壁の外に咲く花   作:ナムルパス

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第7話 淡い陽射しの中で

――その日、レオンは早朝からどこか落ち着かなかった。

 

アニとの“特別な時間”を過ごした日のことは、今も鮮烈に胸に焼き付いている。

あの柔らかな表情、手渡された手作りの菓子、そしてクリスタに見られてしまった瞬間。

どれもが記憶に残り、彼の心を掴んで離さない。

 

だからこそ、今度は――クリスタに向き合う番だった。

 

「よく来てくれたね、レオン」

 

笑顔で現れた彼女は、いつもよりほんの少しだけ、背筋を伸ばしていた。

 

「誘ってくれて嬉しかった。……ほんとに、ちょっとびっくりしたけど」

 

「俺の方こそ、急だったかと思ってた。ありがとう、来てくれて」

 

ふたりが立つのは、王都郊外にある古い石橋の上。

その下には澄んだ小川が流れ、春の柔らかな風が髪を揺らす。

 

クリスタは少しだけ遠くを見ながら、そっと呟いた。

 

「私ね、あのとき見たの。アニとレオンが、ふたりで笑ってたところ」

 

レオンは表情を引き締めた。

 

「……ごめん。何も言えなかった。言う資格が、なかった」

 

「違うよ、レオン。謝ってほしくて言ったんじゃないの」

 

彼女はまっすぐにレオンを見つめた。

 

「私、あのとき泣いた。でも、泣いて気づいたの。……私は、アニが嫌いなんじゃない。

ただ、“誰かにとって特別でありたい”って、ずっと思ってた。

そしてその“誰か”が、レオンだったってだけ」

 

風がそっと吹き、レオンの頬を撫でる。

 

「アニも、レオンも、本気なのは分かってる。だから私も、ちゃんと向き合いたい。

『同情』や『優しさ』じゃなくて、『私を見て』って……そう言いたくて、今日来たの」

 

レオンは、彼女の真っ直ぐな視線を受け止めた。

 

「……見てる。ずっと。お前が誰より優しくて、強くて……でも、本当は孤独を抱えてることも」

 

クリスタは目を見開いた。

 

「……っ、そんなこと……」

 

「分かるさ。ずっと隠してたんだろ? “誰かのためのクリスタ”じゃなくて、“本当のヒストリア”を」

 

その名前を口にされた瞬間、クリスタの瞳が揺れた。

 

「……どうして、その名前を……」

 

レオンはわずかに微笑んだ。

 

「お前のこと、知りたいと思ったんだ。言ってくれるまで、待つつもりだったけど……俺は、ちゃんと全部見たい。お前の弱さも、涙も、過去も」

 

クリスタの目から、一筋の涙がこぼれた。

 

「ずるいよ……レオン。そんなふうに言われたら……好きになっちゃうじゃない……」

 

「なってくれて、ありがとう。俺も、お前が……好きだよ」

 

彼の言葉に、クリスタはそっと肩を寄せた。

手を繋ぐでもなく、抱きしめるでもなく、ただ静かに寄り添うように。

 

「レオン……私ね、昔からずっと、“いい子”でいようとしてきたの」

 

クリスタは、小さく呟くように語り始めた。

 

「誰にも嫌われないように、みんなに微笑んで、優しくして、誰かの理想の“クリスタ”を演じて……でも、それって本当の私はどこにもいなかった」

 

レオンは、彼女の言葉を黙って聞いていた。

 

「でもね、訓練兵団に来て、アニやユミルや……そして、レオンに出会って、少しずつ変わっていったの。誰かの“理想”じゃなくて、“自分”として生きたいって思えるようになった」

 

彼女の目がレオンを見据える。

 

「アニと一緒にいるレオンを見たとき、すごく苦しかった。でもそれ以上に、“私は何もしてない”って気づいた。あの子は、自分の気持ちをぶつけた。だから私も、負けたくなかった」

 

「……お前の気持ち、ちゃんと届いてるよ」

 

レオンがそう返すと、クリスタは少しだけ微笑んだ。

 

「それだけで、今日来てよかったって思えるよ」

 

川のせせらぎが、ふたりの沈黙を優しく包む。

 

「なあ、クリスタ」

 

「うん?」

 

「この先、どうなっていくか分からないけど……お前の隣にいる時間を、もっと大事にしたい。怖い敵が現れても、どんな真実を知ることになっても。……だから、これからも一緒にいてほしい」

