瓦礫の煙が視界を曇らせる中、レオンはアニの手を引いて駆けていた。
崩れ落ちた旧監視施設の天井から現れたのは、明らかに“意志”を持つ巨人――知性巨人だ。
牙獣との戦闘の傷も癒えぬまま、調査隊はさらなる脅威の渦中へと放り込まれた。
「ライナー! ベルトルトはどこだ!?」
ミカサの怒声が響くが、返事はない。
爆発的な破壊の中心にいたはずの彼らは、既に姿を消していた。
「……やっぱりか」
レオンは歯を食いしばった。
これまでうっすらと感じていた違和感。それがようやく、確かな“像”として輪郭を結ぶ。
(奴らは“こっち側”じゃない)
アニは隣で無言だった。だが、手を繋いだまま走るその指先が、小さく震えていた。
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地上へ脱出したのは、レオン、アニ、ミカサ、ヒッチ、モブリット、そして数名の調査兵たちのみ。
牙獣の襲撃で傷ついた仲間たちは、すでに施設の崩壊に巻き込まれていた可能性が高い。
「……いまの巨人、見覚えがあるわ。たしか、ストヘス区で“突然現れた”個体」
ヒッチが険しい顔で呟いた。
「そのときも、誰かが“内部から”情報を漏らしていた可能性が高いって話だった……」
モブリットが、レオンに向き直る。
「君は何か知っているのか? 巨人の正体について」
レオンは少し迷ったが、答える決意をした。
「……ライナーとベルトルトは、“巨人化”できる可能性がある。少なくとも、あの二人の行動パターンには、すでに複数の矛盾があった」
「証拠は?」
「まだ確証には至ってない。でも、現場で感じる違和感は、理屈よりも信じるに値する」
ミカサが無言で頷いた。
戦場での“勘”が真実を突くことがあるのは、彼女も理解している。
「……だとしたら」
アニの声がか細く響く。
「彼らの“使命”って……なんなの?」
レオンはその問いに、答えられなかった。
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夜が更け、焚き火の前で小隊が休息をとっていた。
だが誰も眠ろうとはせず、それぞれが“裏切り”の余波に沈黙していた。
その中で、レオンは一冊の手帳を取り出した。
「これは……?」
ミカサが問う。
レオンは焚き火の明かりの中でページを開く。
「旧施設で見つけた研究員の記録だ。“牙獣開発計画”と書かれてる。しかも、マーレという名前が何度も出てくる」
「マーレ……?」
その名を聞いて、ヒッチの顔色が変わる。
「それ、本当にそう書いてあったの?」
「ああ。中央憲兵の書類にすら、こんな言葉はなかったはずだ」
モブリットが険しい顔で手帳を覗き込んだ。
「ここに書いてある通りなら、牙獣も巨人も、“ある国家”が仕組んだ兵器計画の“副産物”だ。……いや、正確には“人体兵器”そのものか」
そして、そのページの末尾に、レオンが目を疑うような文があった。
『第六試験体における変異反応、成功。対象名:L.A. 被験体識別番号:ΦR-07』
「……これは」
レオンの心臓が跳ねた。
それは――彼の本名のイニシャルだった。
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アニは焚き火の向こうから、じっとレオンの様子を見つめていた。
「……レオン。あんた、本当は何者なの?」
問いに対して、レオンはしばらく黙っていた。
だが、ついに口を開く。
「俺は……記憶を失っていた。“地下施設”で目覚めたとき、俺は既に兵士だった。……だが、たった一つだけ、名前だけは覚えてた。レオン・アルヴィス。それだけだ」
「でも、それが手帳にあったのよ?」
「ああ……つまり、俺は“牙獣開発”の実験体の一人だった可能性が高い」
焚き火の炎が揺れた。
アニの目が、揺らぎの奥で、レオンを強く見据える。
「……それでも、私は信じる。あんたがここまで“人間”として歩んできたってことを」
レオンは少しだけ笑った。
「ありがとう。……アニ、お前がそう言ってくれるなら、まだ戦える気がする」
そのとき、背後の木々がざわめいた。
「……誰か来る」
ミカサが即座に反応し、全員が構えを取った。
現れたのは、意外な人物――
「久しいな」
闇から姿を現したその人影は、月明かりを背にしていた。
「リヴァイ兵長……!」
焚き火の光が揺らめく中、リヴァイが一歩、静かに地面を踏みしめる。
背後にはハンジと数名の兵士たち。緊急展開用の馬車部隊が伴っていた。
「……お前ら、いい面構えになったな」
リヴァイの声に、ミカサが敬礼で応じる。その視線の先に立っていたのは、すでに一線を越えた覚悟を宿した者たち。
「兵長、今、重大な情報を発見しました。牙獣と巨人、そしてこの――」
「分かってる。お前が“特別”なのもな」
リヴァイの視線が、レオンに突き刺さる。
