壁の外に咲く花   作:ナムルパス

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第9話 黒翼の到来 後編

静まり返った山岳地帯の一角に、風が笛のように鳴り響いていた。

拠点跡の裏手、岩壁に囲まれた小道を抜けた先。そこには外部の目を避けるように、仮設のテントがひっそりと設けられていた。

 

リヴァイはその中に、レオンを招き入れる。

 

「座れ。……長い話になる」

 

中には調査兵団の機密文書と見られる箱が積まれ、簡易な机と椅子が並んでいた。リヴァイが机に一冊の手帳を置くと、表紙に書かれた名がレオンの視線を引いた。

 

《被験体No.76-A レオン=グリフィス》

 

「……何だ、これは」

 

「お前自身の記録だ」

リヴァイは簡潔に答えた。

 

「5年前、南方軍医療団の地下研究区画で秘密裏に行われていた“牙獣”生成実験。……その一つの被験体が、お前だった」

 

レオンは血の気が引いていくのを感じた。

 

「馬鹿な……俺は……そんな記憶は……!」

 

「そうだ。お前は“意図的に記憶を封印された”」

リヴァイの声に感情はない。ただ静かに、事実を告げる兵士の声だ。

 

「当時、上層部の一部が進めていた計画がある。“巨人の力”の研究を基にして、“牙獣”と呼ばれる戦闘生物を作り出す試みだ。

……だが、倫理も技術も破綻していた。制御不能になった被験体の暴走で、多くの研究員と住民が死んだ。

その時、生き残った数少ない“適合体”の中に――お前がいた」

 

レオンは立ち上がる。

 

「それじゃあ……俺があの牙獣と反応したのは……!」

 

「ああ。“同族”と認識されたからだ。あるいは、お前自身にもその因子が、今も微かに残っているのかもしれん」

 

思考が渦を巻いた。

自分は誰なのか。なぜこの力を持ち、なぜあの咆哮に怯えたのか。

 

レオンの中で、断片的だった夢と記憶が繋がり始める。

 

(……あの実験室。冷たいガラスの檻。俺を“モノ”として見る視線……)

 

「だが」

リヴァイは机越しにレオンを見据える。

 

「お前は“人間”だ。過去に何をされたかではなく、これから何を選ぶかだ」

 

レオンは拳を握った。

 

「……それが、お前の望む“調査兵”の覚悟か?」

 

「いや、これは俺個人の信念だ。調査兵団の名の下に語るつもりはない。……だが、お前の力が味方なら心強い。そうでないなら、今この場で刃を交える覚悟もある」

 

沈黙が流れる。

 

レオンはゆっくりと椅子に座り直し、低く息をついた。

 

「安心しろ。今の俺は、味方だ。少なくとも、この地獄を止めるためにはな」

 

リヴァイはわずかに目を細めた。

 

「ならば……お前に次の任務を与える」

 

「任務?」

 

「この牙獣事件の背後にある、旧南方拠点地下の“未解明施設”。そこに、まだ現役の研究記録が残っているという情報がある。調査兵団本部は、これを“特別探索任務”として立案した」

 

「つまり……牙獣の根を絶つってことか」

 

「その通りだ。お前には潜入班の一員として同行してもらう。ただし、隊の中でもお前の過去を知っているのはごく一部に限られる」

 

「それでも構わない」

 

レオンは立ち上がる。

 

「過去がどうであろうと、俺は今……ここにいる。人類として、戦う覚悟はある」

 

リヴァイは微かに頷いた。

 

「ならば、出発は明朝。……今夜は、英気を養え。次の戦場は、ただの“巨人の森”では済まないぞ」

 

 

その夜、仮設野営地の火は静かに揺れていた。

 

レオンは、遠く見える焚き火の明かりの中で一人立ち尽くしていた。

 

「眠れないの?」

背後から聞こえたのは、クリスタの声だった。

 

「少し……頭の中が整理できなくてな」

 

「……私も、ユミルのことで……分からないこと、たくさんあるの。けど、分からなくても……信じてる」

 

「お前は……すごいな。そういう信じ方が、できるのは」

 

「……信じてるっていうより、知ってるの。あの子がどれだけ、私のために傷ついてきたか」

 

クリスタの瞳は揺るがなかった。

 

「レオンも、きっと誰かの“ため”に動いてる。だから私、あなたのことも信じてる」

 

レオンは言葉を失った。

だが心のどこかに、じんわりと温かい光が灯った気がした。

 

「ありがとう、クリスタ」

 

彼女はそっと微笑んだ。

 

 

夜が明け、出発の号令がかかった。

レオンは装備を整えながら、ふとある三人の視線を感じた。

 

アニ。ライナー。ベルトルト。

 

彼らの視線は一見冷静で、変わらぬように見える。だが――何かが違う。

ほんのわずかな、焦りのようなもの。あるいは、躊躇。

 

(牙獣……いや、“牙獣の出現”が、やはり何かを狂わせているのか)

 

アニがわずかに目を伏せた。

 

「次の任務、無茶すんなよ」

 

「お前もな」

レオンは静かに返す。

 

(お前たちも何かを抱えている。だが、それが何なのか……答えを出すには、まだ早い)

 

やがてリヴァイを先頭に、調査班は馬に乗り込み出発した。

 

その背後で、ユミルが立ち止まり、夕焼けの空を見上げていた。

 

「……ああクソ。私の“居場所”って、何なんだろうな」

 

彼女の隣に立ったクリスタは、そっと手を重ねる。

 

「ユミル。あなたが私の傍にいる限り、それが答えだよ」

 

「……お前はほんと、バカだな。でも……ありがと」

 

牙獣という名の悪夢と、人の姿をした巨人という偽り。

その狭間で揺れる者たちの行軍が、いま再び始まろうとしていた――。

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