【私立パラの丸高校 ヒーローアカデミア編】 作: 燃える空の色
黒い靄に呑み込まれた、と思った次の瞬間だった。
視界が一気に開けて、目の前一面に広がったのは――水。
「うわっ!?」
理解するより早く、身体が宙に投げ出される。重力に引かれて、冷たい空気を切って落ちていく。
「わぁあ!? 水難んん!?」
隣から、気に馴染みのある声が聞こえた―――緑谷の情けない悲鳴。
それを確認した直後、水面に叩きつけられる。
冷たい。重い。
息が、一瞬で奪われる。
――やばい、沈む。
手足をばたつかせる間もなく、視界がぶれて、水の中へ引きずり込まれていく。
制服が水を吸って、身体が鉛みたいに重い。
そのときだった。
水中の向こう側から、あり得ない影が近づいてくる。
鋭い歯。
異様に長い顎。
――鮫。
「……え?」
人の形をしているのに、頭だけが鮫みたいな男が、こちらを見て口を開く。
「来た来た!」
「「ボガァァァ!?」」
叫んだつもりだった。でも、水の中では音にならない。
ただ、心臓だけが嫌な音を立てて跳ねた。
――敵だ。
噛み砕く気満々の歯列が、目の前まで迫る。
「おめーに恨みはないけど、サイナラ!!」
口をガバリと空けて、サメのようなその男は二人に噛み砕こうと飛びかかる。
明らかに生命を奪う目的で形を生したトゲトゲの歯がびっしりと生え揃った口内を見て、二人が悲鳴をあげたその時。
「緑谷ちゃん、多々ちゃん!!」
峰田を脇に抱えた蛙のような少女―――蛙水が、サメのような男に横から蹴りを入れて現れた。
「サイナラー!!」
「サイナラ」
長い舌を二人に巻き付け、蛙水は水上に向けて浮上する。
水上に浮かぶ船の上に三人を投げ入れ、そのまま蛙水も同様に船上に登った。
「ありがとう、蛙水さん…」
「…ごめん、えっと、蛙水さん」
「梅雨ちゃんと呼んで、しかし大変なことなったわね」
そう言われ、ひかるの脳裏に浮かぶのはあの靄敵の言葉。
―――なにか変更があったのでしょうか?
それには緑谷も気づいたようで、
「カリキュラムが割れてた…!単純に考えれば、先日のマスコミ乱入は情報を得るために奴らが仕組んだってことだ。轟くんが言ったように…虎視眈々と…準備を進めてたんだ」
「でもよでもよ!オールマイトを殺すなんて出来っ子ねぇさ!オールマイトが来たら、あんな奴らけちょんけちょんだぜ」
シュッ、と拳を振るい、峰田は安心に満ちた声で断言する。しかし、そんな峰田をじっと見詰めて、蛙水は否定の言葉を口にする。
「殺せる算段が整ってるから、連中こんな無茶してるんじゃないの?そこまで出来る連中に、私たち嬲り殺すって言われたのよ?オールマイトが来るまで持ちこたえられるのかしら?オールマイトが来たとして…無事に済むのかしら」
「…!!みみみ緑谷ァ!!んだよあいつうう!!」
峰田が泣き喚き、追い縋るように緑谷の裾を掴む。
しかし緑谷もまた、冷静な蛙水の考察に戦慄していた。
「……これ、もしかしてヤバいやつ?」
この場において、唯一の普通科生徒。
戦える個性どころか、喧嘩さえしたことすらないような一般的小市民。
明らかに場に不釣り合いなひかるが、黒井どころか見里や平とまで分断されてしまった。
幸い緑谷など見知った顔はいるものの、それでも不安は拭いきれない。
それぞれが不安と恐怖と戦う中で、水中から、先程蛙水が沈めた鮫のような男が浮上してくる。
「んのヤロォ!!殺してやる!!」
「大漁だあああ〜!!!??」
それだけではない。一人、二人。数え切れない程の敵が……魚、あるいは鮫や鰐ら多種多様な水中での行動を得意とする敵達が現れる。
「緑谷、これ、どうすんの…?」
「……奴らには思惑がある…確かにそうだ……」
ひかるが緑谷に話しかけるが、既に緑谷の思考は星の彼方。
これはどうにもならない、そう判断し、ひかるが船下の敵影に視線を向ける。
恐らく、全員が水場での戦闘を得意とする個性の持ち主。
こちらにも蛙水がいるが、人数差も相まって、真っ当に戦って勝つのは不可能に近い。
ましてや、緑谷達はひかる(自分)と言うお荷物を抱えている状態なのだ。
今の自分に、何かできることは無いのか。
思わず、ひかるの体がピカピカと点滅する。
「よし!!」
ひかるが一人悩んでいる横で、緑谷が突如立ち上がる。
「奴らに…オールマイトを倒す術があるんなら…!!僕らが今…すべきことは───」
拳を固く握りしめ、緑谷は決意を決めて船下の敵達に向き直る。
「戦って、
ぴか、ぴかぴか。
ひかるの体から溢れる光は、さらに輝きを増していた。
■□???
