訓練兵としての生活も三日目を迎え、少しずつ各自の立ち位置や距離感が形になり始めていた。
それは、戦場における“仲間”の作り方とは違う、もっと曖昧で、不安定な関係だった。
誰かが誰かを意識し、牽制し、距離を詰めては、引いていく。
レオン・ヴィスナーは相変わらず、周囲とは一定の距離を保っていた。
群れることも、仲間意識を語ることもなく。淡々と、必要最小限の関わりしか持たなかった。
その孤立した立ち位置は、無口な性格も相まって周囲に“近寄りがたい印象”を与えていた。
だが、それでも誰かが彼に興味を持たないわけではなかった。
「……あの、レオン君」
その声は、どこまでも柔らかかった。
昼の休憩中、食堂裏の静かな通路で、彼に声をかけたのは、金髪の少女――クリスタ・レンズだった。
陽光に照らされて揺れる彼女の髪は、本当に天使のように見えた。
だが、それを言葉にする者はいない。ただ“そう感じる”だけの存在だった。
レオンはその声に気づき、ゆっくりと振り返った。
「……何か用か?」
「えっと……さっき、サシャと話してたの見て。ちょっとだけ気になって……」
彼は無表情のまま小さく首を傾げる。
「俺と、サシャが?」
「うん。普段ああいう話し方する子が、なんだか“構えない”で話してたから……不思議で」
クリスタの目は、まっすぐだった。
彼女の声には、装飾も計算もない。それが逆にレオンの警戒心を一瞬、鈍らせる。
「……サシャは、ああいう性格だからな。あまり気にしてない」
「ううん、そうじゃなくて。……あなたが、気にしてないように見えたから」
それは、誰かを“見る目”だった。
相手の奥にあるものを探る、静かな問いかけ。
レオンは数秒沈黙したのち、小さく答えた。
「……気にしてない。だが、興味は持ってる。面白い奴だからな」
クリスタの口元に、ふわりと笑みが浮かぶ。
「あなた、もっと怖い人かと思ってた」
「そう見えるだろうな。実際そうだって、言われ慣れてる」
「でも、ちゃんと人のこと、見てるんだね。アニさんのことも、サシャのことも」
レオンは目を細めた。クリスタがそこまで見ていたことに、少しだけ驚いていた。
「……お前、誰にでもそんな風に話しかけるのか?」
「ううん。みんなには話しかけるけど、“本当に話したい”って思う人は、そんなに多くないよ」
「……そうか」
しばらく、二人の間に沈黙が流れた。
だが、それは気まずいものではなく、どこか静けさを共有するような時間だった。
「レオン君。ひとつ、聞いてもいい?」
「なんだ」
「あなたは……誰かを、助けたいって思ったことある?」
レオンの目が揺れる。その問いは、思ってもみなかった方向から来た。
「……ある。だが、それで失ったこともある」
「うん……分かる。私も、助けたかった誰かのために、何もできなかったことがある」
クリスタの笑顔が、ほんの少しだけ陰る。
「だから、今は……“誰かを助けたい”って気持ちに、自分で制限かけてるの」
「どうしてだ?」
「だって、その気持ちが強すぎると、自分のことを忘れちゃうから」
レオンはその言葉に、心のどこかが刺さるのを感じた。
“誰かのために生きること”の危うさを、彼もまた知っていた。
「……それでも、お前は誰かを救う顔をしている」
「そんなこと、分かるの?」
「分かるさ。俺も昔、そういう顔をしてた」
クリスタは一瞬驚いた顔をしてから、そっと目を伏せた。
「……じゃあ、きっと似たもの同士だね、私たち」
その言葉には、冗談でも軽口でもない、“本心の重み”が込められていた。
レオンは初めて、その場で小さく息を吐いた。
クリスタの前では、何かを偽る必要がないと、無意識に思っていたのかもしれない。
「ありがとう」
クリスタがふと口にした。
「なぜ礼を?」
「なんとなく。……話してくれて、嬉しかったから」
微笑みとともに言われたその一言は、どこか温かく、心の中でゆっくりと広がっていった。
レオンは答えなかった。ただ、心の中でその言葉をそっと受け取った。
その日、夕焼けの中で二人が交わした短い会話は、
誰にも知られず、しかし確かに小さな“繋がり”として心に残った。
彼女の微笑みが、ただ“優しい”だけではないことを、
レオンはまだ知らない。
そして、クリスタもまた、自分の胸のうちに灯った微かな光の意味を、まだ理解していなかった。
だが、それは確かに始まりだった。
やがて彼らを引き裂く嵐の前の、静かなひととき。