「ルーカス・ヴァルト 34歳 男性 王都にて宮廷音楽家の次男として出生。幼少期よりヴァイオリンと声楽の才能を発揮し、20歳で王立歌劇団の主席演奏家兼宮廷音楽家に就任。王族や貴族の御前で数々の名曲を奏で、将来を嘱望されていたが、26歳の時分より禁忌とされる『死者を呼び戻す古代の音律』に関する古文書の収集と研究に没頭。王宮の楽器や資金を無断で横領して研究費に充てていたことが発覚し、爵位の剥奪および追放処分を受ける。その後も私財を投げ打って研究を続けた結果、全財産を失い、高利貸しからの借金が返せず、この度職業斡旋のため金貨45枚にて案内する。 以上、相違はないか。」
「はい、相違ございません。」
「ではここにサインと捺印を。おい、いつものように3番房室に入れておけ。あと、暴れるようなら首輪の呪術の出力を少し上げてもいい。」
「ま、待ってください!ウィリアム様……!私はただの落ちぶれた音楽家ではありません!私には、貴方様の事業……いいえ、この世界の裏社会すらひっくり返せる『価値』があるのです!」
(房室へ連行されそうになった瞬間、ルーカスと呼ばれた男が必死の形相で床に這いつくばり、ウィリアム様の足元にしがみつきました。その目は狂気と恐怖に満ちながらも、奇妙な執念の光を宿しています。)
「ふむ……。借金を抱えたクズがよく口にする常套句だな。価値があると証明できるならば話を聞いてやってもいいが、あいにく我が屋敷に音楽を鑑賞する余裕はない。工船作業員か鉱山採掘のどちらか、好きな方を選ばせてやろう。」
「ち、違います!私が扱えるのは、ただの綺麗な音楽ではありません……!私は!霊体を統べ、冥府の軍勢を従えるという伝説の秘曲――『レイスを呼び出す黒魔術の音楽』を奏でることができるのです!」
(その言葉に、厨房で片付けをしていたわたしの手がピタリと止まりました。リリアも興味津々な面持ちで首を傾げます。)
「レイスを呼び出す……?音楽が黒魔術の触媒になるという話は聞いたことがあるが、大抵は詐欺か、せいぜい聴き手を少し狂わせる程度の粗悪な幻術だ。宮廷音楽家が落ちぶれて頭でもおかしくなったか?」
「嘘ではありません!証拠をお見せしたいのですが、この呪われた首輪と拘束を解いてくだされば……!この場で最高の演奏を披露し、レイスの群れを呼び寄せてみせます!」
「……ほう。この屋敷の封じの呪術と首輪を解け、と?」
(ウィリアム様は細い眉をひそめ、冷ややかな瞳で男を見下ろしました。その唇には、いつもの底意地の悪そうな、しかしどこか楽しげな笑みが浮かんでいます。)
「いいだろう。そこまで自信満々に言うのなら、今すぐここで実演してみせろ。ただし、首輪を外す必要はない。そのままで演奏できるならな。」
「そ、そんな……!この首輪の魔力干渉があっては、霊波を正確に共鳴させることは不可能なのです!私を解放してくださらなければ、この黒魔術の奥義は永遠に闇の中です!」
「……。」
(ウィリアム様は静かに立ち上がり、男の目の前に歩寄ると、冷たく言い放ちました。)
「わたしを脅すとはいい度胸だ。お前が本物の音楽家だろうと詐欺師だろうと、我が屋敷に入った時点で決定権はすべてわたしにある。……おい、さっさと房室へ連れていけ。」
「ま、待て!待ってくれ!……クソッ、分かりました!では取引をしましょう!」
(男は引き剥がされそうになる腕を必死に踏ん張り、血走った目でウィリアム様を睨みつけました。)
「私をこの屋敷の専属音楽家として解放し、自由を保証するのです。……そうすれば、貴方様のような黒魔術師が欲しがるあらゆる『死者の秘密』を、音楽の力ですべて暴いて差し上げます!」
