ティリアン競馬場の主がいない中でのセレクレイトはまさに無双であった。
五月始めに入厩してから、一週間も経たない内に大差勝ちにて圧勝劇を繰り広げると、新設されたばかりの重賞レーヴェステークス(1600m)でも最終コーナーから先頭まで約10馬身差から鮮やかな末脚で差し切り、三馬身差の勝利を上げている。
この勝ち方を見た観客は度肝を抜かれたが、更に抜かれたのはそのレース間隔の短さである。
どんなに長く休んでも二週間から三週間の間のみ、大体中一周でレースに出場してくる。
その過酷ともいえるローテーションには現在ならば批判の的ではあるが、このローテーションにはセレクレイトの体質が関係していた。
セレクレイトは幼少期貧弱な体と揶揄されて買い取られなかった経緯があるが、マイケルの献身的な飼育により、普通の競走馬が一日食べる量を一食ごとに平らげてしまう大食漢に成長してしまい、放置しているとぶくぶくと太ってしまうのであった。
そのおかげで、勝ったとしても食費で賞金がほとんどを失われてしまう為、食わせていくにはかなりのレース数を重ねなければならないのだが、その過酷なローテーションのおかげで、普通のスタンブレット種とは異なるタフネスさを手に入れることになった。
その分マイケルは馬体に異常がないか毎日過剰ともいえるチェックは欠かさなかったし、食べさせる物にも気を使わせていたという。
献身的にセレクレイトに尽くす姿をまるで恋人同士と比喩した者もいたが、あながち間違いではないだろう。
のちにセレクレイトが亡くなり、その後マイケルがこの世を去った際には同じ墓に納められ、今でもオルクセンの一地方にて眠っている。
墓石には“我が思い人セレクレイトと眠る”と書かれており、今でもその墓を訪れる者は後が絶たない。
さて話は逸れたが、それだけ強い馬が出たのだ、当然オルクセンの競馬関係者としてはせっかく始まったばかりの平地競走に冷や水を浴びらされた事態になっただろう、しかし当時のオルクセン競馬関係者の話では、セレクレイトを歓迎する風潮が見られた。
『新興したオルクセン競馬にとって三十二勝無敗の牝馬が突如として現れたのは脅威ではあったが、皆がスプリングオブリバティと戦わせたらどちらが強いだろうか?と話題で持ちきりになった。八月に入り、そろそろスプリングオブリバティが出走するメルヴェイユ賞が始まるから、勝敗関係なく、戻ってくるのは恐らく早くても十月頃になる。もしそれまでセレクレイトがこの国に滞在していてくれるなら双方ぶつかるなら十一月のエルフィンドカップになるだろう。皆がスプリングオブリバティの防衛かセレクレイトの勝利かを口々で語るぐらいには、それだけセレクレイトの存在は眩いものだった。』――――――――月刊『OJ‐オルクセンジョッキー‐』より、当時のオルクセン競馬関係者に聞くオスタリッチの至宝とティリアンの女王についてより抜粋。
オッズ的には不味いが、セレクレイトの存在は女王不在のティリアン競馬場を賑わせていた。
皆がスプリングオブリバティの凱旋を待っていた。
誰もが対決を心待ちにしていた。
場面はオルクセンからグロワールのローンシェ競馬場に移そう。
星歴八七九年八月。
ローンシェ競馬場の近くに用意された調教場を見てレレミアン師は驚愕した。
そこは調教場というよりかは森の中を切り開いて作られた草原であった。
ジミーからある程度の説明を受けていたレレミアン師であったが、実際目の当たりにすると旧エルフィンドもといオルクセンの調教場と比べたら雲泥の差に見えていた。
オルクセンの整地された馬場と比べると明らかに凹凸のある馬場はスプリングオブリバティにとっては未知の世界である。
何も知らされてなければ、邪険に扱われていると勘違いしていたかもしれないが、グロワールにとってはこれが通常であった。
兎にも角にも走ってみなければ分からないと、ジミーと共にスプリングオブリバティが馬場に現れる。
併せ馬の相手として、現地の協力してくれているフェーデ厩舎のジュレブランジュと共に現れる。
牝馬でグロワール国内の重賞を勝っている馬ではあるが、いざ走ってみるとスプリングオブリバティは勝るとも劣らない走りをグロワールの競馬関係者に見せつけた。
最初は慣れない馬場に戸惑う様子が見られたが、慣れてくるとその力を遺憾なく発揮し「オルクセン侮りがたし」とグロワールの競馬関係者たちが口々に語っていた。
そして九月に入り、ローンシェ競馬場に有力馬が集うことになる。
レース当日。
ローンシェ競馬場はいつもより活気に満ちていた。
この日の来場者数は通常の三倍とされる一万五千人程とされており、当時としては類を見ない程の人数であった。
しかも各国大使が集まり、観戦するという異例の事態になっており、警備体制も厳格に敷かれていた。
この日行われるメルヴェイユ賞は国際競争として初めてオルクセンが参加するとあって、その代表とされるスプリングオブリバティを一目見ようとファンが押し寄せた。
事前人気は五番人気であったが、パドックではその馬体の素晴らしさに三番人気まで上がっていた。
さて、面々を紹介すると、この年の名馬とされる牝馬たちが勢ぞろいしていた。
ローンシェ競馬場の主とされ、グロワール競馬の総大将として名高いグロワール牝馬二冠馬のソワ、そのライバルとして一冠を奪取したシェエラン、ソワが現れる前の女王として名高く、前年度メルヴェイユ賞覇者のディジエーム、重賞七勝のミット、G1常連のトレーフルと名だたるメンバーが揃った。
キャメロットからはキャメロット牝馬戦線で最も勢いがあり、キャメロットオークス馬のインテレクチュアルとその二着馬ノレッジ、前年のメルヴェイユ賞で惜しくもハナ差でディジエームに敗れたワグテイル、アスカニアからはG1アスカニアレディマイルで世界レコードを叩き出した快速馬パイル、エトルリアからはセレクレイトとの直接対決は避けたが、名実ともにエトルリア牝馬三冠馬として君臨しているイチェベルグとまさにその国の代表として送り出されたと言っても過言ではない顔ぶれであった。(※下記の図は当時のメルヴェイユ賞の出走表である)
この十一頭で争われるレースは“この時代にして再び行われることのない女神たちのレース”として歴史に残される事となる。
これから少しずつ速いペースで出せたらいいなぁ