「私が生まれた国は、皆さんが創り上げてきた、エ・ランテルのような素晴らしい場所ではありませんでした」
周囲を囲まれながら、モモンガはポツポツと言葉を漏らす。非常に静かな声で、ナザリックで使う重い声でも、営業時に使う明るい声でもない。聞く者の耳に染み入るような、本当に静かな音。
「その国は、魔法実験の失敗で、水と大気と大地が毒性を帯び、植物は枯れ果ててしまったんです」
「枯れて……どうやって農作なんかをしてたんだ?」
「まともな農作物なんてありませんでした。ギリギリ、毒耐性の高い一部の食物が残っただけです。それも、希少性から高額で、庶民の口に入る事なんてなかった」
「庶民じゃなければ、食えたような口ぶりだな」
「その通りです。私の生まれ故郷では、エリートと呼ばれる人達がいました。生まれつき裕福な家に誕生して、私のような下級生まれでは住めない、アーコロジーと呼ばれる場所で暮らす人々が」
「その、アーコロジーてのは?」
「強い毒性を帯びた大気の中で過ごすには、魔法で作られた人工肺や、防毒装備が必要です。それを嫌ったエリート達は、毒物質を防ぐ魔法結界が張られた、高級都市を建設したんです」
「……するってえと、あれかい。そのエリート様ってのは、自分達だけ良い環境で暮らそうとしたと?」
モモンガの語りを聞いていた、エ・ランテルの住民たちは口々にマジかよと呟く。それは連邦では、あまり聞いたことのない思考方法。自分だけが何かを独占するより、その分を金に換えて他人に投資した方が、よりよい未来が待っているからだ。投資した誰かは、必ず一流になり社会に還元する。そうして国を動かしてきた彼らにしてみれば、独占とは自分が損をする行為に他ならない。
「……仕方なかったんです。エ・ランテルほど魔法技術が発達していなかったので、私の国には全員が幸せになれるだけの資源がありませんでしたから」
「そっか……上手くいかねえもんなんだな」
「ええ。そんな国で生まれた私は、恵まれない側……いいや、まだ恵まれた側だった。大変なこともたくさんあったけれど、両親が命がけで小学校に行かせてくれただけ、まだマシだったんだ」
数時間前に、セバス達に話したのと似たような内容をモモンガは語る、が。もう少しだけ詳しい詳細が添えられる。
小学校に行ったが、下級層の人間が学校に行けるのは珍しい。なにせ教育費も高額なのだ……モモンガの両親の命が削られたくらいには。
中級層以上が当たり前の環境で、モモンガは馴染めなかった。友達なんて一人も出来ず、教師も将来が約束されているエリート候補の子達を優先して面倒を見ていた。
「寂しかったな……」
小さな声の中に籠められた感情は、声に似合わぬほど大きかった。幼少期から両親が家に殆どおらず、友と言える人間がいない環境。それが幼子にとって、どれほど苦しいのか……
「それから両親も亡くなって、私は働くことを余儀なくされました」
これ以降、モモンガの日常に彩りは無くなった。社会人生活を過ごしたが、その過程でも友達も恋人も出来なかった。友達の作り方を幼少期に学べず、成功体験も得られず、教師にも褒められず自尊心すら育まれなかったモモンガが……十三歳で大人の社会に放り出された少年が、どうやってそんな仲間を得ろと言うのだろうか……
「……三十三歳のある日。私は気が付いたら死んでいました」
結局、人間の頃に何も得られなかったモモンガは、何人でもないまま生涯を閉じた。
聞いていた面々は、何とも言えない表情をしていた。同情すれば良いのか、はげませば良いのか。どちらを選べば正解なのか、彼らには選べなかった。
シャルティアは顔がくしゃくしゃになっている。アウラは涙目になっており、マーレに背中を擦って貰っていた。セバスは苦しいのか、心臓を押さえている。
……僕にとって、偉大なる御方が偉大ではなかった時代の話。モモンガのルーツを知れたことは嬉しく……自分達では、過去のそれをどうにもできない事に対する悔しさと悲しさ。全てがごちゃませになり、どうすれば良いのか分からない。
モモンガの手足となり、仕える事こそが至上の歓びなのに……何も出来なかった。
「そうして生涯を閉じる筈だったのに……遠く離れた地で、スケルトン・メイジとして生まれ変わったんです」
ここからが、現在目の前にいるモモンガに繋がっていくのだと一同は少しホッとする。人間時代は散々だったが、ここから彼が口に出していた黄金の栄光とやらが始まるのだろうと……しかし───
