、ギルド拠点ごと異世界に転移してしまったプレイヤーが一人いた。
名をモモンガと言う。彼はサービス終了日、これで12年間遊び続けたゲームも終わってしまうのかという寂しさを覚え、それでも着実に刻まれる時間を数え、零時になり強制ログアウトされて日常に戻る……筈だった。
だがそうはならず、ログアウトどころかメニューコンソールすら開けない状態に陥ってしまう。事態はそれだけに留まらず、まるで人格を得たかのようにギルド拠点のNPC達は自らの意思で動き出してしまう。
異常事態としか言えない状況に見舞われたモモンガだが、転移から一週間が経ち、それなりに対応しつつはあった。
「侵入者だと?」
ナザリック地下大墳墓・第9階層ロイヤルスイート。ギルド拠点の奥深くに拵えられたモモンガ専用の執務室で、執事であるセバスと共にいたモモンガの下に、進言すべきことがありますと告げながら入室してきたアルベド───NPCの一人であり、ナザリックの全NPC代表の地位を持つ───の言葉に、モモンガは若干の警戒心を発露させつつ、訝し気に首を傾げた。
「はい。まだ内部に侵入されたわけではありませんが、ナザリックの地表部に複数の人影がいます」
「人影か。映像は用意できるか?」
「可能です。少々お待ち頂ければ」
アルベドがモモンガの意を受け、自らのインベントリからアイテムを取り出す。巨大な鏡にも見えるそれは、ナザリックの監視システムとリンクしており、地表部などを映し出すことが可能な機能を備えている。
モモンガの前に鏡がセットされ、アルベドが少し弄ると映像が映し出された。
「ふむ。確かに、見た事もない集団がいるな」
映像に映し出されたのは人間だった。全部で5人ほどの武装した人間が、ノートのような紙を手にナザリック地表部の建造物などを事細かに調査している。
その様子を見て、モモンガは思案する。
(この地に人がいないかどうかを探る予定ではあったが、向こうから来てくれるとはな。紙を手に……調査か? いきなり現れたこの大墳墓を、調べに来たのだろうか)
ここがどこかの国の土地であり、そこにナザリックという直径300mもある謎の建造物が出現。一応早々補足されないよう、NPCのマーレに土で隠し丘のようにするようモモンガは命じたが、それで完全に隠せるわけでもない。むしろ一週間も隠せただけマシかと、モモンガは思う事にした。
「モモンガ様。御命令頂ければ、不躾にも栄光あるナザリックに、土足で踏み入った愚か者共を始末しますが」
「! 待て。アルベドよ、その判断は早計だ。あの者共が何者なのかもわからぬ内に、手を下そうとするな。場合によっては、情報源に成りうる」
「承知いたしました。モモンガ様のご判断にお任せいたします」
いきなり物騒なことを言い出したアルベドに、モモンガは若干ギョッとしながらも、すぐに手を出すなと言いつけておく。
(アルベド、お前なぁ……ここに来てからのファーストコンタクトなんだぞ。俺に忠誠を誓ったり、ナザリックのことを栄光とか呼んでくれるのはありがたいが、この土地の情報も知らない内に排除しようとするなっつうの)
右も左も分からない土地で、ようやく話が通じそうな相手が飛び込んできたのだ。情報収集をする前に潰してどうするのだとモモンガは言いたい。
(それに、あの人達が俺たちより上だったらどうするつもりだよ)
モモンガはゲームアバターの体になったことにより、人間だった頃に比べて遥かに強靭で頑丈な体になり、位階魔法という強力な武器も手に入れている。それこそ片手で、10トンぐらいであれば持ち上げたりも出来るだろう。魔法で高層ビルを崩す事も可能だろう。
しかし、地表部で調査する人間が、モモンガのように強靭で頑丈な肉体だったら。同じように魔法詠唱者で、地表の神殿部分をいとも容易く破壊可能な魔法を使えたら。あるいはもっと強力で、片手を振るだけで高層ビルが何十棟も吹き飛ぶような超人だったら。
その可能性が0ではない以上、モモンガは迂闊な真似をしたくない。とは言え、もしもあの人間達が調査だけでなく、力ずくでナザリック内部に押し入るような集団であれば……
「こちらからも、事前に調べておく必要があるか。<
ナザリック内部からであれば、情報対抗魔法も大して必要ではない。相手のHPとMPを調べる魔法で、モモンガは映像越しに5人を観察する。
(高いな。HPとMP量からして、全員最低でもプレアデス以上……60レベルはあるんじゃないか?)
