風が唸るように吹きつけ、荒れ果てた壁外拠点に砂煙が舞っていた。
かつて人類が壁外探索の前線基地として築いたこの場所は、今や廃墟と化し、誰の足跡もない。だが、その静けさは“死”ではない。
むしろ、今まさに“何かが蠢く前兆”だった。
「ここが……調査対象の拠点か」
レオンは、拠点の入り口で足を止めた。
背後には、アニ、ライナー、ベルトルト、ユミル、そしてクリスタが続く。彼らは皆、緊張した面持ちで辺りを警戒していた。
「数ヶ月前まで、人がいた形跡があるな」
ライナーが崩れかけた壁面を指差す。「だが、撤退は急だったようだ。装備も書類も置きっぱなしだ」
「巨人の襲撃痕跡は?」
レオンが尋ねると、ベルトルトが目を細めて首を横に振った。
「いや……それらしい破壊の痕はない。逆に静かすぎる」
「まるで、みんな“姿を消した”みたいだ」
アニの声が低く響いた。
レオンは地面に片膝をつき、土に指を滑らせる。
「……血痕。薄いが間違いない。しかも……獣の足跡が混じってる」
「牙獣か?」
ライナーが眉をひそめる。
「いや。人間の足跡と交錯してる。追ってたのか、逃げてたのか……その両方かもしれない」
その時だった。
――ピキィンッ、と、頭の奥で鋭い音が鳴る。
レオンは反射的に立ち上がり、剣の柄に手をかけた。
「来るぞ――!」
次の瞬間、拠点の奥から突如として“唸り”のような咆哮が響いた。
重々しく、地を揺らすような振動。そして、視界の彼方から現れたのは――牙獣だ。
それも、以前に戦った個体よりも“進化”した存在。皮膚は硬質化し、肩から背にかけて黒く光る骨のような外殻を纏っている。
「……なんだよ、あれ……」
ユミルが低く呟いた。
だが、それだけではなかった。
牙獣の背後に、さらに影が迫ってくる。
――奇行種。いや、それ以上だ。知性の片鱗を持つかのように、牙獣と“連携”する巨人たちが、次々と現れる。
「共闘してる……!? 巨人と牙獣が!?」
クリスタが声を上げた。
「これまでと違う……連携してるなら、指揮系統があるってことだ」
レオンは歯を食いしばった。「俺たち、試されてるぞ!」
アニが一歩前に出た。
「やるしかない。やらなければ、やられるだけだ」
その声に、レオンは一瞬、目を見張った。
(……アニの“気配”が変わった? まるで、目の前の敵を知っているような……)
だが考える暇はない。
「全員、戦闘体勢――! 分断されるな! 特に、クリスタとユミルは後衛を守れ!」
「任せなさい!」
ユミルが叫ぶ。その表情は、何かを決意したように強く――しかし、どこか“悲しみ”も含んでいた。
そして戦いが始まる――
牙獣の咆哮が大気を割き、巨人のうめき声が重なった。
それは、音ではなく“圧”だった。兵士たちの体を鈍く締め付け、思考を鈍らせる。だが、戦わなければ“喰われる”。それは誰よりもこの場の者たちが理解していた。
「アニ、左から回り込むぞ!」
レオンは飛び出しながら声をかけた。
「分かってる、先に行って!」
アニは一瞬のうちに彼の動きを読み取り、背後から並走する。
牙獣の動きは明らかに“狡猾”だった。獣特有の直線的な突撃ではなく、左右にステップを踏み、こちらの死角を探っている。
(人間の戦術を――理解している……?)
レオンの背筋を冷たい何かが走る。
だが、次の瞬間、牙獣が跳躍。巨人の肩を踏み台にし、空中から強襲を仕掛けてきた。
「来るぞ――!」
だが、レオンの身体は先に動いていた。
(右――! ここで回避し、アニの死角に導く!)
