壁の外に咲く花   作:ナムルパス

22 / 46
第11話 動き出す影

地下の研究塔から帰還した翌日、調査兵団の仮設本部は静まり返っていた。朝の冷たい空気の中で、レオンは一人、兵舎の裏手にある訓練場に立っていた。

 

白い息を吐きながら、剣を振る。昨日の戦闘の余韻が、まだ指先に残っているようだった。

 

(あの牙獣……。俺を見て、呼んでいた。俺の中の“何か”に)

 

振るう刃が、わずかにブレた。

 

(違う。今の俺は――まだ“人間”だ)

 

「……切れが悪いな」

 

背後から聞こえたのは、よく知った無感情な声。

 

レオンが振り返ると、そこにいたのはアニだった。制服の襟をきちりと留め、腕を組んで立っている。彼女の青い瞳が、レオンの動きを無言で見つめていた。

 

「そんな振りじゃ、訓練兵時代の私でもお前を倒せるよ」

 

「……まさか。あの頃から俺は、お前には一度も勝ててない」

 

レオンが苦笑すると、アニはふっと視線を逸らした。

 

「ふざけた冗談。……でも、あんた……少し変わった」

 

「変わった?」

 

「あの塔の戦い。あんた……“人間”じゃないように見えた」

 

その言葉に、レオンの表情が僅かに陰る。

 

「怖かったのか?」

 

「違う。……驚いた。私が知ってるレオンは、あんな風に自分を見失わないやつだったから」

 

二人の間に、風が吹いた。

 

レオンはしばらく黙ったあと、静かに言った。

 

「……あの時、お前がいなきゃ俺は……本当に“化け物”になってたかもしれない」

 

「……そんな大げさな話じゃない。私は、あんたに“戻ってほしかった”だけ」

 

「どうして? 俺がどうなろうと、お前には関係ないだろ」

 

その問いに、アニは目を細めた。

 

「……それを言ったら、あんたも、私のこと……気にしてるでしょ?」

 

レオンは少し言葉を詰まらせたが、やがて小さく頷いた。

 

「……気づいてたのか」

 

「気づかないわけがない。あんた、私のこと、ずっと見てる。みんなには分からないようにしてるけど」

 

アニの視線が、レオンの目を真っ直ぐに見据える。

 

「それに……あんた、私たち三人が何か“隠してる”ことにも、気づき始めてる。そうでしょ?」

 

レオンの表情が微かにこわばる。

 

「……言えることは、何もない」

 

「それでいい。今は、ね」

 

二人の距離は、腕一本分もなかった。

 

だがその間にあるものは、刃のように鋭く、繊細で、そして――壊れやすい。

 

「私、あんたに興味あるの。だけど……」

 

そこでアニは一度言葉を切った。

 

「私は“あっち側”の人間かもしれない。あんたがそれを知った時、どうするのか……それだけが、ずっと気がかり」

 

レオンは目を閉じ、息を吐いた。

 

「たとえそうでも、俺は――お前を信じる。お前が俺を救ったこと、それが“本当”だから」

 

アニの瞳が、僅かに揺れた。

 

だがその瞬間、背後から足音が響き、二人の間の空気が破られた。

 

「おーい、レオンー!ハンジさんが呼んでるよー!」

 

サシャだった。手を振りながら駆け寄ってくるその姿に、アニはさっと距離を取り、元の無表情に戻った。

 

「じゃあ、行ってあげなよ。……お喋りはここまで」

 

「……ああ」

 

レオンが歩き出すと、アニはその背中に、そっと呟いた。

 

「……私も、あんたの背中を見てる。……ずっと、ね」

 

レオンがハンジの元へ向かうと、そこには既に数名の兵士と、机に積み重ねられた報告書が並んでいた。地図、記録、そして牙獣から採取された組織片。

 

「やっと来たね、レオン。調子は?」

 

ハンジは眼鏡越しに覗き込むように聞いてきた。

 

「何とか。……で、今日は?」

 

「えーと、結論から言うと――次の任務が決まったわ」

 

その場には既にリヴァイが座っていた。無表情のまま、指先でペンを回している。近くにはミカサも控えており、目が合うとほんの少しだけ頷いた。

 

(……エレンは、いない)

 

「牙獣の“出処”が分かったの。どうやら、南方の旧憲兵団の監視施設跡に、それっぽい活動の痕跡が見つかったわ。……つまり、あいつら、“作られていた”」

 

レオンの表情が硬くなる。

 

「……あの“獣”は、元人間……?」

 

「ほぼ確実にね。しかも、知性を維持したまま変異してる。……巨人とは明確に違う点がいくつもある」

 

「たとえば?」

 

横から声が入った。リヴァイだった。

 

「巨人は感情や意志を持たないか、極めて薄い。だが牙獣には“執着”がある。“呼びかけ”や“敵意”の発露が、より人間に近い」

 

ハンジが口元に指をあて、言葉を続ける。

 

「中でも問題なのは、“牙獣がレオンに強く反応した”って点よ。まるで“知っていた”かのように」

 

レオンは眉をひそめた。

 

「それって、俺が“同じ類”ってことか?」

 

「可能性の話だけどね。……あなたの出自、その能力、そして“回復力”。どれも普通じゃない」

 

ミカサがわずかに目を伏せた。

 

「でも、今の彼は、私たちの仲間」

 

リヴァイは頷くことも否定することもせず、ただ言った。

 

「俺はお前が化け物でも兵士でも、どっちでもいい。敵じゃないなら、それでいい」

 

ハンジが指差した地図の一点――南方、森林地帯にぽつんと残る廃施設跡。

 

「次の任務はここ。“牙獣製造”の実態を突き止める。……場合によっては、“内部の協力者”の排除も視野に入れて」

 

「内部って……まさか、壁内に牙獣の作成に関与した人間が?」

 

「現時点では“可能性”だけどね。……ただし、何かが裏で動いてるのは間違いない」

 

レオンは唇を引き結び、地図に視線を落とした。

 

(アニ……あの時、なぜあんなことを言った?)

