朝靄の中、調査兵団の一行は馬を駆けて南西へと向かっていた。目指すは、かつて牙獣実験の拠点とされていた旧南方拠点地下――通称「沈黙の研究塔」。
リヴァイ班を先頭に、レオン、クリスタ、ユミル、アニ、ライナー、ベルトルトら精鋭が随行する。そのうち数名は、本部に内密に選出された“特殊任務部隊”でもあった。
「……ここが、“研究塔”か」
草木に呑まれた灰白色の塔が、地平線の先に姿を現した。
崩れかけた石壁と苔に覆われた入り口。だが地下に続く昇降路だけは、風雨を避けるように保たれていた。
「人の気配が消えた場所というのは、得てして妙な静けさがあるもんだ」
リヴァイが低く呟くと、ハンジがそばで頷いた。
「この塔は元々、南方軍医療団の補給観測所として建てられたもの。でも、記録には存在していない“下層階”があるの。そこが……牙獣研究の中心だったとされてるわ」
レオンは塔を見上げたまま、視線を鋭くする。
(俺の記憶の底にある……冷たい、鉄の床。仄暗い灯。あの匂い……)
彼の心臓が、ゆっくりと鼓動を速める。
「突入部隊はリヴァイ、レオン、アニ、ライナー、ハンジ、そして僕の6名」
ベルトルトが地図を確認しながら進言した。
「残りは外で待機。万が一の時の退路確保を頼む。……いいな?」
各員が静かに頷く。
昇降路を抜け、地下に足を踏み入れた瞬間、空気が一変した。湿った石の匂い、時折軋む鉄の音。そして奥から、獣のような気配すら漂っている。
レオンの中で、何かが共鳴した。
(……ここだ。間違いない)
地下通路を進んでいくと、途中で分岐点が現れる。ハンジが迷わず左へと進み、やがて扉の前で立ち止まった。
「この奥。閉鎖された第3隔離実験室……記録では、“異常個体”の保存場所だったはず」
リヴァイが扉を蹴破る。
中には、無数のガラスカプセルが並んでいた。中身は既に死体となっているものばかりだったが、いずれも人とも獣ともつかない、異様な姿をしていた。
「……これが、牙獣の失敗作……?」
アニが一歩引くと、ライナーも無言で顎に手を添えた。ベルトルトは目を逸らしている。
レオンは一歩前に出て、凍った目でカプセルを見渡していた。
「こいつらは……かつて、“俺の兄弟”だったのかもしれないな」
誰も、言葉を返さなかった。
「見て……あそこ」
ハンジが最奥の台座を指差した。
他とは明らかに違う金属の装置があり、錠が複数掛けられた円筒ケースが固定されていた。
「これ……記録媒体か?」
リヴァイが確認する。
「開けてみましょう。破損しないように、慎重に――」
カチリ、と小さな音。
直後、塔全体が揺れた。床下から、何か巨大なものが動き出す気配。
「反応した……!?自動警戒システムか!」
「ちっ……来るぞ!」
轟音と共に、床を突き破って現れたのは、既に“死んだはず”の牙獣――いや、“別格”の存在。
その全身は機械のような外装と肉体が融合し、白く変質した巨体は既存の牙獣を遥かに凌駕していた。
「こいつは……“試製・獣化体兵装型”――おそらく、牙獣と巨人の融合体だ!」
ハンジが叫んだ。
「後退しろ!こいつは……普通の巨人とも牙獣とも違う!」
だがその時、牙獣が突如として咆哮を上げた。
その音に、レオンの身体が勝手に震えた。
(違う……こいつの咆哮は、俺の中の何かを呼んでる……!)
「レオン!」
クリスタの声が遠く聞こえた。
「下がって!レオン……ダメ……!」
ユミルがクリスタを抱き寄せる。
「今の声……レオンに反応してる。あいつ、引き寄せられてる……!」
アニが、レオンの異変に気づいた。
「……こいつ、もしかして――!」
ライナーとベルトルトも緊張を強める。
「奴が……覚醒する?」
リヴァイが、咄嗟にレオンに向けて立ちふさがった。
「おい、正気を保て。お前は人間だ。あの怪物じゃない!」
レオンは苦しげに目を見開く。
「わかってる……でも……身体が、勝手に……!」
巨大牙獣が咆哮を上げる。呼応するように、レオンの腕が蒼白に光り始めた。
その瞬間――塔全体が崩れ始めた。
「撤退しろ!全員外へ出る!」
リヴァイの号令と共に、全員が脱出ルートを駆け上がる。
だがレオンだけは、床に膝をついていた。
「……俺の中にあるものが、目覚めようとしてる。俺は……」
――その時。
後ろから手が伸び、彼の肩を強く掴んだ。
「目を覚ませ、レオン!」
アニだった。
「お前が“誰”であっても……ここで狂うな!私たちは……まだ答えを知らない!」
その言葉が、レオンの脳裏を貫いた。
「……ああ、俺は……人間だ……!」
ようやく立ち上がったレオンの背後で、牙獣の咆哮が消えた。
「制御が……途切れた?」
ハンジが驚く。
「いや……あれは自壊だ。自己防衛装置が働いた。恐らく、レオンの反応を見て“計画の失敗”と認識したんだろう」
レオンが最後に塔を見上げる。
「沈黙の塔、か……。ここで造られたものの意味は、まだすべてが明らかじゃない」
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帰路の途中、クリスタがそっとユミルに寄り添った。
「……ユミル、さっき、あの咆哮に……震えてた?」
「……ああ。あれは、私の中の何かにも響いてたんだろうな」
ユミルはそっとクリスタの手を握る。
「けど、私は“あっち側”には絶対に戻らない。お前がいるから」
「……うん」
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一方、ライナーとベルトルトは、森の中で密かに話していた。
「……そろそろ限界かもしれないな」
「俺たちの正体を……レオンは気づき始めてる」
「アニは?」
「……あいつは、揺れてる。あいつも、あいつなりにレオンに“引かれてる”のかもな」
彼らの瞳は、森の先に消えていったレオンの背を見つめていた。
(――この均衡は、いつか崩れる。だがその時、“敵”になるのは……)