モモンガが<生命の精髄>と<魔力の精髄>で確認したところ、HPとMPがかなり高い。ナザリックに住まう者達と比較しても、かなり上位に来るレベルだ。100レベルである守護者と呼ばれるNPCと比較すると低いが、仮に戦闘メイドと呼ばれるNPC達をあれらと闘わせろと言われたら、モモンガが躊躇するぐらいには高い。
「モモンガ様。彼らですが、御身の魔法にはどう見えますか?」
「最低でも60レベルはあるな」
「外の人間が60もですか!?」
「ああ。あの人間達が、<
にわかには信じがたいと言わんばかりのアルベドに、モモンガはどう反応したものかを悩む。彼が口にしたように情報魔法で偽装している可能性も確かにあるからだ。
(60レベルか……判断に迷うラインだな)
60。これは本当に、モモンガが言うようにナザリックにとってギリギリのラインだ。これよりもっと弱ければ、最悪拉致して情報を聞き出す手段も取れるが、ここまで高いとナザリックでも数少ない、80レベルの魔将といった貴重な傭兵モンスターを出さないと対処が難しい。
しかし、多くの傭兵モンスターは同レベルの人間種と比較すると、スキル数や魔法数の関係上若干劣る。それにあくまでもHPとMPが60相当というだけ。攻撃力や防御力はもっと高い可能性もあり、モモンガ達が知らないような特殊な攻撃・防御の手段を擁する可能性もある。そうなると、実力行使に出るのは非常にまずい。
とは言え、せっかくの情報源がすぐ傍にあるのだ。ゆえに賭けに出る。堅実な策で行くか、博打に出るか。二つを天秤に乗せ───
「アルベド。セバス。お前達であれば、映像越しでも実力を測れたりはするか?」
「可能で御座います」
「そうか。では、ナザリック・オールド・ガーダーを、あの5人に向かわせよ。自動の防衛手段が働いたように見せかけ、襲撃させるのだ。オールド・ガーダーへどう抵抗するのか。それで実力を測り、本当に60あるのであれば、慎重に客人として接する。虚偽の情報であり、大したことがないようなら侵入者として捕らえる。アルベドも、それでよいな」
「承知仕りました。ただちに防衛システムを起動させます」
モモンガの命令を実行し、すぐにナザリックに自動で湧き出るモンスター───ナザリック・オールド・ガーダー達が、魔法の武器を手に5人へと襲撃を仕掛け始めた。
オールド・ガーダーは18レベルのモンスターであり、ユグドラシルでは雑魚でしかない。当然モモンガやアルベド、セバスといった100レベルにとっても、吹けば飛ぶようなちり芥。そして───
「強いな。オールド・ガーダー達が、虫のように蹴散らされるか」
60レベルの人間種にとっても、一山幾らの雑魚でしかない。
モモンガが言うように、アンデッドをけし掛けられた人間種は強い。侵入者たちの戦力だが、18レベルのナザリック・オールド・ガーダー達とは明らかに次元が違う。たった一太刀で一体が切り伏せられ、返す二刀で3,4体が散り散りになる。
「セバス。お前からみて、あの戦士達はどの程度の実力を持つ?」
「そうですな……あの弓使いが60前半。剣士が70前後。メイスを握っている……神官でしょうか。彼が65と言ったところでしょうか」
「アルベドも同じか?」
「悔しいですが……セバスと同じ意見です」
外の人間が60から70というのは信じられないのか、アルベドは宣言通り悔しそうな顔をしながら同意した。
「後衛の少女二人も強いですな。あれは───」
「第七位階魔法<
二つの魔法に吹き飛ばされ、瞬く間にオールド・ガーダーが殲滅されてしまった。それらの光景を見ながら、モモンガは思案する。
位階魔法を使う。なぜユグドラシルと同じ魔法が使えるのかと。まさかとは思うが、彼らは自分と同じようにユグドラシルからこちらに転移した存在なのだろうかと。
(しかし、それならレベルが60や70とは低すぎる……あの少女二人も前衛職三人と同じぐらいだとするなら、ビルド次第ではあるがレベル的には第九位階魔法が使えるだろうか……)
65前後の前衛職三人と、推定第九位階魔法を使える後衛職二人。舐めてかかるには相応の実力であり、慎重に対応する必要があるなと考えたモモンガは、当初の予定通り客人として接する事にした。
「セバス。私は彼らに接触する。ついてこい。いざと言う時には、お前に盾になって貰うぞ。アルベドは守護者を第一階層に集結させよ。もしも奴らが敵意を出して私を攻撃し始めたら、すぐに囲んで取り押さえろ」
「御身とセバスだけでですか!! 危険です! 最初から、守護者全員で向かうべきかと」
