風が唸る。牙獣が放った最後の咆哮が、まるで空間そのものを裂くように空へ消えていった。
その直後、レオンの脳裏に奔流のように流れ込んできたのは、血と鉄の匂いに満ちた白い部屋。
拘束具。注射器。震える自分の手。
そして、その名を呼ぶ無機質な声。
――「アルヴィス個体、反応良好。次段階へ移行」
――「レオン・アルヴィス、第六群に分類。変異率7.4%。記録せよ」
自分の記憶ではないようで、それでいて確かに“自分”であったもの。
気がつくと、レオンは地に膝をついていた。
周囲の戦闘は終息しており、リヴァイ班が牙獣の死骸を囲み、警戒態勢を解こうとしているところだった。
「レオン……?」
アニの声がかすかに届く。だが、彼の視線は宙に浮いたままだ。
「レオン、どうしたの?」クリスタが寄ってくる。
「……いや、何でもない。ただの……頭痛だ」
そう言って立ち上がるレオンの目はどこか遠く、感情の焦点を失っていた。アニはその様子を黙って見つめていた。
⸻
その夜、仮設の宿営地にて。
「で、この化け物は“牙獣”ってやつなんですか?」ジャンが苦々しく言う。
「そうらしいね。ハンジさんの言ってた通りなら、巨人とは違う進化を遂げた“人為的な存在”……だとか」
コニーが顔をしかめた。「なあ、それってさ、つまり……人間だったってこと?」
「……実験体ってことだろうな」ライナーが低く言った。
その声に、場の空気が少しだけ沈む。
「そういう言い方するなよ、気分悪ぃ」ジャンが吐き捨てるように言うが、ライナーは何も返さない。
そのとき、ベルトルトが静かに席を立った。水筒を持つ手が微かに震えている。
レオンはその様子を、アニの横顔越しに黙って見つめていた。
──明らかに不自然な“怯え”だ。仲間を気遣う様子ではない。何かを恐れている。それも、内部から崩れそうなほどに。
アニもまた、ベルトルトの動きに一瞬だけ視線をやったが、何も言わずに沈黙を選んだ。
(……やはり、何かが噛み合っていない)
レオンの心に、その確信が音を立てて沈んでいった。
⸻
夜も更け、見張りを交代していたリヴァイ班のもとへ、ハンジが帰還した。
「牙獣の遺体、簡単に調べてきたけど……驚いたよ。脊髄液、あれ、巨人とほとんど同じ構造だよ。けど、決定的に違うのは“変質率”。」
「つまり?」リヴァイが言う。
「つまり、巨人の力を基礎にしながら、異なる経路で肉体を再構成されたってこと。もっと悪質な、倫理もクソもないやつ。
明らかに“人が人を作り変えた”痕跡があった」
クリスタが言葉を詰まらせる。「そんな……そんなこと、誰が……」
「王政か、それとも別の権力か……まあ、断言はまだできないけど」
その時、爆音が響いた。
「何だ!?」
兵士たちが一斉に跳ね起きる。音のした方向、そこには……裂けるような悲鳴と、巨人化の蒸気。
「……やったな」レオンが低く呟く。
「嘘……」コニーが声を失う。
ライナーの巨体が、筋繊維の皮膚を裂いて現れた。全身を覆う硬質の装甲。
その隣には、巨人化したベルトルト。超大型の発熱が瞬く間に周囲の木々を燃やしていく。
「なっ、何で……」サシャの声が震える。「なんで、あいつらが……!」
「裏切りだよ」アニの声が、静かに、しかし確かに落ちた。
「……なあ、アニ」ジャンが振り返る。「お前、前から気づいてたんじゃないのか?」
アニは答えなかった。ただ、レオンのほうを一度だけ見て――静かに目を伏せた。
レオンはアニの視線を受け止めたまま、言った。
「全部、終わりにしよう。今ここで」
巨人化したライナーとベルトルトが立ち上がると同時に、周囲は炎と恐怖に包まれた。超大型の発熱で立木が倒れ、地面は焼かれた。牙獣との戦いで消耗していた兵士たちが一斉に後退し、包囲線を崩される。
