曇り空の下、先遣任務の班が馬を駆ける。
南西の山岳地帯――牙獣の目撃情報があったという地点に向かっていた。
レオン、アニ、クリスタ、リヴァイ班の面々、そして選抜された数名の調査兵団兵士。総勢十数名の精鋭部隊だった。
「……不気味なくらい静かね」
アニが馬上から周囲の山林を見渡し、低く呟く。
「牙獣の痕跡はまだ確認できてない。だが、この静寂……嫌な予感がするな」
ペトラが眉をひそめ、鞍にしがみつきながらレオンに言う。
「ヴィスナー。あんたの“感覚”って、今はどう?」
レオンはわずかに目を細めた。
その瞳の奥に、あの“気配”を感じる能力――わずかな違和感を読み取る直感が宿る。
「……何かが動いてる。まだ見えないが、“何か”が俺たちを見てる感覚がある」
「やっぱりな……」
リヴァイ班の一人、グンタが低く唸った。
「司令はどう言ってた? この任務の“本当の目的”は」
ペトラが問いかけた。
「牙獣の探索だけじゃない。……“情報源”を炙り出す。内部の裏切り者が誰かを、な」
レオンは、静かに応じた。
「つまり、囮任務ってわけね」
アニの声は冷めていた。だが、すぐに続ける。
「じゃあその“内通者”は、ここにいる可能性もあるってこと?」
「……そうだ」
隊の空気が一瞬、重くなる。
疑心の種がまかれた。
「おいおい、勘弁してくれよ。そんな目で見るなって、俺は潔白だぞ?」
オルオがややふざけた調子で言うが、その言葉も空しく響くだけだった。
「ここで冗談は命取りになるわ」
ペトラがぴしゃりと切り捨てる。
レオンは、無言で馬の速度を少し緩めた。周囲の木々の影――その奥に、わずかな“気配の揺らぎ”を感じ取っていた。
(……来る)
次の瞬間、森の奥から巨体が飛び出した。
全身が異様に膨れ上がり、肉の一部が鉄のように硬化している――牙獣だった。
「接近戦用の個体だ! 全員、散開!」
レオンの叫びに従って、部隊は即座に反応する。
アニはすでに立体機動装置を展開し、素早く森の中へと飛び込んだ。
「やるわよ!」
ペトラが並走しながら叫ぶ。
「グンタ、左から回り込んで! オルオ、正面から引き付けて!」
牙獣は、咆哮と共に三本の腕のような突起を振り回してきた。
その動きはまるで獣じみており、戦闘のプロですら容易に近づけない。
「動きが変則的すぎる……!」
クリスタが思わず声を上げる。
「下がってろ、クリスタ!」
レオンが彼女をかばい、牙獣の腕を紙一重で避ける。
すかさず右の木から跳び移り、鋭く立体機動のワイヤーを牙獣の後頭部に打ち込んだ。
「そこだ!」
だが、刃が肉に触れた瞬間――甲冑のように硬化した皮膚が現れ、跳ね返された。
(やっぱり硬化部位……!)
「後頭部じゃない!」
ペトラが叫ぶ。
「首の根本、右下! 一瞬、露出してる場所がある!」
「了解!」
アニがすかさず旋回し、鋭角に牙獣の背後を取る。
その連携はまさに“狩り”のようなものだった。
アニの刃が風を切る。
右下、首の根元――ペトラが叫んだ通りの“隙”に、アニの攻撃が突き刺さる。
「っらああああっ!!」
肉を断つ手応え。牙獣が怒号のような咆哮をあげてのけぞった。
その瞬間、レオンが続く。
「アニ、下がれ!」
彼は、空中で体を回転させながら腰のブレードを逆手に構えた。
アニの攻撃でできた裂け目をさらに拡げるように、鋭い一撃をたたき込む。
肉が裂け、血しぶきが飛び散る。
「今だ、ペトラ!」
「任せなさい!」
ペトラの刃が、その亀裂に深く突き刺さる――
牙獣の動きが一瞬止まり、倒れ込むように崩れた。
「……倒した、のか?」
グンタが周囲を警戒しながら言う。
だが、レオンは動きを止めなかった。斬り裂かれた肉の奥を確認する。
(中に、“人間”はいない――か。やはりこいつらは無人の怪物……いや、何かの操作で動いてる)
その思考の途中で、背後から再び“気配”が走る。
「っ――もう一体来る!!」
それは先ほどの牙獣よりも小型で、より俊敏な動きを見せていた。
牙獣にも“個体差”があるのだと誰もが悟る。
「くっ……!」
今度はクリスタが狙われた。
「危ないっ!」
レオンがすぐさま身を投げ、彼女を押しのける。
牙獣の腕が、彼の背をかすめた。
防護服を裂き、皮膚に傷を負わせる。鮮血が舞う。
「レオン!!」
アニとクリスタが同時に叫ぶ。
レオンは一瞬歯を食いしばったが、痛みを遮断するように集中し、即座に姿勢を立て直した。
「大丈夫だ。行け、今のうちに!」
「馬鹿! そんな状態で――!」
アニが叫びかけるが、すでにレオンは再度、立体機動で木々の間を駆け上がっていた。
ペトラが冷静に判断する。
「このままじゃ、また次が来る。――撤退ルートを確保して!」
「でも、牙獣を倒した今がチャンスじゃ――」
「私たちはあくまで“先遣”。ここで全滅するのが一番の失敗よ!」
レオンも頷く。
「ここまでの情報で十分だ。個体の特性、行動範囲、戦術的な穴……これを持ち帰れば、次に繋がる」
アニは不満げだったが、しぶしぶ納得したように言った。
