もしかしたら間違っている部分あるかもしれないので、許してクレメンスorz
オルクセン王国には、ベレリアント戦争以前には競馬という文化がなかった。
競馬と言えば、星欧圏が本場ともいえ、魔族種からみれば一瞬の時かもしれないが、人族種にとっては形を変えて長きに渡り好まれた最古の賭博もとい娯楽ともいえるだろう。
近代競馬が形成されたのは約200年前の出来事で、キャメロットの時の国王が発令した“軍馬育成法”の元に“どの馬種よりも早く、どの馬種よりも乗り手の言うことを聞く賢さを持ち、どの馬よりも長い距離を走れること”を目標に品種改良が行われ、そのお披露目として野原にて、横一列に並んでから一斉に走り出して、最も強い馬を選抜するためにレースが行われたのが始まりである。
それが貴族の中で、命知らずのチキンレースとして流行し、市民にはどの馬が一着になるのかを金銭を賭けて予想することが流行し、破落戸が胴元となって荒稼ぎをする。
良い意味でも悪い意味でも隆盛してしまったのだ。
その後、次代の国王になると「貴族の神聖なスポーツを下々の者が汚すのは何事か」と治安が悪化した賭博行為を、国王の名のもとに選ばれた貴族が運営となり、レースを開催して、民衆に対して公平に賭博を行えるように経営をし始めた。
税収目的でもあったが、これが民衆にウケたため、徐々にルールを改定しながら今日の星欧競馬協会の競馬法が形成されたのであった。
馬に関しても、狩猟用の馬種や馬上球技用の馬種を掛け合わせながら品種改良を施していたが、国内産の馬種ではどうしてもスピードに関していい結果が出せず、頭打ちになってしまった。
そこで、国外から足の速い馬種を輸入し、更なる品種改良を行おうと提案がなされ、植民地や馬産が盛んな外国から優秀な牡馬牝馬を取り寄せるようになった。
その内、のちに競走馬の礎となった“三大始祖”と呼ばれる三頭の牡馬が輸入されると、その子供たちが恐ろしいほどのスピードを持ち、軒並みレースを連戦連勝する事態になった。
そうして生産された馬は“スタンブレット”と呼ばれ、今日の競走馬として完成される事となった。
さてオルクセン王国には競馬という文化がないと上記でお話ししたが、厳密に言えば“スタンブレット種を用いた平地競馬”がないと言った方が正しいかもしれない。
昔の古代に使われていた“チャリオット”のような大きなソリに、大きなオークの騎手と規定数量の重しを載せて、一つから三つの大きな障害を乗り越える100mの距離を重量馬の“ペルシュロン種”で時間をかけて走る、いわゆる“輓馬競走”のような物は昔から存在して、今日でも一地方にて行われている。
他には繋駕車と呼ばれる車を曳いて走る繋駕速歩競走というものも存在するが、どちらも馬上に乗って走るものではなかった。
それはオーク種の体格が関係していたためである。
どうしても体躯が大きいオークがスタンブレット種のような馬に乗ると、馬体が持たず、最悪の場合、背骨が折れてそのまま死んでしまう可能性があったからである。
数が揃えられれば、ソリや車輪付きの乗り物になら操縦することが出来るのだが、スタンブレット種にはそれは合わなかった。
故にそれ特有の馬種が揃えられるのだが、ダークエルフを保護してからは徐々に事情は変わっていった。
エルフィンドの民族浄化から辛くも逃げおおせたダークエルフたちは、オルクセンにてそのほとんどが騎兵として採用されており、またベレリアント戦争では目覚ましい活躍を発揮していた。
戦後は旅団から騎兵師団となり、現在では装甲師団となり、今日では星欧の中でも精強と言われている『アンファングリア旅団』であるが、旅団で育成されていたのは“メラアス種”と呼ばれるものであった。
“メラアス種”とは“スタンブレット種”とほぼ同じであるが、唯一違うのは“軍馬”か“競走馬”かの違いであった。