「………………生まれ変わった私は、右も左も分からなかった。何をしたら良いのかも分からなかった。そんな時に人間に出会ったんです。出会って……殺されかけた。あとで知った事ですが、当時私が生まれ変わった地域では、異形種狩りが流行っていた」
異形種狩り。ユグドラシルのゲーム性を、これ以上なく体験可能な非公式イベント。ゲーム内では人間種が一番多く、異形種は少なかった。そしてPVPが実装されたシステムと、人間種が異形種を狩ると取得可能になる
「私は逃げて逃げてにげて……最後には追いつかれて。ああ、死んだのに、またすぐ殺されるのか。そう思ったんです。
リアルでも、ゲームでも。自分は求められていなかった。それを突きつけられたモモンガは、殺されたらユグドラシルなんて辞めようと思っていた。そもそもゲーム自体を辞めようと考えていた。なにせ始めて触れた娯楽コンテンツがユグドラシル。そこですら成功体験が得られないなら、ゲームなんてやってたところで苦痛なだけだ。
「けれど……私は死ななかった。間一髪のところで、同じ異形種に助けられたんです」
「その時、人間はたくさんいたんですよね。なのに、助けてくれた。その異形種の方は、勇気がある方なんですね」
「……はい。とても勇気がある方で、私なんかとは比べ物にならない凄い方でした。今でも思い出します。
「それは!! それは、まさか!!!」
セバスが勢いよく立ち上がる。モモンガが口にした外見の特徴と、自らの設定にすら書き込まれた一つの言葉。それは紛れもなく、自らの創造主の───
「座るんだセバス。今は……私に話させてくれ」
「は!……申し訳ございません、モモンガ様」
「いいさ。お前にとっては、無視できない存在だろうからな」
モモンガとセバスのやりとりは、この場にいる誰にも分からない。三人の僕すら知らない事。流石にこの場でその詳細までは語る気はないのか、モモンガの語りは次の場面に移る。
「その方は見も知らぬ私を助けた上に、一緒に来ないかと誘ってくれたんです。嬉しかった……嬉しかったんだ。初めて、誰かに誘われて……嬉しかったんだよ」
「そいつは良い事だな。俺も思い出すよ。初めて友達に、一緒に外に出ようと誘われた時を」
「ええ、嬉しかったんです。そうして誘われた私は、その人の仲間になりました。でも、仲間は私だけではなかったんです。他にも、異形種狩りから逃れたり、同じように救われた方がいました……全部で9人。私を救ってくれた人をリーダーに、弱者救済クラン『ナインズ・オウン・ゴール』が発足されたんです」
「クランと言うと?」
「皆さんの知る、ギルド……の小さい版だと思ってください。私達のクランは、異形種狩りに遭うものや、他に行く宛が無かった孤独な異形種を、救い上げる組織として機能したんです。最初は9人だったメンバーは一人、また一人と増え、ついには27人にまで増えました。その時に、27人も集まって、9人を表現したナインズ・オウン・ゴールは不自然だと言う事で、一度クランを解体して、推薦で私をリーダーとした組織……ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』として、新たなスタートを切りました」
アインズ・ウール・ゴウン。その名前を聞いても、やはりエ・ランテルの住民はピンと来ていないが、この場にいる四人の僕は違う。その名前が持つ意味はとても重く、自分達は神の口から創世神話そのものを聞かされているのだと理解した。
そこからも、モモンガの語りは続いていく。メンバーが最終的には41人になったこと。全員で力を合わせてナザリックを建設し、自分達が住むのに満足できるだけの施設を整えた事。モモンガが新たに産まれた地───ユグドラシルで、アインズ・ウール・ゴウンは何千とあるギルドの上位9位に入るほどに強くなったこと。
時にはダンジョンを攻略した。時には仲間同士で駄弁りあい、カードゲームやらに興じた事。モモンガの口は滑らかに動き、彼が言う黄金の栄光───その旅路が懐かしそうに開示される。
(お酒に酔うってのはこういう事なのか……素面なら、絶対に恥ずかしくて語れないな)
初めて出会った人々に、自分の思い出話をする。そんなのはギルドメンバーにしか───あの懐かしく、遠い日にしか残っていない名前たちにも、あまりしたことがない。ゲーム内で思い出を語らなくとも、今に語る事が多かったのだから。
だから、これは思い出を語ると言うよりも……子供が親に今日あったことを報告するのに近い。
───○○くんと、今日はこんなことをしたんだよ!