 

クリスタは、ゆっくりと頷いた。

 

「私もそう思ってた。……絶対、離れないから」

 

ふたりは、そのまましばらく並んで座っていた。まるで、過去の痛みや迷いまでも癒すように。

 

その日の夜。

 

宿営地に戻ったレオンは、アニとすれ違った。

 

「……遅かったね」

 

「クリスタと、話してきた」

 

アニは何も言わず、ただレオンの表情を見つめた。

 

「私に言い訳するつもりはないんだ?」

 

「ない。お前ともクリスタとも、向き合ってる。それだけは信じてほしい」

 

アニはふっと笑った。

 

「ふーん、ならいい。……でも、私は私で、攻めるから。覚悟しておいてよ」

 

レオンも笑い返す。

 

「それなら……望むところだ」

 

そのとき、遠くの方からピクシス司令の声が響いた。

 

「おーい、ヴィスナーの坊や。ちと顔を貸さんか。面白い話があるぞ」

 

アニが目を丸くする。

 

「……また面倒ごと?」

 

「さあな。でも、あの人が“面白い”って言うなら……何か大事なことだ」

 

アニと軽くうなずき合い、レオンはピクシスのもとへと歩いていった。

 

「来たか、坊や。実はな――牙獣の目撃情報が、新たに浮上した」

 

レオンは目を細める。

 

「どこで?」

 

ピクシスは地図を示しながら言った。

 

「南西の山岳地帯だ。だがな、今度の情報は“憲兵団の内部”から漏れてきたものだ」

 

「……つまり、牙獣は兵団の誰かと繋がってる?」

 

「その可能性が高い。さらに問題なのは――“調査兵団の中にも、情報提供者がいる”という点だ」

 

レオンは拳を握る。

 

「内通者……またかよ……!」

 

「油断するな。お前も、あの“特別な感覚”を持ってるんだ。次の任務では、それを最大限に活かしてもらう」

 

「了解です、ピクシス司令」

 

「それともうひとつ……“リヴァイ班”の増援が来る。お前とは相性がよさそうだ。あの口の悪い男も、お前に一目置いてるようだったぞ」

 

レオンの顔が引きつる。

 

「……それ、誉め言葉なんですかね?」

 

ピクシスは酒瓶を傾けながら、豪快に笑った。

 

その翌朝。

任務のために集められた小規模の先遣班に、レオンはいつものように無言で合流した。

 

「お、来たなヴィスナー」

 

リヴァイ班のオルオ・ボザドが、得意げに声をかけてくる。

しかしその威圧感はすでにレオンには通じない。

 

「相変わらず元気そうですね。口の動きは相変わらず無駄が多いけど」

 

「うるせぇ! こちとらリヴァイ兵長の忠実な右腕なんだぞ!」

 

「その割に、この前兵長に『口動かす前に手ぇ動かせ』って言われてた気がしますけど?」

 

ペトラ・ラルが笑いをこらえながらオルオの背中を軽く叩く。

 

「もうそのへんにしてあげて、オルオ。レオンだって、任務前に余計な疲労は抱えたくないでしょ?」

 

「ありがとうございます、ペトラさん。久々に味方がいてくれて助かります」

 

ペトラは微笑んだ。

 

「リヴァイ班が合流するって聞いたとき、正直嬉しかったよ。また一緒に動けるってね。……あんたの戦い方、あたしはけっこう好きだから」

 

それは軽い言葉だったが、レオンにとってはどこか心に響くものだった。

 

「……光栄です。今回も、期待に応えますよ」

 

そのやり取りを数メートル離れた場所で見ていたアニが、鋭い視線をレオンに向けていた。

腕を組み、口元を引き結びながら。

 

(……またあの女と馴れ馴れしく。どいつもこいつも、なんでレオンには甘いのよ)

 

そしてさらにその視線を――

今度は少し離れた木陰から、クリスタも見ていた。

 

彼女は笑っていた。だが、その目の奥には揺れるものがある。

 

(アニと一緒にいるときと、私といるときと、そして今の……レオンは、それぞれ違う顔をしてる)

 

クリスタは胸に手を当てた。

 

(……どの顔が“本当の”レオンなんだろう)

 

任務の準備が整っていく中、複雑に絡み合う三人の想いは――

いずれ確実に衝突する。

 

そしてそれは、遠からず訪れる“裏切り”と“真実”の爆発へとつながっていくのだった。

 

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