「このタイミング……最初から狙ってたのか!」リヴァイが地を蹴る。
「退避優先! 負傷者を最優先に!」ハンジが叫ぶが、誰もが恐慌に陥っていた。
「……レオン!」
その中、アニの声だけが真っ直ぐに飛んだ。
「ライナーたちを止めるには、今しかない……!」
レオンは頷いた。背負っていた立体機動装置のベルトを締め直し、アニと視線を合わせる。
「行くぞ、アニ」
「うん」
背中合わせに同時に飛び出す。まるで息を合わせるような滑らかな連携。
超大型の蒸気の間を縫い、ライナーの硬質装甲のわずかな隙間を目指して突き進む。
「なぜだ、ライナー!」レオンが叫ぶ。
その問いに、鎧の巨人は何も言わず、ただ拳を振るった。
音を切り裂いて迫る一撃を、レオンはギリギリで躱す。
「……お前たちは仲間だった! サシャも、コニーも、ジャンも……アニも! それでも裏切るのか!?」
その言葉に反応したのか、一瞬だけライナーの動きが鈍った。
「レオン……危ない!」
アニが叫ぶと同時に、超大型の巨人が熱波を爆発させる。
吹き飛ばされながらもレオンはアニの腕を掴み、立体機動で木々を蹴って着地する。
「無茶しすぎ……!」
「お前も、だろ」
互いに苦笑するが、視線は鋭く敵を捉えている。
そのとき、木陰から一人の少女が現れた。
クリスタだった。恐怖に引きつった表情のまま、それでも足を止めずに歩いてくる。
「……ユミル、やめて。行かないで」
その声は、巨人化しようとしていたユミルの背に届いていた。
「……見てたのか、クリスタ」
「ずっと前から気づいてたよ。あなたが、人間じゃないって。けど、私は……あなたを信じたい」
ユミルの手が震えた。硬化しかけていた皮膚が戻る。
「何で……そんな顔すんだよ……バレたら、私なんか……」
「私は、あなただから一緒にいたんだよ。……ただ、それだけ」
涙が零れる。だが、戦場に響いたその言葉は、誰よりも強かった。
⸻
その隙を縫って、リヴァイとレオンが接近する。
「やれるか、ヴィスナー」
「……アルヴィスです、本名は。けど、今は“レオン”でいいです」
リヴァイは一瞬だけ目を細めた。
「名前なんざどうでもいい。殺れるかどうかだ」
「……やります。絶対に、終わらせる」
レオンの目に、決意の炎が灯る。
その刹那、リヴァイとレオンが同時に飛び込んだ。
雷槍を使ったリヴァイの突撃がライナーの腕を貫き、レオンの刃が装甲の裂け目に突き刺さる。
「……ライナー……!」
レオンは力を込めた。
「お前が本当に仲間だったなら、せめて最後は……この手で終わらせてやる!」
次の瞬間、ライナーの巨人が崩れた。ベルトルトもまた、気力を失い座り込むように消滅する。
戦いが、終わった。
⸻
その後。
拘束されたライナーとベルトルトは、重罪人として引き渡されることとなった。
王政も軍部も、事態の重さに揺れ、今後の対応に追われることとなる。
レオンたちはその余波の中で、束の間の平穏を得る。
「……これで、本当に仲間だった奴らが……」
ジャンが、言葉を失う。
「けど、レオンが止めてくれたんだ」クリスタがそっと言う。
「まだ終わってない」レオンは静かに答える。「巨人の真実も、牙獣の正体も、全部繋がってる。ここからだよ」
アニがその隣で小さく笑った。
「……らしくないな。あんたがそう言うなら、きっとそうなんだろうね」
そしてその日、誰にも知られず、レオンは一通の報告書を読み上げていた。
かつて自分が“レオン・アルヴィス”という名で、どんな人体実験に晒されていたのか。その記録の一部だった。
(自分は何者で、なぜ牙獣が自分に反応したのか)
その答えは、次の任務に託される。