「わかった。けど……あんた、あとで傷の手当ては絶対させなさいよ」
その目に、怒りと心配が交じっていた。
クリスタもまた、そっとレオンに寄り添いながら馬に戻った。
(3人の距離が、またわずかに動いた――)
それは、戦場の中でほんの一瞬見えた、恋の軌跡だった。
帰還の道中、空は鈍色の雲に覆われていた。
それでも、兵たちの気配には確かな緊張と、かすかな安堵が混ざっている。
――牙獣を倒し、情報を持ち帰る。
それだけでも、今回の任務は成功といえる結果だった。
だが、誰もがそれを“勝利”と感じきれていなかった。
「……あれだけの力を持つ生物が、もし組織的に動いているとしたら」
リヴァイ班のエルドが、低く言った。
「正面から戦うだけでは、もたないな」
「それはもう分かってる。あとは――どこまで“裏”を炙り出せるかだ」
レオンの言葉に、オルオがふと口を挟む。
「それにしてもよぉ、お前、なんであんな冷静に戦えるんだ? 背を斬られてんだぜ」
「慣れだよ。あと……守りたいものがあるから」
そう言ったレオンの視線の先には、アニとクリスタ。
二人はわずかに顔を赤らめ、それぞれ目を逸らした。
ペトラがその様子を見て、静かに笑う。
「ふぅん……なるほどね。あんたたちの関係、だいたい察したわ」
「……え?」
「ば、ばれてるの?」
レオンとクリスタが一斉に動揺する。
アニは少しむっとした表情で、そっぽを向いた。
「ま、そういうのは後でゆっくり聞かせてもらうとして――」
ペトラが視線を前に戻す。
「任務はまだ終わってないわよ。ピクシス司令への報告もあるし、次の行動をどうするかも詰めないと」
「そうだな」
レオンが頷く。
そして彼らはトロスト区へと戻り、作戦会議へ臨むことになる――
そこで、ピクシス司令と再会するのだ。
その翌日、トロスト区・作戦司令室。
ピクシスは酒瓶を片手に、静かに彼らを迎えた。
「ふむ。牙獣の個体差、それに戦闘特性の分析……ようやったな。リヴァイ班とやら、優秀じゃないか」
「お褒めに預かり光栄です、司令」
ペトラが丁寧に頭を下げた。
ピクシスはレオンに視線を向ける。
「それに……“君”も、だ。ヴィスナー、だったか?」
「はい」
「君の戦術眼と判断力、それに……部下の命を守るという意志。兵士として申し分ない」
レオンは少し驚きながらも、静かに頷いた。
「ありがとうございます、司令」
「――だが、それは同時に“危険な存在”でもあるということだ」
場の空気が一瞬張り詰めた。
ピクシスは目を細める。
「ヴィスナー。君は何者だ?」
沈黙が流れる中、ピクシスの視線がレオンを貫いた。
「君の実力は――“普通の訓練兵”のそれじゃない。リヴァイ兵長と並ぶような動き、的確な判断。……それに、あの牙獣との戦いでも、何か“気配を読む”ようなことをしていたな?」
ペトラやアニ、クリスタ、そしてリヴァイ班の面々がわずかに目を見開く。
だが、レオンは動じなかった。
「俺は……ただ、“生きるため”にそうしてきただけです」
「ふむ。ならば、その能力――調査兵団に預ける気はあるか?」
「……俺はすでに、ここで命を懸ける覚悟はしています」
静かに、しかし力強く返すレオンの言葉に、ピクシスは満足げに頷いた。
「よかろう。これ以上は詮索せん。だが、我々は常に“真実”を求めねばならん。嘘や隠し事は、人を殺す」
ピクシスは立ち上がり、地図の前に進む。
「牙獣の拠点がどこにあるか――おおよその目星はついた。次は“殲滅”だ」
一同が顔を上げた。
「そのためには、より少数精鋭での突入作戦が必要となる。……君たちには再び、先頭に立ってもらう」
レオンは一瞬だけ視線を横に流す。
隣には、アニとクリスタがいた。
二人とも、まっすぐにレオンを見ていた。言葉はなかったが、目が語っていた。
――「一緒に戦う」
その意志は固く、揺るぎなかった。
⸻
その日の夕暮れ。
レオンはクリスタとの約束で、トロスト区の城壁沿いを歩いていた。
「今日は、ありがとう……守ってくれて」
クリスタが、少しだけ照れたように笑う。
「守るのは当然だろ。君は――俺にとって、特別な人だから」
その言葉に、クリスタは顔を赤らめ、ほんのわずかにレオンの腕に触れた。
しかし――
「……そっちも楽しそうね」
背後から、冷ややかな声がした。
振り返ると、アニが立っていた。
その表情には、明らかな嫉妬の色が浮かんでいた。
「ア、アニ……!」
「まさか、デートしてるところに出くわすなんて思わなかったわ。いい趣味してるじゃない」
「ち、違う! これは、その……」
クリスタが慌てて否定しようとするが、アニは目を細めて言った。
「まぁいいわ。……でも、次は私の番。レオン、明日、付き合いなさい」
「え?」
「デートよ。あんたも、ちゃんと“平等”にしなきゃね」
レオンは戸惑いながらも、二人の視線を交互に見る。
どちらの目にも、自分への強い想いが宿っていた。
――運命は、戦いと共に、恋の選択も突きつけてくる。