―――ひか、ひかる、ひかるが連れ去られちゃった、どし、どうし、俺、どうしたら
焦る。焦る。焦る。
巡る。巡る。巡る。
じとりとした汗が皮膚に滲み、暗く染まっていく視界と重くなる思考に反比例するように、頭の熱は次第に引いていく。
―――おれ、ひかる、いなきゃ、たすけなきゃ、おれ
滲む。滲む。滲む。
逸る。逸る。逸る。
視界が、黒く染め上げられていく。世界が、黒色に塗りつぶされていく。未観測に。未到達に。未知数に。
――こわ、さなきゃ。ぜんぶ、ぜんぶおわらせて、また、やりなおさなきゃ。ひかるを、ぜったい、たすけなきゃ
嗚呼。嗚呼。嗚呼。
破壊を望み、再生を望み、
強欲なるかな。傲慢なるかな。
光無き世界に、闇だけが残る世界に未練なし。
何度でも、あの木漏れ日のような暖かい光に当たる為ならば、どのような悪逆非道も躊躇なし。
嗚呼。嗚呼。嗚呼。
恐ろしくあり、純粋であり、ただ熱を望む闇なりて。
哀れなるかな。憐れなるかな。
これが黒井正義という男の性であり、終生であり、運命なのだと、世界は嘯くのだ。
悲鳴が響く。誰のものか?知ったことかと、君は心にもないことを言うのだろう。
多々光くんが悲しむよ?と口ずさむけれど、どうやら君には、「僕」の声はもう届かないらしい。
―――そんな終わり、マサも、ぴかるんも、誰も望まないっしょ
けど、友達の声なら、違うだろう?
▼▽
敵の襲撃を受け、相澤の指示の元避難を開始するヒーロー科1年A組とその他数名。
しかし、黒い靄のような敵に退路を阻まれた上、相手の個性によって、一瞬の内に大多数の生徒がこの場から消えてしまっていた。
「皆は!?いるか!?確認できるか!?」
「散り散りにはなっているが、この施設内にいる」
「……!」
飯田が消えた同級生達の安否を確認し、障子が"個性”を用いて周囲を見渡す。
少し遠くの方、それぞれの災害エリアにクラスメイト達と、それとは別の…恐らく、敵の仲間と思われる人影が見えた。
幸い、跳ばされた連中のほとんどは戦闘に適した個性の持ち主。対し、現地に散らばっている敵はチンピラの寄せ集めにも見える。
恐らく、心配すべきはあちらではない。
障子の複製された瞳が、この場において最も不安定で不確定要素の塊に…黒井正義に向けられる。
聞いた話では、先日黒井が怒りに飲まれたのは、爆豪にひかると言う友人を馬鹿にされたからだと言う。
そして、そのひかるとは今日助っ人として来た彼のことで間違いないだろう。
それこそが、何よりの問題だった。
先程、靄敵によって消えてしまった生徒たちの中に、ひかるも居た。居てしまった。
「黒井くん、しっかりして!!」
―――声が響く。
地面に膝をつき、黒井は焦点の合わない瞳でここでは無い何処かを見つめているり
「ひか、ひかるが…ひかるがいなくなって、ひかるッどうしよ、俺、どうしたら──」
「お、おい!黒井!?」
先日のように、あるいはそれ以上の勢いで、黒井の身体が暗黒に侵される。
内側から溢れ出す闇が、世界を喰らい尽くそうと
「マサ落ち着けし」
心と身体。双方ともに闇に沈みゆく黒井の肩を、未来が掴む。
「大丈夫、ぴかるんはまだ無事みたい。少なくとも、今は」
そう言って、未来は前を───未来を見据える。
その瞳に何が写っているのか、黒井には分からない。
「それに、持ってかれちゃったのはぴかるんだけじゃないんよ。へー子も、りこてゃも。だから、ウチらが今すべきは…」
同級生達を散り散りにばら撒いた、最も厄介な個性。