そんな言葉すら、実の両親にすら言えなかった。語るべき相手を持たなかったモモンガに、初めて許される、他者に己の感情をさらけ出す機会。
他人の思い出などそれほどの価値がない筈なのに、この場にいる全員はダンジョン攻略の事などを面白そうに聞いている。自分達にも何かを熱く語る想いがあり、共感できることが多い。だから彼らは、酒を呷りながらモモンガの話に耳を傾けてくれるのだ。
熱が入り過去を懐かしんでいたモモンガだが……とある場所から、声のトーンが落ちていく。
四十一人の中に、いつしかナザリックに来なくなった者が出て来た。彼、あるいは彼女は、ナザリック以外に居場所を見つけたのだ。新しく見つけた居場所が心地よく、いつしかそちらが本流になり……別れの言葉を残して、二度と姿を見せる事はなかった。
それは一人、二人ではない。数はどんどんと減り、四十一人は三十人に。三十人は一五人に。十五人は三人に。そして……モモンガを残して、みなナザリックを去ってしまった。
「なんで……なんでだよ! みんなで築き上げたナザリック地下大墳墓なんだろ! 時間をかけて、アインズ・ウール・ゴウンの名前を広めたんだろ!! なのに……なんでそんな簡単に捨てられる!! あの場所に価値は無かったのかよ!! ……みんな、なんで……なんで、俺を置いていくんだよ。戻ってきてくれよ……あの栄光の日々が、確かにあったことを実感させてくれ。あと一度だけで良いから、全員で……過去じゃなく、新しい今を創らせてください……」
……それがモモンガの本音だった。初めて出来たたくさんの友達と、もう一度心行くまで遊びたい。他のゲームに一部のギルメンからモモンガは誘われていたが、それでも彼はユグドラシルに固執した。なぜなら、ここで他のゲームに時間を取られたら、ユグドラシルを遊ぶ機会は無くなり、拠点維持用の費用をモモンガが稼げなくなったら、その瞬間にナザリックとアインズ・ウール・ゴウンの歴史は終わるのだ。
そんな簡単に諦められるほど、初めての感情は安くない。だからいつか、もう一度全員が集まる事を夢見て……
「……エ・ランテルのみなが羨ましい。今もなお、新しい思い出を綴っているのが妬ましい。俺にはない
これがモモンガの本当の本音だった。酒場のドアが今開いて、ひょっこりバードマンが顔を覗かせないだろうかと夢想してしまう。彼はモモンガを見つけて、こう言うのだ。
「ペロロンチーノさんに……こんなとこにいたのか。一緒にあの店いきません? 今日お気にの娘が出勤なんですよ。そう言って欲しいんです」
……そんな日はやってこない。モモンガだって薄々気づいてはいるのだ。ゲームアバターで異世界転移をしたなら、この世界にやってきている他のプレイヤーもまた、同じようにゲームアバターであろう。そうなると、あのサービス終了日にゲームにログインしていないなら、そもそもこの世界に来ているわけがない。あの日、ゲームにログインしてくれたのはアカウントを残していた三人だけ。その三人も、ゲーム終了前にログアウトしているのだ。
いて欲しい希望はある。けれど、頭の冷静な部分が囁くのだ。来ているわけがないだろう、と。
「……羨ましいか。そんな風に言われたのは、初めてだな」
「そうだな。俺たちは、生まれた時からこの生活をしてきた。物心ついた時には、オーバーロードの兄ちゃんが言うところの、輝く今があった。欲しいものがあるなら、努力すれば手に入ったからなぁ」
「そういうところも含めて……俺は羨ましいと思います。全員が同じ方向を見て、差別なく、区別なく、独占せず、分け合いながら自分も豊かになる。ああ、なんて───」
───眩しいまでの輝きなのだろう。
