夕暮れの光が、訓練地跡の丘を黄金に染めていた。
その空の下で、アニは腕を組みながら沈黙を守っていた。彼女の向かいには、凛とした表情のクリスタが立っている。
「……アニ。ねえ、本当に彼のこと、どう思ってるの?」
その問いかけは、優しさを装った刃のようだった。
アニは一拍、空を見上げてから答える。
「悪くは思ってない……そう言えば納得する?」
「しない。だからちゃんと言って」
アニはため息をつき、金髪を耳にかけると、まっすぐクリスタを見つめ返した。
「――レオンのことは、好きだよ。最初からずっと、気になってた。戦える奴だし、くだらないこと言わないし、……何より、私を“人として”見てくれた。私が誰かを信じようと思えたのは、あいつが初めてだった」
クリスタのまなざしが揺れる。だが彼女もまた、負けじと歩み寄る。
「私も……同じ。レオンはね、私のことを仮面の奥まで見てくれた。誰も気づかなかった“本当の私”に気づいてくれた。……あんなの、あの人だけだった」
沈黙が落ちる。
風が吹き抜け、草を揺らす。
それでも、二人の距離は縮まらない。むしろ、互いの想いの重さが、それぞれの胸に壁を作るようだった。
「じゃあ、どうするつもり?」
先に口を開いたのはアニだった。
「私たち、どっちかが身を引けばいいの?」
「そう、簡単に決められることじゃない……でも、レオンが“どちらも失いたくない”って思ってるのも分かる。わざと曖昧にしてるわけじゃない。あの人は、ほんとに悩んでる」
アニは目を細め、静かに呟く。
「……甘いよね。あいつも、私たちも」
そこへ――足音が草を踏む音が響いた。二人が同時に振り返ると、そこには息を切らしたレオンが立っていた。
「……いた、やっぱりここに……!」
「レオン……」
「レオン……」
両者の声が重なった。
レオンは状況を察しつつも、真剣な眼差しで二人の間へと歩み寄る。
「話を……させてくれ。全部、今ここで」
アニもクリスタも、言葉なくうなずいた。
それぞれの想いが燃え立つこの場で、レオンはゆっくりと口を開いた。
「俺は……お前たち二人とも、大切だと思ってる。どちらかが“代わり”なんてことは、絶対にない。……けど、それが逆に、お前たちを苦しめてる」
アニは眉をひそめ、クリスタは唇を噛んだ。
「最初は、気づかないふりをしてた。でも気づいてたよ。アニが、俺を信じてくれようとしてること。……クリスタが、俺にだけ見せてくれる本当の顔」
沈黙。
それは、誰もが逃げたくなる言葉だった。
レオンは拳を握りしめる。
「だけど、どちらかを選べないっていうのは、ただの逃げかもしれない。……いや、そうかもしれないって、自分でも思う。でも――それでも俺は、“どちらも失いたくない”って本気で思ってるんだ」
アニの瞳が大きく見開かれた。
クリスタの肩が、小さく震えた。
「俺には、欲張りかもしれない。でも、お前たちに対してだけは、嘘をつきたくない。アニ。クリスタ。どちらも、特別なんだ。……それは、絶対に変わらない」
風の音が、三人の間を通り過ぎる。
「だから俺は……お前たちが、俺をどう思うかを、ちゃんと聞きたい。どんな答えでも受け止める。……それが俺の責任だから」
静かに、アニが息を吐いた。
「本気で言ってるんだね? 私たち二人と向き合うってこと……分かってる? どれだけの覚悟がいるか」
「分かってる。けど、それでも逃げたくない」
アニは苦笑した。「ほんとに、変な男だよ……」
クリスタが一歩踏み出し、レオンの前に立つ。
「じゃあ、言うよ。私は、レオンが好き。ずっと前から。……誰かと取り合うなんて、怖くて考えたくなかった。でも、アニのことを見てるうちに分かったの。あなたがアニに向けてる優しさも、同じくらい本物だって」
アニが小さく笑う。
「クリスタ……」
「それでも私は、諦めたくない。私だけを見てほしい。でも、あなたがアニを大切に思ってることも分かってる。だから――」
彼女は言葉を止めて、レオンとアニを見た。
「“三人で考える時間”がほしい。答えを急がずに。……それでも、関係を壊さないように、みんなで前に進むための時間を」
その言葉に、レオンは深くうなずいた。
「ありがとう、クリスタ……。それが、俺の願いでもある」
アニはしばらく無言だったが、やがて肩を落とし、笑みを浮かべた。
「私がそんな提案すると思ってた? ……でも、クリスタがそれを言ってくれるなら、私は否定しない」
レオンとクリスタが、アニを見る。
彼女は少し頬を染めながら、視線をそらした。