軍馬とは敵の攻撃に怯まず、敏捷に戦場を蹂躙するのが主な役割であるが、競走馬は整えられたコースのみでしか走ることが出来ない。
いわばどんな荒れ地をも走り抜ける『ラリー車』と整地された道を人類最高速で走り続ける『F1カー』の違いと考えてもらえれば分かりやすいと思われるが、とにかくこの時にはまだオルクセン国内ではメラアス種の馬産が急務とされていた。
この際はロヴァルナ産、グロワール産、キャメロット産の三ヶ国から輸入し、旅団の編制に組み込まれているが、これらは戦後、乗馬競技にて活躍する始祖たちとなる。
一応この際にもダークエルフたちの娯楽として直線による平地競争は行われていたが、あくまで身内での賭け事であったため、この際もメラアス種が用いられていたが、馴致の意味で行われていたというのが正しいかもしれない。
つまりは競走に対して賭け事を行うという概念は存在していたため、のちに各国の平地競争に感化され、オルクセン競馬協会を発足する際に尽力するダークエルフが現れるのであった。
第三代アンファングリア旅団長イアヴァスリル・アイナリンドもその一人であった。
彼女はアンファングリアが騎兵師団へ改編された際の旅団長だが、その後騎兵の機械化について軍主流派との諍いで、軍を退役することとなるが、その後オルクセンにおける国際的な馬術選手を育成し、世界的にも名門とされる乗馬学校を営んだ。
そんな彼女だが、ある事がきっかけで、競馬の世界へといざなわれることとなる。
それはベレリアント戦争終戦後、彼女がまだ中佐だった頃の話である。
エルフィンド復興対策の一環として、旧エルフィンド領内での戦災復興事業における平地競走における競馬場の設営をエルフィンド側から打診された。
実はエルフィンド内でも平地競走は戦前盛んに行われていたが、戦中になると競走馬として育成されていたメラアス種は、そのほとんどを軍に接収され、軍馬として戦場に散っていった。
軍馬に向かなかった数少ないスタンブレット種の馬は辛うじて戦災を免れていたが、戦中後期における食糧難にて餓死や屠畜が行われ、エルフィンド領内で生き残っていたスタンブレット種の総数は約100頭とも言われていた。
その残ったスタンブレット種を用いて、各自治体にて興行を行い、復興財源確保を行うという計画であったらしい。
これに対しオルクセン側からは待ったがかかる。
国内の食料でさえ自給できない状況下で、競馬とは何事かと占領軍とオルクセン本国からは怒りの声が上がったのである。
それは尤もなのだとエルフィンド側も同調していたのだが、旧エルフィンド領内の国民からは戦争からの解放により、食料もそうだが、娯楽にも飢えていたのだ。
戦中初期までは“エルフィンドクラシックレース”と呼ばれる競走が開催されていたのだが、戦況の悪化に伴い、中止を余儀なくされてしまった。
その他にも様々な娯楽が戦争によって奪われていったために、国民内でも不満が溜まり、ゴロツキが主催となって行われている違法賭博に国民が熱中し、それを取り締まるにも人手が足らないは、国民からは仇のように罵られる始末で、頭を抱えていたのだという。
それを一気に解決しようと編み出したのが、戦災復興競走計画であった。
娯楽に飢えた国民の不満を解消し、ゴロツキから違法賭博の場を奪い、開催した際に発生する収益金を復興財源に当てて良いこと尽くし!!とエルフィンド側の熱心なプレゼンターが占領軍総司令官アロイジウス・シェヴェーリンに綿密な計画書を提出したところ、これが大いに受けた。
そのため、シェヴェーリンの口添えもあり、オルクセン本国もエルフィンド領内の食糧自給がきちんと行われるまでは開催しない、という条件付きで“エルフィンドにおける復興競馬法”の制作が始まったのである。
のちにこれがオルクセン競馬協会の礎になり“オルクセンクラシック競走”の前身として形成されるのだが、これは後に語ろう。