この輝きを見ていると、どうしてもモモンガは考えてしまう。もし……最初から自分が生まれた世界がこの世界で、ギルドメンバーも同じように生まれていたらどうなっていたのだろうと。
鈴木悟は両親と共に、朝から晩まで農作業をする。それが終わったら、他愛のない話をして一日を終える。偶にエ・ランテルのような都市に来たら御馳走を食べて、面白い玩具を買って貰うのだ。
それを続けている内に、自分にもしたいことがきっとできる。ツアレやセリーのように両親を説得し、都市に出たらギルドに入れて貰う。そこでウルベルトやペロロンチーノと言ったギルドメンバーと共に、たくさんの冒険をする。
……それはきっと楽しい毎日だ。この日常が創られるまでに、多くの血が流れたのは事実だろう。モモンガには完成された社会に見えるが、最初から完璧ではなかっただろう。そもそも、始まりが種族間の絶滅戦争なのだ。今という日々のために、その時代その時代を生きた誰か達は、種族の壁を乗り越えて手を取るために一歩の勇気を踏み出した筈。
それでも……夢を叶えるために、二人三脚で走り続ける毎日。退屈など無縁で、日進月歩で発展する社会で仲間と歩み続けられる。老いて孫に看取られるまで、ずっと続く。
もしも───もしも─────────
「こんな世界に生まれていたら、俺は……最初から、寂しい思いをしなかったんだろうか」
そう、モモンガが言葉を締めくくる。彼の言葉を噛みしめて、店内は少し静かになった……違った。誰かの嗚咽が聞こえてくる。モモンガが泣き声の主を見るとアウラだった。両手を顔に当てて、ずっとしゃくり上げている。マーレはそんな姉を慰めているが、彼だって眼は赤色に染まっていた。シャルティアは涙腺が無いので泣いてはいないが、アウラのように俯いて顔を上げすらしない。セバスは心臓が止まっていたので、店内にいた信仰系魔法詠唱者達が介護している。
ナザリックの僕にとって、最後までお残りくださった偉大なる慈悲の神にして、万物の支配者。彼の心は海より深く広く、その眼は万象を見抜く慧眼。全知なる智謀の神王。それがNPCから見たモモンガであり……鈴木悟はどこまでも人間だった。
アンデッドとなったことで、ゴブリンを殺害しても心は動揺せず、血を見ても精神に一切の不調なし。
けれど、心を揺り動かされる劇を見たら、鈴木悟の残滓は強く表に出てくる。人間だった時代の精神が零になったわけではない。今この瞬間、寂しかったことを告白する彼は……やはり人間でしかない。
そんな彼の隣に、ワイトが自分の椅子を持って行き隣に座った。
「ワイトさん?」
「……ワイトは、大戦争の生き残りです」
「え?」
「ワイトには、同じワイトの仲間がいたのです。みんな死にました。ワイトしか残っていないです」
アンデッドは不老の存在。当時の生き残りはそれなりに存命で、ワイトもその一人だった。
「……友が死んだのですか?」
「友……そうです。当時は思わなかったが、今なら友だとワイトは思います」
「寂しいって…………そう思わないんですか」
「ワイトはそう思いません。彼らと語りたいことはあります。ですが、寂しくはない。友はまだいるからです」
そう言って、ワイトは
「友って。ワイトさんと私は初対面なんですよ」
「同じ宴の席を共にしたら、それは友だとワイトは思います。この都市で、そう習いました」
ワイトが酒の入った自分のグラスを、モモンガの手に握らせる。彼がしっかりと握ったのを確認したら、後ろの席に置いていた別のグラスを手に取り、モモンガのグラスとぶつけあった。
「これが友達になる合図です」
「─────────」