「向こうよりも多い人数で動けば警戒させるだけだ。いざと言う時には、ギルド指輪も使ってすぐにナザリック内部まで撤退する」
「しかし───」
「アルベド。これは命令だ。分かるな?」
「……承知致しました。セバス。モモンガ様に、指一本とて触れさせるな。それが執事の役目と思い知りなさい」
「分かっております、アルベド様。かの者らが敵であり、モモンガ様に害をなす者であれば、命に賭けてでも我らが主をお守り致します」
モモンガの指示を果たす為、すぐにアルベドは部屋から出ていく。それを見送った後、セバスに目配せしてからモモンガはギルド指輪を発動。地表部まで転移する。
(不自然に見えないように気をつけてっと)
一週間前までサラリーな営業をしていた時のことを思い出しながら、モモンガはセバスを供に5人へと近づいていく。
歩いてくるモモンガに気づいたのか、5人はすぐさま武器を手に臨戦態勢を取る。
「ローブを着た……スケルトン・メイジ?」
「もっと高位だと思う。
「こんだけ立派な墳墓だ。
モモンガを見てオーバーロードだと呟く。その様子から、恐らくオーバーロードとの交戦経験もあるのだろうとモモンガは推測する。
(つまりは80レベルを相手にしたことがある、か。下手に突っつくと、これはまずいかも)
ユグドラシルでのモンスターとしてのオーバーロードは、最低80レベルからスタートする。この土地でもそうなのかは分からないが、少なくともセバスが60から70レベルと判断した集団が、オーバーロードと口にしたのだ。これは考慮すべき案件だなとモモンガは思いながら、営業時に使う優しい口調で挨拶をする。
「初めまして、人間の諸君。そこにいるアンデッド共は、非常にすまない。自動防衛が働き、諸君らを敵対者だと認識し、排除しようとしてしまったようだ。申し訳ない」
深々と頭を下げるモモンガを見て、5人は少しびっくりする。さっきまで雑魚ではあるが謎のアンデッドに襲われ、そこにオーバーロードの可能性が高いアンデッドも現れた。つまり新たな襲撃だと警戒していたのに、オーバーロードらしきアンデッドの口から出てきた言葉は呪文詠唱ではなく謝罪の言葉。
どういう事だろうと怪訝な顔をする集団だが、未だに頭を下げたままのアンデッド───よく見たら、後ろに付いてきている初老の人間が口を大きく開けて驚いている───を見て毒気が抜かれたのか、5人は次々に構えていた武器を降ろしていく。5人は顔を見合わせ、どうするかと目配せした後に、おずおずと長い金髪の女性がモモンガに問いかけ始めた。
「え、えっとその。貴方は、その……オーバーロードですか?」
「いかにも。私はオーバーロードだ」
とりあえず相手の敵意が無くなったのを確認したモモンガは、頭を上げて自分がオーバーロードであることを肯定する。
「うーん……この墳墓に住んでいるんです……か?」
「ああ。ここは私の住まいであり、同時にこの墳墓の責任者でもある」
ここがナザリックであると───もしも彼らがプレイヤーなら警戒させてしまう───そう判断したモモンガは、ある程度情報を伏せながらここのリーダーは自分だと開示する。ここがオーバーロードの住居であり、自分達はそこに不法侵入して、結果防衛装置扱いのアンデッドに襲撃された。それを理解したのか、金髪の女性の青い瞳が揺れ、どうしようと言わんばかりの顔になる。
「ご、ごめんなさい! ここはその、今まで見つかっていなかったダンジョンだと勘違いして……ごめんなさい!!!!」
今度は女性が頭を下げ、モモンガに謝罪し始める。それを見て、モモンガはとりあえず集団が攻撃してこなくて良かったと思いながら、鷹揚に手を振る。
「気にする必要はない。こんな平原に、こんな墳墓があれば気になるのも仕方がない。表札を掲げて、家だと誇示しているわけでもないからな」
「ごめ───えっと、赦してくれる……という事でしょうか?」
「貴女達が自ら撃退したとはいえ、防衛装置に殺されていた可能性もある。そちらは知らない内に不法侵入をしていた。こちらは殺人未遂をしていた。お互い知らなかったのだから、仕方がないで流そう……それでどうかな?」
モモンガが茶目っ気をみせながら言うのを呑み込んだのか、女性は後ろを振り返り、それで良い?と4人に目で合図する。それで納得したのか、4人は頷いて返した。
「さて。では、このままお互い知らないで済ませるのも無愛想だろう。私はモモンガと言う」
モモンガ。それがオーバーロードの名前であると判断したのか、慌てて女性は自らも名乗り返した。
「私は……ツアレ。ツアレニーニャ・ベイロンと言います!」
月夜の下での世界征服(誤発注イベント)はまだ発生していない