壁の外に咲く花   作:ナムルパス

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第6話 鉄と牙

朝の訓練場に、異様な緊張が漂っていた。

まだ陽も完全に昇りきっていないというのに、兵舎前には全訓練兵が整列している。

教官のキース・シャーディスが腕を組み、鋭い視線を隊列に投げかけた。

 

「お前ら、今日は予定を変更する」

 

その一言に、ざわつきが起こる。

 

「何かあったんスか?」

 

サシャが素直な疑問を投げるが、シャーディスは無視したまま続けた。

 

「近隣訓練区画にて、野生の異種種“牙獣”が迷い込んだ。駆除部隊が到着するまでの数時間、実地警戒任務を兼ねて対応に向かう」

 

「牙獣……?」

 

ライナーが眉をひそめた。

 

「小型ながら俊敏性に優れ、群れで行動する。訓練兵が直接遭遇する例は滅多にないが……今回は例外だ。慎重に行動しろ」

 

それは、もはや“模擬訓練”ではなかった。

実戦を前提とした、命のやり取りの始まりだった。

 

 

約1時間後、104期生の一部が警戒任務として森の斜面へと展開した。

レオンもその一隊に組み込まれ、ライナー、アニ、クリスタ、サシャ、コニーらと行動を共にしていた。

 

「……まさか、こんなに早く本物と出会うとはな」

 

ライナーがぼそりと呟く。

 

「ジャンやエレンの班は違う区域か……」

 

レオンはあまり興味なさそうに辺りを警戒していたが、クリスタは明らかに緊張していた。

 

「レオン……これ、本当に大丈夫なの? 武器も訓練用のままだよ……」

 

「奴らに人間の道具の違いは関係ない。ただ、“仕留める気”があるかどうかだけが問題だ」

 

「……怖くないの?」

 

「怖くない奴なんていない。ただ、動ける奴と動けなくなる奴がいるだけだ」

 

その答えに、クリスタは静かに頷いた。

 

(この人……やっぱり、普通じゃない)

 

そう思いながらも、どこか安心している自分がいた。

 

 

事件は突然だった。

 

「――ッ!」

 

サシャが鋭く息を呑んだ。

 

茂みの中から、四つ足の影が飛び出してきた。

牙獣――狼に似た姿の異種生物が、一気に距離を詰めてくる。

 

「三体!? くそ、こっちを狙って……!」

 

ライナーが叫び、すぐに防御姿勢を取る。

サシャとコニーが脇へ飛びのいた瞬間、クリスタが足を滑らせて尻もちをついた。

 

「クリスタ、下がれ!」

 

だが遅い。1体の牙獣が彼女めがけて跳びかかる――

 

その時だった。

 

「下がってろ」

 

低く鋭い声と共に、レオンが前へ躍り出た。

 

草を踏みしめる音よりも速く、牙獣の喉元を正確に蹴り上げる。

短い唸り声を残して、それは地面に叩きつけられた。

 

だが、残り2体が左右から襲いかかる。

 

「レオン――!」

 

アニが声を上げた瞬間、レオンは左へ体を傾けつつ、右足を軸に回転。

 

右から迫る牙獣の前脚を蹴り砕き、悲鳴と共に吹き飛ばす。

 

「……!」

 

最後の1体。跳躍しながら背後に回った牙獣の動きに、レオンは背中を見せたまま両肘を上げ、タイミングを計る。

 

シュッ、と風が鳴り、顎が背中を狙って開かれる――

 

レオンの肘打ちが、振り向きざまにその頭蓋を正面から貫いた。

 

ドン、と重い音を立てて、牙獣が崩れ落ちる。

 

一連の動きは、10秒足らず。

その間、誰一人声すら出せなかった。

 

「お、お前……何なんだよ……」

 

コニーが呆然とした顔でつぶやく。

 

「化け物だろ……いや、人間か……?」

 

ライナーが押し殺した声でそう言い、レオンを見つめた。

 

レオンはふう、と一つ息を吐き、全員に目を向けた。

 

「もう終わった。動けるなら、群れが来ないうちに引き上げろ」

 

その目には、驚きも、達成感もない。ただ、沈んだ静けさがあった。

 

 

帰還後、全員の無事が確認され、牙獣駆除任務は終了となった。

しかし104期生の間で、レオンに対する見方は明らかに変わった。

 

「マジで、あいつ一人で全部倒したんだよな……」

 

「ていうか、殺気の出し方が尋常じゃねぇ……」

 

「俺、目が合っただけで冷や汗出たぞ……」

 

噂と恐れと、そして“敬意”が入り混じる空気。

 

レオンはいつも通り、何も言わずに一人で食堂を離れようとした。

だが、そこへ声がかかる。

 

「レオン!」

 

振り向くと、クリスタが小走りで近づいてきた。

 

「ありがとう、助けてくれて……私、あのままだったら……」

 

「別に、当然のことをしただけだ」

 

「それでも……あの時、本当に怖かった。私、ずっと“誰かに守られる”ことを恐れてたの。でも、今日のあなたは……」

 

彼女は言葉を選びながら、小さく笑った。

 

「“誰かを守る強さ”がある人なんだって、思ったの」

 

レオンはしばらく黙っていたが、やがてぽつりと呟いた。

 

「……守るために強くなるのは、悪いことじゃない。だが、その強さに溺れたら、いつか誰かを傷つける」

 

「あなたは……そんな風には見えないよ」

 

クリスタの瞳は、まっすぐレオンを見ていた。

 

その視線の奥にある“孤独”と“優しさ”は、彼自身の中に眠るものとよく似ていた。

 

「……ありがとう」

 

レオンは小さく呟き、歩き出した。

 

彼の背に、クリスタは微笑を浮かべて立ち尽くした。

 

 

その夜、アニは訓練場裏で一人、拳を固めていた。

 

(あれが……“本気の戦闘”か)

 

今日のレオンの動きは、まさに“戦闘の鬼”だった。

獣の動きを先読みし、間合いと致命点を即座に見極め、躊躇なく仕留める。

 

(……負けたくない)

 

彼女の中に芽生えたのは、恐れではなかった。

それは久しく忘れていた“戦士としての対抗心”。

 

(どんなに異端でも――認めたくなる)

 

月が静かに地平へ沈んでいく。

その光の下、アニの横顔には、確かな決意が宿っていた。

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