黒い靄に全身を覆った怪物。
この場において、最も早く仕留めなければならない存在。
今目の前にいて、しかも自分たちを狙ってきてくれているという僥倖。これを利用しない手など、見里は持ち合わせていない。
「目の前のこいつを倒して、みんなのとこにいくことっしょ」
「…うん」
未来の手を借りて、黒井は立ち上がる。
ひかるがどこかへ行ってしまったのならば、みんながどこかで戦っていると言うのならば。
「───ひかるを、助けなきゃ。だからお願い、未来…力を貸して」
「もち。友達助けるなんて、当たり前だし」
改めて、二人は敵に向き合い、相対する。
相手は一人、個性は恐らくワープゲートの類。先程の様子を鑑みるに、無策に物理攻撃をしかけても徒労に終わる他ない。
どうにかして撃退するか、あるいはここに押し留める。
少なくとも、こいつ一人がいるかいないかで、相澤や他の生徒の負担は大きく減る。
二人だけではない、他の生徒たち、そして13号もまた、立ち塞がる敵へと立ち向かう。
「そのまま暴走してしまえば、話は簡単でしたが…仕方がありません、私は私の仕事を全うするのみ」
「……委員長!君に託します、学校まで駆けてこの事を伝えてください!」
電波が妨害され、応援を呼ぶことすらままならないこの状況。
妨害元を潰すよりも、高速での移動を得意とする飯田が走り、直接伝えたほうが早い。そう判断しての指示、しかし、それを直ぐに飲めるほど、飯田天哉は単純な男ではない。
「しかし、クラスを置いてくなど委員長の風上にも…!」
「いいから行けって、非常口!」
それでも尚残ろうとする飯田に、この場にいる生徒達が、助けを呼ぶよう促す。
「───お願いね、委員長!!」
「ッ……!!」
麗日からの、トドメのひと押し。
その言葉に、飯田が揺れ動く横で、靄敵が再び動き始めていた。
「手段がないとはいえ、敵前で策を語る阿呆がいますか」
「バレても問題ないから、語ったんでしょうが!!」
13号の指先が、黒い靄を吸引する。
その背中を、みんなが。見里未来が、見つめていた。
◆◇
――やば〜
見里未来は思案する。
へーこも、りこてゃも、ぴかるんも。
普段冷静で居てくれるはずのメンツ、頼れる仲間たちはどこぞへと飛ばされてしまった。
だからこそ、この場で唯一、黒井正義と関わり深い人間である見里未来だけは、ただ冷静であるべきだった。
――マサも結構やばめだけど、それよりやばいのは多分……なんか未来も全然見えんし〜
先程から、見里は何度も能力を行使して先の未来を観測しようとしているが、どういう訳か、およそ数分以上先の未来はまるで靄がかかったように不透明だ。
――それになんか、あの黒い人?もウチらのこと知ってるぽかったし…ってことは〜いるよねー、あいつら。そしたら尚更、ぴかるんどうにかしなきゃかー
見里未来は思案する。
先の見えない暗闇の中、唯一少し先を照らせる松明を持つ見里が、みなを守るために牽引しなければいけないのだ。
――まぁ敵はへーこいるし、みんなもいるからなんとかなるっしょ。とりまマサ起こさんと
そう考え、見里は座り伏す黒井の元に手を伸ばす。
今はこんなところで絶望しているような時間ではない。
希望は潰えていない、潰えさせない。
見里未来が、必ず、この世界の未来を保証する。
かつてのような結末には、何があろうとぜったいにさせない。
強い誓いを胸に、見里未来の瞳は過去の憂いを払い除け、その視線を未来へ向ける。
―――視界の端を掠めた強い光に、気づかないまま。