「頭がどうにかなったか?先ほども言ったように、当施設に音楽家は募集していない。」
(ウィリアム様は冷徹な一刀両断の言葉とともに、その場に背を向けました。あまりの容赦なさに、引きずられていくルーカスが「待て!本当に損はさせない!」と絶叫のまま房室の闇へと消えていきます。)
(――しかし。)
「……おい、新人。」
「ん?なんじゃアム。用事が済んだのならば早く甘いものでも……」
「先ほど男が口走った『レイスを呼び出す黒魔術の音楽』だが……バルロドス王朝時代にそんな記録を見た覚えはあるか?」
(パタン、と裏口の鍵をしっかり掛け、さらに三重の結界呪文を張り直しながら、ウィリアム様は微かに眉をひそめました。その瞳の奥には、先ほどまでの冷淡さとは打って変わって、得体の知れない知的好奇心と底知れぬ探求心の炎が静かに揺らめいています。)
「ほぉ?あのアムがのぉ、さっきまでゴミを見るような目をしていた男の戯言を気にしているのか?」
「戯言かどうかを確かめるのが商人の務めだ。それに、黒魔術の触媒として音や旋律を用いる手法自体は古文書の端々に見られるが、実用化されたという話は聞いたことがない。もしそれが本当の秘曲なのだとしたら……霊体を強制的に従わせることで、索敵や危険地帯での魔石の採掘など、使い道はいくらでもある。」
「な~んじゃ、結局は事業の効率とカネの話ではないか。相変わらず強欲なやつだな、アムは。」
「強欲ではなく合理主義と言ってほしいものだ。だが、だからといってあの【商品】の言いなりに首輪を外して屋敷内で野放しにするのはリスクが高すぎる。……ウィーサ、【商品】の食事に精神安定剤を混ぜる、念のための<従属の呪符>を用意しろ。」
「はい、かしこまりました。……ちなみにウィリアム様、もしあの男の音楽が本物だった場合、どうされるおつもりですか?」
「決まっているだろう。【商品】の脳ミソと譜面だけを綺麗に回収し、本体は予定通りどこか別の使い道に回すさ。――音楽家など我が屋敷には不要だが、優秀な『呪具』の素材になるのなら、喜んで雇い入れてやろう。」
(そう言って不敵に笑うウィリアム様の表情は、どこか少女のように無邪気でありながら、同時に底知れぬ闇を湛えていました。)
●
翌日の夜。ウィリアムが書斎で帳簿の計算に没頭しているその裏で、屋敷の薄暗い廊下を忍び足で進む人影があった。
「ふふん、アムめ。効率やカネばかり気にして、本当の芸術の価値が分かっておらん。……おい、聞こえているか
「ひっ……!貴方は、昨日の……!」
リリアは音もなく3番房室の鍵を開け、気怠げな笑みを浮かべながら中へ足を踏み入れた。房室の隅で震えていたルーカスは、目の前に現れた美少女の姿に目を丸くしている。
「お前、『レイスを呼び出す黒魔術の音楽』とやらが本当に扱えるのじゃろう?アムはあのざまじゃから信じとらんが、わたしが査定してやろう。ほれ、これをやる。」
カチャリ、と音を立ててリリアが投げ渡したのは、押収品として保管されていた上質なヴァイオリンだった。そして、ルーカスの首元に巻き付いていた魔力干渉の呪い首輪を、リリアは面白半分にパチンと外してしまった。
「なっ……!?あ、あぁ……魔力の縛りが消えた……!我が全身を駆け巡るこの感覚は……間違いない、完璧だ……!」
「お、なんだか急に空気が冷たくなってきたぞ。おい、
「フハハハハ!愚か者め!首輪を外した私を解放したことを、地獄の底で後悔するがいい!我が悲願の旋律よ、今こそ冥府の扉を開け――ッ!!」
ルーカスが狂気に満ちた笑みを浮かべ、ヴァイオリンを構えて弓を激しく走らせた。次の瞬間――
ギィィィイイイイイイイイイイ――ン……!!!