「私も……レオンが私だけを選ぶって言ってくれたら嬉しいよ。だけど、それが“嘘”だったら、もっと嫌だ。だから、今のレオンがそう言うなら、信じてみる」
レオンは言葉を失った。
そんな二人の強さと優しさが、胸に刺さる。
「……ありがとう。二人とも、本当に……」
「でも、勘違いしないで」
アニが一歩踏み出す。
「これから、あんたの態度が曖昧だったり、どっちつかずだったりしたら……本気で怒るからね。私たちは、競ってるんじゃなくて、“本気”なんだから」
クリスタもふっと笑った。
「うん。レオンに選ばれたい気持ちは、本当だから」
二人の言葉に、レオンはぐっと拳を握る。
「分かった。俺も覚悟を決めるよ。“どちらも大切”なんて言葉じゃ、足りないくらいに。……これから、ちゃんと向き合う。逃げずに」
アニとクリスタが同時に頷いた。
そのとき、夕焼けの中に鐘の音が響いた。
訓練場の片隅にある古びた時計塔が、日暮れを告げる。
「そろそろ戻らなきゃね」
クリスタが言い、アニも肩を回す。
「じゃあ、今日は解散ね。……変な気まずさ、なくてよかった」
「……ありがとう。二人とも」
レオンの声に、二人はそれぞれ背中を向けて歩き出した――が、アニだけが最後に振り返る。
「次は……私の番だから。ちゃんと時間、作ってよ」
彼女はそう言って、赤く染まる空の中へ消えていった。
数日後――
調査兵団の宿営地に、一時的な休息が訪れていた。
牙獣との戦いも一段落し、兵士たちは訓練や見回り以外の時間を思い思いに過ごしている。
その日、レオンはアニと約束を交わしていた。
街外れの小さな河畔の道。誰にも邪魔されない静かな場所で、ふたりきり。
「……ほんとに、こういうの苦手そうだね。無理してない?」
アニはいつもの無表情に、わずかな微笑を乗せて問う。
「いや、むしろ落ち着くよ。アニといると、変な緊張がない」
「ふーん。じゃあ、デートってやつも悪くないってこと?」
レオンは顔を赤らめた。
「……そういう言い方されると、恥ずかしいな」
アニは笑う。その笑顔は、戦場の殺意とはまるで別の、柔らかく温かいものだった。
「私ね、あんたと並んで歩いてると、不思議と安心するの。昔の私なら、こんなこと言わなかった。でも……今は、言えるようになった」
「アニ……」
「だから、今日は素直になりたい。少しでも、“普通の女の子”として」
そう言って、アニは小さな紙袋を取り出した。中には焼き菓子がいくつか入っている。
「作ってみた。教官の手伝いで厨房借りて。……まあ、初めてだから、味は保証しないけど」
レオンは驚きながらも、受け取る。
「ありがとう……これ、めちゃくちゃ嬉しい」
アニは照れて、目をそらす。
「調子に乗るなよ……ただの気まぐれ」
そんなやり取りの最中――。
「……あ」
ふと、視線の先にひとりの少女がいた。
道の向こうに立ち尽くしていたのは、クリスタだった。
彼女は、袋を手に持ったままのレオンと、そのすぐ傍に立つアニを見つめていた。
アニもレオンも息をのむ。
だがクリスタは、無理に微笑みを作って、そっと頭を下げると、踵を返して去っていった。
その背中は、いつもより少しだけ小さく見えた。
クリスタの背中が見えなくなるまで、レオンはその場を動けなかった。
アニは静かにレオンの横に立ち、ぽつりと呟いた。
「……見られちゃったね」
レオンはゆっくりとうなずいた。
「……ああ。まさか、あんな形で……」
「気まずい? ……それとも、後悔してる?」
「違う。ただ……あの顔を見たら、心が痛くなった。俺は……やっぱり、まだ迷ってるのかもしれない」
アニはほんの一瞬、寂しそうに目を伏せた。
「……あんたが迷うのは当然だと思う。クリスタも、私も……どっちも簡単に選べる相手じゃない。だから、今日は責めたりしない。……でもね」
そこで、アニはレオンの腕をとった。
「私は今日、ちゃんと伝えた。だから次は、あんたの番。……どれだけ時間がかかってもいい。だけど、答えは“本気”で返して」
レオンは静かにその手を握り返した。
「……ありがとう。アニ。必ず、答えるよ。クリスタにも、お前にも」
ふたりの間に流れる沈黙は、優しさと切なさを含んだものだった。
そして――
その夜、クリスタは誰にも見せないようにひとりで泣いた。
日記帳の隅に、震える文字でこう書いた。
「見たくなかった。でも、知ってた。アニも本気だって。
それでも、私だって、簡単に引かない。
次は、私の番――。」
そのページを閉じたとき、彼女の瞳には新たな覚悟が宿っていた。
申し訳ないですが、明日から仕事が始まるので更新ペースが落ちます