モモンガは……まだ自分がこの国を……この都市を甘くみていたのだと───
「そうだそうだ! ワイトの旦那の言う通りだ!!」
「同じ樽の酒を飲んだら、その瞬間から男は兄弟なんだよ!!!」
「いや……だって。俺は今日この街に来たばかりで、それなのに友達とか兄弟だなんて」
「バカ野郎お前、いいだろそんなこと。ホラ、飲め飲め!!」
「ビールつめた!!」
先ほどまでの静かさはどこへやら。どいつもこいつも次から次へと酒を持ってきてはモモンガにぶっかけていく。途端にモモンガの神器級ローブが酒塗れになっていく。
「さっきから聞いてりゃ、ごちゃごちゃと考え過ぎなんだよ!! 人間だった時代は悲惨かもしれねえ!! 生まれ変わった直後は悲惨かもしれねえ!! けどよ、良い仲間に出会えて、良い想い出を作ったんだろ? それなのにいつまで辛気臭いこと言ってんだ!!」
「友達が去るのは辛い事ですが、それで停滞してたら人生……アンデッド生は面白くないですよ。貴方のアンデッド生は、これから何百年、何千年と私と同じように続くんです。新しい事を知っていかないと」
「がはは! 異形種狩りか……俺は亜人だが、懐かしいな。あの大戦争で、どんだけ人間にぶっ殺されたか。十以降は数えていないぞ」
……悲しい事はたくさんある。辛い事だってたくさん。今は黄金に輝くエ・ランテルだが、それは歩みを止めなかったからだ。ただ明日を。友の死があろうとも、自分の死があろうとも、決して足を止めない。立ち止まっていては……停滞していては何も始まらない。
その在り方が眩しくて……またモモンガは羨ましいと思ってしまった。同時に……輝く彼らに、友と言われて喜ぶ自分がいて───
「モモンガさん!!」
「あ、はい!」
「モモンガさんは、連邦に生まれてみたいと思ってくれたんですよね?」
「え、ええ、まぁ」
「なら、今日からなっちゃえば良いじゃないですか。連邦で生まれたアンデッドとして、新たに再スタートしちゃえばいいんです」
再スタート。それを聞いて、モモンガはワイトに渡されたグラスを見つめる。そこには他の連中が自分にかけるものだから、多数の酒がまざっており……まるで、自分も彼らの中に混ざっているようで───
「それで、友達をたくさん作っちゃえば良いんです。アインズ・ウール・ゴウンの、モモンガさんがそこまで会いたいと思うほどのお友達には敵わないかもしれませんが……新たな自分を見つけても良いんですよ」
「新しい、自分……」
それは……それはなんて甘美な誘いなのだろう。どこかで思わなかった訳ではない。ギルメンのみなが自分の生活に戻っていったように、ゲームが終わっていたら鈴木悟も己の生活に戻る筈だった。
そこで過去を振り切り、ナザリックのない新しい生活を始めるのが普通だったのだ。なのに気が付いたらナザリックと共に異世界にいて───
「……………………」
「こりゃ、まだ悩んでんな」
「それだけ初めて出来た繋がりが、大切なのである。ルクルットも、初彼女に振られた時はおいおい泣いていたであろう」
「人の傷ほじくり返すなよ。まだ心残りなんだぞ」
「うーん。あ、そうだ。モモンガさん、まだそのお友達に会いたい心があるなら、研究してみたらどうですか?」
セリーが研究と言い出すが、何のことなのかモモンガには不明だ。一体何を───
「モモンガさん達は、あの墳墓と共に異世界から来た……でしたね」
モモンガはユグドラシルの事を語る時、この世界の文明レベルだと誤魔化しは効かないだろうと、正直に異世界人だと明かしている。転移事故が起きてしまったのだと。
「あの墳墓の転移装置が壊れていて、直す術がない。なら、直せる技術を、