 

(“私もあっち側かもしれない”って……)

 

ほんの一言だった。けれど、その言葉はレオンの胸に釘のように残っていた。

 

そしてその疑念が、ふとした瞬間、別の連想を生む。

 

(ライナー……ベルトルト……あいつらもまた)

 

あの日の壁上演習。レオンを突き飛ばして助けたはずのライナーの力。その時、壁の上から見えた“何か”――巨人ではない、別の形の人型の影。

 

(ユミルも……)

 

彼の中で、曖昧だった線が少しずつ繋がっていく。

 

そしてその線の先に、アニがいた。

 

仮設本部の会議が終わったあと、夕刻の空がほんのり赤く染まり始めていた。レオンは兵舎の外に出て、冷たい風を顔に受けながら、木陰に寄りかかっていた。

 

「あんた、難しい顔してるね」

 

聞き覚えのある声に振り返ると、クリスタが立っていた。そのすぐ後ろには、いつものようにユミルが腕を組んで控えている。

 

「クリスタ。……ユミルも」

 

「任務の話、聞いたよ。南方の施設に行くんでしょ?」

 

「ああ。俺も明日には出発する」

 

クリスタは一瞬、口を開きかけて……何かを飲み込むようにして微笑んだ。

 

「無事に戻ってきてね」

 

その瞳の奥に、不安が揺れていた。レオンは軽く頷いたあと、視線をユミルに移す。彼女は、じっとレオンを見据えていた。

 

「……お前、何か知ってるな?」

 

その言葉に、クリスタが小さく息を呑む。ユミルの目が鋭くなった。

 

「さあね。でも、あんたも相当“知りたがってる”顔してるよ」

 

「知りたくもなるさ。牙獣も、巨人も、“正体”が不明な敵だ。……それに、アニの言葉が気になってる」

 

ユミルの視線が、わずかに揺れた。レオンの問いかけに、返ってきたのは短い一言。

 

「深入りしすぎるなよ。大事なもんまで壊すぞ」

 

その言葉の意味を、レオンはすぐには理解できなかった。だが――背後から近づいてくる足音が、空気を変えた。

 

「出発は明朝。私とあんたは、同じ班みたい」

 

アニだった。装備の点検を済ませたのか、腰のブレードホルダーを調整しながら近づいてきた。

 

「……よろしくな」

 

「よろしく」

 

簡単な言葉だったが、どこか重みがあった。

 

「それと……さっきの話の続き。私たちが“何か”を隠してるって、あんたが気づいたなら……それでも一緒に動くって、どういうつもり?」

 

アニは立ち止まったまま、レオンを正面から見据えた。

 

「裏切られるのが怖くないの?」

 

レオンは一瞬言葉を探して、そしてゆっくりと口を開いた。

 

「怖いさ。でも、お前が何者でも、俺が信じた“お前”はあの時――俺を止めてくれたあのアニだった」

 

アニの唇が微かに開き、そして――何も言わずに閉じられた。

 

レオンのその言葉に、明確な“答え”を返すことは、彼女にはできなかったのだ。

 

それでも彼女の表情には、ほんのわずかな温度が宿っていた。

 

レオンとアニが並んで歩き出すと、ユミルがぽつりと呟く。

 

「……クリスタ」

 

「うん」

 

「レオンってさ、“人間じゃない何か”になりかけてるけど……それでも、まっすぐだね」

 

クリスタは静かに頷いた。

 

「だから、きっと……アニは、救われる。彼女が“自分”を壊す前に」

 

その言葉に、ユミルはほんの僅かに眉を下げた。

 

(私だって、本当は――あいつに全部を見せたい)

 

けれど、それはまだ叶わない。今はただ、牙を隠し、心を隠して、静かに歩くしかない。

 

 

夜が更け、南方への出撃を控えた小隊は静かに準備を整えていた。レオン、アニ、ライナー、ベルトルト、そしてミカサが編成された特務班。巨人化能力者をうっすらと感じ取り始めているレオンにとっては、疑念と確信の境界に立つような構成だった。

 

レオンが馬具の点検を終え、空を仰ぐ。夜空には雲が流れ、星はわずかにしか見えなかった。

 

そこに、再びアニが現れた。

 

「……私、もし“向こう側”の存在だとしても、あんたは斬れる?」

 

「……さあな。でも、俺は人類のためじゃなく、“大切な奴ら”のために戦ってる」

 

「“奴ら”の中に……私がいる?」

 

「――当然だろ」

 

その一言に、アニは目を閉じ、ゆっくりと笑った。かすかな、だが確かに“温かい”微笑みだった。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。