薄曇りの空の下、遠征部隊は静かに進軍していた。目指す先は、牙獣たちの中枢が潜むとされる“白き洞”。
谷底の先、岩盤を削ったように開かれた巨大な洞窟――外壁は雪のように白く輝き、だがその奥には、血のように濃い闇が広がっていた。
「……ここが、奴らの巣か」
リヴァイが呟く。視線の先には、洞の入り口を警備する牙獣たちの姿があった。
「視認できる限りで五体……ただし、内部の構造は不明。強行突破はリスクが高すぎる」
ペトラが冷静に状況を分析する。
「なら、分隊潜入が妥当ですね」
オルオが言うと、すかさずエルドが頷いた。
「中央部の探索班と、外周の撹乱班に分かれる。俺とペトラ、レオンで中央に入る」
「撹乱班は俺とオルオ、そして……」リヴァイが一瞬目を横にやる。「アニとクリスタ、ユミル。貴様らも行け」
「了解」
アニは短く答え、クリスタは軽く頷いた。
その刹那、ユミルがクリスタにだけ囁いた。
「気をつけろよ、あんた。あの白い壁の奥、何か……おかしい」
洞内は異様だった。
白く濁った結晶質の岩壁は、まるで生物の内臓のように湿り気を帯び、歩くたびに不快な感触を足元に残す。空気は粘りつき、まるで体内を進んでいるかのようだった。
「何だ、この……嫌な空間……」
ペトラが顔をしかめる。
「聞こえるか? 水音が……いや、違う。これ、脈だ」
レオンの言葉に、全員が緊張を高める。
そのとき――奥から、赤い光が差した。
「来たぞ。隠れろ!」
エルドの指示と同時に、壁の陰に身を潜める。だが、その光の中から現れたのは、今までの牙獣とは明らかに異なる姿だった。
それは――血染めの毛皮と紅い瞳を持つ女型の獣。
「ようこそ、“白き洞”へ」
獣が喋った。
「私は〈スレア〉。牙獣王直属の狩猟姫。貴様ら人間が、ここまで踏み込むとはね」
レオンの目が鋭くなる。
「……話が通じるなら、応じてくれ。お前たちの目的は何だ。なぜ人を襲う」
「答える義理はないわ」
スレアの表情は冷たい。だが、その瞳にはどこか、哀しみが宿っていた。
「……貴様、元は――」
言葉が終わるより先に、スレアが動いた。
その瞬間、岩壁が砕け、血飛沫が舞う。
「戦闘開始!!」
一方、外周部――撹乱班が牙獣たちを引きつけていた。
「ユミル、右に三体!」
「分かってるっての!」
ユミルが跳ね上がり、立体機動で一体の首筋を削ぎ落とす。アニは正確な一撃で別の獣の脚を断ち切った。
だが、クリスタは震えていた。
(私は……本当に戦えるの?)
迷いが腕を鈍らせる。だがその時――
「危ない、ヒストリア!!」
ユミルが叫び、身体を投げ出して彼女を守った。
「……ごめん、私……!」
「後で泣け! 今は――戦え!」
洞の奥、スレアとの戦闘は苛烈を極めた。
その動きは速く、力も並外れている。だがそれ以上に――スレアの戦いには“人間の意志”が感じられた。
「……お前、本当に牙獣か?」
レオンが問う。
「かつては人間だったわ。だが……違う存在に作り変えられた。“王”の理想のためにね」
スレアは苦しげに笑う。
「……レオン・アルヴィス。あなたもまた、選ばれた側よ。私たちと同じ、“造られた存在”。それでも、人間を守るの?」
「――ああ。俺は人間の世界で育った。だから、守る」
その言葉に、スレアの瞳が揺れた。
「なら、私を……倒して」
次の瞬間、スレアは自ら刃に向かって飛び込んできた。
「――!」
レオンの刃が、紅き獣の心臓を貫いた。
「……せめて、あの子たちを……王の手から……」
そう呟き、スレアは崩れ落ちた。
戦闘終了後、リヴァイ班は崩壊し始めた洞を撤退しながら走った。
「早くしろ! 全体崩落が始まってる!」
エルドが叫ぶ。
アニとクリスタも、ユミルと共に合流した。全員が生還を果たしたのは、奇跡に近かった。
夜。
負傷したレオンは天幕の中で目を覚ました。隣にはアニがいた。
「お前……起きたのか」
「……スレアは、最後に“子供たち”と言っていた。牙の王は、次の“何か”を育ててる」
「つまり、次の戦場があるってことね」
レオンは頷いた。
「終わりは、まだ遠い」
アニは静かに、彼の手を握った。