直す……開発。その言葉を聞いて、モモンガに衝撃が走った。今まで考えなかった事であり、同時にそんな事が可能なのだろうかと不安が鎌首をもたげる。
「で、きるんですか……」
「出来るかどうかではない。今もなお後悔するほど、成し遂げたい事があるのだろ? ならば、成すまで走り続ければいい。我々がみな、夢があるならそうするように、貴殿も夢を追いかければいいのだ」
「モモンガさんが一人で走るのに疲れたら、この国の誰かに頼ればいいんです。異世界に転移する研究なんて、絶対に誰かが興味を持ち、共同開発に携わってくれるんですから」
……モモンガは呆然としていた。自分は詐欺にでもあっているのではなかろうかと。だって、こんなにも誰もが優しくしてくれるなんて、そんなのはリアルではありえないことで……鈴木悟が知る現実では、小学校どころか、幼稚園にすら行けない子供が、防毒マスクも人工肺も買えずに道端で冷たくなっていた。
誰も子供に手を差し伸べなかった。悟だって差し伸べなかった。だってそんな余裕はなかった。エリートでもなければ、誰かが困っていたら助けるのは当たり前なんて思想が出てこない社会だった。そんなエリートにしても、一部以外は自分の利益を優先して、下々から搾り取るだけだった。
ユグドラシルも同じ。PVPで勝った方が正義の勝者総取り。負ける方が悪く、自衛手段を持たない弱者が愚か者。たっち・みーのようなヒーロー志望の方が珍しい世界だった。
でも、ここは違う。眩しいとは思った。ここで生まれていたら幸せになれたとは思う。それでも、なお、あまりにも善性が強くて───
「な、ぜ。なぜ、ここまで。俺に……優しくしてくれるんですか」
強者と勝者しか勝たない世界しか知らない、小さな子供の単純な問いに────
「
その言葉を聞いた後……モモンガは、手の中の杯を一気に呷った。多数の酒が混じり合った奇妙な色の液体。モモンガ自身が飲んだところで、胃も舌もないのだから何の意味もない。酒は勢いよくモモンガの腹にある、ワールドアイテムに降り注いだ。
「……いまぃ。うまいなぁ……この酒は、ここの酒はこんなにも───美味いんだな」
味などしない筈なのに……彼はひたすら、美味いなと繰り返した。
そして───
「あともうちょいでモモンガの旦那の負けだ!」
「ぬぅう……舐めるな!<
「なんか叫んだけど普通に負けた!!」
「……<魔法抑止領域>の効果か。不発に終わるとはな。仕方ない! セバス!! 15杯目だ!!!」
「……は……い」
負けたら一気の腕相撲バトル。15回目の敗北をしたモモンガの代わりに、セバスは度数100%を超える魔酒を呷る。死にかけそうな顔をしているセバスだが、滅茶苦茶指を立ててエールを送ってくれる主人のために力を振り絞って飲み干す。主のために尽くせる執事に、限界なんてねえ!僕舐めんなファンタジー!
「セバスさんが倒れたぞ!!」
「衛生兵!!!!」
「モモンガはんも倒れおった!! 誰かネガティブ・エナジーの持ち主はおらへんか!!」
「私に任せるでありんすぇ!!!」
ぎゃあぎゃあやかましい店内の中、ツアレに膝枕で看病されるセバスの視線の先にはモモンガが───大勢の中に、鈴木悟がいた。
宴は続く続くよどこまでも。笑い声への返答は笑い声。眠らぬ者多数の異形種亜人種、睡眠耐性人間種。
三つの笑い声は天まで届く。ここは経済都市エ・ランテル。始まりの街エ・ランテル。平等の神がおわす街。
視察編終了。レベル7ぐらいで視察編は終わらす予定だったのに長くなっちゃった。次回は一旦ナザリックに戻る予定です。
多数の評価感想ありがとうございます。頂いた評価や感想に相応しい作品が書けたらなと思います