剣を交差して弾き、刃を構える。その隙にアニが回り込み、牙獣の側頭部を狙う――
――ガシィッ!!
アニの刃は牙獣の外殻に弾かれた。
「硬化してる……!? まるで鎧のように……!」
「正面からじゃ斬れない!」
レオンは眼を細める。
(弱点は――関節部……いや、“背中の芯”だ)
視線が交錯する。アニの目がレオンを見て、わずかに頷いた。
言葉にしなくとも通じ合う――それが、戦場の絆というものだった。
その背後、ライナーとベルトルトは別の巨人を相手にしていた。
だが、その手元はどこか鈍く、焦りが滲んでいる。
(まさか、牙獣がここまで進化してるとは……)
ライナーは動きを見ながら思考する。
(こいつは“計画”から逸脱している。……このままだと、俺たちの正体も――)
その一瞬の迷いが、巨人の拳を招いた。
「ライナー!!」
ベルトルトが叫び、寸前で援護に入る。刃が巨人の肩を裂き、動きを鈍らせた。
「……助かった」
「油断しないで。今の“知性持ち”かもしれない」
その言葉に、ライナーは一瞬、視線をレオンに向けた。
(……あいつ、気づいてるのか? 俺たちに)
レオンは牙獣を押し返しながら、ふと背後に目をやった。
(ライナーの動き……一瞬、迷った? あのパワーで押し切れないはずがない)
その違和感が、彼の中でひとつの“仮説”を強めていく。
(もしかして――ライナーも、“何か”を隠している……?)
同じ頃、後衛ではユミルとクリスタが支援に徹していた。
「クリスタ、下がって! その巨人、突進してくる!」
「分かってる、ユミル! 私は……あなたを守るから!」
その一言に、ユミルの表情が微かに揺れた。
「……バカだな。そういうの、やめろって言ったろ」
だが、その目は優しかった。
その奥にある“覚悟”を、クリスタだけが見抜いていた。
(ユミル……あなた、まさか……)
彼女の足元で、地面が揺れた。崩れた土の下から、牙獣の小型種が現れる。
「クリスタ!!」
ユミルの動きが変わった。今までとは異なる、まるで“本能”を剥き出しにしたような速度。
小型種の顎が開くよりも早く、ユミルの体が飛び込んでいた。
その瞬間――
クリスタは見た。ユミルの右腕の皮膚が、一瞬“硬質化”したのを。
(……やっぱり……ユミル、あなたも――)
ユミルは気づいていないふりをしていた。だがクリスタは、もう気づいていた。
そして――それでも、ユミルを信じていた。
戦いは佳境に差し掛かる。
レオンとアニの連携が、牙獣の外殻をついに破る。背面からの一撃が芯を砕き、牙獣が断末魔の声をあげて崩れ落ちた。
だがその時――
――声が、した。
『……オマエ、マタ、ココニ……』
レオンの頭に響いたのは、牙獣の“思念”だった。
前と同じ、いや――それ以上に鮮明な“意識”の波。
「お前は……誰だ」
思わず口にしたその言葉に、アニが振り返る。
「レオン?」
「……なんでもない。少し、頭が……」
レオンはごまかすように笑ったが、その瞳には不安と怒りが混ざっていた。
(この声……俺だけに聞こえるのか? 牙獣は……知性だけじゃない。感情を持ってる? いや、それ以上に……)
「レオン」
アニが不意に声をかける。「お前、少し変わったな。前より、鋭くなった」
「それは、褒めてるのか?」
「さあ。けど……私も、お前のことだけは、ちゃんと見てるから」
その一言に、レオンは少しだけ、緊張をほぐした。
遠くで角笛が鳴った。
リヴァイ率いる調査兵団の援軍が、ついに拠点へ到達したことを告げていた。
――戦いは、まだ終わらない。
だが、彼らは確かに前に進んでいる。
次なる戦場が、牙の影に満ちているとしても――