屋敷の空気が一瞬で凍りつき、床や壁から無数の黒い泥のような影が噴き出しました。地を這うような怨嗟の叫びとともに、青白い炎をまとった数百のレイスたちが、壁をすり抜けて次々と広間に溢れ返った。
「ひゃあぁあ!?な、なんじゃこりゃあぁあ!?」
普段は余裕綽々なリリアも、視界を埋め尽くすほどの大量の亡霊の群れと、頭蓋骨を直接揺さぶるような地獄の音色に、流石に青ざめて悲鳴を上げる。
「クハハハハ!見よ!これぞ我が芸術、これぞ死者の軍勢だ!さあ、私を愚弄した者どもに絶望を――!」
「……おい、誰だ。わたしの屋敷で勝手に大音量を鳴らしている馬鹿は。」
――ガチャリ。静まり返るはずの廊下の扉が、音もなく開いた。
そこに立っていたのは、手元に帳簿を持ったまま、完全に表情を消し去ったウィリアムだった。その背後からは、いつの間にか状況を察知したウィーサが、冷や汗を流しながら震えている。
「あ、アムよ……!違うのじゃ、これはじゃな……!」
「……新人生まれて初めての、そして最期のおしおきだな。」
ウィリアムの瞳の奥で、静かな、しかしマグマのような怒りの炎がバチバチと音を立てて燃え上がった――。
「<
ウィリアムが淡々と紡いだその一言と同時に、空間の空気が凍てついたようにピタリと止まる。数百のレイスたちは青白い炎を揺らしたままその場で硬直し、ヴァイオリンを構えていたルーカスもまた、引きつった笑みを貼り付けたまま糸の切れた人形のように床へと崩れ落ちた。
「ふぅ……。せっかく綺麗に整えていた帳簿の計算が台無しだ。責任は取ってもらうぞ、新人。」
「ひっ……!あ、アムよ、これはじゃな……ちょっとばかり音楽家殿の腕前を査定しようかと……。」
青ざめて冷や汗を流すリリアを一瞥し、ウィリアムは床に転がるルーカスへと歩み寄った。無数のレイスが蠢く廊下の中、ウィリアムは冷ややかな瞳でルーカスの脈を測り、その瞳孔を確認する。
「……首輪の拘束を外された途端にこれか。精神の安定を図るための薬物投与も必要だな。……おい、ウィーサ。」
「は、はいっ!」
「【商品】の状態を査定しろ。首輪の呪術もすでに耐性を失っている。現状、まともに正気を保てておらず、このままでは工船作業や鉱山採掘の過酷な現場に放り出しても、数日でショック死するか使い物にならなくなるぞ。【商品】としての価値が著しく下がっている。」
「は、確かに……これではとても危険な現場には耐えられません……。」
ウィーサが恐る恐る答えると、ウィリアムはスッと立ち上がり、硬直したままのルーカスのヴァイオリンと手元に残された譜面を拾い上げた。その瞬間――ウィリアムの冷徹だった双眸が、ふっと熱を帯びたように妖しく輝いた。
「だが。」
「……ん?」
「――『レイスを呼び出す黒魔術の音楽』。その旋律と魔力の共鳴、そしてこの譜面に記された術式。嘘偽りない本物の禁忌の黒魔術だ。」
ウィリアムは譜面をペラペラとめくりながら、まるで最高級の宝石を見つけた宝石商のような、しかしどこか底知れぬ邪悪な笑みを浮かべた。
「工船の労働者として使うには惜しい。というか、使い潰すにはあまりにももったいない素材だな。この【商品】の脳ミソなど一文にもならんが……この譜面だけで金貨45枚での買い取りなど、タダ同然の安物買いだ。」
「な、なんじゃ、アムは怒っておらんのか?」
「怒る?馬鹿を言うな。これだけの技術を自ら証明して見せたのだ。むしろ大歓迎するべきだな。」
ウィリアムはヴァイオリンを軽やかに放り投げ、床に転がるルーカスを見下ろしながら満足げに言い放った。
「――実にいい買い物をした。この譜面をもとにわたしの意のままに動く最高の『黒魔術の楽器』に仕立て直してやろう。」
「それであの……ウィリアム様、この【商品】自体はどうします?」
「楽譜が残っているのだ、それに旋律をこの耳で聞いたいま、用は済んだ。そうだな……沈没寸前の保険金がたくさん掛けられた工船くらいでしか売れないだろうが、それでも買取金額の1/4は回収できるだろう。」
床に転がったまま麻痺しているルーカスを一瞥し、ウィリアムはまるで不用品を処分するかのように淡々と告げた。元・宮廷音楽家としての誇りも、禁忌の黒魔術を極めたという執念も、冷徹な商人の算盤の前ではただの「消耗品」に過ぎないのだった。
「ひ、ひえぇ……この
広隅の片隅で、数百のレイスが消え去った冷たい空気の中、リリアは冷や汗を拭いながら小さく呟いた。……しかし、その呑気な感想は、目の前に立ちはだかった冷たい影によって一瞬で凍りつくことになった。
「さて。」
「ひっ……!」
「――我が屋敷に数百の亡霊を召喚し、綺麗に整えていた帳簿の計算を台無しにし、おまけに商品の価値を一時的に暴落させた『新人』についてだ。」
ウィリアムはゆったりと振り返り、鬼気迫る美少女(あるいは少年の姿をした悪魔)のような笑みをリリアに向けた。
「あ、アムよ……!これはじゃな、その、わしにも魔術師としての好奇心というものがじゃな……!」
「言い訳は実験室の拘束台の上で聞いてやろう。……ウィーサ、新しいヴァイオリンの準備をしてくれ。調度「レイスを呼び出す黒魔術の実験台」が必要だったのだ。ちょうどいい被検体が目の前にいる。」
「待つのじゃアム!話せばわかる!ウィーサも何か言ってくれ、待つのじゃ!何故拘束するのじゃ!?待て、待ってくれーーーー!」