――翌朝、ガリアの谷から撤退した一行は、南方の駐屯地に一時集結していた。
戦いの疲弊は想像以上だった。負傷兵の収容、装備の修繕、崩れた信頼と情報の整理。だが何より、彼らの胸に残ったのは「言葉を話す牙獣」の存在だった。
「言語を持つ牙獣。つまり――知性型、というわけか」
ピクシス司令は報告書を手にしながら、ゆっくりと眉を潜めた。
報告に当たったのはハンジとリヴァイ、そしてレオン。
「その牙獣……“ヴァルト”とか名乗ってたやつ。何者か分かるのか?」
「現時点では不明だが、レオンに対してだけ明確な言葉を向けた。敵が“こちらを知っている”という状況が、もっとも厄介だ」
リヴァイの声は低く、警戒を滲ませていた。
「その“王”ってやつの正体もな」
レオンが続けた。
「王……?」
ピクシスが眉をひそめた。
「“牙の王”と呼ばれていた。牙獣たちの支配構造が存在すると仮定するなら、それを統率する存在がいる。そして……俺を“成功体”と呼んだ」
「成功体……?」
ハンジが目を細める。
「それって……牙獣と人間の融合体とか……いや、まさか……」
沈黙が落ちる中、リヴァイの視線が鋭くレオンに突き刺さった。
「お前、何を隠してる」
レオンは答えなかった。
「ヴァルトと対峙したとき、何か感じただろう? やつはお前を見て“期待”すらしていたようだった」
「……」レオンは口を引き結ぶ。
だが、ピクシスは静かにそれを遮った。
「リヴァイ、今は詮索の時ではない」
「だが――」
「いいや、そうじゃ。あやつが何者か、それを明かさずとも、今は“こちらの敵が誰なのか”を見極める方が先じゃろう」
その夜。駐屯地の屋根の上に、レオンの姿があった。ひとり、空を見上げていた。
「……また黙ってるのね」
背後からアニの声がした。
「お前もこっちか」
「まあ、心配で」
アニはそう言って隣に座った。
「“成功体”って言われて、何か思い当たる節があるの?」
「……あるよ。けど、全部が霧の中だ。……俺が何者なのか、本当にまだわかっちゃいない」
アニは黙ってそれを聞いていた。
「もし、俺が“人じゃなかったら”……」
「関係ない」アニは即答した。
「お前がレオンである限り、それでいい。私は、それ以上を知ろうとしない。ただ、信じる」
レオンの目が少しだけ揺れた。
「……ありがとな」
一方その頃――
谷の遥か奥、黒い塔のような岩の中で、“牙の王”の幹部たちが集っていた。
玉座の前に跪くのは、かつてレオンと対峙したヴァルト。そしてその隣には、異様な目をした若き牙獣戦士・〈エスティア〉が立っていた。
「成功体との交戦は、想定以上に有益でした。彼は目覚めつつあります」
「ならば、次は“選別”の時だ」
重々しい声が、玉座から響いた。
闇の中から現れたその影は、明らかに他の牙獣と一線を画していた。理性と憤怒、そして獣の本能を併せ持った存在。牙の王、〈バラグゥス〉。
「この世界の“ヒトの牙”がどこまで届くか――試すには、好機だな」
その夜、ユミルはクリスタの寝台の隣に腰かけていた。
「無茶するなよ、あんた」
「言われなくても分かってる。でも……ユミル、あのとき……あなた、何か“力”を使ったよね?」
ユミルは目を伏せた。
「見てたのか」
「うん。だけど、誰にも言わない。私は……あなたを信じてるから」
ユミルはクリスタを見つめ、ゆっくりと手を重ねた。
「じゃあ、その代わり。あんたが危ないときは、絶対私が守るって、約束して」
「うん、約束」
その翌日。
リヴァイとレオンは、新たな作戦地図を前に並んでいた。
「次の標的は――“牙獣の中枢”があると思しき谷の先、“白き洞”。行くか?」
「行く。止まっていられるわけがない」
「そうか」
リヴァイはほんの僅かに口角を上げた。
「なら、今は信じてやる。お前が何者でもな――この戦場で斬れぬものがあるかどうか、それだけが基準だ」
レオンは頷いた。
人の牙は、獣を超えられるのか。
それを証明する戦いが、再び始まる。