冷たいようで、どこか探るようなその目。
「お前……本当は“誰”だ?」
その問いに、レオンは焚き火の前に腰を下ろし、静かに口を開いた。
「俺の本当の名前は、レオン・アルヴィス。……少なくとも、研究資料にそう記されていた」
その名に、ハンジが眉をひそめる。
「アルヴィス……あの実験記録にあった“失踪被験体”……!」
「俺は、マーレの牙獣開発の実験体だった。記憶のほとんどを失った状態でパラディに流れ着き、訓練兵に志願した。だが、“レオン・アルヴィス”として名乗ることは避けた。だから……名前を変えた。今の“レオン・ヴィスナー”として」
その場に沈黙が落ちた。
ミカサもアニも、そしてヒッチも、誰一人として彼を責めなかった。
リヴァイはただ、短く言った。
「……名を変えた理由が“逃げ”でなければ、それでいい」
ハンジが手帳をめくりながら、資料を読み上げる。
「ΦR-07。これがあなたの実験体番号。詳細には“巨人因子移植の安定成功例”。……つまり、レオン、君の身体には巨人化能力が宿っている“可能性”がある」
「……俺が巨人に?」
「確実とは言えない。ただ、制御を失えば“牙獣”のようになる恐れもある。危険な賭けよ」
レオンは、自身の掌を見つめた。
力を持っているかもしれない。だが、その力が“人”でいられる保証はない。
アニが、そっと彼の手に触れる。
「なら、あんたが“人間”でいられるように、私がそばにいる」
その言葉に、レオンの心に小さな光が灯った。
⸻
翌朝、調査兵団の急報が届いた。
「巨大樹の森に牙獣が現れたとの報せだ。……しかも、複数体。同時に」
モブリットが紙を読み上げながら、顔をしかめる。
「牙獣は単体でも厄介なのに……複数ってどういうことだ?」
「牙獣は、元は人間だった。つまり――造られた“量産型”が存在する」
ハンジの言葉に、兵たちは息を呑む。
「しかも、そのうちの一体――“第六号”には特殊な特徴がある。皮膚の硬化能力と、高速再生。それに加えて……」
「知性があるんですね?」
ヒッチが言葉を継いだ。
それは、先日の戦闘で彼女が見抜いた違和感――“狙いを定めてくる”動きだった。
ハンジは大きく頷いた。
「やつらは、もはや“野生”じゃない。指令を受けて動いてる。つまり、裏で糸を引く存在がいる」
「……マーレ、ってわけね」
ヒッチが吐き捨てるように言う。
それは、彼女の父親が政治的に関わっていた国家の名だった――彼女が最も忌み嫌う“権力の影”。
⸻
巨大樹の森。
調査兵団は牙獣の捕獲作戦を展開していた。
レオン、アニ、ミカサ、ヒッチ、ハンジ、リヴァイ。主力が揃ったこの作戦は“試金石”となる。
「……レオン、お前は後方支援に回れ」
リヴァイが命令する。
「前線で力を使わせたくない。万が一暴走でもされたら困る」
「わかってます。……でも、いざってときは」
「お前を斬るのは、俺の役目だ」
リヴァイの目は真剣だった。それでもレオンは頷く。
「……よろしくお願いします」
⸻
戦闘が始まった。
牙獣は以前よりも“理性的”だった。罠を回避し、分断を避け、集団で行動する。
一体は明らかに“リーダー”格で、目には知性の光すら宿っていた。
「やはり“操られて”いるな……!」
ハンジが叫び、部隊に指示を飛ばす。
レオンは木の上からその動きを監視していた――だが、視界の端に、意外な人物を捉える。
「……あれは、ライナー……?」
遠く離れた木陰に、重装備の兵装を纏ったライナーとベルトルトの姿。
そしてその足元には……牙獣を“誘導”する装置のような箱。
「……あいつら、まさか」
その時だった。牙獣がレオンの方へ一気に跳躍――
「レオン!!」
アニが間に入った。立体機動で牙獣の口を塞ぐように飛び込む。
レオンは咄嗟に彼女を支えるが、着地の衝撃で一瞬意識が飛びかけた。
アニの声だけが聞こえる。
「……死なないで。あんたは“罪”を背負ってるんじゃない。“選ばれてしまった”だけ」
「アニ……」
「だから、私は……あんたのそばにいるって決めたの」
レオンの視界に涙が滲んだ。
⸻
戦闘は、辛うじて調査兵団の勝利に終わった。
牙獣数体のうち、一体は捕獲。残りは逃走。ライナーとベルトルトの姿は、霧の中に消えていた。
その夜、レオンは捕獲された牙獣に接近する。
拘束具で動けぬ状態だが、その目はレオンを見ると一瞬だけ、瞳孔が開いた。
「……ΦR-07」
低く、かすれた声。レオンは驚愕する。
「……“話した”のか……」
牙獣のその一体だけが、人間の記憶を少しだけ保っていた。
「君は……僕と同じ“番号”だった者か?」
「オマエ……実験失敗体。俺……第六成功体……最初の……“兵器”」
「なら、君にはまだ“心”がある。なら、俺が救ってみせる……!」
牙獣の目から、一筋の涙が流れた。
レオンは手を伸ばそうとしたが、牙獣の体はそのまま泡のように崩壊していった。
遺されたのは――一片の記憶だった。