壁の外に咲く花   作:ナムルパス

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第2話 氷の女

午後の訓練が終わりを迎えた頃、空に広がる雲の切れ間から、陽光が淡く地面を照らしていた。

騒がしくはしゃぎながら引き上げていく訓練兵たちの姿が、風の中に溶けていく。

だが、その賑やかな波の中に、取り残されるようにひとり動きを続けている者がいた。

 

アニ・レオンハート。

 

彼女は訓練場の隅、誰もいない影の濃い場所で黙々と蹴りの稽古を続けていた。

左足を軸に回転し、右脚のかかとが空を切る。乾いた音。正確な軌道。ぶれのない重心。

型の一つひとつに、一切の迷いがなかった。

 

その姿を、遠くから見ている影がもうひとつあった。

 

レオン・ヴィスナー。

今日初めて皆の前でその存在感を示した異端の訓練兵は、アニから数十メートル離れた場所に立ち、無言でその動きを見ていた。

 

(……徹底しているな)

 

その蹴りは、誰かを見返すためでも、上を目指すためでもない。

それは、どこか“義務”のようだった。毎日繰り返してきたことを、ただ黙ってやっているような――あるいは、そうせざるを得ない何かを背負っているような。

 

やがてアニが動きを止めた。少し汗ばんだ前髪を指でかき上げながら、ちらりとこちらを見やる。

 

「……いつから見てたの?」

 

声には驚きも苛立ちもなかった。ただ、淡々と。

 

レオンは迷わず応じた。

 

「最初から。立ち回りが妙だった」

 

アニは眉をひそめ、ほんの少し口元を歪めた。

 

「“妙”ってなによ。文句でもある?」

 

「いや。普通じゃないだけだ。蹴り主体の型は距離を取るには有利だが、巨人相手には不向き。けど、お前はそのまま通してた。気になっただけだ」

 

「……ふぅん。口数少なそうで、わりと観察してるのね」

 

「無意味な会話は嫌いなだけだ」

 

アニは肩をすくめ、近くの木陰に座り込んだ。

レオンもそれを追うように歩を進め、木の幹に背を預ける。

 

風が枝葉を揺らし、柔らかな音が流れた。二人の間に沈黙が落ちる。

けれど、その沈黙は妙に居心地が悪くなかった。

 

「……あんたの動きも普通じゃなかった。初日の訓練で教官を倒すなんてね。何者?」

 

アニの問いに、レオンは少し目を細めた。

 

「ただの田舎育ちさ。壁の中にも、戦うしかない場所はある」

 

「“戦うしかない”って言い方、あたしは嫌い」

 

「俺は好きでも嫌いでもない。ただ事実として言ってるだけだ」

 

そう言って、レオンは木の皮を指でなぞった。

爪先で引っかいた部分が薄く剥がれ、乾いた木屑が地面に落ちる。

 

「でも、お前の動きも……多分、似たような場所で身につけたものだろ?」

 

一瞬、アニの瞳が細くなった。

彼女は少しだけ上半身を倒し、レオンの方へ視線を向ける。

 

「何が言いたいの?」

 

「別に。ただ、“訓練兵の動き”じゃなかった。それだけだ」

 

また、沈黙。

 

その空白を、アニが破った。

 

「……ねえ、レオン。もし今、戦場に立ってて、目の前に立ってるのが“仲間だけど敵”だとしたら……あんた、どうする?」

 

唐突な問いだった。だが、レオンは即答する。

 

「殺さず、止める。それが可能なら、だけどな」

 

「甘い」

 

アニは即座に切り捨てた。

 

「止めたって、また牙を向いてくる。あたしは――そういうの、もう散々見てきた」

 

「それでも殺したら、何も残らない。俺は……後悔してでも、人は殺したくない」

 

その言葉に、アニは少しだけ顔を伏せる。

風が吹き、彼女の髪がふわりと揺れた。

 

「……ほんと、あんたは不思議な奴ね。綺麗事じゃないのに、言葉が優しい」

 

レオンは何も返さなかった。けれど、彼の表情はわずかに緩んでいた。

 

アニは立ち上がる。

 

「一つだけ、お願い。……あんたと手合わせしてみたい」

 

レオンも立ち上がり、手のひらを軽く動かす。

 

「いいだろう。手加減はしない」

 

「望むところ」

 

二人は互いに距離を取る。

無駄な駆け引きも、言葉もない。ただ、間合いを測る静かな一歩。

 

アニが先に動く。鋭い蹴り。空を切り、すぐさま次の動作へ。

レオンはそれを紙一重で回避し、無駄な反撃はしない。ただ、目で軌道を読む。

 

一撃も交わらぬまま、十秒が過ぎる。

 

次の瞬間――二人の姿が一閃のように交差し、止まった。

 

どちらの手にも、力は込められていなかった。

刃を抜かず、間合いの中で動きを止めた。それが互いへの敬意の証だった。

 

「……止めたのね」

 

「ああ。理由は聞くな」

 

「……ん。分かった」

 

アニは背を向けたまま、ぽつりと呟いた。

 

「次は、勝つから」

 

レオンは何も言わなかった。ただ、彼女の背中を静かに見つめていた。

 

その日の夕暮れ、赤く染まる空の下。

初めての接触は、鋭さと静けさの中に、不思議な余韻を残して終わった。

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