重く沈んだ空気の中で、誰もが口を閉ざしていた。
旧監視施設での牙獣との戦闘、そしてヒッチの告げた一言――「裏切り者がいる」――その余韻が、全員の胸を締め付けていた。
レオンは一歩、他の者たちから距離を取り、監視カプセルの前に立っていた。
中に浮かぶ、半ば変異した“元・人間”。
その顔に、どこか見覚えがある気がした。
「……こいつは……」
記憶の底に沈んでいた過去が、泡のように浮かび上がる。
あの実験棟――牙獣の第一種個体が脱走した“地獄”の一日。
生き残ったはずの仲間の顔が、カプセルの中で歪んでいた。
「嘘だろ……お前まで、“こんな姿”に……」
背後で足音が響いた。振り返ると、アニが立っていた。
その表情は、冷静を装いながらも、どこか揺れていた。
「レオン……あんた、気づいてるんでしょ」
「何に、だ?」
「……この中に、“味方じゃない誰か”がいるってことに」
アニの言葉には、覚悟が込められていた。
自分自身も、その疑惑の対象に含まれているとわかっていて、なお口にする強さ。
「お前はどう思う? ……ライナーや、ベルトルトのことを」
アニは答えなかった。ただ視線を下げたまま、拳を握りしめる。
沈黙の中で、レオンの中に一つの確信が芽生える。
(やはり……“あいつら”は何かを隠している)
だが、それは同時にアニに対する“疑い”にも繋がるはずだった。
なのに、なぜかレオンの中でアニだけは別だった。
根拠のない直感――だが、それは“戦場で命を預け合った者”としての本能だった。
⸻
施設内の一室で、作戦会議が行われていた。
「この監視施設……中央は“牙獣兵器”を凍結したんじゃなくて、“保管”してた可能性が高いわね」
ヒッチが冷たく言う。
その目は、味方に向けるものではなかった。
「どうして、憲兵団がそれを?」
レオンの問いに、ヒッチは鼻で笑った。
「答えられるわけないでしょ。でも、あんたたちは“牙獣の正体”に近づきすぎた。だから、中央は何か“処理”をしたがってる」
「俺たちを消すつもりか?」
「さあ? でも一つだけはっきりしてる。……この中に、牙獣を導いたやつがいる。そうでなきゃ、さっきの襲撃は起こらない」
会議室内には緊張が走った。
レオン、アニ、ライナー、ベルトルト、ミカサ、モブリット――
誰かが裏切り者だという前提のもとに、皆の思考が回っていた。
「……俺は一つ提案がある」
レオンが立ち上がる。
「この場で、全員“立体機動装置”を提出しろ。中に発信機が仕込まれている可能性がある。牙獣が位置を特定できたとしたら、その経路は“内部”にしかない」
最も現実的な推測だった。
だが、沈黙が続く。
「ライナー、どうした? 出せない理由でもあるのか?」
レオンの鋭い問いに、ライナーは少し遅れて立ち上がった。
「……わかった。出すよ」
彼の視線が揺れていた。だが、それを見抜ける者は少ない。
唯一、ベルトルトが焦ったように彼を見ていた。
(やはり……この二人の間に“秘密”がある)
レオンはそれを確信しかけていた。
同時に、アニの動揺も見逃さなかった。
(……でも、彼女は“巻き込まれている”側だ)
その確信は、レオンにとって不思議なほど強固だった。
⸻
夜。
仮眠時間になり、施設内は静まり返っていた。
レオンは一人、監視カプセルの前にいた。
背後から、柔らかな足音。
「眠れないの?」
声の主はアニだった。
「……お前もか」
「……ええ。こんな場所で、ぐっすり眠れるほど図太くはないわ」
二人は無言のまま並んだ。
どこか、遠くを見るように。
「なあ……お前さ、“もしも”の話なんだけど」
「……?」
「もし……仲間だと思ってた誰かが“敵”だったら……どうする?」
アニは少し黙ってから、答えた。
「……そいつが“本当は仲間でいたかった”のなら、私は……戦う前に話をする」
その言葉に、レオンの胸が痛んだ。
(……それは、お前自身のことか?)
聞きたかったが、聞けなかった。
アニがふっと笑う。
「変ね。私、誰かにこうやって話をするの、あんまりないのに」
「なら、俺は……“その誰か”になれてるか?」
その言葉に、アニは目を見開いた。
そして――
「……そうね。今は、なれてるかも」
そう呟いて、彼女はレオンの肩にそっと寄りかかった。
その一瞬の静寂が、嵐の前のように感じられた。
⸻
その夜、施設の警報が鳴り響いた。
「牙獣――!? いや、違う、これは……!」
ミカサが剣を構えた瞬間、天井を突き破って現れたのは、巨人だった。
しかも――知性巨人。
「なっ……なんでこんな場所に……!」
ライナーとベルトルトが同時に言葉を失った。
その時、レオンの中に――確信が落ちた。
(やはり、お前たちが――)
続く爆音。
施設が崩壊を始め、外から新たな巨人たちの足音が迫っていた。
「全員、退避行動! 地上に出るぞ!」
モブリットの叫びが響き渡る中、レオンはアニの手を引いて走った。
その中で交錯する。
正義とは何か。
守るべきものは何か。
そして、誰を信じるべきか。
レオンの瞳は、逃げ場のない選択に向かって開かれていた――。