壁の外に咲く花   作:ナムルパス

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第4話 傷と選択

戦いが終わった戦場には、焼け焦げた匂いと、乾ききらない血の匂いが漂っていた。牙獣兵団との激戦の爪痕は深く、空は重たく曇り、時折小雨が血を洗い流していく。

 

 アニは治療班に運ばれ、応急手当を受けていた。肩口から背中にかけての裂傷は深く、肉が抉られていたが、幸いにも骨に達していない。

 

 傍らに立つレオンの手は、握り締めたまま震えていた。

 

「……俺が、もっと冷静に動いていれば」

 

 「違うよ」クリスタが静かに言う。「あの瞬間、アニが動かなかったら……あなたが死んでた」

 

 ユミルは後方からそれを聞きながら、治療を受けるアニの様子に目を向けた。「馬鹿だな、あの女。死にかけてまで男守って……」

 

 「ユミル」

 

 「……悪い、クリスタ。でも本音だ」

 

 その言葉に、クリスタはほんの一瞬、視線を伏せた。

 

 一方――戦闘後の野営地にて。

 

 仮設の作戦テント内では、リヴァイ、ピクシス、ハンジ、エルヴィン代理としてのナイルが集まっていた。

 

「牙獣兵団……完全に軍事集団だな」ハンジは分厚い記録帳を広げながら言う。「ただの変異種じゃない。明らかに、命令を理解し、連携し、撤退すら選んだ」

 

 ピクシスは椅子に浅く腰を掛け、酒瓶を片手に持ちつつ、リヴァイを一瞥する。

 

「で、あのライナー・フーバーとベルトルト・フーバーは、今どうしておる?」

 

 「拘束はしていない。だが――監視付きで別テントに留めている。動けば殺せる距離にいる」

 

 ピクシスは唸った。「リヴァイ、お前の判断を信じよう。だが、私の懸念は……あの少年たちがこの戦場の鍵を握っている可能性だ」

 

 「……ああ。あの二人は“鍵”だ。巨人の力を使える存在であるだけでなく、敵の目的に深く関わってる。まだ何も語らせていないが、時間の問題だ」

 

 リヴァイは椅子に背を預け、目を閉じて言葉を続けた。

 

 「……だが、語らせるには、誰がやるかが重要だ。あいつらが喋るとしたら、ヴィスナー……いや、“レオン・アルヴィス”の前だけだろうな」

 

 ピクシスの眉がぴくりと動く。「ほう? 正体を掴んでおるのか?」

 

 「仮面を被っていたのは最初だけだ。今は、自分の意志で戦っている。目的も、信条も、本名すら隠していたのは――“自分を敵からも味方からも切り離すため”だった。だが今、仲間を守ろうとしている。……ならば、俺はそれを後押しする」

 

 ハンジがにやりと笑う。

 

 「リヴァイがそこまで言うとはね。よっぽど気に入ったんだ、あの少年」

 

 「……クソガキではあるがな。だが、他の誰よりも、この世界の“嘘”を見抜いている」

 

 その頃、治療棟にて。

 

 アニは目を覚ました。かすかな痛みが背中を走るが、彼女の視線はただ一点――天井ではなく、ベッドの脇に座るレオンに向けられていた。

 

 「……生きてたか」

 

 「お前の方が、危なかったんだがな」

 

 アニはわずかに笑った。それは彼女にしては珍しい、柔らかな笑みだった。

 

 「私……戦ってて、初めて、誰かの顔を思い浮かべた。戦いの理由が、自分以外のものに変わったの……おかしいかな?」

 

 レオンは言葉を詰まらせる。

 

 「……いや、俺も同じだ。お前があんな風に飛び込んでくるなんて思ってなかった。だけど、守られたくなんてなかった。――一緒に戦って、勝ちたかったんだ」

 

 その言葉に、アニは目を細める。

 

 「なら、今度は並んで立って。……それだけでいい」

 

 扉の外、会話を聞いていたクリスタは拳を強く握りしめた。

 

 ユミルが気まずそうに視線を逸らす。「……行くか、クリスタ。もう充分聞いただろ」

 

 「ううん。私……ちゃんと見届けなきゃいけないの」

 

 「は?」

 

 「アニが何を選んで、レオンが誰を見てるのか。そして、私は――自分の“正体”と、どう向き合うかを」

 

 ユミルの表情が強張る。

 

 「……お前、それ」

 

 「知ってるよ、ユミル。ずっと、知ってた。あなたが“普通じゃない”ってことも。でも、私、全部から目を逸らしてた。アニのことも、レオンのことも……あなたのことも」

 

 雨音が静かに響いていた。

 

 「もう、目を逸らすのはやめる。私も、戦う」

 

 ユミルは、しばらく沈黙したのち、小さく呟いた。

 

 「……強くなったな、ヒストリア」

 

 

 翌朝。

 

 ピクシスの命令により、前線の再編が告げられた。

 

 牙獣兵団は南部の山岳地帯――“ガリアの谷”と呼ばれる地に拠点を持っているという情報がもたらされた。次なる任務は、そこへの進軍。だがそれは、巨人との戦いと並行する“もう一つの戦争”の始まりを意味していた。

 

 その前に、一つの決断が下される。

 

 「ライナー・フーバー、ベルトルト・フーバー。君たちに問う。人類に、力を貸す気はあるか?」

 

 テントの中、リヴァイとレオンが二人を見据える。

 

 ライナーはしばらく口を開かず、やがて呟いた。

 

 「もう……自分が何者だったかも、分からなくなってる。ただ、一つ分かるのは……このままじゃ、何も守れない」

 

 「それが答えか?」

 

 「……力を貸す。ただし、“仲間”を殺させるような命令には従えない。それが条件だ」

 

 レオンは、ほんのわずかに笑った。

 

 「十分だ。……一緒に、終わらせよう。牙と鎧の時代を」

 

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